「『渚にて』の手法で地球の終末をさまざまな形で迎える人々を描いた静かなディザスター・ムービー」ミッドナイト・スカイ 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
『渚にて』の手法で地球の終末をさまざまな形で迎える人々を描いた静かなディザスター・ムービー
他の方のレビューを拝見して、秀逸だと思ったのは「終活映画」という評に、「現代版『渚にて』だ」というもの。この二つに尽きるのではないか。
理由はわからないが、人類の過ちのせいで地球が住めない惑星となり、一部は地球から脱出していっているらしい。
しかし、老年で病気の主人公は、残りの人生を北極の天体観測所に残り、誰かを救う一助になることを願う。それが彼の「終活」=人生のケリのつけ方である。
他方、地球の情報がまったく入ってこない宇宙船で、地球に戻ろうとしていた乗員は、小惑星に襲われながらも、何とか地球を観察できるところまで帰還する。そこは茶色い渦巻に覆われ、地表では誰一人生存できないとすぐにわかる。ならば、移住計画のできている木星の衛星に戻った方がいいはずだ。
しかし、クルーの半分は地球に戻っていく。家族を探すとか、死亡したクルーを地球に戻してあげたいという理由で。これもまた、べつの「終活」だ。
残る2人のクルーは木星の衛星に移住することで希望をつなぐが、いずれにしろ地球の終末は変わらず悲哀が漂うのである。
宇宙船でクルーが揃って「スイート・キャロライン」を大声で歌うのは、『渚にて』で酒場の客がいっせいに「ワルチング・マチルダ」を合唱するシーンのオマージュに違いない。
人類の終末と言えば、だいたいは騒がしいディザスター・ムービーというのが通り相場だが、地球の終末をさまざまな形で迎える人々を描いた静かなディザスター・ムービーが本作である。ただ、核戦争反対という明確なメッセージを秘めていた『渚にて』と異なり、本作ではそのような政治的メッセージが希薄という点だろう。むしろ、特定の政治的課題というよりは、温暖化や核戦争、環境破壊等の様々な原因による人類終末の予感を訴えているのかもしれない。
BGMは哀感が漂ってなかなかいいが、ちょっとくどいかも。最後に少女の正体がわかった時や、木星の衛星の映像が流れるシーンは心に響くものがある。