「原爆研究より実のところは、原子力研究」映画 太陽の子 akkie246さんの映画レビュー(感想・評価)
原爆研究より実のところは、原子力研究
ラストにNHKとでかでかとクレジットが入るので、NHK単体で製作が進められたように勘違いしてしまったが、ほかの企画と同じようにそんなことはないようだ。
ネットで調べると、映画化までの道のりは簡単ではなかったらしい。監督脚本の黒崎さんへのインタビュー記事を読むと、ハリウッドのプロデューサーのコウ・モリ氏との出会いが大きかったとか。
アメリカ側視点から見れば、戦争中、日本が原爆開発をしていた事実を映画化するのは、彼の国の我が国への原爆投下についての正当防衛をより強く立証することになる。
そして次に、残っている資料が少なかったこと。
荒勝研究室のことは、実際に京都帝国大学に存在していたことはわかっている。
しかし戦後間もなく、GHQにより資料や研究施設は徹底的に廃棄(没収か)、破壊されたらしい。
あと、本作品ではまったく触れられていないが、東京の理化学研究所(大河内正敏)でも陸軍主導によって同様の原子爆弾の研究が行われていたらしい。そしてこちらの方の研究も京都同様、物資不足と海外からの研究成果を知らないせいで、難航し、とても原爆を製造できる段階ではなかった。
結局のところ、日本は原爆を開発するには資源的にも時間的にも無理だったということだ。
戦後、76年でほぼすべての関係者は、亡くなっている。だからこそ可能になった本企画なのだと思う。
一方で、すべてが風化して忘れさられようとしているこの時に、昔のことに思いを馳せる意味はまだ十分ある。
自分たちが作ろうとしていた武器は、数発で一国を滅ぼすだけの膨大なエネルギーを秘めた怪物兵器。
どこまでそのことを認識して開発していたかはわからないが、少なくとも研究所長は、この爆弾はこの戦争には間に合わないということは熟知していたはずである。
そして、おそらく広島に原爆が落とされる前から、アメリカが原爆を開発していることは知っていたと思う。アインシュタインから教えを受けているなら当然だ。
田中裕子演じる母親が、自分はここに残ると言ったとき、お前は比叡山から私の死ぬのを見物しなさいとまでは言わなかったのは、息子の想像力を試していたのだと思う。このシーンは見返したい。
でかいおにぎりを比叡山山頂で食いながら、シュウはなにを考えたのか。
それは、76年後に、生きている我々が日々忘れてはいけないことだと思う。
田中裕子が出征してゆく三浦春馬の右耳に触れる時、戦時中の母親たちの無念がにじむ。
戦時中の昭和天皇を演じたこともあるイッセー尾形さんが陶器職人を演じる。