ソング・トゥ・ソングのレビュー・感想・評価
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日常大陸
テキサス州オースティンで暮らす4人の男女+αの恋愛と日常と人生の群像劇。
音楽に関連する描写は多々あるけれど、ストーリーにそれが作用するところはなく、LIVEステージの裏だったり、家に公園に海辺に街中等々で、人と人が織りなす日常をカメラで撮ったかの様な映像で、数分、数十秒毎にシーンやカットと主題の人物を変えながら、行動と会話と心の内の吐露を淡々とみせて行く。
1つ1つのシーンにストーリー性はあまりなく、繋げてみたら誰と誰が別れて、誰と誰がくっついてと、結果としてドラマがあるというような感じかな。
自分には、登場人物達に共感するところはないし、感情移入もできないし、最初から最後までとにかく冗長だった。
〝守ってあげたい〟ルーニー・マーラだけでも…
一般大衆からの〝受け〟とか分かりやすさを求める観客は相手にしない、というタイプの映画(と監督本人が思っているのかどうかは知りません)には、もう着いていけない自分。あ〜あ。
ということで途中からはルーニー・マーラの美しさを堪能することに切り替えました。
華奢で羽毛のように軽そうな透明感。
ママにはできないので、パパとしての沽券を保つことができた、両足で子どもを支えてあげる飛行機ごっこ。仰向けになって嬉しそうにはしゃぐ子どもの顔を見るのは子育て中のささやかな喜びでしたが、ルーニーの軽さなら、大人になってもできるのですね。私にとっては、ルーニーの彼氏となることの幸運の象徴のようにさえ感じられたのでした。
【SONG to ALL】
セリフが詩のような作品だ。
舞台となったオースティンや、ソング・トゥ・ソングというタイトルから考えると、歌の歌詞を意識したこともあるのだろうか。
不思議な感覚を覚える。
脚本も詩集のような構成になっているのだろうか。
場面ごとの設定は、チャプターのようで、そして、全体としては、物語になっている。
この独特のアプローチは、静かな演出で観る側のイマジネーションを要求する手法とともに、テレンス・マリックならではのものだと強く思う。
音楽の街を舞台にしてるが、これは僕達全ての人に向けた賛歌だ。
夢、希望、努力、愛、欺瞞、裏切り、怒り、確執、快楽、喪失、失望、挫折、
そして、再生。
僕達が経験するものたち。
やはり、この作品は皆に向けた賛歌だ。
独特のアプローチで、好き嫌いはあると思うが、僕は好きな作品だった。
幸せとは何か?自分はいったい何者か?を描いた秀作
幸せを模索する4人の男女の物語。
彼らの人生は見ていて痛い。
観終わった直後はかなりしんどかった。
でも、ずっとぐるぐると様々なシーンが頭に浮かんでくる。
だから、きっと自分にとってはいい映画だったんだと思った。
贅沢な羽毛
個人評価:3.3
さすがの巨匠。予告編ではいつもとは違うテレンス・マリックを見れると思いきや、まったくブレる事はない内容とエマニュエル・ルベツキの映像美。
過去作同様に内容を理解するのではなく、体感する様な世界観。その映像美と、子守唄のごとく囁くようなナレーションの中に身を委ね、まどろみ漂う様に作品を体感する。素敵な俳優陣に囲まれたその空間は、この監督しか作り出せない贅沢な羽毛布団の様だ。
ケイト・ブランシェットとナタリー・ポートマンをダシに使って、道徳的なメッセージを伝える
ジョニー・ライドン、パティ・スミス、イギー・ポップら、ロックのレジェンドがドバドバ登場し、まだまだご活躍だねえーと思ったら、実は3年も前の作品なのか。
「ザ・ギョーカイ人」の金持ち生活を送る大物プロデューサーのクック(マイケル・ファスペンダー)と、駆け出しのミュージシャンのBV(ライアン・ゴズリング)のあいだをフラフラ揺れる女子フェイ(ルーニー・マーラ)。
ということは、クックとBVを対比的に描く、というのが本作の意図である。
クックの妻(ナタリー・ポートマン、ダイナーでナンパした求職中の幼稚園教諭という設定)は、クックとの生活の空虚さへの失望のうちに死ぬ。
BVは母親から「ふさわしくない」と言われて恋人(ケイト・ブランシェット)と別れる。
そうではないかも知れないが、そう描いているように見える。フツー大の男がママに言われて彼女と別れるか?!いや、実際にはあることかも知れないけど、それを映画で描くということは、どういうことか?
そしてBVはフェイとヨリを戻し、家族と病気の父親のために故郷に戻り、音楽からは足を洗って、作業現場で働く。
つまり。
クックとBVの対比で明らかになるのは、金持ち生活の否定。そして、家族や両親を大切にし、ミュージシャンなどという浮ついたことは諦めて、額に汗して働くことの肯定だ。
ナタリー・ポートマン役の妻を死なせ、ケイト・ブランシェット役の恋人と別れさせてまで伝えているのは、実に“道徳的な”メッセージなのである。
ただ、本作はモノローグが多く、登場人物たちは決して声高には語らない。そして、全編を覆う実に美しく、詩的な映像(これはかなりすごい)。
これらが見事に道徳的メッセージを薄めている。
水面、鳥、ベッドルームなど同じイメージを繰り返す。その場に飛んでいる虫を小道具に使う(おそらくアドリブだろう)など、面白いシーンもあるが。
全体的に、ドラマの起伏はあまりなく、脚本より演出で観るタイプの作品。
それでメッセージがユニークならば惹かれるんだけど、前述の通り道徳的。
いや、もちろん家族は大事、労働も大事、愛も大事。でも、そのメッセージを伝えるという点で、ひねりも盛り上がりもなく、BVとフェイが再びパートナーになったことの説明は、脚本上も演出上も不足と見る。
(豪華キャストによる恋愛映画を勝手に期待してしまっていたこともあるだろう)僕には楽しめなかった。
ルーニー・マーラ、かわいいんだけど、いつ観ても薄幸そうなイメージだなあ。
時間の無い中観に行ったのに
年末の忙しい中、キービジュアルを見て面白そうだったので観に行ったが、2時間10分の時間と前後の時間を返して欲しい。観たことで何も変わらないが、後悔しかない。今年見た映画でジョンレノンのイマジン並にしょうもない映画だった。官能的なシーンを繋いでる感じなのだが、ことごとく中途半端。だんだん面白くなるかなと思って見ていたが、最初から最後まで同じトーンで続く。もう2度とテレンスマリックの映画は観ない。心に誓いました。豪華なキャストの無駄遣い。出た俳優もキャリアに傷がつくよ、これでは。
主役
映画って、主役が居るのではなく、主役っていう役が有るんだと再確認。もう、オクビがでるくらい凄い人ばかりで、無駄。脇に周ったひとはイギーポップ位。ケイトも脇か?あれ無理だろう。
ライアンゴスリングなんて、棄てられた子犬顔が良いのに、ふざけているだけ。女優二人もベクトルが似てるので、頭の中でこの娘は、ルーニーたん、って確認しながら見てた。
延々と香水のCMを見せられてる感じ。せめて濡れ場でもありゃ良いのだけど。
傑作
類を見ない映像美と、詩的な深み、中毒性のある快感が潜んでいる傑作です。
4人の大人が自分の人生の目的や意味を探す物語。普遍的なテーマを描いているが、映画を観ながら自分が4人の人生を経験しているような感覚になり、深く感動した。
ちょっとした風景のシーンや、回想シーンの積み重ねが、詩的な深みを与えていて、想いを巡らすことができる。登場人物たちのルーツだったり、性格、親との関係性などが目に見えないところに浸透していて、映像以上の情報量が溢れている。
2時間に感じないほどあっという間に時間が経ち、美しい映像と彼らの人生の中にもっと飛び込んでいたいと思った。
このキャスト陣はそれにしてもすごい。それだけで全く飽きない。一見の価値あり。
いい音楽がフォトジェニックの中で─
近作の巨匠の作品は、美しくて質は高いけれど、見るのがつらい・・・
そのつらさの頂点がこれだ!と思ってしまいました。
ルーニー・マーラにケイト・ブランシェット、好きだ・・・好きだけど嫌だこの役、とか、ルベツキだったと後で知って愕然と・・・とか、イギー・ポップもパティ・スミスカッコ良くない!とか、異様なフォトジェニックの中で著名人がコマのようにしか扱われていないような印象でした。どう一生懸命見てもルーニー・マーラはミュージシャンには見えないから─。
金も名誉も何もかも手にしても幸せはないということなのでしょうか?そんな単純な作品だとも思えませんが、あまりに難しすぎて自分には理解できませんでした。
まさかのケイト・ブランシェット
新作かと思っていたら、マリック監督としては『名もなき生涯』以前の作品でした。音楽祭の映像や青空を基調とした空間の広角レンズの撮影はとても心地よい。映像と音楽は申し分ないのですが、いかんせんストーリーが何を言いたいのか掴みにくい。
最初はルーニー・マーラの横顔がナタリー・ポートマンと似ているため、どちらなのか分かりづらく、黒子に注目して区別してしまいました。そんな中でマイケル・ファスベンダーとライアン・ゴズリングの微妙な主従関係とマーラと三角関係の恋愛もどきの楽しそうな雰囲気。もう、マーラはゴズリングに譲っちゃう方向に進み、幼稚園教師の夢を掴めないでいたナタリー・ポートマンをナンパしちゃって、4人の物語が中心となる。
それぞれの恋愛感情に加えて親との関係も描かれる。どうしても大物プロデューサーの豪邸が中心となるため、就職難とか貧困が感じられず、ただ呑気に恋愛しているだけでした。そんなストーリーの終盤、なぜここにブランシェット?!と驚き、これが過去の流れなのか、パラレルワールドなのかわかりません(年齢差で反対されたの?)。さらに、ブランシェットがゴズリングから離れていって、マーラと再開(?)するのですが、これも序盤の出会いとは全く違うもの。「見つけてくれたのね」という言葉には単に男女の視点が変わっただけなのか、また同じ恋愛が繰り返されるのか・・・と思ったら、ラストがまた全く新しい世界。
雰囲気に飲まれてしまいがちですが、謎が深まってしまいました(もしかしたら理解できてないのかもしれません)。ミュージシャンのゲスト出演などはファンならば垂涎ものかもしれませんが、イギー・ポップはほんのちょっとだったし、やっぱりパティ・スミスが良かったかなぁ。使用楽曲の多さにもついでに驚きました・・・
音楽とその周辺の人達の織りなす物語
観始めて音楽に関連したシーンが多かったから
生活に根差した音楽シーンを描いてくれるのではないか?
と少し期待したが違う方向に進んでしまった
入れ替わり立ち替わり現れる音楽
まるで何かのMVのようだ
俳優は全て美しく散文的に少しづつ場面が描写され
徐々に人間関係が浮かび上がってくる
綺麗なシーン、印象的なシーンなどはあるが
基本的に短いシーンの連続で物語を繋ぐ感じでファッショナブルな反面
訴えかけてくる感じが少し弱いような気もした
キャスト以外にミュージシャンがそれとなく出演している
音楽業界の裏を描いてるようなリアル感をプラスしてる
こんな感じの病んだ業界人って居そうだなと思ってしまった
とにかくキャストも映像も美しいのだが
(最近の映画は映像の美しさという意味ではいいと思う)
何かプラスするものが欲しくなる
物語が男女の出会いや別れを描いているのだが
映像が色々な情景を写してるせいなのかわからないが
達観してるような感じなのと少し散漫な印象がしたかな
思ったんだけど音楽に関わる人を描くなら
最初にモッシュしてた人とかの人生にも焦点当てた方が面白かったんじゃないかな?
音楽をもっと色んな角度から切り取った映画作って欲しかった
作品としては悪くないけどツボにハマらなかった映画って感じかな
クリスマス礼拝でした⭐️
初めは、ルーニーのPVなんだな、と思って見てました。だって可愛いんだもん💕色々なヘアスタイル、お洋服、革のライダーズジャケット、ぺったんこお腹にピッタリのパンツ、そして一番素晴らしいのがノースリーブ!ノースリーブの、色んなワンピースの素敵で可愛いことといったらなかった。ノースリーブを完璧に着こなせるのはルーニーだけだと思いました。特に、最初にパパと会って話してるときの黒ワンピ・ノースリーブ(麻かな?)が、デコルテ部分のカットも含めて一番好きです。ワンピースにはいつも萌えます!
ところが!健気な寡婦が複数出てきたり、偽善者、嘘、慈悲、赦しといったキリスト教ワーズやセックスを罪悪視する雰囲気の台詞、教会や礼拝場面の多さ。使われてる音楽は様々あれど、GodとかJesus系が多いこともエンドロールで確認!トドメはポートマンの最期です。死ぬこたあないじゃないか!
敬虔なプロテスタント、中でも禁欲的なピューリタン精神にあふれた映画であることがわかりました。十戒のうち、人との関わりである5つの戒めが映画の通奏低音であった、という解釈もできると思いました。けれど、カトリック国で酒池肉林大好きなイタリアに比べたら、全然かわいいレベルなのにー!そんなに自分を卑下してはだめだよ!と言ってあげたかった、ルーニーとポートマンに。
いわゆるアメリカン・ドリームとピューリタニズムは、北米ではどんな風に折り合いつけているんだろう?
ケイト・ブランシェット、相変わらず美しくて、ルーニーと同じ位に萌えました。BVが自分の母親を精神的に不安定とか言ってましたが、その母親は息子とアマンダ(ブランシェット)が不釣り合いだと看破した。精神的に問題あると周りから思われる人が、実は真実を見抜く力があるのも、キリスト教だけで無いけれどよくあることだ。BVはアマンダと付き合うことで、やっとルーニーがクックとのことで悩んでたことが分かって、遅いんだよー!とつっこみさせていただきました。
いずれにしても、ルーニーとブランシェットを見ることができて幸せでした。
Happy Holidays!
【"歌は人の心を高揚させ、救う筈・・。"複数の男女の関係性、心象を描いた作品。ルーニー・マーラの透き通る様な美しさが素晴らしい。”全集中”で観ないと、置いていかれる作品でもある。】
-序盤を観て、ストーリーよりも、名優達の表情、肢体の動き、懐かしきロックフェスの映像を堪能するスタンスに脳内で変換して、鑑賞続行。-
◆全編を通して、悩めるフリーター、フェイを演じるルーニー・マーラの透き通るような美しさ、弾ける笑顔、憂いの表情が素晴らしい・・。
・大物プロデューサー、クック(マイケル・ファスペンダー)と、売れないソングライターBV(ライアン・ゴズリング)との狭間で
"私は汚い・・"と呟きながら、迷うフェイの姿を華麗に演じるルーニー・マーラ。
・クックは金に糸目を付けず、享楽的な生活をエンジョイしている。幼稚園の先生だった夢を諦めたウェートレス、ロンダ(ナタリー・ポートマン)にも、手を出すし・・。
-コラコラ、両手に花とは、良い身分だなあ。だが、マイケル・ファスペンダーが演じると余り嫌味に見えない・・。悔しい・・。-
・一方、BVは素敵な女性(ケイト・ブランシェット)との恋を、母から"釣り合わない・・"と否定され、父親の病んだ姿を見て、音楽の街、オースティンを離れる決意をする。
ー女性の、真珠のネックレスがばらけるシーン。-
・さて、美しくも悩めるフェイは、最終的に、どちらの男性に魅力を感じたのかな?
◆時系列も、行ったり来たりで、ナカナカ見応えがあるが、”テレンス・マリックワールド”に飲み込まれず、楽しく鑑賞した作品。
<成功、夢、愛情、友情・・・。
何が大切なのかは、その時々で変わるだろう。
けれども、矢張、”金” ”成功“ ”地位”よりも ”愛情” ではないかなと思った作品。
”愛情”も努力しないと永遠ではないが・・>
■蛇足
・イギー・ポップの元気な姿が嬉しく、パティ・スミスの深い言葉が心に滲みた作品でもある。
ジョン・ライドン(分かった人は沢山いるよね。)、レッチリ・・。
早く、ロックフェスやギグに行きたいよ・・。
美しく芸術的な作品
美しい映像と詩の朗読の様な演出で、テレンスマリック監督らしいお洒落な作品でした。lalalandぶりにピアノを弾くゴズリングはやっぱり素敵〜😍。本気で笑ってると思われる何気ないシーンが可愛い。ラブラブカップルのじゃれあいが永遠に続くので、好きな方とぜひ一緒にご鑑賞ください〜♪
英語で見る事ができれば違うのかな
伝承ホールにて試写会鑑賞。率直な感想として全く理解ができず非常に退屈な時間であった。
マリック監督らしい今作も非常に詩的な作品である。
登場人物のキャラクターやら背景を冒頭で明確に表現せずに表情、言動、行動、心の声…これらを自分の頭の中で組み立てていき各々の人物を形成していく必要があるんだろうけど、そこにたどり着く程作品自体に魅力を感じる事ができず、そうなるとただただ目に映るものだけを追ってしまい非常に退屈となってしまった。
ポエムチックな作品という事はわかるけどこれは英語で見る事ができれば言葉と言葉の掛け合いなんかで楽しめるのかな。字幕だけだとちょっと理解が追いつかないシーンが多々あった。
本国では3年前に公開されておりおそらくコロナで洋画の新作をかけられず持ってきたのであろう。少なくともポピュラーな作品ではない事は確かである。
3年も公開見送りになっていた理由がなんとなく解る気がしますがルーニーはとんでもなく美しいです
テキサス州オースティン界隈の音楽業界でブイブイ言わしてるプロデューサーと作詞家2人の三角関係を綴る物語。
テレンス・マリック作品はこれが初鑑賞。過去作はどれもそんなに興味をそそられなかったんですが、今回はライアン・ゴスリング、ミヒャエル・ファスベンダーにルーニー・マーラとなると話は別。しかし、年初に観たトレーラーではクリスチャン・ベールが出てたはずなのに一体どこへ???
ということで、評価は・・・これはビミョーですね。正直筋らしきものもほとんどなくて時制もあっちこち飛ぶ。音楽業界の話なのにその辺描写がテキトー。余りに退屈なので観客の3割は途中で出て行きました。ブラジルの観客はシビアなので。
パティ・スミス、イギー・ポップ、ジョニー・ライドン、レッチリとカメオ出演は豪華ですが正直見てくれが妖怪みたいですし、そもそも演技が出来るわけないのでそこだけドキュメンタリーぽくなっててなんかチグハグ。これはちょっとアカンちゃうの?と正直思ったんですが、やっぱり撮影監督のエマニュエル・ルベツキによる映像は圧巻。ほぼ登場人物にべったり寄り添ったカメラが捉えたルーニー・マーラの様々な表情と仕草がそれはもうとんでもなく神々しい透明感、2時間強の間ルーニーとデートしているかのような錯覚に陥る至福の時間となりました。しかしもし主演がナタリー・ポートマンかケイト・ブランシェットだったら私も途中退席してたかも。とにかくカメラが登場人物に寄り過ぎなので女優さん達は相当キツかったのではないかと思います。あの接写に耐える人はそうはいないでしょう。
あと、どうでもいい感じでヴァル・キルマーがバンドのボーカル役で出てますが、ちっともバンドマンに見えません。そこは全部カットして、登場シーンが全カットになってしまったクリスチャン・ベールの登場シーンをワンカットでいいから残して欲しかったです。しかし2017年の作品を今公開ってことはコロナなかりせば公開予定なかったんですかね、巨匠の作品なのに。
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