「人類、地球、宇宙……全てのサイクルを見守るヒーローではない存在!!」エターナルズ バフィーさんの映画レビュー(感想・評価)
人類、地球、宇宙……全てのサイクルを見守るヒーローではない存在!!
マーベルの世界観の中で宇宙、地球、人類……などの生命のサイクルを全て司る壮大なテーマを持つ『エターナルズ』の物語がついに映画界にも取り入れられることになった。
7000年前から「デイヴィアンツ」から地球の人類を守り、知恵や技術を教えてきた「エターナルズ」は、アベンジャーズやサノスという表面上の存在による脅威ではなく、全体を通してのサイクルを見守る者である。
それは戦争や災害において「神は不在であった」というのと同じように、どちらかというと神の領域(『マイティ・ソー』に登場する面々とはまた別の概念)の存在であって、エターナルズという存在は決してヒーローではない。デイヴィアンツの存在がない、人間が自らおこした戦争などには介入する義務はない。
例えばエジプトの壁画や古文書のようなものに描かれる、神や人間ではない存在がエターナルズやデイヴィアンツの存在を人間たちが描き残したものという扱いにされている。
しかし、地球で長年生活をしてきたことで、人類と同じような感情をもつメンバーも少なからずいるというのが現状で、その中で自分の意志に従って、中には人類を助けたいというヒーロー的意識に芽生えて介入してしまった者もいる。しその結果、人類は良くない方向に向かってしまった。例えば日本における長崎の原爆に関してもエターナルズのメンバー「ファストス」が文明の発展のために良かれと思い、技術と知識を人類に教えてきたことが原因で、人間が兵器を作り出してしまったこととされている。
今までの歴史上、介入することが危険であると考えたエターナルズたちは、デイヴィアンツを滅ぼした後は、静かに身をひそめて暮らしていたという設定だ。
介入することへのリスクを痛いほど感じてきたエターナルズたちが、地球滅亡をサイクルのひとつとして受け入れるか、それとも人間的な感情によって介入してしまうのか……といった、宇宙規模の葛藤が描かれるのも、視点としてはかなりおもしろい。
長年続くシリーズの中に、新たな存在が登場し、その存在たちが以前から存在していたという設定の作品の場合、劇中でもネタにはされているし、「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」においても「その時、なぜ助けなかった」問題というのが発生してくるが、エターナルズの場合は、全てのサイクルを見守る存在として納得のいく回答を提示しており、「アベンジューズ」系列とは別ルートの物語がMCUの中で展開されていく可能性を感じさせると同時に、繋がらなくても納得できる。
その一方で、橋渡しとしての存在として「ブラックナイト」の登場を暗示するシーンなども盛り込まれており、伏線を散りばめているのは相変わらずといったところだが、今回の監督にクロエ・ジャオを起用したのは、かなり成功といえるものである。『ノマドランド』で感じた神秘感をそのまま持ち込んでいて、壮大な物語を描くうえで画に圧倒的な説得力をもたらしているのだ。
『ノマドランド』も好みの別れる作品ではあるが、画のもつ圧倒的な力は誰もが感じたはずで、マーベルもそれを目的としてクロエを起用したこともあって、『ブラック・ウィドウ』のケイト・ショートランドと同じく、監督の個性を尊重する試みとしてはかなり機能していると考えると、おバカなアクション娯楽に走った『シャン・チー/テンリングスの伝説』は、製作の趣旨としては失敗といえるだろう。
良くも悪くも世界のイメージを作ってしまう責任のあるディズニーとしては、少し保守的になりがちなジェンダー問題の中で、初のオープンな同性愛設定を持ち込んだことや直接的なセックス描写があるなど、MCUとしては、かなり攻めた内容であるが故にマーベルを単純なヒーロー映画と思い込んでいる人こそ受け入れられない部分が多いかもしれない。
ところがマーベルもDCも、本来は社会問題や哲学を描いてきているだけに、逆に言えば映画でも本来のマーベルの壮大な世界観を展開させていく土壌がついに出来上がったということの証明となるような作品だということは間違いないだろう。