劇場公開日 2021年11月27日

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「水俣曼荼羅を見て感じたこと」水俣曼荼羅 コショワイさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0水俣曼荼羅を見て感じたこと

2022年7月21日
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鑑賞方法:映画館

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興奮

1 水俣病の現状と患者認定を巡る争いを描いたドキュメンタリー。

2  水俣病の原因と原因企業は1960年代に既に明らかになっている。今回の映画で扱っているのは、ここ15年の動き。患者認定を巡り、国・熊本県と相対する住民・医師など支援者たちとのせめぎ合いや生身としての患者の人間性が捉えられている。

3 水俣病の病像を扱うパートの中で、非主流派の医師二人が患者の麻痺の部位を丁寧に調べ、国の患者認定基準の根拠であった病気のメカニズムをひっくり返した。住民が原告となった裁判でその論拠が採用され住民の逆転勝訴となり確定。それでも、国は患者認定基準を見直さず、熊本県は国が決めたからとして、基準をそのまま運用し、申請者を次々と落としている。そして一部の人だけが裁判に訴える。映画を通じて、支援者たちの覚悟の強さと行政側の無責任体質や権威主義が見えてくる。

4 その一方で、時の経過とともに、劇症患者の減少や被害者を保障救済する制度が外形的に整備され、水俣病に対する社会的関心の薄れや地元住民の被害者意識の低下も見られる。このまま推移すれば、患者の高齢化により患者数は減少をたどり、近い将来には水俣病は過去の出来事となってしまう。熊本県は水銀で汚染されたヘドロを浚渫し、湾内に設けたポケットに閉じ込めたから安全だとするが、施設や資材の耐久性からは万全とは言えず、継続的な環境モニタリング調査は不可欠であろう。

5 本作は、ほとんどが原一男が追っかけ取材した膨大な記録から編集した労作である。そこには闘いの記録のみならず、原がシンパシーと人間力を持って住民側と接し信頼関係を築いたことで、患者たちから無防備で生身の姿を引き出した。その一方、情報量が多く、時代経過が分かりにくかったように覚えた。

コショワイ