ピカソがピカソになるまでのレビュー・感想・評価
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芸術に触れた満足感を得られました✨
周りを見渡すとアーティスティックなファッションの方がちらほら。
勉強する気満々だったのに途中睡魔に負けて少し眠ってしまった。。
美術に関して未熟者なのでとても勉強になりました。
今後美術館等で絵を観る際に、今までとは違った視点で観賞できそう!
(特別価格の2,000円。割引きなしでちょっと残念だった)
ひどい邦題
この映画によれば、キュビスム誕生以前は、ピカソはまだ“ピカソ”ではなかったらしい。
観終わって「なんだよ、この題名は」と思って、よく見ると原題は「Young Picasso」だ。それなら分かる。
邦題がおかしいのである。パリに行く前の話だと思っていた自分は、騙された。
幼少期のマラガから始めて、約10歳でラ・コルーニャ、約14歳でバルセロナ、19歳からパリとバルセロナを往復して、盟友カサヘマスの自殺までが前半。
後半は、パリでの青の時代やバラ色の時代を経て、1907年の「アビニヨンの娘たち」で映画は終わる。
映画の内容は、インスパイアされることが乏しく、つまらなかったので少し寝てしまった。
貧乏時代は安くて乾燥の速い厚紙を利用したこと、および、若い頃は劇場やクラシック音楽が退屈だったことなどを知ったのは収穫だった。
しかし、ピカソについては、既にさんざん調べられており、語るべき事は多いはず。
だから例えば、パリに行く前に話を限定するとか、あるいは、青の時代~バラ色の時代を徹底的に語るとか、もっとテーマを絞って充実させないと、ありきたりな“二番煎じ”な作品になってしまう。
話を広げすぎると、90分なんてあっという間である。
スパニッシュギター
我が道
【「アヴィニョンの娘たち」までの道のり】
ジャクソン・ポロックをして、「自分のやりたいことは、ほとんどピカソがやってしまった」と言わしめたピカソ。
キュビズムは、多くの人の知るピカソの代表的な表現方法となったが、そのキュビズムの入り口に立つ「アヴィニョンの娘たち」までのピカソのヒストリーを絵画と探る旅になっている。
個人的には、日本でも「青の時代」の絵は人気があって、ドラマ「相棒」でも右京さんが「ブルーピカソ」として紹介していた。
ただ、ピカソは発展する芸術家だ。
マラガでの多様な文化とのふれあい、印象派のよう作風の作品も多い。
だが、ピカソをピカソたらしめた、きっかけは、僕は(個人的には)やはり、「青の時代」だと思う。
カサヘマスの自死によるショックは、ピカソを描く対象物の内面だけではなく、自らの内面にも向き合わせ、青の表現に繋がり、観る者の目に焼き付き、記憶にとどめる作品となった。
その後、表現方法を探求するような作品が多くなるように思えるが、果たしてそうだろうか。
原始芸術との出会いは、余計なものを削ぎ落とし、人間とは何かという根源的な問いになったのではないのか。
こうしてプリミティズムを取り入れたことは、キュビズムに繋がったとされるのだが、「アヴィニョンの娘たち」で切り取られる一瞬は、娼婦たちの驚きと、覗き見る男の視線への半ば軽蔑や、あきれる気持ちが感じられ、その大胆で単純に見えるが、それが余計なものを削ぎ落した結果だとすれば、どうだろうか。
「アヴィニョンの娘たち」を所有するMoMAのキュレーターが言うように、この絵は、様々な思考を観る者に要求するように感じる。
僕には、内面をよりフォーカスした表現になっているのではないかと思う。
映画では紹介されないが、ピカソのキュビズムの代表作は、ロンドン、テート・モダンにある「泣く女」だ。
この作品を観ると、この人はなぜ泣いているのか考えずにはいられなくなる。
そして、少し付け加えさせてもらえれば、ピカソがキュビズムに傾倒していくきっかけになったもう一つの作品がある。
ニューヨークのメトロポリタン美術館が所有する、セザンヌの「Gardanne」という風景画だ。
ピカソは、この作品を初めて観た時に、「これが完成作なのか?」と驚いだのだ。
セザンヌは、ポスト印象派の画家として、近代絵画を終わらせ、現代芸術に道をつなげた人と言われ、パーツにこそ真実があるとする作品も多い。
ピカソをたくさん観ようとすると、バルセロナやパリが思い浮かぶが、もしニューヨークを訪れる機会があれば、MoMAで「アヴィニョンの娘たち」を見て、ついでに「Gardanne」も観て欲しい。
マドリッドの「ゲルニカ」も観る者に迫る迫力で、感情を揺さぶられるが、ロンドン、テート・モダンの「泣く女」もぜひ観て欲しい。
知らなかったことがいっぱい
映像もかなりキレイで若きピカソの決定版
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