映画 太陽の子のレビュー・感想・評価
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科学は人類を超えるのか?
「科学は人類を超える」
主人公と会話する話者、おそらくアインシュタインが、主人公に語った言葉。
科学のどこまでも透徹な論理と、人間の情緒や倫理観は、時に相容れない事もあるのか。
主人公の母親が「あなたは恐ろしいことを言う。科学者とはそんなに偉いのか」という問いは、間違ってはいないのだろうが(科学者にとっては)おそらく正しくもないのだろう。(だろうか?ちょっと僕には理解できないが…)
インターネットを持ち出すまでもなく、軍用の技術が民間に転用され、世の中の発達・発展に寄与してきた事例はたくさんある。
現代ではAIなどもそれにあたるだろう。世の中をより便利にすることが期待される一方で、人間の関与なしに敵を殺傷する兵器、自律型致死兵器システム(LAWS)という禍々しい技術も開発されている。この両方は、科学的には同じ論理・考え方が基になっている筈だ。科学者の苦悩はきっと現代も続いているのだろうなぁ…。
比叡山の上で、母親から渡された大きなおにぎり(それは弟が再出征する時に彼女が渡した大きなおにぎりと同じもの)を頬張る主人公が、噛み締めるほどに涙を流すシーンは、科学者である自分と息子である自分との葛藤だったのだろうか…。
若い登場人物3人が、未来に想いを馳せて語り合うシーンは、切ないけど美しかった。
全く勝てる可能性がない戦争に突入してしまった日本。一義的には為政者・軍人・官僚の責任なのだろうが、当時の世の中には一部戦争を待ち望む雰囲気もあったと聞く。この国は付和雷同、というか、大勢の意見・主張に流されやすい。一見正論に思えて否定しづらいことには、皆一様に従ってしまったり、従わない者を糾弾したりする。最近で言えば自粛警察だったり、当時だったら「欲しがりません、勝つまでは」みたいな、現代から見ればおぞましくも滑稽なスローガンだったり…。
未来を正当に夢見る自由を奪われてしまった人たち。本当に切なく、悲しいことです。
300万人余を死に追いやった為政者・官僚のような人間が、再び現れることがないよう祈るばかりだ。それに付和雷同する市井の人々も…。
そして僕達は「自由であること」の素晴らしい価値を守り続けなければならないと強く思った。
あ、あと言わなくても良い事を言ってしまいます。エンドロールのBGMは、ホントなくて良かった^^;
タイトルなし(ネタバレ)
春馬さん演じる弟 裕之の優しくて、強くて、でも、その強さがまた悲しくて、春馬さんに重ねてしまう部分がたびたびありました。
科学者と戦地に赴く弟。
どちらも真っすぐな眼差しですが、対照的な二人です。
セリフだけでなく、表情、声色、動き、風景、音、全てから語り掛けてくる丁寧なお芝居、演出。
キャスト、製作陣のエネルギーが集約した作品です。
映画もノベライズも違った内容があり、どちらも見る側の想像力をかきたてる作品だと思います。
ぜひ劇場で作品をご覧になってみてください。
もっともっと観たかった
春馬さんはもちろんですが、柳楽優弥さん、そして、有村架純さんがすごくよかった!!
おそらく、カットされた三人のシーンがたくさんあったのかなと。
追加の映画グッズに使われていた裕之がセツを抱きしめているシーンなどは出てこなかったし、三人の恋愛模様も観たかったな。
けど、修の研究者としての猟奇的になる感じとか、そういうところがメインだったと思うので、こうなったのかな。
最後の最後に三人で海にいる、素っ裸で海ではしゃぐシーン、すごくじんときました。
春馬さんの映画、新しいものはもうないんだなと思ったら余計に泣けてきて、頭がガンガンするくらい号泣してしまいました。
泣かずにいられない
昨年のNHK放送も見て泣いたが、今回も泣いてしまった。三浦春馬が演じる裕之の耳を触る、母(田中裕子)の優しく切ない手。ここは私の決壊ポイントだった。あと、登場の時の笑顔の「ただいま」。ううっ。
ドラマ放送時とそれほど大きく変わらないが、追加した部分もわかりやすく、丁寧な作り。玉音放送を無音で表現するとは。柳楽優弥の表情だけで想像させるのは上手かった。
世津(有村架純)のポジティブさ、包容力、明るさが救い。この人はどんな局面でも、ブレないんだろうな。太陽のようだと思った。
せっかく静かに余韻を持たせて終わったのに、どうしてそのまま終わらせられないのだろう。そんなにエンディングテーマ曲って必要? アミューズのゴリ押し? 普通に聴けばいい曲とは思うけど、ちょっとわざとらしい。
原爆開発に携わる学生なんだけど
戦争末期の原子力開発に苦闘する若者たちを主軸にしたかったのか?それとも実験好きな若者とその家族を主軸としたかったのかどっちなんだろう。
また所々で悲壮感を感じるんだけど、何かその悲壮感や苦闘する部分より、おにぎりが凄く気になりました。
末期も末期なのに、あんなに大きい白米のおにぎりを渡せたり、ちらし寿司を振る舞うってことからひもじさを感じない戦争末期の表現ってありなのかなって思ってしまいました。本筋からはズレてると思いますが。
最後に戦争や原爆の悲惨さは分かるんだけど、この題材を使って製作者は何を語りたかったのかが最後まで分からなかったです。
名演に感動、悲しいけれどありがとう
葛藤を抱えて戦地へ戻り、その後二度と戻らない姿が春馬くん自身と重なり辛かったのですが、覚悟を決めて観に行きました。
被爆国である日本が、実は太平洋戦争末期に原子核爆弾の開発を試みていたという知られざる事実を背景に、その開発に没頭しつつも、次第に自分が生み出そうとしている物の恐ろしさに気づいていく修をはじめ、戦時中における3人の若者の信念、葛藤、家族や愛する人を思う気持ちがとても丁寧に、綺麗に、繊細に描かれていました。
肺の療養のため一時帰休した裕之が笑顔を見せつつも、戦地の話しを一切しない様子を案じる母。
防空壕に避難した際に、鋭い目つきで空襲の様子を見る裕之。その様子から戦地での壮絶な経験を察する世津。
戦地へ戻りたくない、けれども自分だけ逃げるわけにはいかないという葛藤から海に身を捧げようとする裕之。それを必死に止める修とふたりを抱きしめる世津。
生々しい戦場シーンはなくとも、戦争がもたらす惨さがしっかりと描かれていたように感じました。
裕之が戦地へ旅立つ前日、縁側で戦後(未来)を見据える世津に諭され、2人が圧倒された様子で同時に「はい!」と言ってしまうシーンは微笑ましかったな。
かつて戦争によって多くの人が命を落とし、家族や愛する人を亡くした事実があったことを、戦争を経験した人が少なくなり、テレビ番組で戦争を取り上げることが減り、SNSやYouTubeなど見たいメディアを自分で選べるようになった昨今において風化していくことがないよう、ぜひ多くの人に観てもらいたいと感じた映画でした。
この映画が8月6日に公開された意義は大きいと思います。
原爆を描いた映画作品に今年の夏、また秀作が加わりました。
戦争が始まってしまうと、勝つためには手段を選ばない加害者になる可能性の恐ろしさ。
実験に明け暮れる修の日常を通して当時の空気も描いていますが、真面目に時には狂気に取り憑かれながら、ひたすら研究を自分のために追求する修の姿。
また、発展に伴い、科学のための科学になりかねないような手段が目的と化してしまうゆえに制御出来なくなり、人類の幸せの発展のためではなく、別の論理で暴走する危険は他の分野にもありますね。報道カメラマンが人命救助よりも撮影を優先したりするなど。
でも、科学の場合のもたらす壊滅的影響や破壊の激しさは、別の分野と比べて測りしれない。
政治やあらゆる勢力に利用しようと狙われる。
爆発的に拡大していくのは、核反応のみならず、人間の欲望もなのか。
戦争を早く終わらすための圧倒的な武器、という言い訳も人間の陥りやすい詭弁、言い訳だと恐ろしくなりました。
淡々と描かれるこの年のあの夏。
俳優の演技はとても素晴らしいですね。
いつも演じる役柄とは異なり、科学にのめり込む科学オタクを演じる柳楽優弥さんは、まさに不器用で真面目ゆえに偏った、狂気もはらんだ修にしか見えない。
比叡山でおにぎりを食べるシーンは徐々に音が消えて、目の離せないハイライトシーン。
自分の心に入って行っているのか。
迎えに来る世津は修の心の中の風景であり、修の良心の体現なのだろうか。
手段が目的となってしまう魔境から救い出したのは、女性が失わなかった生活に根付いた健全な毎日を生きる意思。
妹の力という言葉を思い出しました。
その世津を演じる有村架純も、芯のある流されない、前向きで明るく生きる女性を演じています。
有村架純以外には考えつかないほどに世津にぴったりですね。
苦労を身につける事なく、明日への原動力に変える愛さずにはいられない世津の存在がこの映画の救いとなっています。
三浦春馬の裕之の印象もひときわ鮮やかで、その爽やかな笑顔が戦争の酷さを対比させて、強めています。
登場シーンからの風の流れるような清々しさ。
海辺で修の話を聞いた時、焚き火を見つめている時、出征の朝に母親を見つめるその時々の表情の深さに引き込まれ、胸を突かれます。
また、いろいろな笑顔。
感情を隠した笑顔も切ないです。
笑顔の下の激しい葛藤。
もうじき戦争が終わるのに特攻隊に何故、志願を?
そこから、いろんな事を考えさせられました。
建前でガチガチになり追い詰められていく国民。(あえて国民を使います)
建物を取り壊された時、学徒出陣の時、万歳と言わざるを得なかった当時の空気。
犬死と認めるよりも、まだ名誉の戦死として、故人の人生に意義を添えたい人間的な優しい、ある意味では弱い気持ちが、いつの間にか利用され、幼い少女に「子どもをたくさん産んで捧げます。」と言わせてしまう洗脳の恐ろしさ。
戦争の理不尽さを改めて呼び起こす裕之の姿です。
助けられた裕之と、その裕之を修と一緒に抱きしめる世津が浜辺で心情を吐露する場面が、淡々としたこの映画の中で唯一、真情が語られる場面です。
裕之はお国のためという建前以外にも、亡くなっていった仲間への罪悪感に苛まされてもいました。
永遠の0で三浦春馬の演じた青年の祖父である岡田准一の演じた零戦パイロットの気持ちに通じます。
その罪悪感の気持ちに絡め取られずに、生きる方向、未来を亡くなった方の分まで生きよう、そう思わなくさせられる戦時下の異常さ。
三浦春馬の姿から、世津が裕之の手を取ったり、母が裕之の耳を触ったりのアドリブによる名場面が生まれたそうです。
思わず、演技中だという事をを忘れさせて、役柄の本人その人にさせてしまったのでしょうか。
三浦春馬がいかに他の俳優の心情を揺り動かす名優だったのかが分かりますね。
田中裕子も存在感がありました。
比叡山に登るという修に語りかけるシーンは圧倒的。
暗い画面で語る姿には凄みを感じました。
個性的な研究室の皆さんも素晴らしい。
日本も原爆を開発していたからといっても、現実問題として出来上がった原爆を躊躇せずに当時の日本が投下していたかは分からないし、原爆を投下した米国の責任が軽くなる訳でもありません。
米国からのエクスキューズ的にこの映画を捉えると、この映画の価値を損ないます。
日本は被爆国である。
その事実は変わらない。
人間の心こそが原爆を産んだ、誰でも加害者になりうる。
でも、歴史は変わらない。
唯一の被爆国は日本だけ。
声をひそめる理由にはならない。
最後の海辺で3人がはしゃぐシーンは、その前のアインシュタインと思われる科学側からの「科学の進化は誰にも止められない、破壊は美しい。」との言葉に対して、人間からの人生の素晴らしさ・美しさを描き、人間は科学などの概念に乗っ取られるだけの存在ではない、人間が第一、人生こそが美しいのだとのメッセージだと受け取りました。
無邪気にたわむれる3人の明るい海辺の美しさは、忘れられない。
当然、あったはずの凡庸な日々の楽しさ。
未来の普通の日々の1ページ。
ぜひとも、観て頂きたい一押しの映画です。
原爆の研究開発に負けて良かった
出兵中に療養で一時帰国した三浦春馬が一度だけ泣きながら本音を吐露する場面があります。
「怖い。でも俺だけ死なんわけにはいかん。」
自分の感情を圧し殺し自ら死を選択した若者が
どれだけいたのでしょう?
柳楽優弥、有村架純、三浦春馬、田中裕子。
素晴らしい役者による怒りと悲しみが
戦争の愚かさを改めて考える時間をくれました。
特に田中裕子さんが静かに演じる
怒りや悲しみには胸が締め付けられました。
そして息子に持たせるおむすびの大きさは
母から子への愛情の大きさ…。
果たして科学の発展は世界を幸せにしたのか?
それとも不幸にしたのか?
現実問題、成功とは程遠い状況だったと解っていても日本が原爆の研究開発に負けて良かったと思います。日本人として広島出身として。それが今の日本の平和に繋がっていると感じるからです。
アメリカには敗戦国として年次改革要望書などでいいように利用されている面もありますが…。
個人的には人の命を奪わなければ手に入らない未来なんて必要ありません。
人が産むは神か死神か
BSの4K、8Kチャンネルのドラマで製作された
同名ドラマの映画化作品
それは未見でしたが興味あったので観賞
現在大河ドラマ「晴天を衝け」の監督を務める
黒崎博氏が広島で見つけた戦時中に原子力開発を
行っていた人々の日記を元にしているとのこと
劇場版としての公開の経緯は昨年上映された
黒沢清監督「スパイの妻」に似てるなと思いました
アメリカが日本に投下した2発の原子爆弾ですが
当時原子力開発自体はドイツやソ連
日本も行っていたのですが戦況の悪化から
開発環境に恵まれず開発競争と言う観点からは
見るも無残な状況と言わざるを得なかったようです
周囲の学生は出征してどんどん散っていく中
自分達はかないっこない原子力開発を続けていて
いいのかという葛藤が駆け巡りますが
主人公の石村修(しゅう)は感情を表に出さず
淡々と実験に打ち込む姿には感情移入しづらい
人も多かったと思いますが
自分は「風立ちぬ」の堀越二郎の描写に
似ている印象を受けました
ただ美しさに魅せられその先に人類を豊かにする
未来を信じつつ目の前の悲惨な状況に
目を背けているわけではないが
感情を出さずにいる有様は似ている気がしました
これは昨今もある事ですが
感情に任せて発言や行動を起こす人々がテレビで
喋っている場面をよく見ることがありますが
それは本当に世の中を動かしてきたのか?
と言えば違います
理論と理屈と解析と検証があって
やっと文明は先に進むものと思います
コロナも核兵器も感情任せの暴論ばかりで
議論がまともに行われない現状ではいたずらに
問題解決は先送りになっていくのでしょう
そんなきっかけをくれるテーマには
なっていると思います
俳優たちの演技は確かなものでした
改めて三浦春馬
惜しい俳優を亡くしたものです
たとえ歌が酷くてもエンドロールが終わるまで席は動かん。それがNHKに受信料を払ってる者の責任や。
田中裕子、イッセー尾形、國村隼のベテラン陣、そして主役の三人をはじめとする若い俳優たち、みんな素晴らしかったです。
日本の俳優さんたち素晴らしい人が多いのに、役や作品に恵まれてない。今作のような作品をもっと作ってほしい。
ウランは軍で調達できなかったんでしょうか。広島の描写など大事な部分がしっかり描かれていないようですが、多くの人に観てほしい作品だと思います。
NHKは音楽とCGがうるさいと以前から感じていましたが、今作でも邪魔していると思いました。
有村架純の演じた未来を見据えた芯のある女性の役名が朝倉せつだったのは、二人のイーダの挿絵も描かれた朝倉摂さんから取ったんですね。
予告編ではあまり苦にならなかったですが、エンドロールで流れた主題歌は残念。
また旅立ってしまった。。
戦時中に、原子核爆弾を開発して戦争を終わらせようと研究を重ねた科学者と、その弟や家族の物語でした。
ブレイブでも三浦春馬さんは徳川家康として亡くなる役でしたが、今回も戦地へ赴いて亡くなる、という切ない映画でした。。
また敗戦と分かっていてもなお戦地に行こうとする学生や、少女達の将来の夢が早くお嫁に行ってたくさん子どもを産んでお国に捧げるとか。。そして空襲対策のために火災予防と称して市民の家を皆で平気で壊して「火災予防、ばんざーい!!」とか、国に戦争の洗脳をされたような異様な光景でした。。特攻隊とかもそうなんですが、嫌でも怖くても国に従う、家屋や命まで捧げる、という社会通念には2度となってはいけない、と痛感しました。当時は正しいとされたのでしょうけど、その洗脳が怖かったです。
三浦春馬さんは兄役の柳楽優弥さんと海で楽しく泳ぐシーンが逆に切なかったです。
柳楽優弥さんは先日公開されていたHOKUSAIでは絵で世界を変えようとし、今回は物理学で世界を変えようとする役だったことが、感慨深かったです。
やはり描ききれないかな
8/6の広島原爆投下の日の公開初日に観てきました。
どうしてもテレビも映画も俳優三浦春馬のことがクローズアップされがち。このことはどうしようも無く、私も彼のことは本当に残念だし、俳優としてこの後の活躍がもう見られないのはとてもとても悲しくて惜しいことと感じている。悲しい。
しかし、やはり柳楽優弥が主演でここを軸に観てもらいたい。ここでも演技は凄いなと思いますね、彼は本当に怖いくらいです。どの作品でも。
ストーリーですが、浅いかなと感じました。それにこれは観る方に預けられるような、考えること、想像することのきっかけを与えるものなので、これを見て色々感じたり理解したりは観る人によって本当に違うと思います。
一番悲しかったなぁという場面は、
一時帰宅するのは戦線に赴く前にありがちで、もう帰ってこないかもしれないとわかりつつも、何も言えない田中裕子演じる母。最後に三浦春馬演じる次男を抱きしめたい、抱きしめてしまうとグッと堪えている感情が破けかねない…そしてもう最後かもしれないから抱きしめた方がいいと言う私の心の叫びも届かず(テレビドラマ版でも同じ!)見送る。その場面はテレビでもすでに見ていても辛かった。
子供たちを束ねて工場(?)で働くセツは子供らの夢はたくさん子供を産んで御国に捧げることと知り、静かなる激昂。これは戦時下での教育という名の洗脳、実際そうだった訳でなんて恐ろしいんだろうと改めて感じるが、セツの夢の素晴らしさがとても美しく思う。そして、未来を見ている彼女の強さ。我々が今生きる平和な世の中まて繋がる細い線が見える感じがした。有村架純すごく良かった。
原子力研究、ここに描かれている状態が本当ならアメリカとは圧倒的に…言葉が悪いがちゃちい。日本の国レベルでこんな?
本当に研究者自らが一抱えのウランを街でかき集めてようやく実験してるレベル?嘘だろ…
軍に託された研究が本当にそんなやり方だったのか?
ストーリーが浅いと感じてしまったのは
広島原爆投下直後、それも長崎への投下より前に現地入りして帰ってきてるけどなんで?
ここのストーリーは映画の根幹なのに嘘っぽい。稚拙な感じがした。(もし実話なら本当にごめんなさい)
でも、柳楽優弥演じる研究者がウランを持ち帰った後に感情を爆発させて、自らの研究に疑いを持ち仲間と殴りあったり、広島の凄惨さを見せつけられてきてるのに、故郷京都にも原爆が落とされるならそれを見たいという狂ったようなことを考えたり。
そういう感情にもなり得るだろうが、私も田中裕子演じる母と同じ気持ち、見物するのか。と思いました。
研究者って変わってるとかいうけど狂ってると。広島を見た直後だろ、恐ろしいと。
冷静に考えて原子力研究を軍事利用することを嫌がってるのも本心でその力を見たいだけ、街や人が燃え苦しむことが見えなくなってるってわかるけど。
怖いです、柳楽優弥の演技がうますぎて、私はこんなに脳内で色々考えてしまったので根幹のストーリーの嘘臭さの減点を補って3.5。
書ききれなかったけど、研究室のメンバーそれぞれもすごく良かったです。三浦誠己や宇野祥平と言った映画で有名な方々が豪華に脇を固めてます。
春馬君の姿が現実に重なる
原爆開発が軸に物語が進むので、一見すると研究に打ち込む若者がテーマのように思える。
海軍/京大の原爆に関する「F研究」がモデルで、開発はアメリカの足元にも及ばなかった。
原爆の原料であるウランを抽出するため遠心分離法に挑むものの、結局は分離器の開発の半ばで敗戦を迎えた史実がベースゆえ、そこが物語の肝ではない。
戦争の犠牲になった「若者たちの青春」と、どんな悲惨な状況に置かれても「未来を夢見る」ことの大切さこそがテーマだったように思います。
主人公の研究者・修(柳楽優弥)の弟・裕之(三浦春馬)が、戦地に戻りたくなくて入水自殺しようとするシーンが、三浦君の自死により結果的に意味合いが重く、エグくなってしまったのが、映画の格を上げたと同時に、観ていてつらいものになってしまった。
それと、裏のテーマとして、「貧すれば鈍する」かな。
ウラン鉱石どころか石油も鉄も輸入を封じられて、電気供給すらままならなくなった中で、戦争も新しい技術の開発もない。
ウラン鉱石が手に入らなくて、国内で微量しか取れない硝酸ウラニル(陶磁器の釉薬)に含まれる、さらに微量のウランを抽出しようなんてこと自体が無茶だったわけで。
エネルギーや食糧を自力で調達できない国が、戦争なんかをやってはいけないと。
原爆忌~終戦記念日のある8月に観るには良い映画でした。
【”戦争なんて早う終わればいい、と幼馴染は言った。けれど、僕は大日本帝国のために原子核爆弾を作らなければいけない・・。”若く純粋な、京都帝国大学物理学研究者が苦悩する中で辿り着いた真実を描いた作品。】
ー 1944年9月 敗色濃厚な日本。
京都帝国大学物理学研究所で密かに軍の指示で原子核爆弾製造研究をしていた事は、知識としては知っていた。
だが、その研究に携わった若者達の想いにまでは、意識は及んでいなかった・・。ー
◆感想
1.最初に書くが、ストーリー展開はやや、粗い。
NHKで1年前の終戦の日にドラマとして放映していた時も感じていたが、登場人物のキャラクターの描き込みが弱いためだと思う。
2.只、この映画が見応えがあるのは、ひとえに
・純粋故に、狂気性を帯びた行動に駆られてしまう若き京大物理学研究者、修を演じた柳楽優弥さん
・修の弟で”兄の代わりに軍人になった”裕之を演じた故三浦春馬さん
(本当に残念だ・・。今作の演技されている姿を拝見して、再度思ってしまう。)
・彼らの幼馴染で、聡明な女性、世津を演じた有村架純さん
三人の若手演技派俳優の存在感及び
・将来を見据え、原子力の研究を推進する京大物理学研究所教授を演じた、國村隼人さん
・修と裕之の母を演じた哀しみと怒りを堪える演技が素晴しかった田中裕子さん
・修に釉薬として使っていた硝酸ウランを提供する陶芸家を演じたイッセー尾形さん
の、抑制した、そして凄みを帯びた演技を大スクリーンで観れる事である。
□今作の白眉のシーン(今作は、ストーリー展開は粗いが、良いシーンが沢山あるのである。)
1.裕之が一時的に実家に帰って来て、(特攻隊員・・)修を杯を交わすシーン。(決別の盃である。が、楽しそうに酒を酌み交わす姿。お互いの立場を分かった上で・・。)
2.修が独り、相国寺の法堂の天井に雄大に描かれた蟠龍図を寝転がりながら、眼を大きく開いて見ているシーン。
ー 彼は、あの雄大な蟠龍図を見て、何を思っていたのか・・。あの目は、科学者が研究を楽しんでいるように見えたが・・。ー
3.海辺で、修と裕之が”世津も大きくなったなあ・・”と話している時に、世津がやって来て、
”私は、戦争が終わったら教師になる。女の子供達に将来の夢を聞いたら、お国のために子供を沢山作るって言うんだ、オカシイ!”と言い放ち、
幼馴染の年上の修と裕之に夫々、”大切な指示”をするシーン。
ー 世津の、高所大所からの視点と、男達の眼前しか見えていない対比が上手く描かれている。だから、男は女性に頭が上がらないんだよなあ・・、とふと思う。ー
4.裕之達研究者たちの中での、諍い。原子爆弾が広島と長崎に投下された後、”未来を見据えた”物理学研究所教授が広島に向かい、何もなくなってしまった広島の街に呆然とする学生たちに指示し、人骨を採取しているシーン。
ー このシーンは、人によっては不快に思うかもしれないが、私は非常に重要なシーンだと思う。ー
5.裕之が特攻隊員として、”名誉の死”を遂げ、裕之の書いた手紙を読む修。
そして、京都に原子爆弾が落ちるという噂が流れた時に、裕之が母と世津に言った恐ろしい言葉。
その言葉に対して、母が怒りを懸命に堪えた表情で、氷の様な声で、修に行った言葉。
”科学者っていうのは、そんなに偉いモノなのかい・・。私は、京都を離れないよ・・。”
ー 比叡山に登った裕之が、母の手作りの大きなおむすびを食べている時に、憑き物が取れたように走り出す姿。山に登って来て、迎える世津。母は、女性は偉大である・・。ー
<海辺で、楽しそうに真っ裸で波と戯れる修と裕之。
笑いながらその姿を見ている世津。
当たり前だが、科学は戦争のために使うモノではない。
人類の明るい未来を切り開くために使うモノなのだ。
裕之が、それに気付いたと思われるラストシーンに、微かな希望を感じた映画であった。>
よかった
という評価は違うけど、たくさんの人に観ていただきたいな、と。
とはいえ、三浦春馬さんの遺作ということ、柳楽優弥さん好きなので観たというのも正直なところでもある。
柳楽優弥さんはやっぱりいいなぁ。ちょっとした目線とか、すごいと思う。
ただ、最後の方のおにぎりを食べるあたり、有村架純の声でも聞こえた?私が聞こえなかった?あそこがよくわからん。そこまですごく丁寧に描かれていると思っていたのだが。
特攻隊は辛い。平和祈念館に展示されている家族に宛てた手紙とかを思い出してしまう。
怖かっただろうな…。
息子を案じる母役の田中裕子さん、相変わらずの安定感。
三浦春馬さんは演じて何を思ったか、聞けないのが残念。
科学と戦争
通常スクリーンで鑑賞。
テレビドラマ版は視聴済み、ノベライズは未読。
太平洋戦争末期。実際に京都帝大で行われていた原子爆弾開発計画を題材に、戦争に翻弄された若者たちの葛藤と青春模様が淡々としたタッチで描かれていました。
昨年放送されたドラマ版は本作のダイジェストと言っても過言では無く、ドラマ版を観た時に「描写不足では?」と感じたところも本作では補完されており、観易くなっていました。
この戦争と原爆開発競争がもたらしたものとは…?
科学の進歩と戦争が密接な関係にあることは自明です。極端かもしれませんが、新技術もとい新兵器開発のために各国が競い合ったことで、発展して来た側面があります。
純粋な科学的好奇心と探求心に突き動かされ、新型爆弾開発に邁進する主人公でしたが、研究していく内に、この新兵器が及ぼす凄惨な結果への葛藤が膨らんでいきました。
主人公の葛藤を受けての、國村準演じる原子物理学教授の語ったことは、非常に本質を突いた言葉でした。科学の平和利用と兵器利用は紙一重であることを印象付けられました。
本来我々の暮らしを豊かにするために存在している科学が、文明への恩恵だけじゃなく、大いなる悲劇を起こして来たことを決して忘れてはならないと改めて思いました。
柳楽優弥、有村架純、三浦春馬の演技がとにかく胸を打つ。
特に三浦春馬を見る視線には、本作が彼の死後最後に公開される作品であると云う、どうしても感情的にならざるを得ないフィルターが掛かってしまいましたが、そのことを差し引いても、彼のキャリアにおいて最上級の演技だと思いましたし、海辺で内心を吐露するシーンで涙がこぼれました。
さらに、3人が縁側で未来について話すシーンが本作の白眉だな、と…。いったい何を語り合ったのでしょうか? それはたくさんの夢が詰まったものだったはず。ですが、そんな未来への希望を無惨にも打ち砕いてしまうものが戦争。その悲惨さを引き立たせる場面だなと思いました。
私たちの生きる今は、彼らが描いていた未来になっているのだろうか。そんなことをふと考えさせられました。
[以降の鑑賞記録]
2022/07/25:ひかりTVビデオ
※修正(2024/04/19)
京大卒監督制作のアメリカとの対話
ドラマ版と映画版では明確に主軸にするストーリーが変わります
ドラマ版は修よりも裕之という戦時下を生きた青年にスポットが当たります。
三浦春馬ファンはドラマ版を見るべきであり、映画版ももちろん見るべきです。
以下、戦争や歴史に無知な一般人の感想です。
日米合作ということでアメリカでの上映も視野に入れているため試行錯誤しているのが視覚やセリフにも見え隠れします。
物語も序盤にかかってくると説明的な場面が増えてきます。
日本特有のセリフを言わず想像力で伝えるということはせず、
アメリカ人が字幕で見てもわかるように説明台詞が出てきます。
気になったのは歴史的事実をラジオで知る方法が日本国軍のラジオではなくアメリカ軍のラジオです。
アメリカ人は役者として出てこないが対話相手はアメリカなのです。
ここに映画の目的というものが見え隠れします。
日本軍の当時の偏った思想を無視し、アメリカ側の主張を科学者達は優先していたというのでしょうか。
また修がアインシュタインと会話するのも英語です。
もともと日本語だったのが柳楽優弥さんの提案で英語になったそうですが
前半のラジオの部分とこのシーンも英語になったため、日本制作映画をアメリカ人に伝えるという気持ちが強いことを感じさせました。
科学者が部隊として戦争に参加せず表向き技術開発の戦争として参加する事は当時の学生が葛藤する事が想像できますがそれも説明があります。
ただその割にマンハッタン計画の事が抜けていたりと映画を見ただけでは分からない部分の説明が抜けているのは監督が頭が良すぎるゆえでしょうか。
アメリカ人にとってマンハッタン計画は称賛されているのかも知れませんが日本人で知っている若者はいるのでしょうか。
これは当時エリート科学者達の物語でありそして現代の科学者達への映画です。
その為日本軍である裕之の衣装が時代考証と合わなかったりとドラマ版放映時に批判がありました。
この映画は日本人からの批判も受ける事でしょう。
戦後76年少し偏りのあるこの映画はどれくらい受け入れらるでしょうか。
何度も見る予定なので意見が変わったらまた追記します。
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