映画 太陽の子のレビュー・感想・評価
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科学と戦争
通常スクリーンで鑑賞。
テレビドラマ版は視聴済み、ノベライズは未読。
太平洋戦争末期。実際に京都帝大で行われていた原子爆弾開発計画を題材に、戦争に翻弄された若者たちの葛藤と青春模様が淡々としたタッチで描かれていました。
昨年放送されたドラマ版は本作のダイジェストと言っても過言では無く、ドラマ版を観た時に「描写不足では?」と感じたところも本作では補完されており、観易くなっていました。
この戦争と原爆開発競争がもたらしたものとは…?
科学の進歩と戦争が密接な関係にあることは自明です。極端かもしれませんが、新技術もとい新兵器開発のために各国が競い合ったことで、発展して来た側面があります。
純粋な科学的好奇心と探求心に突き動かされ、新型爆弾開発に邁進する主人公でしたが、研究していく内に、この新兵器が及ぼす凄惨な結果への葛藤が膨らんでいきました。
主人公の葛藤を受けての、國村準演じる原子物理学教授の語ったことは、非常に本質を突いた言葉でした。科学の平和利用と兵器利用は紙一重であることを印象付けられました。
本来我々の暮らしを豊かにするために存在している科学が、文明への恩恵だけじゃなく、大いなる悲劇を起こして来たことを決して忘れてはならないと改めて思いました。
柳楽優弥、有村架純、三浦春馬の演技がとにかく胸を打つ。
特に三浦春馬を見る視線には、本作が彼の死後最後に公開される作品であると云う、どうしても感情的にならざるを得ないフィルターが掛かってしまいましたが、そのことを差し引いても、彼のキャリアにおいて最上級の演技だと思いましたし、海辺で内心を吐露するシーンで涙がこぼれました。
さらに、3人が縁側で未来について話すシーンが本作の白眉だな、と…。いったい何を語り合ったのでしょうか? それはたくさんの夢が詰まったものだったはず。ですが、そんな未来への希望を無惨にも打ち砕いてしまうものが戦争。その悲惨さを引き立たせる場面だなと思いました。
私たちの生きる今は、彼らが描いていた未来になっているのだろうか。そんなことをふと考えさせられました。
[以降の鑑賞記録]
2022/07/25:ひかりTVビデオ
※修正(2024/04/19)
考えさせられる映画です。
これは、かなりの部分フィクションでは…?
インタネット情報レベルではあるが、この映画は、黒崎監督が「広島県史」という資料の中に、原子核研究を行っている研究者の日誌を見つけたことがネタになっているらしい。
「F研究」というものが、京大で行われており、それが原子核の研究であったようだ。
私には、その史実はまったくわからないが、現実的には、8月6日に広島に原爆が落とされ、その3日後の8月9日に長崎に原爆が落とされ、8月15日には日本が敗戦し終戦している。
主人公の修は、アメリカの原爆投下後、広島に入り放射能の影響を調べ、その後、京都に原爆が落とされるといって、比叡山に登ってカメラを構え、思い出したように走り出し、山の中で有村架純演じる世津と抱き合い、その後、また広島に向かい焼け野原の中にいたと思う。
このあたりは、どうなっているのか、わかる人は教えてほしい。どういう時系列なんだろう?
しかし、極めつけは、廣島の焼け野原になった街ですね。廣島の地形は三角州という川が流れ込んで出来た地形なので、川がある訳です。原爆ドームの横も川が流れていますが、そんな光景は一切ありません。
廣島に着いたとき、電車の扉を開けると焼け野原でしたが、あれはどこなんでしょう?原爆投下直後に爆心地まで電車で行けたんでしょうか?
原爆で焼け出された人もいるわけですが、街の中に人っ子ひとりいませんでしたね。
これ、元はNHKのドラマですか?
こういう映画は、ウケ狙いや意図的な作り方をしないで、史実に忠実な内容で制作してほしいですね。
これだと、アメリカは原爆をつくり、日本に投下したが、日本も原爆を研究し、アメリカに投下しようとしていた。だから、日本が一方的な被害者ではないのだ。日本も原爆をつくり、サンフランシスコに投下しようとしていたのだ。…ということになります。
それが史実であり、真実?今頃、そんな真実は出てこないでしょう。そんな話は聞いたことがありません。
作り話はやめてほしいですね。左翼の自虐史観はもういりませんよ。
まあ、見る価値もない映画ですが、柳楽優弥くん、三浦春馬くん、有村架純さんの演技は素晴らしいので、星ひとつという評価になりました。
NHKがこれでは、テレビというメディアの終焉も、そう遠くはないかもしれませんね。
科学者
京大卒監督制作のアメリカとの対話
ドラマ版と映画版では明確に主軸にするストーリーが変わります
ドラマ版は修よりも裕之という戦時下を生きた青年にスポットが当たります。
三浦春馬ファンはドラマ版を見るべきであり、映画版ももちろん見るべきです。
以下、戦争や歴史に無知な一般人の感想です。
日米合作ということでアメリカでの上映も視野に入れているため試行錯誤しているのが視覚やセリフにも見え隠れします。
物語も序盤にかかってくると説明的な場面が増えてきます。
日本特有のセリフを言わず想像力で伝えるということはせず、
アメリカ人が字幕で見てもわかるように説明台詞が出てきます。
気になったのは歴史的事実をラジオで知る方法が日本国軍のラジオではなくアメリカ軍のラジオです。
アメリカ人は役者として出てこないが対話相手はアメリカなのです。
ここに映画の目的というものが見え隠れします。
日本軍の当時の偏った思想を無視し、アメリカ側の主張を科学者達は優先していたというのでしょうか。
また修がアインシュタインと会話するのも英語です。
もともと日本語だったのが柳楽優弥さんの提案で英語になったそうですが
前半のラジオの部分とこのシーンも英語になったため、日本制作映画をアメリカ人に伝えるという気持ちが強いことを感じさせました。
科学者が部隊として戦争に参加せず表向き技術開発の戦争として参加する事は当時の学生が葛藤する事が想像できますがそれも説明があります。
ただその割にマンハッタン計画の事が抜けていたりと映画を見ただけでは分からない部分の説明が抜けているのは監督が頭が良すぎるゆえでしょうか。
アメリカ人にとってマンハッタン計画は称賛されているのかも知れませんが日本人で知っている若者はいるのでしょうか。
これは当時エリート科学者達の物語でありそして現代の科学者達への映画です。
その為日本軍である裕之の衣装が時代考証と合わなかったりとドラマ版放映時に批判がありました。
この映画は日本人からの批判も受ける事でしょう。
戦後76年少し偏りのあるこの映画はどれくらい受け入れらるでしょうか。
何度も見る予定なので意見が変わったらまた追記します。
テレビ版の焼き直しだったんですね。
戦争をするということ、未来を創るということ
ドラマ版鑑賞済み。はしょっている印象を受けた部分がきっちりと補われ、戦争そのものの意義を今の我々に問う深い作品に。
ドラマ版とは基本的に構成は一緒だが、はしょられていた映像が挟まることでそう重みが格段に増している。そして、見ている側に投げたボールに重みを一層感じる。これは戦争の悲劇の話ではなく、戦争によって得たもの、失ったものを問う作品なのだと。
三浦春馬さんが亡くなってから最後の作品となる今作。彼が言うのか…という台詞や境遇がクロスロードし胸を締め付ける。この作品では常に「死」を輪郭として捉えていて、若者の葛藤と心境を刻々と描く。その中でも柳楽優弥さん演じる修の純粋さとそこに孕む危うさが映し出される。原子核爆発がひとつの革命であり、決定打となると信じてやまないのが、ますます辛い。また、有村架純さんの見据えた未来も叶うとも言い切れない無情さが染みる。
この作品の凄みは、加害者になり得る視点を取り込んだこと。日本の8月ジャーナリズムは被害者に寄り添うことがほとんどで、アジアに侵攻したことや捕虜を拷問していたことなどは触れない。メディアによる美化が進んでいる。その中で、兵に行く若者の背徳心や原爆が完成していたら…と考えさせられる場面も多い。それが実に多角的に捉えられるので、観た人と深く考えたくなる。平和に対しての在り方を問うように。
ラストに関しては何とも物足りないのだが、十分考えさせられるプレーンで奥深い戦争映画だった。日本は負ける、被害者だ…という視点を除いた、個々の生き方から戦争の意義を問う深い映画。ドラマを観ていなければ、もう少し点をつけていたかも。
エンドロール💢
運良く試写会に参加出来ました。
2020年にNHKで放送されたドラマ版は未見。
太平洋戦争で米国との原子爆弾開発競争に全てを捧げる修、前線へ召集される裕之、幼馴染の世津という3人の若者を中心に描かれる人間ドラマ。
勝ち負けなどより原爆開発成功しか頭に無い修。
生還の可能性が低いことが分かっている裕之。
戦争が終わった後の進路を語る世津。
戦争に対する姿勢が三者三様違うけれど「たくさん未来の話をしよう」と手を繋ぎ微笑む姿に涙。
主演の3名だけでなく、脇を固める田中裕子もイッセー尾形も國村隼も皆素晴らしい。
特に、柳楽優弥の素晴らしさが改めて理解できる。
ただ、余韻に浸れるはずだったエンドロールで流れる、人気歌手の歌は要らない…正に興醒め…
しかも、ご丁寧に歌詞まで映して…
静かで厳かなまま終わって欲しかった…涙
原爆開発競争
自分はイマイチでした
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