聖なる犯罪者のレビュー・感想・評価
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彼は聖職者と言えるのか?
確かに彼には神父の素養があったのだろう
あれだけ人を引き付けるのだから
しかし、心の底から神に仕えているとは思えない
自分の神父になりたいという希望が叶えられないと、出所後は酒や薬や女に溺れる
製材所に行かなかったのも同じ
神父の(仮)職にあった時は十分に信者らしいが・・・
これは、キリスト教では何をしても懺悔すれば許されるとか、教会に行っていればさえ許されるとか、そんな風に思われるところ、そのままではないか・・・・
希望が通った時だけ機嫌が良いきかん坊の様
映画としては面白く、引き込まれて最後まで楽しめました
人は悪役を作りたい
ポーランド語?
見てると作品にのまれるリアリティーのある作品。
しかしミステリアスで各キャラも良いのに、ストーリーの深掘りが足りていない印象。
フィクション要素を加えればもっと化けただろう。
良い点
・主人公の雰囲気が絶妙
・各々の演技
悪い点
・喫煙多め
・尺が足りていないか
・ゾンビ映画オチ
世の中はグレーでできている
本作は非常に難しいテーマだった。
実話というが、そこにも驚きである。
本作の色調がニュアンスカラーというかハッキリしないように、世の中は常にグレー。だから私たちは白黒ハッキリと付けたがるんだ。
神父、犯罪者、善人、悪人、経営者、被害者、加害者
何でもかんでも型にはめようとするが、様々な角度から見れば全てグレー、善悪、良否あってほんの些細なことでものの簡単にひっくり返ってしまう。
本作の主人公だって、神父らしいことをしていたかと思えば狂った様に踊り狂ったり、事故の加害者の妻もある意味被害者である。
何が正しくて、何が美しくて、何が善人で悪人なのか、
人は常にどちらにも転びどちらにもなれる。
言ってしまえば、世界はそんなものなんだと。
一つ言えるのは信仰心のある人、信念を持つ人は強いということ。
ラストの展開には少し残念だ。
何が人を導くのか
普遍的なものを描いた物語だと思った。
日本は恥の文化で、西洋(キリスト教)は罪の文化だと聞いたことがあるが、まさにキリスト教の信仰とは何か、ということの本質が描かれているように思った。
誰もが罪深い存在であり、それに苦しんでいる。そして、そこに赦しや救いを与えてくれるのが信仰だ、ということか。
主人公が犯罪者でありながら、みかけが神父であることは、ストーリーが展開するにつれ、実は村人たち全員が似たようなものだということがわかってくる。
表面上は良い子や、善良な人間のようにふるまっていても、誰もが罪を犯している。そして自分の罪に苦しんでいる。
しかしそれだけではなく、それを悔い改める、という聖なる面も持っている。
主人公が悪人である面と、善人である面の二面性を持っていることは、まさにその象徴である。
主人公が神父としてふるまうことができたのは何故か、また、なぜ彼が人の心をうつ説教をすることができたのか。
そこを考えさせることがこの映画の目的なのではないか、と思った。
犯罪者が犯罪者として扱われるだけであれば、彼はそのようにふるまうだけだろう。
しかし、聖者として扱われれば、それは彼にとって変わるきっかけになる。
この、「きっかけ」とは、社会においては信仰がその役割を果たすのではないだろうか。無条件に赦す、無条件に信じる、無条件に愛する、ということは、不合理だし、納得できないこともあるだろう。しかし、一般の理を超えているからこそ信仰と呼べる。
多くの人は、運命論に支配されて生きてしまっている。世の中はこういうものだ、人間はこういうものだ、自分はこういうものだ、という諦めの中に、腐敗や怠惰を受け入れてしまっている。
しかし、「きっかけ」さえあれば、自分を改め良い方向に歩き出すことができることもある。
主人公が人の心を打つ説教ができたのは、彼は自分が犯罪者であるという強い自覚から、体験的に「きっかけ」がどのようなものか理解していたからだろう。自分自身が心を打たれたことをそのまま話していたからだろう。
人には悪人と善人の二面性があり、きっかけが何かによって、悪の面も善の面も現れる。
主人公は神に、「評価するのではなく、理解してください」
と訴える。これは主人公の大人や社会に対する訴えでもあるだろう。
人を変えるきっかけとは、評価や批判や罰や強制などではなく、単なる理解、単に真摯に話を聞こうとするだけでいいのかもしれない。
『聖なる犯罪者』とは余りに安易な邦題。かと言って原題である「boze cialo (聖体)」を上手く日本人に解るように訳すのも確かに難しい。無宗教な日本人には最も理解しにくい内容かも知れない。
①「神はあらゆるところにいる」「どんなに理不尽なことでも全ては神の意思である」等々の台詞があちこちに出てくるが、結局全て神に押し付けて表面だけ繕っているのではないかという気がする。事実、事故の遺族たちは表面は敬虔に祈っているが、心の中では喪失感や哀しみを加害者(かどうかは最後までわからない)とその妻への憎しみに転化していたではなかったか。②ダニエルは映画の中で二度「お前はここにはいなかったんだ。」と言われる。一度目は少年院の神父に司祭と偽っていることがバレたとき。教会としては偽の司祭がいたことが公になるのはヤバかったのだろう。二度目は少年院に戻ったダニエルが決闘の末に相手を殺したとき。少年院で決闘やその上の殺人が行ったことはマズイのだろう。結局最後ダニエルは聖(教会)にも俗?悪?(少年院)にも属せないことになってしまう。③でも、聖と俗との境ってどう線を引くのだろう。この映画は二重構造を取ってその曖昧さに迫っていっているように思う。主旋律は少年院を仮出所した元犯罪者でありながら司祭を騙ることになったダニエルの物語。いつバレるかと冷や冷やさせながらも次第に司祭らしくなっていくダニエル。実はこんなプロットの映画はハリウッド映画に限らずいくらでもある。犯罪者或いはアウトローが人違いされて身分を偽りバレないようにあたふたしながらも段々本物以上に本物らしくなり回りの人に愛され好かれ最後バレても許されてコミュニティの一員となる。この映画でもダニエルが最初に告解に臨んだのは子供の喫煙に腹を立てる度に子供を折檻する母親の懺悔と相談。どうしたら子供の喫煙癖を直せるか、という母親の問いに元(今も?)不良少年のダニエルは的確な答えを与える。ここで「この路線でいくのかな?」と思ったが結局そうはならなかった。④副旋律は村の若者たちを主とした7人の事故死のエピソード。ダニエルは初めは被害者家族の心の癒しに必死になる。しかし、やがてこの事故(被害者家族は殺人と思っている)がどうも見た目とは違うことがわかってくる。無垢な被害者にされている6人の若者たちが決して無垢ではないことがわかってくる。しかし、その証拠を握っているリディアは、ダニエルに証拠の提出を促された時に拒絶し証拠のことなど否定する。傷ついている人達をこれ以上傷付けたくなかったのであろう。⑤一方的に加害者(殺人者)と決めつけられた男妻は村八分になる。しかも村の墓地には葬ってもらえないという(どの宗派は分からないが信者にとっては屈辱的なことなのでしょうね)。ダニエルはここでも立ち向かおうとする。権力者である村長他は折衷案を提示して穏便にことを運ぼうとするからだ。しかし、ここで妻は一方的な村人の糾弾に口をつぐんでいた秘密をついにダニエルに打ち明ける“大喧嘩したあと自殺すると言い置いて出ていった”と。結局事ダニエルの活躍にかかわらず事件の真相はどちらの過失か引き継ぎ闇のなか。それでも遺族感情の中に変化は起きる。加害者と見なされる男の子埋葬式に被害者の一人が参加している。教会を訪れだ運転手の妻にリディアの母(年老いてからのイングリッド・バークマンにどこか似ている)が参列を許す。
あとからどんどん考えさせられる
見終わったときはなんだかな~と思っていたのに、どんどん考えさせられる事柄が出てきて、レビューや評価・監督インタビューなどみて、さらにモヤモヤするモヤモヤ映画
ラストがインパクト強かった。
ラストについてネタバレと疑問
主人は再入所ごの食事の時に祈りをしなかったのは、もう信仰心をすてたのだと思うのですが、ラストの血塗れでのアップがその印象を引き立てていたと思います。
家を追い出された女の子を家に泊まらせたと共に彼女を受け入れたのは自分の欲求よりもあの時は女の子が求めていたのを施したように思えました。
いろんなことに神父として真剣に取り組んでいたのに信仰がなくなってしまったのはなぜなのかすごく疑問でした。
赦しとは?
少年院を仮出院したダニエルは、ふとしたきっかけで偽の司祭となる
しかし彼の話す言葉には、何か表面的ではない真実が感じられた
素朴な村の人々にもそれは伝わっていたように思えます。
人は人を赦せるのか? キリスト教が一般的である欧米では一般的な
テーマであるのかもしれません。
人を赦すように、諭すのは簡単でも、自身が他人を赦すのは並大抵では
できないのではないでしょうか?
そして自分は何時、誰に赦してもらうのでしょうか?
ダニエルの心に平安は訪れるのでしょうか?
信仰を持たない自分は鑑賞後にこんな事を考えています。
18禁だから
これって学校で映せるくらい真面目な映画ですわ。
ラブシーンだけで決めちゃうのはどうですか?
赦す赦さないって、其処に行くまでの背景が少し説明書不足かな。
実話ベースということでそちらに寄せたか。全体的にモヤモヤが残りました。
(゚ω゚)偽物は
少年院に服役し仮釈放間近の青年ダニエル。少年院の礼拝に携わり聖職に興味があるが社会では犯罪者はそれにつくことはできないことがわかり意気消沈する日々。仮出所しひょんな事から片田舎の牧師をまかされる。騙し騙しであるが住人の様々な悩みを解決して、村の分断の象徴である村民同士の事故も荒療治であるが解決して信任を得ていくのだがお決まりのごとく彼が偽物の牧師であることがバレる。
偽物はどこまでも偽物なのだが、その偽物に住人は徐々に救われていた。
本当の神じゃなくても人の心は救われるものでキリスト、マホメッド、ダビデがあまり好きではない小生にとっては気持ちがいい映画です。
本物の牧師が彼を見つけて見逃してくれるのかと期待しましたが、さにあらず彼は少年院へ逆戻り。ここがチョット中途半端か?それとラストシーン少年院での決闘シーン勝って血だらけになってその場を立ち去るがアレの意味がよくわからなかったか?
良い映画ですが、消化不良です。
素晴らしいシーンが多く、とても楽しめました。登場人物達も魅力的で素晴らしかったです。その魅力的な登場人物達を演じる役者の皆さんもまた素晴らしかったです。
それだけにラストシーンは少し残念に感じました。もう少し答えと説明があれば、ググッと刺さると思うのですが…(しかしそうしたらしたで押し付けがましいとかいうかもしれませんね、観客とは贅沢なものなので)。ポーランドのユースカルチャーの面でもとても楽しめました。ヤンキーの直視に耐えないみっともなさと哀れさ、社会についていけない前科者の苦悩を感じます。そういった人たちを救うのが宗教、特にキリスト教だと思っていますが、(マルコ福音書 2:17 イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。 )残念ながら現代カトリックの組織としての方針は異なっているようです。本当に前科者が聖職者になれないというのはおかしな話ですね…
僕には説明の足りない映画でした
この作品をどう評価したら良いのか、正直よく分かりません。
ポーランドという国や社会のことも分からないですし、キリスト教のこともよく知りません。キリスト教の司祭になるということがどういうことなのかピンとこないです。
日本人で無宗教の僕からしたら、司祭になりたいと思う若者がいるものか、と思ってしまうんですよね。なので何で司祭になりたいと思うようになったのか、そこを描いてくれないと何も言えません。説明不足と評価せざるを得ないです。
この映画を観て、前科があっても司祭になれるようにすべきだとか、人は見た目や過去のおこないで判断してはならないといった感想を持つ人は多いと思います。でも僕はその感想には何となく乗れません。何だかふに落ちないんですよね。色々欠落している気がします。
例えばポーランドの片田舎の住民たちの信仰心とか規律の重さとかって無視してはいけないと思うんです。もしかするとこれまでの経歴を隠して司祭になりすますことって、信者にとっては殺人より罪深いことかもしれないじゃないですか。
それにダニエルが司祭になりたいと思った動機って実は不純かもしれないんですよね。尊敬されたいとか、人の上に立ちたいとか、お金を稼ぎたいとか。で、ダニエルって『自分なんかが司祭をやっても良いのか』っていう葛藤がないんですよ。そんなことに悩んでる司祭なんてほとんどいないよと反論されるかもしれませんが、ダニエルにはその葛藤があって然るべきなんですよね。だって普通の司祭なら当然持っているはずの資格を彼は持ってないんだもの。ダニエルが敬虔なキリスト教徒で、純粋で、正義に篤い人間ならば、そうであればあるほど、なければならない葛藤だと思います。
そういった葛藤と闘った上でなお「それでもダニエルのような人間に聖職者になる道を作るべきだ」ならまだ評価ができるのですが、残念ながらその葛藤は描かれていません。
やっぱり説明不足というか、必要な情報が提示されていない。説明不足に思えて仕方ないです。
とはいえポーランドやキリスト教圏の人にはそんな説明要らないんだろうなとも思えます。日本人の僕には刺さりませんでした。
この題名は誰のこと?人間?
とっても見たかった作品。楽しみにしていた甲斐がありました。
製作した国が近いからでしょうか?最近観た「異端の鳥」と似たような雰囲気があるんです。
テーマも、似たような「人間って・・・」って感じですし。
「異端の鳥」のようなモノクロ映像ではないですが、どんよりした薄暗い空の下でカラー作品を観ているかのような、まぁ、色が色をなしてない感じの映像が似ているなぁって感じました。
その雰囲気は人間っていう得体の知れない生き物の内面そのものなのかも知れません。
ちなみに、暴力描写ハンパないです。オープニングの工場のいじめシーン、めちゃくちゃ痛そうです。(よくもまぁこんな痛ぶり方を思いつくもんだと)苦手な方はご注意を。
本作は神父の仕事に憧れた罪を犯した男の出所後を描いてるものですが、
「犯罪者が聖職者の真似事をした」という単純な話ではないと思います。
事実、神父になりすまし村の信用を得た男はいたみたいですが(それが基になってるんですね)それを描くことでその裏にあるテーマを掘り下げているのではないでしょうか?
善悪とは何で決まるのか?決められるのか?
目に見えることが真実なのか?もしかしてそれに惑わされていないか?
多数派が生み出す静かなる暴力。
加害と被害は表裏一体。
結局人間は許せる(赦せる)のか?
などなどの人間という複雑怪奇な生き物をニセ神父のエピソードで浮き彫りにしていきます。
そもそも、人を欺いていながらも、小教区の村の司祭となる主人公ダニエルの存在自体が矛盾でありかつ、複雑な人間そのものです。また彼を取り巻く村自体が人間社会そのものとして描かれている点が非常に興味深いです。
ただの「ニセ神父によるエピソード」に終わらせることなく、村の中にあるタブーを通して人間の闇(前述のテーマですね)を描いていきます。その物語の作り方は見事でした。
また、ダニエルの心情の変化も丁寧に描かれていると思います。逃げるための手立てではなく、自身が神父としての存在意義を見出す瞬間があります。そこが見事です、セリフも含め。あぁ、彼は何かを見つけたなって思わせます。
犯罪者であり、刑期の中で触れた(であろう)キリスト教に魅せられたダニエルの言葉は、現実的でありかつ純粋なのでしょう。キリストの教えは泥水をすするように酷い刑務所生活の中での一筋の光だったのかも?生きた言葉ゆえにシンプルで本質をついています。彼の言葉は村人に届き、そして救いをもたらしたのかも知れません。
なんとなくですが、村全体に明かりが灯るかのようにクライマックスの映像は明るく、未来を予見できるような感じでした。(あくまで村のですが)
さて、そんなダニエルはどう裁かれるのか?どのような未来を迎えるのか?
ラストは、ラストに至るプロセスは・・・これまた本作のテーマに沿ったもので、かつ(考えすぎでしょうが)キリスト教の教えそのものと人間社会の現実って違うんだって痛烈に訴えている気がしました。戦争がなくならないのはなぜ?戦いがなくならないのはなぜ?教えはいったい何を教えてくれるんだ?現実ってこうですよ!って。
ひっくるめて現実の人間社会なんですよね。悲しいけど。
なお原題は「Boże Ciało」直訳で「神の体」日本語では「聖体」だそうです。
またネットで調べただけですが、原題は「聖体の祝日もしくは聖体節と呼ばれるカトリックの祝日」とも言われてます。この日は各地でprocesja(プロツェシア)とよばれる行列があるそうです。
村でのエピソードのクライマックスのシーンはこれを想像させます。
だからこの題名なのかなぁ?
キリスト教に詳しければさらに興味深い作品かもしれません。
ポーランド映画、初めてみましたが素晴らしかったです。
難を言えば、ダニエルがキリスト教に魅せられていく過程を詳しく知りたかったなぁ。
沈黙は祈りか犯罪か。
冒頭で司祭になりすました主人公が、「沈黙も祈りである。」という。
この沈黙の意味が、これほど深く響くことになるなんてまず思わない。
彼の正体がいつバレてしまうかの危うさと裏腹に、着実に住民たちの
心を拓き繋げていくその行動を、善悪で片付けられないところで唸り、
悲しい事故の真相を、事故で亡くなった家族の醜態を、黙して語らぬ
こともまた祈りであることを、まさかの人物に教えられるという衝撃。
罪人は死ぬまで罪人なのか
ポーランドとフランスの合作、所謂少年刑務所な所で信仰に目覚め、出所してひょんな間違いから、村の神父に成り変わり、自身の視点で村人を救おうと罪人の事を隠し、神父を続けて充実をした毎日を送って、そこの村の事件を解決などしたり、人を救ったりしてるが、身分を知る少年が現れ、そこから…
とてもシリアスで切ない話です、私には信仰がないので共感は出来ないですが、頑なに悪者を決めつけ排除しようとする村人、そっちの方が罪人ではないか。
何重にも面白い
少年院出の男の子が神父になりすますというとんがった設定がなくても、自分の信じたいことだけを信じ、匿名で他人を批判する現代っぽさを危なげありすぎな不器用な手で解決しようとするストーリーだけでも十分面白かったと思う。そこにそのとんがったベースを描いても邪魔にならず、融合もちょうどいい具合で、うまい映画としか言いようがない。感動とか、現代社会をえぐる問題作とか、そんな評価どうでもいいと思う。この映画は面白い。
人は容易に変われない。
気が付けば、映画に引き込まれていました。
主人公が嘘をついてでも司祭になりたかったのは、過去をなかったことにして、新しい自分に生まれ変わりたかったのかなと思いました。
司祭になった主人公は、人の痛みに寄り添い、権力に屈しない。
自分の言葉でキリスト教の本質を伝えようとする。
半面、酒に溺れ、セックスをする。
人間は、理性ではなく、本能と感情で生きているから。
追い詰められた主人公は、変わろうとしていた全てを置いて、元の衝動的で暴力的な状態になります。
人はなかなか変われない。
でも、変わろうと努力することは大切なのかもしれないと思いました。
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