「【“いつも美しいモノを探す気持ちを”と言い、母は息を引き取った。北朝鮮の政治犯強制収容所に家族と共に連行された少年の心の成長を通して”人は何の為に生きるのだろう”という重い命題を問いかけてくる作品。】」トゥルーノース NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【“いつも美しいモノを探す気持ちを”と言い、母は息を引き取った。北朝鮮の政治犯強制収容所に家族と共に連行された少年の心の成長を通して”人は何の為に生きるのだろう”という重い命題を問いかけてくる作品。】
ー 北朝鮮の政治犯強制収容の存在について、北朝鮮は否定し続けている。だが、在日コリアン4世の清水ハン栄治監督が、執念の調査と取材をかけて10年掛けて完成させた今作を観れば、その存在を否定するのは、難しいであろう。エンドロールで流された今作の舞台になった収容所の空撮写真を見ても・・。
だが、今作は北朝鮮の蛮行を描くスタイルを取っているが、あの収容所がナチスや旧共産圏の強制収容所が舞台であっても、成り立つであろう。
監督の意図は、”そこにも”あるのではないか・・、と思った。ー
◆心に残った点<Caution! 内容に少し触れています。>
・冒頭、TEDで”家族の物語を語ります・・”と多くの人々の前に歩み出る青年が描かれる。
私は、”この青年は、今作の主人公だろう・・”と勝手に思う。
・平壌で、平穏に過ごしていたヨハン少年一家。厳格な父は翻訳家らしい。がある日、父は”出張”に出たまま帰らず、ヨハンは父に言われた”母さんと妹のミヒはお前が守るんだぞ”と言う言葉を胸に、トラックで遠路どこかに連れて行かれる。
ー ナチスでも、旧共産圏の収容所でも同様の事が行われていたのであろう。途中、小用を我慢しきれなかったお婆さんに対する、母ユリの優しき言葉と行為。ー
・収容所での、愚かしき監視官たちの姿と、人間として扱って貰えない人々の姿の対比。
ー ”連帯責任”と言う言葉が嫌いである。
更に”虎の威を借る狐”は唾棄すべき存在であると、思う。
日本でも、一部の国家権力者に”虎の威を借る、忖度狐”が居るのは、ご承知の通りである・・。
序盤は、腸が煮えくり返る思いで鑑賞。
私の嫌いな輩、総出演だからである・・。ー
・ヨハンが、家族のために隣人の盗みを密告し、更に看守グループに気に入られている赤い腕章を付けた監視グループに入る事で特権を得て行く姿。だが、そのために夫を失った老婆に恨みを買い、母ユリが、刺されてしまう一連の流れ。
ー 弱い集団の中で、形成されるヒエラルキー。密告。知識でしかないが、第二次世界大戦中の日本もそうではなかったか・・。最も恐ろしい”誰も信じられない”暗黒の社会である。ー
・ヨハンが自らの愚かしき行為の因果で母を看取った際に、母が遺した言葉。
“いつも美しいモノを探す気持ちを・・”
彼は、ミヒと共に、弱者の側に立ち、末期の人を看取る行為を続ける。傍らには、母を処刑された際に、母ユリが引き取ったインスもいる。
ー ヨハンの母ユリの高潔な生き方に、ヨハンもミヒもインスも大切な事を学んだのである。人は、生前の尊い行為により、死しても魂魄は残るのである。ー
・ヨハンとインスは看守リーにより身籠ってしまったミヒを連れて、脱走計画を練るが・・。
ー リーの描き方も、”人間の尊厳とは何か”と言う命題の一つの答えになっていると思う。ー
<TEDの満員の聴衆の前で、スピーチをしたのは、誰だったのか・・。
ヨハンの高潔な生き方を表したラストシーンも見事な作品であった。
そして、ヨハンに高潔、高邁な精神を遺したのは誰であったのか・・。
尊厳を踏みにじられても、高潔、高邁な心を忘れなかったヨハン一家の姿が印象的だった作品でもある。>
<2021年8月11日 刈谷日劇にて鑑賞>
NOBUさん
健気な妹ミヒを助けたい一心で取ったヨハンの行動が切ないですよね。
我が身に代えて、誰かを守らねばならないヨハンの心情がとてもリアルに描かれ、思想統制の怖さを改めて感じました。
多くの国で上映し、多くの人に観て貰いたい作品でした。