劇場公開日 2021年1月30日

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「写真が人に与える影響。対比と逆説の面白さ。」写真の女 shironさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0写真が人に与える影響。対比と逆説の面白さ。

2021年1月29日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:試写会

私を覆っている薄い皮膚のすぐ下には、真っ赤な血がものすごいスピードで駆け巡っている。
つい忘れがちだけど、生きるって、それだけでかなり情熱的なこと。
自分だけのこだわりが詰まったルーティンで生きてきた男が、誰かを生かす為に自分を捧げる。覚悟のシャッター音に痺れました。
もしかして、ミューズを得た芸術家たちも、本当はカマキリのオスだったのではないかと思えてきます。
とくに葬儀屋さんのエピソードがお気に入りで、“虚像”が“リアル”に与える安らぎと切なさと恐ろしさが素晴らしい!季節が夏の設定なのも納得。
江戸っ子おじさん西村喜廣の特殊メイクも見どころです。
(したまちコメディ映画祭復活熱望)

写真を撮るという行為と、写真を見るという行為の移り変わりについて、とても丁寧に描かれていて、改めて写真は不思議で面白い媒体だと感じました。

ちょっと前までスナップ写真は、過去の瞬間を閉じ込めた遺影で、いつの日か見返す事を想定してシャッターを切っていたと思うのですが…
今や共有するのが目的で、なんならシャッターを切る瞬間から不特定多数を意識している。
SNSにアップされた写真は承認欲求を満たす為のツールへと変化し、パーソナルな思い出は情報として消費されるようになったのだなぁ。

あたり前ですが、私たちは他の媒体を通してしか、自分の姿を知ることが出来ない。
・水に映る自分(水面や湯桶)
 ⇒自己の発見:今の瞬間の自分には違いないが不鮮明
・鏡に映る自分(カーブミラー、車の窓ガラス)
 ⇒自己の確認:今の自分自身をクリアに確認できるが、自分の横顔を見ることは出来ない
・写真に映る自分
 ⇒自己の客観視:他者から見える姿に一番近いが、リアルタイムではなく過去の自分である

鏡に写る自分を受け入れられる人にとって、写真は過去の遺影でしかないけれど
誰かの目を通してでないと自分を愛せない人にとっては、写真は自分そのもの。
手軽に写真を加工できる現代においては、理想の自分を作りあげることも出来る。
セルフプロデュースは加速していき、虚像にリアルが引きずられていく。
でも、それは決して病んだ負の世界とは言い切れない…
この映画の面白さは、逆説の二重構造にあると思います。
全ての事柄には良い面と負の面があって、どちらのバランスに傾くか次第だし、たとえ負の面に傾いて見えたとしても、当事者にとっては幸せだったり。(←ゾクゾクする大好きなポイント)

いろんな対比が描かれているので、それらを挙げていくだけでも、相当楽しめます。

以下、お気に入りのシーン
(ネタバレが気になる方はご注意ください)

白線を踏んで歩く男。
白へのこだわりの強さと子供っぽさが同居した、神経質でヤバい大人なのがわかる。
口数が少なく、話せないのかと思いきや、自分の言葉を発信しないSNSから一番遠い存在として描かれるので
対する女の服の柄が強すぎて笑えます。

くるみ割り人形の話だけでわかる、女のデリカシーの無さ。
ポイントがズレていて、とてもその世界に触れていた人とは思えないww
愛されたい願望が強い割に、自分を客観視できていないところに、頼れる人が居ない原因が透けて見える。

やっぱり葬儀屋さんのシーンは、どれも素晴らしい。
写真の新しい可能性を見せてくれたと同時に、写真による記憶の改ざんの立証にもなってしまった。
空白の時間を埋めた幸せと、倍増する孤独。
晩酌のシーンはとくに見事で泣けました。
カーブミラーの先を想像させる余韻が、いまだにずっと続いていて…
もしかして私も『写真の女』という映画の虚構に囚われたのかもしれません。

shiron