「ラストのおぞましさは秀逸」キャリー(1976) 永賀だいす樹さんの映画レビュー(感想・評価)
ラストのおぞましさは秀逸
スティーブン・キング原作の映画らしいのだけど、そっちの方は未読。それでも顛末だけは知られていて、ほとんどの人にとってはネタバレ状態の作品。
それだけ有名どころの作品ということだが、しかし実際に鑑賞した人は1976年公開作品ということもあって、最近では意外と少ないのではと思う。
それだけにクロエ・モレッツ主演によるリメイクが、強烈なインパクトを残すだろうことは容易に想像がつく。
さて1976年版『キャリー』だが、さすがはスティーブン・キング原作の映画だとうなってしまう。
思春期の少女が中心ということでは青春映画だし、少女キャリーが念動(サイコキネシス)を使うということではサイキック・ホラーだし、デリケートな扱いながら宗教問題を取り入れた作品でもある。
また教育問題に関心の高い人からすれば、いじめを扱った社会派ドラマとして観るのかもしれない。
これだけの要素てんこ盛りとなると映画として破綻しそうなものだが、それぞれの観点から満足できる作品として成立している。
まず感心したのは、オープニングの段階で少女キャリーがいじめられっ子であること、卒業年次の高校生なのに生理の知識を持っていない性的に未熟な少女であり、かつサイキッカーであることを伝えきってしまった点。
これだけ鮮やかに表現されてしまったら、世の冗長な映画全ての教本的作品として監督業をやる人全員に観てもらいたいと思うほどだ。
原作を読んでいる人からすれば、たぶん相当に不足しているという印象を持つのだろうが、しかし狂信的な母親と抑圧された娘という関係も、ほどなく理解できる。
淫行を罪とする信仰は、一見するともっともらしく聞こえるものの、煎じ詰めれば子孫繁栄はどうすんだ?的欺瞞に満ちているわけで、その辺は子を持つ母親なら避けては通れないところだ。
若い頃によほど性的につらい目を見たのかと観客は想像するものの、娘たるキャリーとしてはオロオロして泣くほかない。観ている側もやるせない。
冒頭でさっくり舞台説明が済んでしまっているので、それ以降はキャリーの心情が手に取るように伝わってくる。
抑圧されっぱなしの娘が、おそらく初めて母親に反抗して卒業パーティーにオシャレして参加、イケメン男子にエスコートされていく姿は幸せそうで、そのラストを知っている人間からすると耐え難いものがある。
それはジェットコースターでじりじりと傾斜を上っていく感覚に近い。恐怖が差し迫っているのに逃げるすべを持たず、少しずつクライマックスに向かっていく、あの感覚だ。
ただ、ラストは少女らしい内にこもった結末で、やや尻すぼまりな感はある。
と思いきや、エンディングでギョッとするシーンを挿し込んだりと、とっても後味の悪い終わり方をする。
さらにおぞましいと感じるのは、キャリーがこうなった遠因を作ったのは母親ながら、最終的な段階を防ごうとしたのも母親だということ。思春期の反抗という至極当たり前の成長過程が、まさかこんな結末に至るとは。
また裏話的なことを付け加えると、キャリーを演じたシシー・スペイセクは当時26才。ハイティーンをとっくに卒業した女性が、思春期の繊細な女子高校生役であったなど、これ自体もちょっとしたホラーだ。
では評価。
キャスティング:4(当時無名のジョン・トラボルタやナンシー・アレンも参加。でも全体的に地味)
ストーリー:9(やや中だるみ感はあるものの、冒頭で背景を説明しきってキャリーの情緒に集中できるのは好ポイント)
映像・演出:7(安っぽいのにギョッとする。ありきたりなのに後味悪い)
サイキック:5(サイコキネシス自体、ビジュアル向きじゃないのを割り引いても、もうちょっと頑張って欲しいと思ったりはする)
ハラスメント描写:8(いじめ問題や児童虐待、陰湿な暴力が満載)
というわけで総合評価は50点満点中33点。
30年以上前の作品ということもあり、映像それ自体は古臭さをぬぐいようがない。
しかし多感な思春期の少女が織り成すサイキック・ホラーは、その種の趣味をお持ちの方にはご馳走だろう。オススメ。