この世界に残されて : 特集
16歳の少女と42歳の医者の美しき“秘めた愛”
見れば必ず、深く感動する…世界的称賛を浴びた良作
暗闇のなか、あなたは唯一の光だった。傷ついたその心ごと、抱きしめてあげたい――。12月18日から公開されるハンガリー映画「この世界に残されて」は、見る者に深い余韻と感動を与えてくれる良作だ。
終戦後の1948年。ホロコーストにより心に傷を負った孤独な男女が、年齢差を超えて痛みを分かち合い、互いに寄り添いながら希望を見いだしていく。彼女らの間にはやがて“愛情”が芽生えるが、それはスキャンダラスな性愛ではない。もっと深刻な部分で結びついた“魂のつながり”である。
この特集では本作の見どころを、「作品概要」「世界的評価」「鑑賞の手引:類似作品」の3つを軸に紹介していこう。
【作品概要】16歳の少女と42歳の医者 秘めた愛とは
見れば必ず“深い感動”が…切なく、美しい珠玉の一作
[あらすじ]同じ痛みを分かち合い、人生を歩みだす男女の物語
まず強調しておくが、本作はいわゆる“ホロコーストもの”ではなく、まして“年の離れた男女が禁断の恋に落ちる物語”でもない。そこに身勝手な暴力や搾取は存在せず、描かれるのは喪失感に苛まれながら、精神的に寄り添う人々の姿である。
終戦後の1948年、ハンガリー。ホロコーストで家族を失った16歳のクララは、ある日、寡黙な婦人科医アルドに出会う。彼もまたクララと同様にホロコーストで家族を失い、ユダヤ人収容所から生還した1人だった。
クララは穏やかで聡明なアルドを父のように頼り、戯れるように言葉を交わす。アルドは賢く奔放なクララに毅然とした態度で接しながらも、彼女の新たな保護者となることで人生を取り戻す。お互いの欠落を見出し、まるで最初からそうなることが決まっていたみたいに、2人はどうしようもなく共鳴していく。
だが、ハンガリー国内でソ連による弾圧が強まっていく。世の中が不穏な空気に包まれると、世間はクララとアルドにスキャンダラスな誤解を抱き、彼らの運命は再び時代に翻弄される――。
[深く、長く残る感動]心の喪失を埋める珠玉の88分間
見れば、ハンガリー映画の素晴らしさがよくわかる一作だ。触れればたちまち壊れてしまいそうなほど繊細な心理描写が、見る者の感情を増幅させ、胸に十重二十重の感動が沈殿していくのである。
クララとアルドに共通するのは、ハンガリー国内でおよそ56万人ものユダヤ人が殺害されたというホロコーストの爪痕。クララは両親の不在を問われると「父と母はまだ生きています」と口を尖らせる。アルドはあまりにつらい過去を、アルバムに封印し目を背けて生きている。2人が底の見えない喪失感を忘れるには、何もかもを根こそぎ吹き飛ばしてしまう突風のような愛が必要だったのかもしれない。
特別に派手な出来事が起こる映画ではない。しかし(だからこそと言うべきか)、細部の描写に目を凝らしてみるといい。父娘のように抱き合うクララとアルドを、ケトルに湯が沸く音――つまり“日常”だ――が引き剥がすなど、魂をそっとなでるようなシーンがのべつ幕なしに展開されるから素敵だ。
本作は私たちと地続きの“誰か”の物語を丁寧に描くからこそ、親密で大切な思いが深く、長く残り続けるのである。
【世界的称賛を浴びた秀作】アカデミー賞では
「パラサイト」などと競った「宝石のような映画」
[アカデミー賞の候補に]国際長編映画賞では「パラサイト」などと競う
この珠玉の物語は世界各国の映画祭で上映され、多くの称賛を浴びてきた。2020年のハンガリーアカデミー賞では最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀男優賞に輝き、同国映画批評家賞では3部門を制覇した。
さらに米アカデミー賞では、「パラサイト 半地下の家族」や話題をさらった衝撃作「異端の鳥」などと並び、国際長編映画賞のショートリストに選出。惜しくもノミネートはならなかったが、そのクオリティに極めて高い評価が与えられている。
メガホンをとったのは、短編映画で高い評価を受けてきたバルナバーシュ・トート監督。製作には、第67回ベルリン国際映画祭で金熊賞はじめ4部門に輝いた「心と体と」を手掛けたモニカ・メーチとエルヌー・メシュテルハーズィが参加し、村上春樹作品を彷彿させるパセティックでドラマティックな一作を創出した。
[海外メディアも称賛の嵐]「痛いほどに優しい傑作」「見事だ、そして美しい」
クララ役を担ったのは、これが映画初主演となるアビゲール・セーケ。16歳の少女が年齢を重ね、徐々に大人の女性へと変貌していく過程を、目が覚めるような魅力で表現しきっている。撮影は19日間、しかも順撮りではなく時系列バラバラの収録だったため、その難易度はかなりのものだっただろう。本作の熱演でハンガリー映画批評家賞の最優秀女優賞に輝き、バラエティ誌が選ぶ「ヨーロッパの注目映画人10人」に選出された。
さらにアルド役には、ハンガリーを代表する実力派カーロイ・ハイデュク。2016年の「ハンガリー連続殺人鬼」(セーケも共演した)では、実在した猟奇殺人犯がモデルの主人公を怪演し脚光を浴びた。本作「この世界に残されて」では一転、少女と関わることになった大人の男性を、思いやりと叙情をこめて巧緻に演じている。
トート監督の冴えた演出、キャストによる名演に次ぐ名演が、スクリーンを埋め尽くす。海外メディアも絶賛評を多数寄せており、バラエティは「ホロコーストの悲劇を扱った映画は数多いが、強制収容所から生還した人々を描いた映画はごくわずかだ。心の奥底から自然に湧き上がる感情を丁寧に描き、胸に迫る名演で綴る、痛いほどに優しい傑作」と称えてやまない。
さらにウォールストリート・ジャーナルの映画担当者は「見事だ。そして、美しい。私はこの映画がとても好きだ」と偏愛ぶりをみせ、The BURGは「カーロイ・ハイデュクとアビゲール・セーケの魅力は群を抜いており、トート監督が作り出す世界観を抜きにしたとしても、彼らの演技だけで観る価値がある。本作はまさに宝石のような映画だ」としている。
【本作鑑賞の手引】
この作品が好きなら、絶対オススメ!
最後に、読者の皆様へ。本作から得られる感情をもっと想像してもらえるように、いくつかの類似作をピックアップ。以下の“新たな家族のかたち”や“喪失からの再生”を描いた作品が好きなら、「この世界に残されて」はあなたの大切な一作になるはず。
「レオン(1994)」
鑑賞していて、まず真っ先に想起される作品。家族を殺された12歳の少女マチルダ(ナタリー・ポートマン)と、寡黙な殺し屋レオン(ジャン・レノ)の精神的なつながりが描かれる。
「gifted ギフテッド」「(500)日のサマー」のマーク・ウェブ監督による感動作。天才的な頭脳を持つ7歳の少女(マッケンナ・グレイス)と、彼女に愛情を注ぐ独身の叔父(クリス・エバンス)のささやかな日々を描く。
「バジュランギおじさんと、小さな迷子」日本を含む世界各国でヒットを記録した、快活なパワーチャージ・ムービー。お人好しのインド人青年(サルマーン・カーン)と、パキスタンから来た声の出せない少女が、国や宗教を超えて織り成す旅をあたたかく描いた。
「I am Sam アイ・アム・サム」7歳の知能しか持たない父親サム(ショーン・ペン)と、彼を“追い越して”しまった娘ルーシー(ダコタ・ファニング)が主役。「サムに子育ては無理」と周囲の人々は彼らを引き剥がそうとするが……。日本版ポスターの「いっしょなら、愛は元気」というコピーが秀逸。
「アマンダと僕」第31回東京国際映画祭で、最高賞・東京グランプリと最優秀脚本賞を受賞したフランス製ヒューマンドラマ。パリに暮らす24歳の青年ダヴィッドと、突然の悲劇で母を亡くした幼い姪アマンダが、共通する深い痛みに寄り添いながら再生する姿を描いた。