由宇子の天秤のレビュー・感想・評価
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一見の価値ある作品。
全編に漂う閉塞感はまさに今の社会環境を彷彿とさせる。エンドロールに音楽もなく淡々と終劇を迎えることで渾沌としている日常性をより意識させられた。
正しさとは真実とは違うんだ、正しいと主張し万人に認知されればそれが正しさなんだな、嘘が正しさにもなりうるし、最後は当人の良心の判断に委ねられる。だが偽りの正しさは良心に過剰に接しすぎると揺らいでくる、そして嘘の正しさに耐えられなくなる。
都合の悪いことは触れたくない、思い出したくないは嘘を真の正しさと信じたいだけかもしれない。
真実=正義?
上映時間中、ずっと内蔵がキリキリするのを感じていた。
多くの人が、悪意からではなく、自分や誰かを守るために最善と信じて、嘘をついたり隠し事をする。
ジャーナリズムだって、結果的には誰かにとって都合のいい事実(らしきモノ)を抽出して並べているに過ぎない。
その「真実」によって誰かが被害を被ることが明らかな時、「正義」の名の元にそれが太陽の下に晒されるコトは、本当に「善きこと」なのか。
見終わって思い出すと、この映画の中では、あえて「真実」には触れられないことに気付く。大事なのは真実じゃないんだな。
でもそこには確かに人々の生活がある。
映画としてはやっぱり役者陣の熱演がスゴイ。
主人公は言うに及ばず、その父親、生徒の父親も素晴らしいけど、特に登場する子供たちのリアルさ。
「これはすげぇモノ観たな」って感じ。。
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誰もが天秤にかけ迷っている
ドキュメンタリー・ディレクターの由宇子。
女子高生の自殺、そして彼女との関係を噂された男性教師の死の真相を追う由宇子。
父と二人暮らし。
父が営む学習塾を手伝う由宇子。
素晴らしい父であり、素晴らしい先生である父。
塾の生徒と関係をもった父。
真実を見誤り、真実を隠そうとする由宇子。
色々な真実があった。色々な真実があることに気づかせてくれる作品だった。
これは今年の日本映画のベストの一本だろう。
それにしても瀧内公美さんが素敵だった。主演女優賞は『茜色に焼かれる』の尾野真千子さんとの一騎討ちになるのでしょうか。
「報道が殺したんですよ」と「奪われました」、これカット。
天秤。その言葉を意識するおかげで、なにか問題を解決しようとするたびに、終始"あなたの良心は?"という問いかけがかぶさってくる。それはちょっかいを出してきた悪魔の声。もしくはニヤついた天使の声かも知れない。いつも、道が右と左に分かれている選択を迫り、どちらを選ぶかの判断の基準は、司法であり、社会的モラルであり、本人の立場であり、我欲であり、偽善であり、体裁であり、、、。ああ、それを言い出しているうちに、部外者のはずの自分が、なぜだか何かを言い訳してるような気分になってきた。その判断と行動の正解は、たぶん、ない。いろんなしがらみが絡み合っていれば、結論がベターと言えることはあっても、ベストとはなかなか収まらない。そう、「正論が最善とは限らないんです。」と由宇子が言うように。
目の前の由宇子は、こじれにこじれた、いくつもの難問を抱えて、どう決着をつけようとするのか。それは、うまくいくのか。それは、褒められることなのか。それは、ズルいことなのか。ああ、このまま全部を正面から受け止めてたら、潰されるよ、耐えきれなくて逃げちゃうかもよ、って画面に食らいついていると、あのラスト。
はあ、そうきたか。いや、監督はそういうふうにこっちにぶん投げてきたか。天秤を抱えて、選択と行動を試されているのは、なんだか俺じゃないのか?って、背中に冷や汗を感じた。うまいなあ。二日経ってもずっと引きずっているよ。どうしたって誰かを傷つけそうで、当然、妙案なんて浮かばないよ。
この映画は、観た各自が結論を、ましてや正解を出さなくてもいいんだと思う。ずっと、このテーマを引きずって暮らしていくことのほうが、意味があるような気がしてならない。
公開初日、舞台挨拶もない初回(しかも満席)の公開後、監督ご自身が壇上に上がって熱く映画の宣伝をしてた。その熱量で語るにふさわしい映画だった。帰りに、監督の言う"仕掛け"が気になってパンフを買おうとしたけれど、すごい混みようで断念した。監督の言葉が客に届いた、ってことなのだろう。
弱い人も嘘を吐く
上映前の舞台挨拶で春本雄二郎監督は「ストーリーを追わないでください」と言っていた。その通りの作品であった。
瀧内公美は映画「彼女の生き方は間違いじゃない」や映画「裏アカ」を観て、ところどころで光る演技をする女優だと思った。本作品でも、冴えない場面は少しあったものの、凡その場面でリアリティのある演技をしていた。
本作品で演じたヒロインの木下由宇子は、ドキュメンタリー監督及びインタビュアーとしていじめ自殺の真実に迫る映像を撮っていくが、いかにも浪花節的な精神性で、人を信じすぎるきらいがある。「私は誰の味方もしませんよ」と言いつつも、弱い人の味方という立ち位置で取材をする。弱い人はただ人権を蹂躙される正直者だと誤解しているのだ。本当は弱い人にも戦略があり、ときに嘘を吐くということを忘れている。
テレビを主戦場とするなら、局の政治的な圧力も承知の上で、限界ギリギリの妥協点を探りながらの番組作りをしていかねばならない。海千山千のしたたかさが要求されるのだ。しかし由宇子は正論にこだわる。そのあたりの未熟さを瀧内公美はとても上手に演じ切ったと思う。
凡そ人は喜怒哀楽の場面に遭遇したときは、先ずフリーズする。いきなり泣き出したり怒り出したりすることはない。目や耳から入ってきた情報を分析しているからだ。瀧内公美のフリーズする演技はなかなかのもので、とてもリアリティがあった。
ある意味とっ散らかったストーリーの中で、由宇子に降りかかる災難は半端ではない。その全部を彼女は黙って引き受ける。そこに彼女の弱さがある。無視して、人を見捨ててしまう冷酷さがないと、ドキュメンタリー監督は務まらない。弱い人も嘘を吐く。
ジャーナリストではない。ドキュメンタリー監督なのだ。自分の責任を棚に上げて、自分が生きていることさえも棚に上げて、超客観的な視点、所謂神の視点で映像を撮る。強者も弱者もともに突き放して、由宇子自身が言ったように、誰の味方もしない。そのために必要な冷酷さを身につけなければならない。自分や家族を守っているようでは、いつまでもちゃんとしたドキュメンタリーは撮れない。由宇子の天秤がちゃんとバランスを保つようになるまでには、もう少し時間が必要だ。そういうラストであった。
観客の固定観念を軽快に裏切り続けて想定外の結末に誘う『不思議の国のアリス』ミーツ『踊る大捜査線』
主人公の由宇子はドキュメンタリー番組のディレクター。女子高生自殺事件の真相を追うために自殺した女子の家族ら関係者への取材に奔走する傍ら、父が経営する学習塾を講師として手伝う毎日を送っているが、ある日塾で起こったささいなトラブルをきっかけに由宇子は次から次へと様々な選択を迫られる。
これで今年の新作映画鑑賞は97本目ですが、これは昨日までベストワンだった『Mr.ノーバディ』を超えました。凄まじいレベルの傑作です。
普通こういう映画だと主人公は実直な人で困難にブチ当たるたびに打ちひしがれたり苦悩したりしますが、由宇子はそんなキャラではなく冒頭から自分の撮りたいものを撮るためには手段を選ばない強かさを備えています。その強かさが盛大に繰り返されるどんでん返しで延々と試され続ける様はまるで『不思議の国のアリス』。要するにドキュメンタリー作家の由宇子は事件の真相という白ウサギを追っていくつのも真実が交錯する不思議の国に迷い込み、そこで出会う人々に様々な難問を突きつけられても抱え込むことなく矢継ぎ早に答えを出していく。その行き着く先が観客が想像していたものからどんどんと遠ざかっていき登場人物の印象も目紛しく変容する様が余りにもスピーディで152分という長尺を全く感じません。
個人的に気になったのは由宇子がずっと着ているコート。ポスタービジュアルでも判る通り『踊る大捜査線』のいわゆる“青島コート“そっくり。これって本作では事件が現場だけでなく会議室でも起こることを暗に匂わせているのかもと勘ぐりました。
ほぼずっと出ずっぱりの由宇子を演じた瀧内公美の存在感がとにかく強烈ですが、丘みつ子、光石研他の演技派ががっちり脇を固めているので、観客の固定観念をこれでもかと揺さぶってくる危うい構成なのに妙に安定感のある作品。そんな中で異彩を放っていたのは塾の生徒の一人萌を演じた河合優実。『佐々木、イン、マイマイン』では不思議な縁から佐々木と心を通わせる苗村、『サマーフィルムにのって』では主人公ハダシの幼馴染で天文部員のメガネっ子ビート板と全く印象の異なる役を演じてきていますが、本作で最も複雑なキャラクターをしなやかにこなしています。
劇伴が全然ないのが特徴的ですが、冒頭で奏でられる曲が醸す強烈な違和感が物語を追っている間も抜けないのですが、エンドロールにそれに対する答えがさりげなく添えられていて、この選曲にも本作のテーマが滲んでいたことにも感銘を受けました。
本作を鑑賞するには予告やチラシ、公式サイトに書いてあること以外は何にも知らない方がいいですが、一点だけアドバイスするとエンドロール直前に鳴る音には注意して下さい。それを聞き逃すと本作に対する印象がガラッと変わりますので。
インディペンデントであり社会派エンタメという稀な一本
面白かった。見応えあった。瀧内公美とまさに旬の新人となる河井優実、ふたりの女優がいい。1時間くらいを費やしてドキュメンタリーディレクターとしての「獲物」を追う、弱者の側に立つ真っ直ぐな姿勢、実家の塾講師である父を助け、子供たちにも寄り添う反骨のキャラとして休む暇なく動く主人公。その事件の行方も充分気にかかるところへ自分の足元がゆらぐまさかの事件が発覚。追うものから追われるものに反転しかねないその事件の設定が上手い。ここからまさに天秤状態で本当のドラマがはじまる。寄り添っていた生徒との関係が別の意味を帯び、しかし、ヤバそうな父とその生徒の関係は上向き、なのでこの先が見ていられなくなる。さあどんな決断をするのだろうか、と。
まったくのインディペンデントでこのような社会派でかつエンタメな映画は珍しいのではないか。潤沢な制作状況でないのは見た目にもわかるが、逆にそれらも利点となっているような寂寥感溢れる現代日本の風景。監督の現代日本への怒りや不安が背景から見える。俳優陣もみな適材適所でこの台本を吸収している感じ。
しかし今年は邦画インディペンデントは豊作だ。
リアル
激しめの設定だけど各登場人物の行動はリアル
その分、盛り上がりとか爽快感は少ない
多少明かされる真実みたいな流れもあるが、そこは本筋ではないような気がする
満足感のある作品だけど、もう一度観ようと思わない、かも
上映後、舞台挨拶付
ヘビー級
これは重い。ヘビー級のボディーブローで終始揺さぶられ続ける…
社会正義とは?ジャーナリズムとは?人間の善悪とは?を、二つのケースを使って裏と表から、まさに天秤のように、あっちに振れこっちに振れ、さぁあなたならどうする?と問い続けられる2時間半。誰も信じてはいけないし、誰もを信じなくてはいけない…
それでいいの?大丈夫?と問い続けながら最後まで来て、それでも由宇子がどうすべきだったのかは分からずじまい。今も考え込んでいる…
役者がみんな良かった。瀧内久美は勿論のこと、特に、良くインディペンデント系で見掛ける川瀬陽太が今作は目立っていたし、めい役の河合優美は「佐々木インマイマイン」「サマーフィルムにのって」で注目していたが、素晴らしい演技だった。
まさに彼女の映画
映画は観た人それぞれの中で完成する
(某監督の言葉)
だから、好き嫌いは人による
非常にクセのある作品なので、評価は大きく分かれると思う
しかし、由宇子役、瀧内公美さんの演技にはほとんどの人が、圧倒されると思う
まさに彼女のための由宇子であり、由宇子の天秤は彼女の映画だと思う
月並みですが素晴らしい演技
本物を見つけたときの高揚感に包まれています
彼女のこれからに期待します
私は、テーマ性の高い作品はあまり観ませんが、まだまだ観ることになりそう
登場人物、みんな嘘をついていても不思議ではない
親父やってくれたな!
ドキュメンタリー番組のディレクターを務める女性の近親で、ネタとして追う事件と近い出来事が巻き起こる話。
3年前に起きたイジメによる女子高生の自殺、及び、彼女との交際が噂され抗議の自殺をした教師という事件の家族達を取材する主人公。
マスコミ批判を封じようとする上層部に苛立ちを覚える姿は良いけれど、取材対象との約束を守らない姿はやはりマスゴミ。
しかしながら今も苦しむ家族の姿を目の当たりにして意識が変わるのかな…なんて思っていたら、まさかの親父っ!
葛藤とか苦悩みたいのをみせるのかと思いきや、その雰囲気がない訳ではないもののという感じで、自身のみてきた世界を恐れて突き進み、本当に心配しているのは誰のことか。
胸クソ悪さがある一方、判らないでも無いという思いもあったけど、トドメの疑念は本性ですよね。まあ、これも言いたくはなるだろうけれど、あなたの立場なら聴取も調査ももう少ししてからね。
ラストはもっとボコボコのボロボロでも良かった気がするけれど、内容の割にちょっと尺が長くまったり気味だったから、良い切りどころだったのかな。
【脆い正義と曖昧な真実】
昔、糸井重里さんが、Twitterだったと思うが、面白いことを言うなと思って、書き留めてきた文章がある。
“僕は、自分が参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます”
確か、これは、震災の際の原発事故で、デマを聞いて東京から脱出すべきだと世間が騒ぎ立て始めたた時のツイートだったと思う。
僕は、人の話を聞いて、何かを判断するときに、参考になる考え方だなと、今でも思っている。
さて、映画のタイトルからも理解できるように、この作品には、複数の重要な対比が織り込まれている。
そして、それは、嘘か真実かというより、その時々に応じて形を変える正義によって片寄る(偏る)ほうを選択していくのだ。
実は、舞台挨拶での春本監督の話が、大きなヒントだったような気もする。
“映画を制作する際、商業主義の作品は、アイドルタレントを起用するとか、原作は有名な作品や漫画にするようにと要求されるが、自身の10年に及ぶ助監督業の後、そういうものとは異なる映画を撮りたかった”
実は、ドキュメンタリーにも多くの忖度があり、センセーショナルであったり、人目を引く方がコマーシャリズムに乗りやすかったりするのだ。
だが、この作品で春本監督は、それを批判しているわけではない。
そして、こう言っていた。
“あらすじを追わず、是非、登場人物の気持ちになって考えて欲しい”
おそらく映画を観た多くの人が、自然とそのようにしているのではないかと思うが、そこには正義を基調とした考え方がある反面、さまざまなことが明らかになるにつれて、その正義が如何に脆いものか理解しなくてはならなくなる。
前に、人は3回同じ嘘をつくと、それは真実だと信じるようになるという話を聞いたことがあった。
出し手の正義は真実を曖昧なものにし、受け手のフィルターが更にそれを不安定化させる。
こうして、僕たちの世界の正義と真実はアメーバのように変化しているのかもしれない。
今更ながら、糸井重里さんは、面白いことを言っていたのだと感心している。
場面の切り取り
テレビのドキュメンタリーなどで場面の切り取りによって印象が変わるという話があるけど、そこを主題にした感じ
場面が進むことで話の印象が変わる
2時間半の上映時間で音楽はなしだけど面白かった、映画館向きかもー。
しかし久しぶりに混んだ作品行った
売り出しの鼻息は荒いけど……作る前にもっと考えてほしかった
女の人が殺されたり自殺させられたり性的暴行されたり売春させられたり妊娠させられたりする、という、女の人にとっての生きるか死ぬかの大変なことが、この娯楽映画のサラリとした具材になっています。時々はネットリした具材です。
当人たちの苦痛・不安・恐怖は甚大。
しかし、作者にとっても大半の観客にとっても、「真実にどう迫るか」「真実に迫られた時にどう判断し動くか」「社会において個々人の生活において、真実というものはどんな意味を持ち何面を持つか」をより上位の主題と位置づけています。主演女性さんが全力で、それらのプチ哲学的主題を主役自身の生死よりも優先する、と宣言したに等しい風変わりなラストでした。
作者らが自賛している通り、終盤の飾り方は質素ながら成功している方でしょう。
一人二人か三人の女の人を半ば破壊してまでも私たちの実践哲学を育んでくれる物語だったかどうかは、かなり微妙と思いました。好きか嫌いかでいえば、私は嫌いです。
なぜなら、いじめ自殺報道問題と教え子への犯罪、そのどちらもが、茶番劇かせいぜい出来の悪いサスペンスドラマの次元・密度を超えておらず、わざわざ「これが主題でございます」と改まっての挨拶的に提示してこない限りは、物語の内側からごく自然に浮き上がってくる本当の主題性がないからです。つまり、野次馬的・傍観者的な一時の関心以上のものを刺激してくる熱さがありません。
実際、この映画の鑑賞後に何か生き方を変えたくなる観客は、おそらく1%もいないということです。誰も彼もが「ちょっと考えさせられた」とコメントするのみです。けっして誰も生き方を変えません。せいぜいSNS上の誹謗中傷を許すまじ、という流行りの世論への一助になるかならないか程度です。シネコンやぎゅうぎゅう詰めの居心地悪いミニシアターで、一時的に消費して本当に終わりです。
SNSによる集団的吊るし上げという、その今日的なキーワードのおかげで、さも最新式の具材集めを丹念にやりぬいたように見せていますけれども、肉部分の大半は、女性いじめの古臭さに満ちた、前近代的な中途半端ハードボイルド・メルヘンです。
女性が妊娠に気づくのは、嘔吐よりもまず「来るはずの生理が遅れている」だったりするのに、そして二昔か三昔以上前の女子高生ならともかく、情報が溢れている現代日本において、女子高生が人形のように精神的に幼すぎるのはちょっと無理があるのに、その辺りは適当に描かれていて、やはり緻密さのないメルヘンです。
私の近くの座席に、やたらと物音立てる迷惑な男性観客がいました。その人は、上映後にとても満足そうな顔をしていました。新時代にそろそろもうそぐわない、そういう化石タイプの人間が、たぶん率先してこの作品を褒める側に回るのだと思いました。そして表面上は「スクリーン内の可哀相な女子に同情」しているつもりになっていて、実は、単に楽しんだだけなのです。
さも大人になりきったふりをして、古臭さと青臭さだけを空虚に同居させている、不気味な自主映画の延長作品でした。
上映館拡大を切に願います(ユーロスペースさんの密解消のためにも)
間違いなく今年度公開作の中でも指折りの傑作のひとつ。観賞後に考えさせられる余韻が最大級。
正義とは?という命題は、これまでもたくさん描かれてきたし、これからも描かれ続けるはずです。時代がどう変わろうが、永遠に答えの出ないテーマだからです。
戦争であれ、法廷であれ、企業であれ、学校であれ、震災のような災害の場であれ、〝その時、自分はどこの誰としてそこにいるのか〟によって正義と呼ぶべき大義や対象は様々です。
救うべき或いは守るべき相手は、国家なのか、帰属集団なのか、個人なのか、その個人は社会的影響力のある人物なのか(アメリカ映画なら大統領とかがそうです)、影響力はないが愛する家族やペットのひとり(一匹?)なのか。
そしてそれらの要素が複層的に重なった場合には、シンプルに正義か否か、という選択肢は消滅します。
何かひとつを選択すれば、それに見合う何かをひとつかふたつ或いはそれ以上に失うことになります。
その場合に判断しなければならないものは、〝優先順位〟であって、〝正義〟ではない、という状況になります。
それまでの由宇子は、冷徹に真実を客観的に伝えるという芯の通ったブレないプロ意識に裏付けされた信念がありました。
そして、それを貫くための唯一の条件が〝当事者ではない〟ことでした。
思わぬところから当事者そのものになってしまった由宇子には、当事者でない時には封印できた〝良心〟とか〝良心の呵責〟という人間性の真実の一面が重くのしかかってきます。
当事者でなければ、優先順位の判断基準は合理性(傷つく人が一番少ないと想定される選択を取る)で割り切れたはずなのに、当事者としての良心は、本人にとって失うものが最大化するような不合理な判断(実際に命まで危険に晒すことになった)をさせることになります。
一方で、打算的な動機を背景に始めたはずの小畑萌への個人レッスンからは暖かな絆が生まれたのも事実(万引き家族における樹木希林と松岡茉優との関係性にも似ています)。
少し書き過ぎました。
あとは一年に数本あるかないかの胸アツというよりは胸オモの作品を一人でも多くの方がじっくりと味わっていただくことを願っています。
ドキュメンタリーはノンフィクションのフィクション
これは、映画ではない!
小説だ。
自分事でもあり、ありそうな話。
と、目を釘付けにさせてしまった。
だから、すごい映画に仕上がっていた。
自分の田舎がロケ地だっただけに
やけにリアルだった。
黙る。隠す。嘘をつく。
常にゴールをずらすように、真実を知らない観客を手玉に取るストーリーだ。
自分は、こういうタイプの作品は、本作も含めて、不快に感じて好きではない。
しかし、「物事はシロクロ決まるもんじゃない」ということが、まさに本作で監督の訴えたいことだったならば・・・。
黙る。隠す。嘘をつく。
主人公までが。
由宇子の行動は、“しがらみ”の中にあり、“しがらみ”で身動きが取れない。
萌や矢野の娘へのケアは、純粋な善意からなのか。あるいは、仕事がらみや、“贖罪”のためという、利害・打算のためでもあるのか。
しかるべき行動をとりたくても、罪を犯した人間だけでなく、周囲の人間が一網打尽に被害を受けてしまう。
テレビ局からは、捏造や隠蔽を求められる。
由宇子が陥る、そういうジリジリした様々な“囚われ”の状況を、リアリティ豊かに描写している点が、本作の最も優れているところだと思う。
キャラクターの設定は、萌の父親のキャラが定まらないこと以外は、良かった。
俳優の演技も、みな納得だ。
瀧内公美は日本の俳優では珍しく“間(ま)”を作ることができるし、川瀬陽太はしょーもない軽さを相変わらず醸し出している。
ただ、150分という長尺を使って、いろいろと詰め込んだわりには、まともに回収されないまま終わったのは残念だ。
「2つのストーリーが、一体どう交わるのだろう?」とワクワクして観ていたが、結局、由宇子が両方に関係しているだけだった。
「俺たちがつないだ(編集した)ものが真実だ」というマスコミの虚構や、困窮した父子家庭における妊娠した娘と父の関係がメインテーマかと思いきや、突然、あっさりと決着が付く。
別に“解決”などしなくて良いのだが、由宇子以外の全員が、どうなったかも分からずにフェードアウトしてしまうような作り方は、大いに不満だ。
また、ここぞという重要な静止のシーンでさえも、常にカメラだけが揺れ動いていたのはどういうわけだろう。
グッと画面に集中することが難しかった。
人間の弱さを炙り出す傑作
人間の弱さを炙り出した意欲作。
人は優しく、正しさを求めて生きていくのだけれど、儚く、脆く、臆病で、結局は嘘をつく。
他人の嘘には厳しいけれど、自分の身に何かあれば、自分もまた保身のために嘘をつく。
そんな矛盾を抱えて生きるがゆえ、結局は社会そのものが矛盾に満ちていく。
何が正しいのかすら曖昧で、誰にも分からなくなる。
はっきり言って、「答えはない」。
ついた嘘は、吐いた本人にブーメランのように戻ってきます。
主人公は誰より優しく、誰より正しくあろうとしたゆえに、一つの嘘が周りの人間も本人も深く傷つける。
その残酷さ。
そして、結局その状況を生むのは、冒頭にも書いた人間の「弱さ」なのだと。
この映画は「正しさ」をもち続けることが難しいこと、そして受け止める側次第ということを、刃物のように喉元へ突き付けてきます。
怖い怖い映画で、観終わった後もこの映画が頭の隅っこから離れません。
ひとつだけ絶対に「間違っている」「正しくない」と断言できるのは、当事者でもなんでもない第三者が、事件における加害者・容疑者の(事件とは全く関係していない)家族をネットに晒し上げ、リンチを加えるってことでしょうか。
「正しさ」を隠れ蓑にし、叩いてもいい相手と思った人間を果てしなく追い詰めて遊び愉悦に浸る行為は、卑怯そのものに過ぎません。
ドキュメンタリーを作る現場人のドキュメンタリーって感じ〜。 正しい...
ドキュメンタリーを作る現場人のドキュメンタリーって感じ〜。 正しいことは良い事?正直なとは良い事?何かが起きるとそれを喜ぶ人も居れば、それによって傷つく人も居るし救われる人も居るのは事実。それでも私は事実を知りたいと思う。真実を知りたいと思う。でも当事者になったら由宇子と同じ行動するだろうなぁ〜
滝内さんは素敵な女優さんだなぁ〜
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