「母の全てが詰まったおにぎり」映画 太陽の子 豆ご飯さんの映画レビュー(感想・評価)
母の全てが詰まったおにぎり
ラストのおにぎりを頬張り下山するシーンは母の思いがちゃんと伝わったことを意味する感動の場面です。まず主人公の修が何度も母に対する思いを吐露しますが、母の気持ちとは裏腹に一貫して自分は愛されていないと思い込んでいます。母から弟の訃報を聞かされた際に母が口にした「なんであの子が死ななあかんの」を自分が死ぬべきだったと言われたかのように捉えていて、その直後に科学者として徹底して生きることを選び、街が爆撃に襲われる様を山から観測するという非人道的な提案をして教授を絶句させるほど思い詰めてます。
食事シーンが度々出てくるが戦時中でわずかな食料しかないため、長時間研究に没頭する学生達に振る舞われるのはお椀1杯だけの具材の少ない味噌汁や家の食事も質素な料理ばかり。そんな中印象深くお米を扱う場面が、弟が家に戻った時のちらし寿司と陶器屋の娘の仏壇に供えられた白飯と弟が出兵する際の母が握るおにぎり、そしてラストのおにぎりです。
修は母を置き去りに科学者として別れも告げず夜中一人で山へ向かう際、玄関にぽつんと置かれた覚えのないお弁当を持って出て行きます。夏の炎天下の中汗だくになりながら山頂に辿り着き疲労困憊で横になり、腹を空かせて弁当を持ってきたことをふと思い出す。弁当を開けおにぎりが入っていたことに少し戸惑いながら夢中で食べ進める。貴重なおにぎりを食べながらそこで初めて自分は母に愛されていることにようやく気がつく。
母が科学者の母として京都に留まることを選んだのは愛していない息子に対する戒めの業ではなく、科学の為に京都中の人を見殺しにする息子が自分の家族だけ生き残る引け目を軽くするため、自らの死をもって科学の進歩を少しでも正当化するために選んだ命をかけた最大限の母の愛の選択です。自分が山を離れれば母を救えると思い泣きながら夢中で母の元へと駆け出す。
下山した時に世津が迎えに来たのはおそらく終戦の知らせがあったのだと思います。その後の脳内のアインシュタインとの議論は、科学の進歩は際限なく強大で、科学を進歩させることが人間にとって本当に正しい行いなのかを問いていたので、修が科学の研究をやめることを示唆してるのかなと思う。エンドロール直前の海で弟と世津の3人で遊ぶシーンは、弟が無邪気に遊んでいることから出兵前の思い詰めた弟と世津の3人で海に行った実在する記憶のワンシーンではなく、終戦後の修が本当に実現したかった世界です。キャスト全員がとてつもない演技力でどこを切り取っても圧巻だが、山頂に辿り着いてからの柳楽優弥の演技が本当に素晴らしく心がうたれるのでどうかもう一度だけ注意深く見て欲しいです。
長々と書きましたが文章を書くのが下手っぴなので伝わったか分かりませんが、最後まで読んでくれてありがとう