由宇子の天秤のレビュー・感想・評価
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配信待ってました、やっと観れました! 想像よりはるかにベビーな内容...
配信待ってました、やっと観れました!
想像よりはるかにベビーな内容だけど瀧内公美さんの美しさに魅力されっぱなし。
ゆうこの父親のした事は最低だが、売りをしてた萌の事実が本当ならひょっとしてお腹の子は父では無い⁇と希望の光が過ぎってしまった私はまさにゆうこだ、汚くてズルい部分丸出しの自分で情けない…できる事なら隠し通したい。
瀧内公美と光石研の共演は見逃せない
瀧内公美と光石研の共演があるのと、予告編での構図やテンポが好みそうだったので、マークしていたものの、尺が2時間30分近くあるので、映画館でみるのは気が引けていたまま公開が終わってしまった。その後、VOD配信みつけて自宅でみた。
手持ちカメラで演者が歩くところを一緒に歩いて撮る手法が多くて、動感は感じた。編集のカットのテンポもよくて、全体的にテンポが良かった。
主人公の由宇子は、まっすぐで真実を撮ることに情熱をもつがゆえに、思う通りにいかないことが多いが、真実を捻じ曲げてまで行きたくないという潔白さ、信念も感じる。
父親の児童淫行が発覚することから、一気にシリアスな展開になっていく。最後まで隠そうとしていたその事実でさえ、明るみに出してしまい首を絞められて倒れている状態で、エンディング。エンドロールの音楽もないところが妙に合っていた。編集のテンポがよいので、2時間30分という長尺でもそれほど長いとは感じなかった。
瀧内公美は化粧気もないまっすぐな女性を自然に演じていたし、光石研は相変わらずダメ親父を演じるのがハマっている。たった1回、されど1回のセックスが人生を狂わせるという怖さも感じる筋書きでした。
この映画の説明不足の分かりにくい表現と、別の”正義感”に飛びついていないか、問題
(完全ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
この映画はかなり説明不足の映画だな、とは個人的には思われました。
例えば、ラストシーンで主人公の木下由宇子(瀧内公美さん)は、小畑萌(河合優実さん)の父親の小畑哲也(梅田誠弘さん)に、小畑萌のお腹の子が自分の父親である木下政志(光石研さん)の子であると確信的に告白します。
しかし、ダイチ(河野宏紀さん)の証言から小畑萌は周りに身体を売っていたことが分かっています。
ではなぜ首を絞められるラストシーンで由宇子は、小畑萌のお腹の中の子の父親が自分の父親の小畑哲也の子であると確信的に小畑萌の父親に言うことが出来たのでしょうか?
その理由の説明が映画では全くされていません。
であるので、以下こちらで勝手な解釈をしてみました。
主人公の由宇子は、映画の終盤で、ダイチから小畑萌が周りに身体を売っていることを聞いたので、車の中で小畑萌にお腹の子の本当の父親は誰なのか?と問い正します。
すると、小畑萌は「なんだ、先生もかよ」と言って車から飛び出し、小畑萌はその直後に交通事故に遭ってしまいます。
このことから、小畑萌の本人は<由宇子の父の木下政志が自分のお腹の子の父親だ!>と確信していることが分かります。
なぜなら、小畑萌が思う自身の真実性を、由宇子も最後は信じてくれなかったとの小畑萌の思いが「なんだ、先生もかよ」の言葉に現れていたと考えると自然だからです。
しかし、これは本当はおかしな話です。
小畑萌が同時期にダイチなどに身体を売っていたことが事実であれば、木下政志が小畑萌のお腹の子の父親だとは本当は限らないはずだからです。
ではなぜ小畑萌は<由宇子の父の木下政志が自分のお腹の子の父親だ!>と確信していたのでしょうか?
その理由は、塾講師である由宇子の父の木下政志が、小畑萌にとってお腹の子の父親だと確信させる他とは違う存在だったからだ、と思われました。
ところで、この映画は由宇子の父と小畑萌にまつわる話と同時進行で、由宇子のドキュメンタリーの話が進行します。
由宇子のドキュメンタリーでは、女子高生の長谷部広美と教師の矢野の2人の自殺の事件が追われています。
そして女子高生の長谷部広美の自殺の原因がいじめと学校の対応とマスコミの教師との交際に関する過熱報道よるものだったことが、長谷部広美の父親の長谷部仁(松浦祐也さん)の証言などから分かります。
教師の矢野の自殺の原因も、長谷部広美との交際を学校側が捏造したからだと、教師の矢野の母親の矢野登志子(丘みつ子さん)らの証言から明らかにされて行きます。
ところが、映画の最終盤で教師の矢野の姉の志帆(和田光沙さん)によって、(観客にとってはスマホの音声のみで分かりにくいのですが)教師の矢野が無理やり長谷部広美に性的な暴行を加えていたことが分かります。
つまり、由宇子がドキュメンタリーで追っていた事件は、教師が自身の生徒であるいじめにあっていた女子高生を無理やり性的に暴行し、その結果、その女子高生が自殺し、教師の方も贖罪で自殺した、という話だったと最後に分かるのです。
ところでこの映画は、由宇子がドキュメンタリーで追っていた教師と女子高生の自殺の事件と、由宇子の父親の塾講師の木下政志と小畑萌との性的関係の話が、類似の話として並行して進んで行きます。
となると、作品の意図的に、由宇子のドキュメンタリーの方の教師の矢野が女子高生の長谷部広美を裏切って性的な暴行を行っていたのであれば、由宇子の父親の塾講師の木下政志の方も少なくとも小畑萌を裏切っている必要があると思われました。
つまり、小畑萌が<由宇子の父の木下政志が自分のお腹の子の父親だ!>と確信していた理由は、(他の身体を売っていた存在と違い)由宇子の父の木下政志が、教師としての信頼を裏切る行為を小畑萌にした、という強い負の印象が小畑萌に刻まれていたからだ、と考えれば、映画の構図の意図としても筋が通ると思われます。
そしてさらに、由宇子のドキュメンタリーと由宇子の父親の木下政志と小畑萌との性的関係の話の平行性の考えを進めると、最後に、では由宇子のドキュメンタリーの方の自殺した女子高生の長谷部広美は、本当に純粋無垢にただただいじめに遭って教師に裏切られた完全な被害者だったのか?‥との疑念がわいてきます。
小畑萌は初め、父親にネグレクトされ塾の支払いも出来ない完全な可哀そうな被害者として描かれます。
しかし実際の小畑萌は、自分の身体を売っていたという別の面も持っていることが最後に分かります。
となると、由宇子のドキュメンタリーと、由宇子の父親の木下政志と小畑萌との性的関係の話の平行性を考えると、由宇子のドキュメンタリーの方の自殺した女子高生の長谷部広美も、小畑萌と同じように純粋な被害者だけではない別の面を持っていたのではないかと、思われて来るのです。
これらのことを考えると、なんと当初の大手マスコミが報道していた女子高生の長谷部広美の内容がそこまで間違いではなかった、可能性も出てくるのです。
そうなるとこの映画で描かれている問題は、大手マスコミの間違った報道による報道被害というより、報道内容の根幹は正しいが過熱報道による(その他ネット周辺の真偽不明の中傷含めての)是非の方が問われてくるということになります。
ところで報道で社会に起こっている問題を詳細に明らかにして行くことは必要ないのでしょうか?
例えば学校でかなりひどいいじめの問題があり被害者の生徒が自殺をした事件があったとします。
その時に、物事はグレーだから踏み込んでの取材はせず、”いじめられた側にも潜在的な問題があった”との学校や生徒や保護者やその関係者の空気を温存したまま、自殺した生徒はそれはそれとしてと済まされて良い話でしょうか。
それは当然、言うまでもなく間違っています。
ひどいいじめの問題があったのであれば、事実関係が明らかにされ、学校や加害者に対して相応の批判はなされ、教育委員会等による事実の隠ぺいがあるのであれば厳しい批判は必要なのです。
そして事実関係の解明の後に、被害者への補償と、加害者による深い内省と贖罪、再発防止のための改善策を構築することは、社会にとっても必要なことだと強く思われます。
この”正義感”を否定してしまっては、一方では現状の悪の温存に力を貸してしまうことになります。
つまり正義感は一方で否定してはいけないのだと、そして事実を解明する報道は社会の改善のためにも否定してはいけないのだと、思われるのです。
ただしかし大切なのは本質的なブレーキを常に一方で踏む必要があるのです。
そしてその本質的なブレーキを踏むためには、あらゆる角度からの事実の検証が必要になると思われます。
この映画は事実の描き方としては曖昧で、私が上で示した解釈は”間違っている”という逃げを打つことが出来ます。
また、過度の報道への批判という逆の新たな”正義感”に乗った絶賛を食い止めることが出来ていないようにも思われます。
(人間はグレーの存在だと言いながら、TV局側のステレオタイプに描かれた人物に対して何ら疑問持たずに憤ったりしていなかったでしょうか?‥)
人間はグレーなグラデーションある存在であるのは言うを待たないと思われます。
しかしそれを分かった上での、さらにその先への踏み込み、しっかりとした事実の描写が、この映画には必要とされていたのではないかとは思われました。
映画自体は、長時間の割に長さを感じず、俳優陣の皆さんの演技も素晴らしく、ある水準を超えた見る必要ある映画だとは一方では思われました。
複数の天秤
フィルムがスタートする。
自殺した少女の父親がアルトリコーダーを吹いている。
「グリーンスリーブス」に非常によく似た旋律が、
奇妙に蛇行して付け加えられたメロディ。
ここで私はちょっと不快になった。
「グリーンスリーブス」では何故いけないのか?
何故付け加え歪められ装飾されるのか?
シンプルな物事を、複雑にする・・・
この言葉はこの映画を微妙に表してはいないか?
由宇子が動けば動くほど現実が歪み複雑化してしまう。
そんなドキュメンタリーのような映画だった。
この物語りで由宇子は、関わる人々に裏切られたり、
そして自分も裏切って行く。
「信頼」
相手を信じていいのか?
信じられる人なのか?
私はこの事を人間関係で1番重要だと思っている。
ストーリー。
テレビディレクターの木下由宇子は、虐めで自殺した少女の背景を取材した
ドキュメンタリー番組を撮り進めている。
取材対象は、
第1に自殺した少女の父親。
自殺の原因を学校側は、虐めを隠蔽した学校に責任があるのではなく、
少女を性的に加虐した若い教師にある、として
少女を退学にした。
その翌日少女は川で自殺した。
更に少女を犯したと名指しされた教師も、
「死を持って無実を訴える」との遺書を残して自殺する。
2番目の証言者は自殺した教師の母親と姉。
彼女たちはSNSの誹謗中傷により居場所を無くしつつある。
証言側がかなり躊躇して、その立場は歯切れが悪い。
そんな中、由宇子の身内が大変な事をしていたのが発覚する。
由宇子の父親・・・経営する学習塾・塾長の政志が塾に通う17歳の女子高生
萌(めい)と性的関係を持ち、萌は妊娠しているのだ。
この事件で木下由宇子は自分の価値観の物差し(ここで言うところの天秤)が、
決してグローバルな天秤ではなく、その場その場で変わる多種類の天秤の
存在だと明らかになるのだ。
世間に対する正義の物差し。
身内に対する身贔屓あるいは保身と隠蔽の物差し。
由宇子の天秤は一つではなかった。
「正義の天秤」と「世間体の天秤」
後半は後者の天秤の振れが大きくなり、
現実もまた大きく歪む。
17歳の少女が妊娠中絶をする場合・・・
父親の署名と同意が必要だと別の映画でもよく目にする。
調べたところ、18歳未満の場合、本人と子供の父親の同意書への署名・捺印。
そして保護者・親権者(萌の父親)の同意と署名が更に必要との事。
成る程。
由宇子は萌の父親に知られたくなかったのだ。
そして更に自分の仕事(オンエアが2週間後)への影響と信用失墜。
父親の塾経営への影響・・・確かに失う物は多大だ。
由宇子は裏工作に走る。
闇医者もどきに、薬による中絶を頼む。
しかし医師は萌が子宮外妊娠をしている可能性が高く、
このまま放置すれば命にも関わると忠告する。
(ここまできても由宇子はまだ萌の病院の診察を躊躇うのだ)
もう完全に正義とは遠い所に由宇子はいる。
そしてドキュメンタリー番組の方でも衝撃の事実が判明する。
教師の姉が良心に耐えられずに告白する。
教師のスマホにあった隠し撮りの映像・・・
教師は実は無実では無かったのだ。
次々と襲いかかる真実の露見。
萌まで、???
男子高校生の忠告では、
「あいつ売りをやってた・・・」
由宇子の頭の中もパニックだ。
そして最悪の事態が・・・。
私が許せないのは由宇子の最初の判断ミス。
萌の母体の安全を最優先すべきだったし、
その後の由宇子の行動は全て酷い。
「人たらし」の由宇子。
萌と擬似親子のような愛情関係(信頼)を築く所。
何故それを簡単に壊す?
真実を聞き出すために簡単に信頼関係を壊す由宇子。
母親のいない貧しく寄る辺ない萌を母親のように気遣い、
愛を芽生えさせて、
簡単に梯子を外す。
やってはいけない事。
人として許せない。
目盛りの基準の違う天秤を2つも3つも持つ事は不思議なことではない。
多くの人は使い分けけている。
その1番の例は政治家だ。
彼らの物差しは政治信条(政策)
個人的趣味嗜好。
損得勘定。
最低でも3つはある。
萌はどうなったのか?
お腹の子供の生死は?
心の傷は?
その点が1番心配です。
由宇子の事は心配していない。
彼女はどんな立ち位置でもしぶとく生き抜くだろう。
家族を守る…
正義や真実、いじめ、貧困、メディアバッシングなど様々なテーマが散りばめられながら、大きなテーマとしては家族だったと感じる。父親を守るため、そして自分を守るため真実を隠そうとする、相手が父親でない可能性が出てくるとそれを追求してしまう、人間の嫌な部分、いや、誰でもそうだと思う。結局耐えきれなくなり、告白してしまうのだが。いじめの女子高生自殺事件もそうだった。家族に変態がいると、皆が不幸になる。
私たちの天秤
ドキュメンタリーは真実を映し出す。
…とは限らない。
捏造や演出、都合よく編集された“偽り”も存在する。
ならば我々は何を信じたらいいのか…?
メディアの情報を鵜呑みにせず、自分で考え知る。
自分の考えが間違っている事だってある。メディアの全てが偽りではない。
ドキュメンタリーは見る者を時に揺らがす。不安定な天秤のように。
そして本作も。
3年前、女子高生がいじめを苦に自殺。
女子高生は生前いじめを訴えていたが、学校側は女子高生が教師と関係があったとし、退学を勧告していた。
教師は関係など無く、いじめを隠蔽しようとした学校のでっち上げだと訴えを遺し、この教師も自殺。
三者の意見が食い違い、メディアはこぞってエスカレート報道し、誹謗中傷は被害者/加害者の遺族にまで…。
もし、現実にこんな事件があったら、我々はどう見るか…?
おそらく世間の大半は、自殺した女子高生や遺族に同情するだろう。
悪い話が流れた学校側は社会の敵。
自ら命を絶ったものの、やましい噂が流れた教師もバッシングを浴びる。
果たして本当に、これが“真実”なのだろうか…?
教師と関係があったと言われ、女子高生や遺族にも厳しい目が向けられる。
教師の遺族にだって言い分がある。
全て学校側の責任なのか…?
この事件の真実を追うドキュメンタリー・ディレクターの由宇子。
彼女の目線は、単純に善悪や白黒を付けるものではない。
被害者側、加害者側、学校側、それぞれを深く掘り下げ、主張や矛盾や隠された事を炙り出す。
そこから見えてくるものがある。
誰の味方でもない。誰の敵でもない。ただ真実を映し出したいだけ。
それが関係者の救いになるか、悲しみをより深くするか、分からない。
だが、それがドキュメンタリーや報道に関わる者の使命。
真実を天秤に掛ける。
事無かれ主義の局のお偉い様にダメ出しされても、由宇子の信念は真っ直ぐだった。
そんな由宇子の天秤が揺らぐ事態が。プライベートと、事件を追っていく内に…。
夜は父・政志が経営する塾の非常勤教師として手伝う由宇子。
生徒からの人気も高く、親子仲も良好。笑顔が絶えず仲睦まじいって訳ではないが、仕事しながら夜ご飯のチャーハンを分け合ったり、何気なくも平凡な親子関係。
塾に新しい生徒が。その女子生徒・萌(めい)は、他の生徒とあまり関わらず、孤立。内に籠った性格。
ある日萌が嘔吐して倒れる。
彼女は妊娠していた。その相手というのが…
政志。
由宇子は萌の父親(由宇子と同じく父娘二人暮らし)や学校や警察に相談を促すが、「誰にも知られたくない。助けて」と懇願される。
周囲に知られたら萌はどれほどの目に晒されるか…。また、萌の父親は暴力を振るう。
由宇子は父を詰問。父は関係あった事は認めるが、力ずくや脅迫的ではないと言う。
父を許せない由宇子。
父は不祥事の覚悟を決めていたが、これが明るみに出たら…。
父は元より、自分、自分の仕事、萌、萌の家族、塾の生徒…培ってきたもの全てを失う事になる。
一人の責任問題じゃない。一人だけ償って、逃げようとするなんて都合のいい“偽善”。
関わった者、後に残された者の苦しみはどうするのか…?
天秤が大きく傾く。
由宇子は父を厳しく責めつつ、知り合いの医者に相談するなど秘密裏に処理しようとする。
これほどの皮肉があろうか。
ドキュメンタリー・ディレクターとしてどんな結果になろうとも真実を追求していた由宇子。
訴えは正論だ。
が、身内に不祥事が起こり、言葉は悪いが…いや、この際はっきり言ってしまおう。隠蔽しようとする。
彼女が真実を掘り出そうと躍起になっている“側”と同じ。
行為は曲論だ。
自分の信念とやろうとしている事が皮肉なほど矛盾している。
愚か、みっともない、恥を知れ…糾弾の言葉は幾らでも挙げられる。
だが、実際に私やあなたたちの身に起こったら…?
全てを失ってでも正論を貫けるか…?
頭や意思では判断出来ても、心が揺らぐ。人の心は脆く、弱い。
究極の事態に直面した由宇子を通じて、人の心を天秤に量る。
父の罪滅ぼしなのか、由宇子は甲斐甲斐しく萌の面倒を見る。
個別で勉強を見てあげたり、料理を作ってあげたり、時にはお金の支払いまで…。
威圧的だと思った萌の父。だが、娘と直に接する事で、親子仲が良好になっていく。それを円滑にしたのは由宇子なのだが。
これも皮肉だ。父の不祥事前は、自分と父の仲が良好で、萌とその父は冷え切っていたのに、父の不祥事後は、萌とその父の仲が良好になり、自分と父の仲が険悪になっていく。
萌親子と接する中で、由宇子はどう感じたのだろう。
もう修復不可能の自分たち親子に見切りを付け、萌親子に安らぎや温もりを感じたのだろうか。
が、由宇子は彼女の父に本当の事を隠している。
関係を深めるはイコール、罪悪感も募っていく。
仕事の方も順調。父の不祥事が由宇子のジャーナリズム精神を研ぎ澄ませたのか、視点が鋭くなり、プロデューサーや局から好評。
由宇子はさらに深く迫っていく。
被害者遺族だけではなく、加害者遺族にもフォーカス。
自殺した教師の母。
息子を失った悲しみの中、世間からの誹謗中傷。
引っ越しは一度や二度じゃない。暮らしているのはボロアパート。よせばいいのにネット上のバッシングをチェック。音も声も存在も立てず、身を隠して怯え過ごす日々。…
いつしか由宇子は、加害者遺族の姿を映し出す事に熱心になっていく。
方向性がズレているのでは?…と、被害者遺族からクレーム。
由宇子は両者の現実は繋がっていると説得。子を失い、人生の歯車を狂わされた悲しみは、どちらが大きいか天秤に掛ける事は出来ない。
由宇子の真実への信念は揺るがない。両者からも信頼を得ていく。
が、ここから厳しい事態が由宇子を襲う…。
萌の診察の結果、芳しくない。子宮外妊娠で、萌の命にすら関わる。
政志はやはり本当の事を萌の父に打ち明けようとするが、由宇子はもはや後戻り出来ない。
もし打ち明けるなら、番組のOA後に。多くの人が関わり、自分も心血注いだ番組を、父の浅はかなたった一度のSEXで葬りさられたくない。
教師の姉からもインタビュー。姉も世間のバッシングを浴び、彼女の娘は学校でいじめの対象に…。苦しんでいるのは一人二人だけじゃない。
由宇子はこの母娘とも親交を深めるが…、ある時衝撃の事実を打ち明けられる。
姉が持っていた教師のスマホに映し出されていたのは…。教師の遺書は実は…。
この真実の発覚により関係者から辞退の申し出。局も消極的になり、お蔵入りの危機…。
塾の男子生徒から萌のよからぬ話を聞く。
萌のお腹の子の本当の父親は…?
萌に真実を追求するが…。
一気に雪崩れ込むように直面する事態。不条理で過酷。だが、自業自得でもある。
由宇子の信念は…? 価値観は…? 倫理観は…?
全てが揺れ動く。不安定な天秤がちょっとした事で今にもバランスを崩す。
由宇子は萌の父親に真実を打ち明ける。
それは誠心誠意の償いか、一ジャーナリストとしての進退か、変わらぬ信念と真実か、それとも…?
日本映画ではなかなかお目にかかれないくらいの社会派力作。邦画の社会派作品史に間違いなく名を残す屈指の出来映えであり、邦画全ジャンルに於いても近年これほどのクオリティーと見応えはそうそうない。
2時間半の長尺で内容も重いが、それを感じさせない。社会派作品だがサスペンス作品レベルの緊迫感途切れず、見始めたらあっという間。終始引き込まれる。
一気に見せ切った春本雄二郎監督の演出力は震えるほど。シビアに、辛辣に、冷徹に、圧倒的な見応えと、見る者に訴え、問い掛ける。
由宇子や見てるこちらをも揺さぶる萌役の河合優実、根は善人だがたった一度の過ちが悲哀滲ませる光石研。
キャスト全員が名アンサンブルを奏でる中、作品の全てを体現する存在を放つのは、やはり瀧内公美。
信念、熱意迸る熱演。
苦悩、葛藤の複雑な難演。
演技力、存在感、佇まい、表情…その全てがカッコいいのだ。
美しい女優さんである。だが本作では、それ以上にカッコいいのだ。惚れ惚れするとはこの事。
『火口のふたり』での大胆演技も圧巻だったが、作品はあまり好みではなく…。作品も演技も納得の、瀧内公美と言ったらこの一本!…と断言出来る作品に巡り合った。
2021年の邦画主演女優は本作の瀧内公美と『茜色に焼かれる』の尾野真千子に尽きる。が、言うまでもなく日本クソバカデミーは無視。日本クソバカデミーは本当に○ね!
疑問も残る。
萌はどうなったのか…?
事件の真実は…?
ラストシーンの由宇子の行動。
明確な答えや締め括りには提示せず、見る者に委ねる。
由宇子のドキュメンタリーがそうであったように。
社会の不条理、人の愚かさをまじまじと見せつつ、見る者に問う。
由宇子の天秤は私たち皆の天秤。
秤に掛けられる。
体力が必要
2時間半
ずっと重い,苦しい…
体力必要な映画でした。
あの手この手で事件関係者の家族に
近づき関係を深め
真実に光を当てようと奮闘する由宇子は
かっこよく見えたけれど
それとは対照的に家族の現実は
話を聞くだけでも
耐えられないくらい辛く哀しいものでした。
そして,自分も
加害者の家族となる可能性があることを知った由宇子は
今度はあの手この手で真実を覆い隠そうとします。
隠しきれるのだろうかという不安と
本当にこのままでいいのかという罪悪感を
由宇子とずっと共有し,疲れました。
すごい映画だけど
へとへとになって
もう1回観るかどうか尋ねられたら
今の答えは,Noだと思います。
連鎖の怖さ
罪を犯すことにより波紋の様に広がる負の連鎖を止める難しさを感じさせられた。
女子高生の自殺を追うテレビマンたちを描きつつ、制作側それぞれの目的のズレに揺れ動きながら、出来る限り自身が掲げる道を進もうとするディレクター。
そんな中、彼女が家族の問題に直面した時の選択する姿を通して誰にでも起こりえる可能性とその選択の難しさを突きつけられた。
また無邪気な言葉に踊らされ、そのことによる人間関係の崩壊とその結末は彼女が望んだものになったのだろうか。
観終わって思ったのはもしこの問題を彼女が撮ることになったなら、自身のことをどう考察するのだろう?
そして彼女が少女を守るのではなく自身の保身を1番に考えた行動に悲しみを感じた。
矛盾と分かっていても、もがく人の性
後半になると
自殺の真相を隠そうとする学校側の対応を暴こうとする由宇子と
父の犯した罪を何とか隠そうする由宇子の葛藤が始まる。
二律背反のジリジリとしたせめぎ合いが、人間ドラマを佳境に導く。どちらかを諦めれば済む事だが、そう簡単にはいかない。矛盾することとは分かっていても、あえて板挟みになることを選んでしまう。自分がしたことでもないに、なぜと終始問いかけられる。
人間は弱いものなのだ。ラスト彼女はやっとそれに気がつく。彼女は、ようやく背負っていたものを降ろした。締め付けられるような心理劇が終わり、自分も背負っていたものを降ろした。息詰まるとは、こういう作品をいうのだろう。
深み
見逃していた本作を飯田橋ギンレイホールにて鑑賞。かなりの入り。本作と「空白」という相当キツメな二本立て。自分は「空白」は見ていたので一本で退出したが、二本見られた方、さぞ重かったでしょう。見終えた後外濠沿いの桜を眺めながら小一時間反芻。
映画はタイトルの通り由宇子が様々な局面でどちらが重いかを選択していく様が描かれる。自分にとっての正義が絶対的正義と信じるドキュメンタリーディレクター由宇子が、作品において妥協を許さぬ姿勢を貫きながらもいざ自分が事件の関係者となった場合に現実的な行動を選択してしまう。公としての事件と私としての事件が絶妙な(最悪な)絡みあいを見せる。
ラスト近く、萌(めい)は売りをしていた・嘘をつくという情報に触れた由宇子が真相を問いかける。真実はわからないまま。しかしラストでは「私の父なんです」と告げる。これは「娘は売りをしていたかも」という萌の父の発言を受けて萌をかばうつもりで言ったと理解したものの、誤解カモ。
役者は皆演技巧者といえカラーもマッチしていた。特に「河合優実」。正直彼女を見に行ったというのが5割なんだが、本作でも役柄通りにしか見えず、他の作品と比較してみるとやっぱり上手いんだなあと再確認。主役の瀧内公美はちょっと美人すぎ・目力強すぎ、本当にドキュメンタリーディレクターだったら作品に影響が出ちゃうかもだけど、本作の主役としては顔がはっきりしていた方がわかりやすい。
最後に、悪い癖であらさがし。脚本の穴だなと思ったのは光石研の行動。彼が多少の悪さをしていたとしても、妊娠させるところまで行けるように思えない。もしそうならも少し悪く描けるし余罪ありって設定にならないか。二重構造のための無理に思えてしまった。それ以外はカメラワークも役者も含めて満足です。古のTV美人女優丘みつ子の演技も昔のイメージと異なり自然で良かったです。
酷評です
「低予算で撮った!」と自慢しているようだけど、それを分かった上で観ると、至る所に妥協の後がよく見えます。俳優の芝居とか、演技力のチグハグなところとか、ロケ地も。カメラアングルも、音楽が無いってところも(あえて音無し?巨匠がタダでいいからやらせてくれって言ったら断らないだろう)。
ラストシーンも(どこの駐車場だよ本当に)
この監督の前作は更に低予算であまりにも貧乏臭くて見ていられなかった。
前作「かぞくへ」は日本史上最低の映画だと思いました。低予算でこれだけの映画が作れたのだ!と誇らしげに語る監督の言葉には反吐がでました。
それよりは「マシ」という感想です。
長時間映画ですが、商業映画のような時間制限がない分丁寧と言うより、もはやダラダラと展開していきます。
内容も個人的には面白いとは思えませんでしたし、興味深いとも思えません。人物造形の嘘っぽさは監督の性格というか、人生観が色濃く出ているのではないかと。光石研さんとかは自力の演技力で目立っております。
安っぽい自主制作映画の域を超えていないのでガッカリです。映画祭席巻とのたまわっておりますが、よくみるとすごい賞をとっているというわけではない。よくぞ判断してくれました。
見れば見るほど監督の自慰行為を見せつけられているかのようで反吐がでます。ちゃんと監督の色が出ていてあの顔が浮かんできてしまうのです。
脚本やって監督して編集もしていたら
そうなるのは当たり前ですが。
このような映画が日本から消えて無くなってくれる事を強く望みます。そう言う意味で、話題作にするべき話題作です。
自分の弱さと向き合う映画かも
タイトルが秀逸だと思う。
主人公のドキュメンタリープロデューサーの仕事としての事件の真相を追う姿、プライベートに起こる様々な出来事。どれ一つとっても自分にとっての正義とは何かや貫ききれない弱さを突きつけてきた。
本当はもっと高い評価でいい映画だけれど、私の気持ちに引っかかる部分があり下げてしまった。女生徒の妊娠が危険なものと分かった後も、放送するまで伏せようとする行為は、命の危険より自分の報道をとったことになる。
しかもその報道が使えなくなったと分かっても、すぐに医者に連れて行くわけでもなく、まず保身にはしることで言い争いになる。そこは弱さからとはいえ、納得できなかった。
1日何回天秤にかけているのだう…
まず瀧内さんに引き込まれる。
サバサバとしているのに情に厚い有宇子が観る者に迫ってくる。
脇を固める役者陣も素晴らしい。
正義と不義
本音と建前
真実と虚偽
あらゆる陰陽が想起される。
日々たくさんのことを天秤にかけ、はかる。全てに一貫性は恐らくないだろう。
映画では人間の美しさと醜悪さが極限の中で行き来し、選択を迫られる。
由宇子は交流を通じドキュメンタリー監督という職業倫理を超えて人としてどう在るべきかという答えにたどり着く。
そして真実は残酷であった。
ラストシーンは納得できない
思わせぶりのタイトルと描き方なので何か深いテーマが有りそうにも感じるが、実のところは女子高生と教師の不適切な関係を取材していたドキュメンタリー監督が似たような境遇に陥ってしまうという設定の面白さを愉しむエンターテインメントなんだと思う。
ただ、それにしても理解できないのがラストで萌の父親が由宇子の首を絞めるシーンだ。いくらなんでも由宇子に殺意を抱く状況にはない。父親は短気なところはあるが根は良い人間として描かれている。それに由宇子はどうして萌のお腹の子の父親が自分の父だと言ったのだろうか。あの時点では確証はなかったはずだ。
さらに驚いたのが、由宇子がゾンビのように甦ったことだ。何を意図しているのだろうか。中途半端なドキュメンタリー監督は永遠に不滅だということだろうか。
恐らくそういうことではなく単に面白い設定と面白い展開ということなんだと思う。
最後に、由宇子役の瀧内公美の演技が堂々としすぎてカッコ良すぎる。もっと薄っぺらないい加減なところを持つ役どころではないだろうか。
結局、真実は?
瀧内さん演じる主人公は本当は妊娠した女子高生に寄り添ってはいない。いざとなったら自分の身がかわいい。彼女が身体を売ったり複数の男性経験があるというのも噂だけ、真実とは限らない。映画を観に一緒に行ったとき彼女を信じてあげていれば悲惨な結局にはならなかった筈。最後だって自撮りしてドキュメンタリーの題材にしたんだろう。
あ〜あ、もったいない!!
とにかく役者たちがの演技が、皆んな真に迫っていて、本当に素晴らしかったのだが…
徹底した長回しの映像と手持ちカメラによる微妙なブレ感も、この作品を観る側が主人公のドキュメンタリーを観ているような感覚にもなり、まるで入れ子構造の如く、ドキュメンタリー番組を作っている主人公のドキュメンタリーをこちらは観ているような仕掛けになっていて、
それによって緊迫感も持続して、アレよアレよという間に時間も駆けて抜けていく。そのストーリーは主人公の視点だけで進んで行き、いわゆる神の視点が無いため、より一層と主人公の現実世界の中へ嵌っていく。その主人公を演じる瀧内公美が、あまりにも素晴らしいのだが…
あれだけ芝居が良くて、題材も良くて、映像も良くて、劇伴がないのもこれまた良くて、しかし、なのに、なのに…
あのプロットでは…
あまりにも本当にもったいない!!
予想外のベタな展開には、えええ???となってしまった。
インディーズ映画にしては、ストーリーに捻りというものが無さすぎる。
あえてリアルにしたくて、あんな凡庸で有りがちな展開にしたのだろうか?
あの教師のお姉さん(?)が、何か重大な秘密を隠しているのは明らかだったが(これも演技が上手すぎるゆえ)まさかアレほどベタな展開にしてしまうとは…
(火サスじゃあるまいし、教師のスマホなんぞ真っ先に警察が調べるに決まってる。というか、あんな赤裸々音声データをデリートせずに自殺なんて無理筋だ。どうせ無理筋なら疑っていた姉が盗聴器を仕掛けたくらいの設定にしないと!)
そして、ベタとはいえ、あのプロットにした以上、あのシークエンスこそ、報道とは何か?というテーマを抉り出して、まさに「由宇子の天秤」が試される絶好の機会と、本当はなったはずだ。
あの時点で相当なインパクトの事実誤認があったとなると、それはイコール重大スクープであり、視聴率の低いハードなドキュメンタリー番組ではなく、高視聴率のワイドショーのネタとなり、それはスクープゆえ一刻も早いオンエアをTV局の編成側は要求するはずで、そのネタのコンプリート版となる由宇子たちの撮ったドキュメンタリー(本当の事実を追加)もオンエアを早くさせるよう調整することも出来たはずだ。
それは、あの時点において由宇子が最も望んでいた事とも合致することになる。
しかし一方で、そのオンエアによって、本当に取り返しのつかないくらい壊滅的なダメージを遺族たちに与えてしまう事にもなったはずだ。
それくらいギリギリのヒリヒリするような葛藤が、あのシークエンスにおいて、全く出てこないというのは、本当にダメだ。というか本当に有り得ない。本作で一番スリリングでクライマックスな場面となったはずなのに。
どちらか片方へ均衡が崩れてしまうかもしれないハラハラとしたサスペンス感や破滅スレスレで綱渡りするような緊張感が「天秤」というほどは無かったのが、本作の一番ダメなところだったと思う。
由宇子は「側って何だよ?」などと言い返し、このままだったら自分たちも先生を追いつめたマスコミと一緒だ!などと言い放ち、報道番組におけるコンテンツ作りより大切な事があると言いたかったようだが…(メディア批判も表面的だ)
そんな簡単に天秤が一方に偏っちゃダメに決まってる。もう片方には女の子の命がかかっているのだから。
その後の交通事故もホントにベタだが、まさかラストまで、あんなベタというか、あの娘の父親が何処かで暴走しそうな予感はしてたが…(これも役者が上手すぎるゆえ)
あんな訳わからん展開にしてしまうとは…(せめてDNA鑑定くらい考えるだろフツー)
真実より自分の家族の責任にして医療費を肩代わり?自分が追い詰めた末の事故だから?だとしても、それも無理筋だ。
事故の賠償金を払いたいなら、真実とは別に負担すればいいだけのこと。
結局のところ、どうしても、あのラストを撮りたかったから?
だとしたら、ホントにベタすぎ。まさに御都合主義。
直前の由宇子の真横からのショットが、あまりにも素晴らしかったので、何とも本当に残念でもったいなかった。
とにかく瀧内公美は本当に素晴らしい。大好きになってしまった。
まさにフィルムに愛されている女優(この映画もデジタルかもしれんけど)。
この作品によって彼女は間違いなく時の人だろう。「情熱大陸」にも直ぐに出てきそうだ。
兎にも角にも、この監督の次回作ではなく、彼女の次回作が無性に観たくなってしまった。
あ、あと、あの医師の役だった池田良、彼もかなり気になった。20代後半まで外資系コンサルで働いていたらしいが、元同僚のような親近感を個人的に勝手に覚えてしまった。こういう俳優がもっと活躍してくれることを期待したい。
そして最後に一言だけ。
やはり伏線の放棄はいかんよ。
その手の映画もチラホラと見かけるが、サスペンスで伏線を回収しないなんて、絶対NGに決まってる!
結局、世間というものがある以上考えても答えの出ない問題なので由宇子...
結局、世間というものがある以上考えても答えの出ない問題なので由宇子は死なずに済んで良かったねってところよね。
塾の女子生徒達が汚物拭いてあげてるのは良かったです。
ヒリつきを”Divide”する
正にそのヒリヒリしたやり取りは観客への没入感、そしてそこからの逃避を想起せずにはいられない希有な作品である
というのも初めて自分はトイレ以外で一旦ブースから外にでてしまったのだ 耐えきれない焦燥感と.共感性羞恥に似た、まるで自分が引き起こしているのではないかと見紛う程の緊張感に、片時も離さない強い推進力に負けてしまったのである。それ程の辛さをこれでもかとぶつけてくる今作品のラストのオチが、それでもあれで済んだことに却って安堵している自分の恐ろしさも又身震いする。インフレを起こせば、客観的に観て酷い事でもそれ程でもないと錯覚してしまうドラマのマジックを垣間見た作品である。
現在社会の多レイヤー化された構造について行けるのだろうか、ほぼ諦めた自分がそこにいる・・・
生々しくてリアル。すごい映画だった。
3年前の女子高生自殺事件の詳細が今考えてもよく分からない。いじめが原因で自殺したけど、学校とメディアに先生と付き合ってたことにされ、それが原因で自殺したことにされたってこと?
×ラスト、由宇子がどういう選択をするかは曖昧なままでよかったのではないか。選択するのであればその後どうなったのかをもう少し描いてほかった。
ストーリで減点
◯生々しさがすごい。細かいセリフがリアル。全編BGM無しだからか、音までリアルだった。めいちゃんちの空っぽの冷蔵庫を開けたときの音とかすごかった。カメラを手ぶれさせてるのはの天秤が揺れてるからなのか分からないがこれもリアルでした。
ジャーナリストとして父親の行為を公開すべきとは分かっていても、それをすれば自分が取材してきた人と同じ人生を歩むこととなり、番組のスタッフ、塾の生徒にまで影響が出る。更にめいちゃんも秘密にすることを望んでいる。
そんな状態で由宇子がどんな選択をするのか?目を離せませんでした。
ハイライト→スマホで動画を撮りながら父親に迫るシーン
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