「世間では「子は鎹」と言うけれど」ベイビー・ブローカー ジュン一さんの映画レビュー(感想・評価)
世間では「子は鎹」と言うけれど
共に旅をするうちに、
次第に打ち解け胸襟を開き理解し合う、
或いは過去のわだかまりが氷解する、
{ロードームービー}の基本スタイルであり
本作でもそれはきっちり踏襲。
しかし、その結果の次第は、
切なさと共にほろ苦さも包含。
主人公達にとっては勿論、
鑑賞する側にとっても、
各人の親子や家族関係を思い起こし
心が揺さぶられることは間違いない。
『是枝裕和』の最新作は
舞台を韓国に移し、彼が過去から度々選んできた
家族をテーマに人間模様を語る。
物語の発端となる「赤ちゃんポスト」が
日本では二ヵ所しかなく、いくらフィクションとは言え
生々しくなりすぎるための選択かとも思ったのだが、
お隣の国でも施設の数自体は似たようなものなのね。
ただ、年間に預けられる嬰児の数や国の補助の有無、
加えて国民の理解度等、見方には大きな違いがあるよう。
より、一般的な施設であることからの
選択の様な気もする。
そして本作は、映画的な二つの基本、
脚本と映像をよすがにしたにした省略が
頗る良く配されている。
前者で言えば、主要な登場人物達は皆々が何故か不可思議な行動を取る。
雨が降る寒い夜に「赤ちゃんポスト」を訪れた若い母親が、
その中には入れず、わざわざ外に置き去りにする導入部から、
それを見ていた張り込み中の若い女性刑事が、
わざわざ中に入れてやる一連の冒頭の部分がその最たるもの。
以降も、ブローカーの二人の男の態度、ましてや若い方は
ワケのあるその出自を照らし合わせると、行動自体が謎でしかない。
が、矛盾と疑問が渦巻く中、幾つもの不自然な行いには
夫々納得の行く理由が付けられ、鑑賞者の脳内は綺麗に整理される。
手練れの筆致によるものと感心する。
後者であれば、子供をポストに預けた女がショッピングモールで姿を消し、
実際にはトイレに入った後の行為に留めをさす。
子供を産んで間もない女性の生理と、
手放すことによる悲しみが如実に表現されるシーン。
一つの科白も付加されずとも、
見ただけで状況や感情が理解できる秀逸な場面。
ことほど左様に、映画的な造り込みの巧さは、
もう既に職人の域にまで達している。
離婚による親権の問題から、
故有って子供を手放さざるを得なくなったシングルマザー、
生活の困窮から売春をせざるを得なくなった女性の在り様や、
実際に施設に預けられた子供の成長まで
本作で取り上げられる事象は多岐。
一方で、それらに巣食い不正な利益を貪る社会悪の存在も、
仄聞的にはあるものの、遺漏無く俎上に乗せる。
予告編を見た時点では、子供に纏わる取引が
なかなか纏まらぬ{珍道中モノ}と思っていたが、
中途からサスペンスの色合いが濃くなり、
さいごはズバッと社会問題に切り込みつつ余韻を持たせて終わる。
タイトルとなっている「ベイビー・ブローカー」は
人身売買なので犯罪なのには違いない。
が、実際に「赤ちゃんポスト」に預けられた子供が
長じてからその商売に加担していることが本編での一つのミソ。
その動機には何があるのか?
選択権の無い子供の進路に、
大人はどこまで膾炙するべきか。
正解の無い疑問ではある。