「最後のシーンの謎 ~比叡山でのおにぎりシーン~」映画 太陽の子 parsifalさんの映画レビュー(感想・評価)
最後のシーンの謎 ~比叡山でのおにぎりシーン~
三浦春馬が出演していることで視聴。京都大学の原爆開発に携わった学生石村修(柳楽優弥)を中心に、特攻隊搭乗員の弟(三浦春馬)、幼馴染の節(有村架純)の3人がメインのストーリー展開。科学の進歩による戦争や破壊と人道主義のバランスの問題がテーマか。実話を基にした脚本なの
で、限界があるのだろうが全体的に中途半端な感じがした。伝えようとした物を伝えきれていないといったらよいのか。
三浦春馬は、予想通りの演技。特攻隊として出陣する前、届いた手紙は、まるで彼の遺書のように聞こえてしまった。柳楽優弥は、科学に純粋に没頭したいが故に、あまり人の感情がわからない人物像で描かれる。
あの時期、軍人を中心に、男子は如何に戦い死ぬかを考えていただろうが、そこで節が戦争が終わった後のことを考えていたシーンは、なかなか良かった。男子には、あまりない視点だったか。
科学の進歩を純粋に突き詰め、戦争がない未来を創るための原爆開発という教授の説明を信じ、修は開発にのめりこむのだが、広島の惨状を実際に目の当たりにして、次は地元の京都に落とされるかもしれないとの噂に、比叡山で様子を観察するために登ると言い出すあたりが白眉か。
それを聞いた母(田中裕子)は、科学者の親だから残ると言い出す。
母が握った大きなおむすびを頬張りながら、山の中で待つ修。突然、思い立って山を下りだし、節と抱き合う。かなりわかりにくいシーンだ。文脈から行くと、ここで待つということは、おにぎりを握ってくれた母や節を見殺しして、科学の進歩を選ぶということ。自然の中に抱かれて、素の自分に戻り、それで良いのかと涙を流したのではなかろうか。(と共に、節が呼ぶ声や戦争が終わったという声が聞こえたのかもしれない)節が探しに来たのは、終戦の玉音放送を聞いたからか。天気の良い日だったし。
科学が進歩するためには、人の命をも犠牲にする必要があるのか?身近な人が亡くなることにも臆せず、進まなければならないのか?
アインシュタインとの対話。彼は、そのような事態を予期していたのか。科学は人間をも超えていく。これは、私たちにも突き付けられたテーマなのだろう。