由宇子の天秤のレビュー・感想・評価
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悔いが残らぬよう最善を尽くす由宇子
木下由宇子(瀧内公美)と萌(河合優実)の関係が、矢野志帆(和田光沙)と長谷部の娘(自殺した女子高生)の関係と被る。
志帆は弟の和之の名誉を守ろうした。
由宇子は父の木下先生(光石研)の名誉を守ろうとした。
志帆が由宇子に見せてくれた弟(高校教師)と女子高生の動画の存在の違和感。
誰が現場で記録を残したのか。
女子高生が録画したもので、その動画を相手に送った、という自殺前に揉めたであろうことを推測する。
その一連の流れが、萌が意図的に木下先生とのことだけを由宇子に告白した理由に似ている。
ひとことで言えば女は怖い。
なめんなよ、ということである。
勘が鋭く、情報の処理にも優れる由宇子は、萌の父である小畑哲也(梅田誠弘)に、敢えて全てを言わないことで萌を擁護している。
ラスト、萌に頼まれたから隠していたと本当の事は言わず、隠していた理由は自分にあると言い、さらに怒りの矛先を自分と自分の父親(木下先生)に向けさせる。
他の誰かが孕ませたかもしれないとしても、そのことについては一切言わず、萌の父親に根本的な問題があるかもしれないことにも言及せず、相手を責めず、たとえ萌自身だけが悪いとしても萌のせいにはしない。
由宇子は、自分と自分の父親の落度のみを小畑哲也に言う。
小畑哲也に対して印象操作をしたのである。
その行動の理由。
由宇子は、萌が過去の自分と似ていると思った。
女子高生と教師の自殺の真相を知り、似たような状況が目の前にある今、弟を庇った矢野志帆とは別の行動をとった。父を庇わず、自分と似ている萌を庇った。
プロデューサーの片渕須直さんは、作品の中にある噓を極力排除しようとする(少なくとも、クラウドファンディングで完成させた『この世界の片隅に』の映画化の時はそうだった)。
リアルであることに拘りがある(はず)。
施錠されていない玄関のドアを勝手に開けて人の家に入った由宇子は住人に歓迎される。
二度そのようなシチュエーションが有る。
彼女の選択は間違っていなかった。
二度あることは三度ある。
由宇子の行動は、きっと間違っていないはずなのだ。
瀧内公美さんと河合優実さんの演技が凄い。
終わり方が独特で印象に残る。
ギャグは皆無だし、映像も特別凄いわけでもないのに、飽きることもなく目が離せない約2時間半。
最高傑作。
正しく天秤にかけたような作品
正しさとは何かを突きつけられる、凄まじい作品。
まず瀧内公美が圧倒的な存在感で、作品とてもあっていた。
作品がもうドキュメンタリーのよう。
落とし前をつけたかのようなラストもすごい。
その悩める心情を、正しく天秤にかけたような作品でした。
あと作品と直接関係ないのですが、カメラマンが着ていたタンカース(「タクシードライバー」トラヴィスモデル)がすっごい気になりました。うちにもあるもので。
☆☆☆☆ ちょっとだけの感想。 いやコレは凄い! 超暗くて、超重い...
☆☆☆☆
ちょっとだけの感想。
いやコレは凄い!
超暗くて、超重い。それでいて超面白い。
しかし…一切の救いが無い。
全く救いを描く意識すら無い、、、のかも知れない。
それ故に、好き嫌いがはっきりと分かれる作品だろう。
報道の真実を追究する側と、対象にされた側が己れを護る論理。
その立場が逆転する事から、心の隙間に波紋が波打つ。
結論を求める人には納得いかない最後でしたが。その重ったるさの持続は、眼を見張るモノがありました。
2021年10月7日 キネマ旬報シアター/スクリーン2
報道人が陥る究極のジレンマ。
すべての事実は公にされなければならないのだろうか。思いがけず公になることもあるが、実際には公にされる事実、されない事実がある。それは事実を公にするかしないかで決まる。
報道に携わる者は、その社会的役割の重要性から清廉性が求められる。ましてや本作の主人公は報道に対して強い信念を持っていた。
ドキュメンタリーディレクターの由宇子は生じた事件に光を当ててそれを可視化し、問題を社会に投げかけることが報道の在り方と信じていた。
そんな彼女が思いがけず自己の信念と明らかに矛盾する行為を強いられる状況に追い込まれる。
彼女は自らの強い信念から自分が携わるドキュメンタリー番組を放送して事実をつまびらかにしたかった。しかしそうするためにはある事実を隠蔽しなければならない。
ひとつの事実に光を当てるためにはひとつの事実を闇に葬らなければならない。まさに彼女にとっての究極のジレンマに陥る。そして事態は思わぬ方向に、彼女はますます泥沼にはまっていくこととなる。
彼女に罪があるとすれば、事実を隠蔽しようとしたことは報道人として罪かもしれない。だが、それはさておき、まずは子宮外妊娠が疑われた段階で生徒の身の安全のために産科を受診させるべきだったところ、それをしなかったところに彼女の人としての罪がある。
結局、番組は放送直前に遺族が隠ぺいしていた事実が発覚して放送は中止となるが、彼女はそんな遺族を責める気にはなれない。
結果的に放送が中止になった時点で生徒の父親に自らの罪を告白することとなった由宇子。父親の怒りはまるで自分の娘と番組放送を天秤にかけた彼女に向けられたかのようであった。
今まで彼女が糾弾する相手に向けてきたスマホのカメラは彼女自身に向けられている。信念を持って報道の仕事に携わる主人公に起きたあまりにも酷な状況。報道への向き合い方が問われる問題作。全編静かなトーンながら凄まじい作品。
今は無きテアトル梅田にて鑑賞。
報道という刃物
2時間33分の大作でもあっという間でした。
いわゆる「切り取り編集」
報道に都合のいい、感情移入しやすい見せ方。
これが今問題になっているところを映画化した勇気に拍手を送りたい。
一度犯罪が起こればそこに加害側、被害側が存在しその後報道という集団がこれに群がる。
どう伝えるかで受け手の印象は形成されてしまう。
そんなやり取りもしっかり映画の中に盛り込まれている。
この作品のすごいと感じたところは、冒頭のストーリーを軸に終わるだけに留まらず、違うエピソードを混えながらエンディングに向かったところをスッキリと締めた。
最後に
エンドロールに生方美玖さんの名前を見つけた
silentやいちばんすきな花で話題の新進脚本家
どこで協力していたのだろう。
おとん、白状するまで撮られ放題
無駄に脱ぎまくる瀧内公美サマ
演技力がしっかりしてるから
脱いでも話の流れに無理がないんだよね。
こういうメディアの下請けってずーっと生活のため
と言い聞かせてゲスなことし続けているんやろうけど
ある日突然自我に目覚め自己崩壊してしまう
って結構あるある。
いつみてもお綺麗な公美サマでした。
あー本作は脱いでないよ。
70点
アップリンク京都 20211012
パンフ購入
二転三転して最後に撮るのは
きっとこうだろう、と予測して行動していることが
次から次へと覆されていく。
新たな事実が出現して、その度に
軌道修正を求められる。
最初は理念や真実、信念が天秤に乗ってた
はずなのに、状況が変わる度に
天秤に載せられるものは
変わっていくのだ。
人はそれぞれが都合の良いように
事実をねじ曲げたり隠す。
ついには誰の言うことが本当なのかよく分からなくなってくる。
最後に彼女が撮ろうとしたのは
なんだったのだろう?
人間なんて、日頃はまっすぐ立ってる『つもり』
なのだと突きつけられる
なかなかしんどい作品だ。
天秤とは
どちらが思いかを計る器械ですよね。
さて、由宇子さんは何を計って、何を重いと判断したのでしょうか?
主人公役の瀧内公美さんはとてもがんばっていました。「RRR」などとは対照的に、終わった後、シーンとして、みんな声を出せなくなるような作品でした。
まさかWOWOWで見られるとは思わず。ずっと息をのむ緊迫感だった。...
まさかWOWOWで見られるとは思わず。ずっと息をのむ緊迫感だった。結局のところ、マスメディアのダメさ加減と、日本社会の世間というものの闇が強烈にインパクトをもった。前半の勢いと比べて、足元から崩れていく感はわかる気がする。それにしても光石の父がそういう行為をするという設定がちょっと腑に落ちない感。
矛盾
ドキュメンタリーディレクターの由宇子は女子中学生のいじめ自殺の真相を追いかけている。真実を放送しようと取材をする。
ある時、父の経営する学習塾で父が起こした不祥事を隠蔽しようとする由宇子。
由宇子さん、矛盾していませんか?あなたの天秤は揺れてしまってこれからどちらに傾くのか。
A BALANCE
「天秤」と聞くと、どうしても司法、裁判などで見かける正義の天秤像を思い浮かべ、由宇子自身が正義であるのかと想像していた。確かにドキュメンタリー番組の制作では、いじめによる自殺に追い込まれた女子高生と、関係が噂されていた教師の自殺事件の真実を追い求める姿が勇ましく思えた。しかし、「誰の味方でもないけど、光を当てることはできます」という言葉により、正義よりもジャーナリズム精神に富んだ女性だったとわかる。善と悪を秤にかけるのじゃない・・・じゃぁ何だ?
木下塾を経営する父・政志(光石研)の罪によって、彼女の心が揺らぐ。真実を求め、表に出すことが使命のはずなのに、隠蔽に走った由宇子。英語のBALANCEの方がしっくりくる。彼女の心自体が揺らいでいたのだ。しかも1人の男子生徒から驚愕の事実を知らされ、戸惑いは大きくなり、その揺らぎは自殺事件の真相を知ったときにさらに振り幅が大きくなる。
ネットの中傷やストーカーまがいの嫌がらせ。被害者も加害者も好奇の目に晒され、普通の生活ができなくなる問題提起。ただ、自殺に追い込んだ側は出てこない。あくまでも1人のジャーナリスト視点で進む物語。
何を信じればいいのだろうか?隠蔽や偽装工作が横行する世の中でもあるし、ニュースさえも信じられなくなる。醜聞が白日の下にさらされれば、築き上げたものが全て崩れてしまうことを危惧して、なんとか最善の道を模索し続ける由宇子だったが、どこかに綻びが生じてしまう。そして萌の子宮外妊娠を知らされ、猶予はない状況だ。
単純な精神のバランスだけではないのが面白い。自分がこんな立場に置かれたらどう対処する?色んなことを自分の身に置き換えてみると、落ち着かなくなってしまいます。「嘘」をついてしまえば簡単かもしれないけど、あっさりと嘘はつかない由宇子。言葉を濁すという手段をとるのだが・・・やがて真実を話そうとする教師の姉や父。萌を問いただそうとする由宇子。ラストの展開は言ってみれば、バランスが崩れてしまった状態に陥るのですが、支点さえも失ってしまったかのよう。もうボロボロですわ・・・測定不能。
苦手なタイプの映画でした
鬱陶しい話です。
ストーリーの予想がある程度ついていたとはいえ、観ていて気分が悪くなりました。
それに前列に座ったおっさんが頻繁に頭を掻くせいもあって、作品に集中できず、とても長く感じた。
うーん、この作品、そんなに優れた映画なのでしょうか? タイトルになっている“天秤”も、正直言ってあまりぴんと来なかった。
安っぽい「物語」にしていないところには好感がもてますが……。
こういう映画を観るたびに僕は考えてしまいます。現実世界には暗くて重たいことがたくさんあるのに、お金を払って何故またしんどい思いをしないといけないのか? 同じように、お金と人手と手間をかけて映画をつくるのなら、「さあ、明日もがんばるで!」と元気の出るような、もっと楽しいものをつくったらいいのに。
あと、僕の耳が悪いのか、劇場の音響に問題があるのか、セリフが聞き取りづらくてストレスを感じました。
瀧内やるじゃん
嘘と真実は、けっしてきれいに分けられない。
ましてや両者を天秤にかけることなどできやしない。
嘘と真実の間を適当に泳いでいる方が楽だもの。
得るものもないけれど失うものもない。
由宇子もそういうふうに考えていた。
他のみんなと同じように、失うものが大きいと。
「嘘も方便」とはよくできた言葉だ。
物事を円滑に進めるには多少の嘘も許される。
多少の嘘の基準がないから、人それぞれ物差しが違う。
いかようにも嘘と真実の距離は調整できちゃう。
嘘と真実の間を問うことは苦行でしかないのか。
由宇子の仕事と私生活の間に、おとしまえをつけられない両者が浮遊している。
両者の均衡を望んでいたはずの由宇子がおとしまえをつける瞬間。
その瞬間を演じることができるのは瀧内公美しかいない。
そう思えたとき、瀧内やるじゃん、という言葉しか見つからなかった。
テレビのディレクターを務めながら父親が経営している学習塾の講師もや...
テレビのディレクターを務めながら父親が経営している学習塾の講師もやっているという由宇子。
女子高生のいじめによる自殺事件を取材する一方で、父親が生徒を妊娠させてしまうという事態にも直面。
なかなかヘビーな内容だ。
父親の件はずっと隠し通してきたのに、なぜ最後に女生徒の父親に話してしまったのか。
女生徒が不特定多数の男性と肉体関係を持っており、妊娠させたのが父親とは限らなくなった段階で。
最後の最後に自分が楽になりたかったのか。
結局真実は分からないままなので不完全燃焼感はある。
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