レディ・マクベスのレビュー・感想・評価
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19世紀の文芸ドラマを現代風に描いた感じは良かったが…
何つながりで本作をチョイスしたかは定かでないが、とにかく何の気なしに鑑賞してみた。
全体を通して19世紀の文芸ものにしてはかなりくだけた感じの仕上げ方は、重くなり過ぎることなく個人的には悪くないと思うが…それにしてもやっぱり濃いなぁ。人間の憎悪がやたらとつまりまくっている。
ただし、一定のカメラワークのみで撮っているせいか、ドロドロストーリーにもかかわらずわりにスッキリ表現できていて、良くも悪くも安定して観ていられる。
さて、彼女の生き様はどうだろう。大きく一線を越してしまっているだけに当然大批判は避けられないが、個人的には全否定できない面もあるかなとも思える面も。
本作はフローレンス・ピュ-のひょうひょうとしながらも熱のこもった鬼気迫る演技が最大の見どころだと思うが、それ以外はちょっとどうだろうか。
本作は映画作品として特に安っぽさは感じなかったが、室内シーンがメインゆえきれいな景色等がほとんどなかったので、評価は星ギリ3つというところかな。
堂々たるピューさん
今どハマりしているドラマ「SHOGUN」の按針役コスモさんが出演しているので鑑賞。ピューさんの凛とした演技が素晴らしい👍静かだから、床上の足音やドアの閉まる音が凄く響く。もうちょっと上手く欺けばと思いましたが、そこが17歳なんですよね。
フローレンス・ピューは良い
この人出てればハズレなし、今のところ。マーゴット・ロビーのようなTheハリウッド女優ではないけれど、確かにテディが言うようにかなりの美人ではある。現実的な美人ってのがこの映画には必要だったのでしょうね。ものすごい野心家で妖婦って感じでもない、ただその場の思慮のない判断で確実に間違った方を選ぶ感じの所在ない女性。これからも特に困ることもなく生きていくんだろうな。しかしテディが完全に黒人なのはどういう意味?ぜったい父親白人じゃないでしょ。彼女を困らせるための最後の夫からのいやがらせ?
まるで病気
あー嫌いこの女嫌い、そもそも何故この女と結婚しようと思うのかどことっても嫌な女だった。女中や下僕に対しての態度も悪くあなた何様。抑圧された状態で可哀想とかそんな話しじゃないでしょう。見ていて非常に腹が立った。この話としてはどういう意図だったのだろう。こんなに簡単に人の生命を奪う事を躊躇なく描く事に嫌悪感しか無かった。演技が上手いとかそういうのはもう分からん
怖面白かった
どんな時代で、どんな環境から結婚に至ったとか、旦那の職業は何だとか、モヤモヤしながら観てたけど、最終的にはあまり関係なかった。
アナとセバスチャンの関係とか、想像力の乏しい自分にはよくわからない場面が多々あったけど、こんな厚かましくて自分本位な人間は世の中にいるなと、過去の何かしらのニュースと重ね合わせながら観終えた。結構印象に残る映画。
映画だけど、悪人は悪人風の顔しててほしい。主人公か美人すぎで、逆に怖かった。
評価:3.7
演技は素晴らしい、ただ、ありふれた現実
フローレンスビューの演技は素晴らしい、いや、存在感は凄い、ただ、それだけでした。
こんな現実は、今も昔も、月並みに存在している、いや、こんなやつら、古今東西、そこらへんに、ウヨウヨいる、ワイドショーレベル。
最近のドラマ、遺留捜査や科捜研の女で、よくあるパターン、既視感半端ない。
昔の雰囲気で重厚感出してるけど、城と衣装だけだ、トホホ。
フローレンスビューだけの点数です、0点です、トホホ。
フローレンス・ピューが2016年に映画初主演した作品を#のむコレ ...
フローレンス・ピューが2016年に映画初主演した作品を#のむコレ で鑑賞
2015年位に撮影しているので、ピュー19歳頃だと思いますが映画初出演とは思えないほどの存在感でした。
残酷
150本目。
マクベスってストーリーを多分知らない、いや知らない。
最初は時代ならでは肩身の狭さだったりを同情的に観てたけど、途中から一変。
女の性かな、ちょっと大奥か?とも思ったけど、始まりはダンナのあれだよな、屈辱だよ。
BGMも最後の方だけで、ホント下手に音をたてられない空気になる。
現代の社会構造の縮図みたい
人間は生き延びようとする本能と破滅へ向かおうとする意志との狭い隘路に生きている。生き延びようとする執念は凄まじい。諦めずにあがき続けるその姿は勇ましくもあり、醜くもある。破滅へ向かう意志は脆くて儚い。現世との絆をひとつひとつ断ち切っていく姿は痛々しくもあり、愚かしくもある。
フローレンス・ピューは映画「わたしの若草物語」での四女役の演技が秀逸だったので、その3年前にどれほどの片鱗を見せていたのか楽しみにして鑑賞したが、本作品のキャサリン・レスターがエイミー・マーチとよく似ていることに驚いた。ふたりとも生き延びて自らの欲望の充足を図ろうとする若い女性なのだ。そのためには手段を選ばず、意に沿わないことも嫌な顔ひとつせずにこなしていく。こういう役があっているのだろうか、本作品でのキャサリン役も大変見事な演技だった。
こういう作品を観ると、人間の本質は原始時代から少しも変わっていないのではないかと思わされる。身勝手で暴力的で自分の欲望に忠実。ん? これはどこかの大国の大統領の特徴みたいだ。ブラック企業の創業社長の特徴でもある。そうか。原始人に牛耳られている国や企業があるということか。
文化が進むと、自分が傷つけられないために他人を傷つけないという暗黙のルールが出来てくる。共同体のルールも加わるから、他人を傷つけることの代償は更に大きくなる。想像力がある人は他人を傷つけなくなる。自分が傷つけられないためである。往々にして気が弱いと決めつけられるが、実は気が弱いのはそれだけ文化的である証左なのだ。逆に言えば、傷つけられることを恐れずに他人を傷つける人間は原始人的であると言える。本作品のキャサリンはまさに原始人である。とても恐ろしい。
我々の中にもキャサリンのような原始的な部分が少なからず残っていて、理性によって暴走を抑制している。想像力が暴力性を押さえつけていると言ってもいい。不安や恐怖よりも自分の欲望を優先して行動することを一般的に傍若無人と呼ぶが、気が弱くて他人に優しい人間にとって、傍若無人はある意味羨ましくもなる。他人から傷つけられることを恐れないということは、他人にどう思われるかに無頓着だから、不安や恐怖はないだろう。幸せな精神性だ。しかし実際に傍若無人な態度を取ったら後悔する。本質的に傍若無人でない人は、傍若無人にはなれないのだ。
原始人と文化人の中間でゆらゆらと生きているのが人間だとも言える。より原始的な人間が国や企業を牛耳るよりもそうでないほうがいいと思う。キャサリンの周囲の人間は誰も幸せになれない。しかしキャサリンにはそんなことは関係ない。ひとりになっても生き延びて欲望を充足させるのだ。現代の社会構造の縮図みたいな作品だったと思う。
こんなの愛じゃない!
裕福な家に嫁いだものの、嫌な感じの夫や義父から自由を奪われた生活で、突如出逢った使用人とイケナイ関係になり、最後は…といった物語。
奇妙な住人だらけのお屋敷。夫や義父は勿論、主人公のキャサリンやメイドのアナまで、何か抱えていそうな陰湿な雰囲気が、BGMも粗ゼロの構成からひしひしと伝わる。
あのフワリとしたスカートの中ってそういう構造になっていたんですね。
意外と多くの使用人がいるのね…と思った所から、何故惚れた!?と思わずツッコミを入れてしまうほどの急なふしだら展開へ。あとの流れは過激目な不倫ドラマそのもの。
終始静かで淡々とした映画だが、演者が良いのかそれなりに引き込まれる内容。
各登場人物はそれぞれ他の人たちのことをどう思っていたのか気になる。
特に序盤のアナ。助けられたりもしたけど、ギュッと縛ったり乱暴に髪をとかしたり…。意外としたたか?
あとは最後の方での彼。そんなこと言うってことは、本当は純愛ニストだったの?
目を見張るような演出とかは無いものの、奇妙で不気味な登場人物たちの動きや、卑屈になった男の情けない気持ちなんかも良くわかるし、何よりピューが気になる人は観ることをおススメ。
そして…ピュ~っと口笛を吹けば料金1000円、、、予め知っていたらやっても良かったんだけどなぁ。
っていうか本当に1000円になるのだろうか?
極めて不道徳 馬子にも衣装
使用人の間男のほうが
若奥様が恐ろしくなって
おかしくなっていく話
物議をかもしたロシアの戯曲の映画版らしい。
ずっと無音なのに、音楽監督がいる。
ふてぶてしいピューちゃんの魅力全開
ピューちゃんファンはどうぞ。
ファイティングファミリーの方がピューちゃんずっとよかったし、おもしろかった。
ただただ、フローレンス・ピューに圧倒される。
ミッドサマーの演技に魅了され、それ以前の主演作ということで
興味津々で鑑賞です。
フローレンス・ピュー恐るべしな一本でした。
何度か同じ構図のシーンがあります。
ソファーに座りみじろぎせず真正面を見据える主人公。
セリフ、音楽、動き、、、全く無し。
どのくらいの長さだったかな?
不思議に繰り返されるたびに
主人公の心情が変わっている気がしてならないのです。
内面から滲み出る何かなんだと思いますが、
どんどん無垢な少女から変わっていく様。
自我?欲?価値観?芽生えた覚悟?
この無言のシーンに説得力をつけてしまう
フローレンス・ピューの凄さは一体何なのでしょう?
静かに、主人公キャサリンの欲望が青い炎のように、したたかに燃え続けます。
嫁によって屋敷内の空気が変わっていく様、怖いです。
いやいや、ヒリヒリします。
そして、クライマックス。
人間の愛とは誰に向けてあるのか?
極限状態のときに人間は一体何を守るのだろう?
何を優先するのだろう?
行動の源ってなんなんだ???
キャサリンが得たもの、手放した物(者)はなんだったのか?
そうなったのも、そうさせたのも人間の業なんだよな。
哀しい、寂しい、人間って。
セリフ、音楽が少ない。
しかし、映像の力、演技の力でなんとまぁ、
あっという間の良い時間でした。
一つ、あるとするなら、キャサリンの
スイッチが入った背景、心情にもうちょい
厚みが欲しかったかな?
マクベスってふりなの
ピューイストの僕としては、2016年製作の作品が蔵出しされたことは、嬉しい限り。フローレンス・ピューの凄みのある演技力、圧倒的な存在感を堪能できた。
ピュー演じるキャサリンは、不貞のことを義父からなじられるが、眉一つ動かさずに堂々と夫の生殖能力のなさを暗に示して切り返す。ピューの迫力ある顔力にたじろぐ義父を見て、こりゃそうなるわなと、独りごちた。
もうここからは、ピューの独壇場。使用人アンナも愛人であるセバスチャンも女主人たるキャサリンの威圧感に気圧されて、道理に合わない命令も呑み込んでしまう。
この作品は、ほとんど音楽が流れない。劇場内は静寂を保っているので、ため息すらつくことができない緊張感がある。そしてラスト。思わず吐きそうになるくらいの衝撃があるのに、余韻に浸ることも許してくれない曲なしのエンドロールにギブアップ。
マクベスってもうふりでしかない。こんなにクラクラした作品は久しぶり。
【きれいは汚い、汚いはきれい】
「きれいは汚い、汚いはきれい」
シェークスピアの戯曲「マクベス」の中で、占い師が繰り返す言葉だ。
この矛盾してるようで、人間の本性を端的に表しているような言葉は、マクベスの物語の不穏な先行きを象徴するかのようだ。
そして、この作品は、実は、この言葉そのものではないのか。
身なりは汚くとも、人を殺めることに後悔の念や恐れを隠さないセバスチャン。
キャサリンには反省どころか、後悔も感じられない。
感情のままに振る舞い、策略を巡らし、資産を手中に収めたところで、安心など手に入れることは出来はしない。
疑心暗鬼や裏切りは続き、滅亡の道を辿るしかないのだ。
少し前のイギリスの地方の領主の物語のようで、実は、僕達の生きる今の世界にも通じるようにも思える。
歴史は、実在したマクベスの生涯をなぞるように、あちこちで繰り返すだけなのかもしれない。
シェークスピアの悲劇は、形を変えながら続いていく。
ぴゅーーーーーー!
この映画を見たらどんな監督もプロデューサーも、ピューを使いたい、使った映画を作りたいと思うでしょう!
隙間風が入り地味な部屋、質素な食事、そして嵐が丘(もキャサリンだ!)、ヒースクリフ、ケイト・ブッシュの歌声と、どんどん頭の中がイギリス連想世界になりました。
自分一人で着ることも脱ぐこともできないドレスかー。キャサリンは夫に言われたことをそのまんま最初からセバスティアンに言えたな。
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