「面白かった/ワンダーが足りない」アイの歌声を聴かせて LSさんの映画レビュー(感想・評価)
面白かった/ワンダーが足りない
「イヴの時間」が好きなので観に行った。社会へのテクノロジーの適用の設定と見せ方が好みだった。青春ドラマとしてはきれいにまとまっていて、見せ場も多く楽しめた。歌もいい。ただちょっと物足りない感。……書きかけでうまくまとまらず放置していたが、「地球外少年少女」を観て思うところがあったので、AI絡みで整理してみた。大分時間がたったので記憶違いがあるかも。【両作品のネタバレ有り】
本作で幼少のトウマがたまごっち風AIに与えたプライム・ディレクティブ(PD)は「サトミを幸せにする」ことだった。その手段が歌であり、サトミが大好きな劇中の映画「ムーンプリンセス」から、歌うことや人間関係を学習したということは読み取れる。
一方、AIが消去される危険から自らをネットに逃がした後、シオンの身体を発見するまでのネット放浪時代、AIはサトミを見守り続け、時々音楽で介入したりしていたが、高校生シオン(自律型アンドロイド)となってからの言動を見る限り、特に一般常識を学んだりはしなかったようだ。(「地球外…」でも、AIの演算能力や情報入力にはリミッターがかけられていて、人間が解除するまで自ら進んでその制限を超えなかった。)
ここで気になるのは、AIの「意思」とは何かである。「イヴ…」では、AI(アンドロイド)に自由意思があることは所与であって、なぜなのかは明確な説明がなく、その発露を縛るルールとの葛藤や社会における受容がテーマだったと思う。
一方、本作ではAIはPDに忠実だが、自らの意思があるのかは分からなかった。PDを遂行するためのインプット・アウトプットのループはあっても、自分で自分の知の範囲を拡張しない、あるいはできない。そのため、サトミの幸せのために他の制御を乗っ取り、時に損害を与えることに躊躇せず、より合理的なやり方を導き出せない。(あれが自分の演算上の最適解なのだろう。)
ラスト、衛星経由でシオンの中身が再度ネットに放流されても、再びそこからサトミを見守るだけで、某少佐の「ネットは広大だわ……」みたいなエボリューションがあったようには描かれていない。
これは実社会へのAIの適用が進んだことによる、AIのあり方についてのより現実的な理解が反映しているのか、はたまた、そう(あくまで人間をサポートするもの)であってほしいという願望の表れなのか?
「イヴ…」ではエンドロールの切ない映像で、人間とAIの種としての共生の可能性のような論点が示唆されていた。「地球外…」ではリミッターを外されてルナティック(知能の爆発的拡大)したAIが、ひたすら知の探究に没頭して宇宙の存在の謎を解明してしまう描写があった。
SF的には、本作にもAIの進化とか、制御する者ーされる物の関係を越えた両者のあり方とか、何かしらのワンダーの提示がほしかった気はする。