ヒトラーに盗られたうさぎのレビュー・感想・評価
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ドイツに生まれたユダヤ人絵本作家の自伝
ナチスドイツによるユダヤ人迫害を経験したユダヤ人絵本作家
幼少時の子供目線により静々と描かれる物語、
映像素晴らしく、
家族の絆、
母は強し、
チーズ食いたい。
けど靴下臭いのはちょっと(^-^;
【安住の地は遠く】
ジュディス・カーの家族は、さまざまな意味で幸運だったと思う。
父が最初に向かったチェコも、スイスから家族が移り住んだフランスも、その後、ナチスの占領下に置かれたからだ。
ナチスによるユダヤ人の拘束、収容所送致はナチスが占領したヨーロッパ中に及び、数百万のユダヤ人が虐殺された。
ただ、ユダヤ人に対する偏見や差別は、何もナチスだけに限ったことではない。
この映画でも、ユダヤ人に対する偏見は、大小、そこかしこに描かれているし、欧州中にユダヤ人が広く住んでいたことが窺える。
特に、拠り所の少ないユダヤ人が、如何に教育を大切にしていたのか、フランスのアパートの隣人の嫌味からも知ることができる。
フランスで1890年代に起きたユダヤ人ドレフェスへのスパイ容疑は、偏見や差別に基づくもので、ドレフェス事件として歴史に記憶されているが、これを取材したテオドール・ヘルツルは、この差別に驚愕し、シオニズムを提唱、第二次世界大戦後にイスラエルが建国されるきっかけとなった。
ただ、ジュディスの父が、フランスの授業で、年代と出来事の暗唱させる試みを蔑むように話す場面は、フランスが、絶対王政から何度か繰り返された革命と国内の分断を若者の記憶に止めようとする教育の試みを批判するようで、どっちもどっちというところはあったように思える。
現在、トランプの大統領選敗退で勢いはやや削がれるのではないかと思われるが、アメリカの白人至上主義や、民族主義を背景にしたイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、オーストラリアなどのポピュリズムは、ファシズムを想起させるし、日本のネット右翼も同様だ。
フランスの思想家で経済学者のジャック・アタリは、差別は思想ではなくて、特徴に過ぎないと言っていたが、まさに、その通りで、やはり、こうしたことを理解する能力を培う教育は重要だと思う。
そういう意味で、幾度となく偏見や差別を乗り越えて来た、ユダヤ人の決意に似た教育を大切にする姿勢は、普遍的なのだと考えた。
”大好きなものたち”と”無邪気な子供時代”に「さようなら」
ジュディス・カーという絵本作家のことは知らず、本作の事は新聞の紹介記事で知り、観たいと思いました。とても美しい映画です。
1933年のベルリン、ユダヤ人の9歳のアンナの父は演劇評論家でヒトラー批判をしていた為、次の選挙でヒトラーが当選する前に一家は亡命を決めます。兄とアンナが許された持ち物は本2冊とおもちゃ1つだけ。アンナはいつも一緒にいてくれたボロボロのうさぎと新しい犬のぬいぐるみのどちらにするか真剣に悩みます。そして家や家具たちに「さようなら」を言います。可愛がってくれたお手伝いさんや小父さんにも別れを告げました。
一家は助け合って暮らしますが、生活は安定せず、数か国を転々とします。子供たちはその度に新しい習慣や言葉を一から覚えなければならず、お友達ともお別れです。父親は、「新しい事を覚えられる」と励まします。
伝え聞く祖国の状況は悪化の一途で、アンナはうさぎを置いてきた事を後悔します。兄は、「新しい犬だっていいじゃないか。古いうさぎは卒業しろ」と言います。ピンクのうさぎは、無邪気で幸福だった少女時代のアンナです。アンナは、うさぎと大好きな人たちを忘れませんでした。でも、新しい生活も怖くありません。だって、今はまだ知らなくても、私は覚えられるんだから。
最初は子供らしくわがままを言ったりしたアンナが事情を呑み込んでくると次第にわがままを言わなくなる姿は心が痛みますが、悲惨な映画ではありません。子供の感性と前向きな姿勢が素晴らしいです。
チョビ髭と、ソフトハットは可愛すぎ
1933年2月ベルリンで暮らすユダヤ人の4人家族が、ヒトラーが選挙で勝利し、弾圧が始まることを予見して、スイスへ亡命する話。
劇作家にして批評家の父親にある日電話がかかってきたのを機に、父親は急遽プラハへ旅立ち、それを追ってスイスで合流すると母親に言われ亡命生活が始まって行く。
4人家族の9歳の娘アンナがメインに描かれており、持っていって良い荷物は本2冊とオモチャ1つだけ。
泣く泣く追いて来たうさぎのぬいぐるみがヒトラーに盗られたってヤツですね。
文化の違い言葉の違いはもとより、スイス、フランスでは良い仕事がみつからない父親の影響で貧しい暮らしを強いられるけれど、流石子供の順応性は素晴らしい。
時には不満が爆発することはあるもの、不遇な環境と時代背景にありながら、仲良く生きる家族の絆と愛情がひしひしと感じられ、とても温かく面白かった。
ソフトなナチスによるユダヤ人迫害物語。
迫害にソフトもなにもないが。残虐なシーンがないので、G指定だったけど、言葉で語られる行為は残酷であった。
うまく逃げおおせたユダヤ人家族の家族愛?家族の絆?を通してナチスのユダヤ人迫害が描かれていた。
クロエ・グレース・モレッツの少女時代と見紛いました
原作はジュディス・カーという世界的絵本作家の自伝的小説だそうですが、作家のことも作品のことも何も知りませんでした。
ただ、偉大な創作の業績を残された方の10歳頃の感受性という視点で観てると、どのシーンにも意味があるように感じられ、その後どう成長していくのだろうという想像力も掻き立てられますから、意外と見応えがあります。
兄妹揃って出来が良いので、最近はあまり使われなくなったことわざを思い出しました。
『栴檀は双葉より芳し』
せんだんはふたばよりかんばし、と音で先に覚えて、漢字は後から確認した記憶があります。
物語は、ヒトラーに批判的な文筆家の一家が、ナチの政権奪取をキッカケに、その迫害の手からスイス、フランス、イギリスへと逃がれていく過程を描くものです。その環境の中で、少女の豊かな感受性が後の創造性に繋がることを伝えています。
ナチの残虐性とか犠牲になった不幸な人たちの姿は、たぶん意識的に映像化しないように演出しているので、ストーリー展開にはそれほど劇的な起伏はないし、まぁなんてことはないです。
それでも最後までスクリーンに惹きつけられたのは、主役の少女の知的な無垢と物怖じしない明るさと健康的な軽やかさがあったからだと思います。走ってるシーンのスピードや男の子にアクロバティックな運動をコーチしているあたりは、本当に運動神経の良さが感じられました。
顔の雰囲気はクロエ・グレース・モレッツのようでもあり、まったく似ても付かない作風なのに、一瞬『キック・アス』を観てるような気さえしました。
原作絵本や作者への思い入れのある方はもちろん、そうでない方がご覧になっても、主役の少女の健康的な生命力からちょっぴりエネルギーを貰えます。
観てよかったな、と思える後味の良い作品でした。
思ってたのとは違った
ドイツの有名絵本作家ジュディス・カーの幼少期の実話作品。恥ずかしながら彼女の作品は読んだ事なく彼女の事も知らずに鑑賞した。
今はイギリスに滞在し絵本作家として世界的に成功をおさめたジュディスだが、幼少期は父が反ナチスとして批判記事などを執筆してた事もあり、ナチス政権が誕生後はスイス、フランスで生活をする。またユダヤ人という事もあり差別を受ける事もある。
父親がライターのような仕事をしてる事もあってか生活が安定せず貧しい生活を強いられる。
そんな中でもジュディスとその兄は各々の国に移動するたび一から語学を学び直す事を強いられるが、学ぶ事を
喜びに変え前向きに生きる話である。
ジュディスや兄の姿や所々で心に響くセリフなんかもあるが、個人的には全体的には退屈な作品であった。
これはジュディスの作品をきちんと読んでいればもしかしたら分かるのかもしれないが、端折るシーンが多かったり貧しいという描写が執拗に繰り返されるのだが、その貧しさの中に何かドラマ性みたいなのがあまり感じる事が出来ずしつこさを感じてしまう。
というのも母親は働く素振りはなく、父親も貧しい生活から強く脱却しようとしたりする姿を感じられなかった。
ただただ子供達に貧しい生活は運命かのように強いてるように思えてしまった。
最後もようやく成功を掴みかけたところで今度はイギリスにまた一から勉強をし直す事を子供達に強いて終わる。
まぁこの作品内ではジュディスも兄も大概前向きな姿を見せてくれてるが実際のところは相当大変だっただろう。
その辺りの描写になにかドラマ性だったり、事がトントン進む描写にあまり感情移入はされず退屈だったかなというのが率直な感想である。
しなやかに逞しく生き抜く姿が印象的
ヒトラーの台頭により、亡命を余儀なくされる家族。ベルリンにはいつ帰れるのか、帰ることはできるのか。言葉や慣習の違い、そして友だち。過酷な生活の中で、少女はたくさんの「さようなら」を重ねる。しなやかに逞しく生きる姿は印象的。
子どもが子どもらしく、子どものときを過ごすことを奪う時代。そのままを肯定し、包み込んでくれる父。子どもたちと一人の人間として接し、会話をする。とても印象的な光景。
どこに行ったって、またチーズから始めればいい。
家族がいる場所、そこがきっと「我が家」になるのだろうと感じた。
ジュディス・カーの絵本、改めて読み直したいな。
トラを迎えた家族の本当の強さ
絵画にしても文学にしても、受け止める側が自由に解釈して良いと思っています。
でも、時代背景や作者の境遇を知ることで、更に理解が深まる事も確か。
この映画を観たことで、絵本『おちゃのじかんにきたとら』のラストに秘められた、しなやかな強さを感じることができました。
子供は大人が思うほど幼くはない。
大人の気持ちを考えて言葉を飲みこんだり、大人の喜ぶよう騙されているフリをしたり。
世の中の曲がったしがらみが無いぶん、むしろ物事の本質を見抜いていたりする。
帰る家の無い者にとっては、家族が居場所である事を誰よりも理解していて、
思いの詰まった場所に別れを告げてまわるアンナの姿がいじらしいです。
いつかは帰れると指折り数えていたアンナが過去を捨てるシーンは、急いで大人にならざるを得ない瞬間を垣間見た気がしました。
そんなアンナの逃亡生活ですが、アンナだけではなく家族一人一人のプライドや信念、価値観の変化が描かれていました。
家族は亡命した先々で、“食べ物”“言葉”“しきたり(男尊女卑含む)”など、異なる文化に出会います。
現代の日本では、比較的いろんな国の食べ物を口にする機会があるで、いろんな種類のチーズにも免疫があるし、スイスのチーズなんてたまらなく美味しそうに見えますが(*゚▽゚*)
確かに慣れていないと臭いを先に感じて美味しいとは思えないかも?
食べ慣れない人に納豆を出すようなもの??
あと、ドイツのユダヤ人は、クリスマスをお祝いすると知って驚きました。
てっきりドイツの中のユダヤ人は、ゴリゴリ宗教色を前面に出して、キッパリ文化が分かれているのかと思っていたので。
「ユダヤ人を母とする者、またはユダヤ教徒」を“ユダヤ人”と定義するらしいのですが…私なんかだと、その国で生まれて、その国の食べ物を食べて、その国の言葉を話し、その国のしきたりに合わせた生活をしていれば、その国の人だと言えるのではなかろうか?なんて、つい軽々しく思ってしまいますけど…日本なんて無節操にいろんな宗教のイベントで盛り上がってますしね。(^◇^;)
でも、双方にとって「ドイツ人のユダヤ教信者」が存在しないところに、歴史の根深さを感じました。
文化の違いを受け入れることで、自らが変わっていけることに気づき、自信をつけた家族は、新天地に“不安”ではなく“希望”を見出します。
亡命の時、母国に後悔を残せば「逃げ」だけれど、異なる国の文化を受け入れる心があれば、逃げではなく「チャレンジ」になる。
努力して積み上げてきたモノを捨て去る強さと、未知の世界を楽しめる強さ…
ある日、お茶の時間に礼儀正しい虎がやってきて、自分達の食べ物を全て差し出すことになっても
なくした物をいつまでも嘆いたり、取り戻す為に戦うのではなく、発想を転換してレストランへ向かおう♪
行ったことがないレストランでは何が待っているかわからないけれども、違いを受け入れる気持ちがあれば、特別な冒険になる。
そして。映画の中で、父親が見下していた家庭のお茶の時間におよばれするシーンでも『おちゃのじかんにきたとら』が頭をよぎりました。
さすがにアンナ達はご馳走を全て食べきりはしないものの、物語の中で虎を単純に悪者として描いていないところに、誰しもがいろんな立場になる事があるのを知っている、作者の視線の深さを感じました。
追記:『帰ってきたヒトラー』でヒトラーを演じたオリバー・マスッチが、ヒトラーから逃亡する役なのも面白いです。(^-^)
シネスイッチ銀座のストライク!
10歳の少女アンナ役の、あまりに達者な演技力に脱帽。彼女を発見するだけで、この作品を観る価値がある。公開劇場のシネスイッチ銀座にとっては、ど真ん中のストレート作品。スイッチを愛する観客は大喜びの逸品だろう。
昨年逝去した絵本作家の幼き頃の実話。
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