劇場公開日 2021年7月22日

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「動物愛護を考えるきっかけになる」犬部! 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0動物愛護を考えるきっかけになる

2021年7月27日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 鑑賞後に違和感が残る。ずっと何かおかしいと思いながら観ていた。それは主人公の偽善なのか、それとも勘違いなのか。

 動物愛護は意外に難しい問題を孕んでいる。少なくとも当方はそう考えている。まず愛護動物の定義が難しい。
 当方が学んだ範囲内では、動物というのは分類学上の動物界に属する生物のことで、動物界の下の階層には門があり、背骨のある動物が属する脊椎動物門と背骨のない無脊椎動物門に分かれる。一般に動物と呼ばれるのは脊椎動物門に属する生物である。動物を飼うといったときにイメージされるのは犬や猫、それから鳥、それにせいぜい魚くらいだ。無脊椎動物門の節足動物に属する昆虫を飼う行為は、動物を飼うではなく、虫を飼うといわれる。珊瑚のようにそもそも飼うことが不可能な動物もたくさんある。

 動物愛護における愛護動物は、犬や猫などのいわゆる愛玩動物である。日本の動物愛護法では人に飼われている哺乳類、鳥類、爬虫類ということになっている。犬や猫や馬や牛などは飼われていなくても愛護動物と規定されている。
 では魚はどうなのか。アロワナを飼っている知人は、アロワナも十分可愛いので愛護動物とされるべきだと主張している。可愛いから愛護、つまり保護の対象とされるべきだという文脈は、人間にとって肯定的な印象で語られる動物が保護されるべきだということになる。珊瑚が保護されるべきだと言われているのは、それが人にとって美しいという印象で語られるからだ。
 可愛いとか美しいとかいう対象は、人によって異なる。昆虫を可愛いという人もいるし、中にはゴキブリを美しいという人もいる。アロワナが可愛いという主張も含め、それらを否定する根拠は、ほぼない。アロワナを飼育して精神の安定が得られるなら、その行為は肯定されるべきだ。かくして愛護の範囲は広がっていく。

 動物愛護を語る際に引き合いに出されるのが肉食である。人間は牛や馬や豚や鳥を殺して食べる。魚やイカやタコやウニも殺して食べる。犬やハクビシンを食べる国もあるし、昆虫を食べる人もいる。人間は結構なんでも食べるのだ。ただ、動物愛護を主張するなら、愛護動物である牛や馬や豚や鳥を殺して食べるのはおかしいだろうという主張がある。
 論理的に言えば、動物を飼うことでオキシトシンを分泌させて精神的な安定を得る行為と、動物を殺して食べる行為は、人間の利益のためという点でまったく同じ行為であって、少しも矛盾するところはない。犬や猫を飼っている人がステーキを食べても何の問題もないのだ。もちろん豚を飼っている人が生姜焼きを食べても何の問題もない。

 動物愛護法では愛護動物をみだりに殺したり傷つけたりしてはいけないとなっていて「みだりに」というところが大事なのだ。人間の用に益する場合は「みだりに」に当たらない。野良犬や野良猫となって人間に害する場合、本来の愛護動物であるはずの犬や猫は害獣となり、駆除の対象となる。飼い主のない犬や猫は野良になる前に殺処分して人間の害を予防する。保健所は「みだりに」動物を殺すわけではない。
 逆の言い方をすれば、人間の利益だけが判断基準であって、動物側の都合は一切考慮されない。人間の都合を主な原因として絶滅する生物は毎年数万種にのぼる。地球にヒトが登場して文明を発達させて食物連鎖の頂点に立った以上、ヒト以外の生物が不利を受けるのはある意味自然なことである。

 本作品の登場人物の多くが、動物を飼うことと動物愛護を混同している。たしかに「可愛い」と「可哀相」は情緒的には対象が同じである。「可愛い」猫が殺されれば「可哀相」となる。ゴキブリを「可愛い」と思う人は、ゴキブリが殺されれば「可哀相」と思うだろう。
 つまり現在の動物愛護は科学や論理に基づいている訳ではなく、多数派の情緒に基づいているのだ。ゴキブリを「可愛い」と思う人が過半数に達すれば、ゴキブリは愛護動物となって「みだりに」殺したり傷つけたりしてはならないとなるだろう。
 人間は自分の利益のために犬や猫を飼う。対して動物愛護は「みだりに」殺されたり傷つけられたりする動物が「可哀相」という観点から、動物の不利益を予防するものである。まったく異なるこのふたつの行為が「可愛い」と「可哀相」の情緒の対象の一致から、同じ行為として混同されている。
 犬や猫に不妊手術を施すことは、人間に飼われない動物が殺処分されるのを防ぐためであるが、それは人間の都合であって、動物にとって生殖機能を奪われるのは明らかに不利益なことだ。つまり動物の不妊手術は、動物愛護と真っ向から対立する行為なのである。人口が多すぎるからといって人間の子供に不妊手術を施したら、それは人権侵害であり、犯罪となるだろう。犬や猫も不妊手術なんかされたくないのだ。大人の人間が自ら望んで不妊手術をするのはまた別の話である。

 林遣都くんも中川大志くんも、とても上手に演技をしていて、その点は高く評価するが、主人公の頑張りに感動するより前に、自己撞着に対する鈍感さが目に余るから、鑑賞後にとてつもない不快感が残る。今回はその不快感を当方なりに分析してみた。人それぞれに違う分析があると思う。動物愛護の問題はやはり難しい。考えるきっかけになると言えば、本作品にもそれなりの意義があると思う。

耶馬英彦