AWAKEのレビュー・感想・評価
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9×9の将棋盤の中で、動きが制限された駒同士の戦い。閉ざされた世界...
9×9の将棋盤の中で、動きが制限された駒同士の戦い。閉ざされた世界の中での勝負だ。つまり、数学的に勝利の理論はたてられると言う事だ。
不可逆的な永久機関が無いのと同じだ。物理的に不可能な事は絶対にある。無限の可能性を秘めた人間の頭の中と言えど、その勝負に一定の決まりがあるとすれば、人間の頭脳にもの限界が生じる。
だから、それでも、
機械に勝つ方法がある。それは決まりを破ればよいのである。どう破るかは、人間は詩人であるから、人によって千差万別であろう。まぁ、僕なら『コンピューターのコンセントを引っこ抜く』とか。
個人的には僕は将棋、麻雀、パチンコ、囲碁が余り好きになれない。映画や本が好きだから、インドアが駄目と言う訳では無い。
価値観の押し付けな感じがするからだと僕自身は思っている。
テレビを見なくなったのも、旧国営放送で将棋や囲碁の番組を休みの日にやっていたからである。旧国営放送の教育番組で大半の国民が休みの日に将棋、囲碁を共通の娯楽って言うのが嫌だった。だから、カラオケとかも好きになれない。
もう一つ将棋が好きになれない理由。
酔った我が亡父相手に将棋で一度も勝った事が無かった。我が亡父は『お前は才能ないな。時間の無駄だから将棋なんかやめとけ』と励ましてくれた。それが中学校二年の時である。それ以来、将棋、囲碁はやった事が無い。親父に感謝している。
成長して、麻雀にも才能が無いのを知り、最小限の損失に留める所に抑えた。
将棋の将棋盤を18×18にして、王将を二つにしたら面白いね。
また、実際の戦争は『歩』が犠牲になる事が問題で、味方同士が争いになる事が一番大きな悲劇。将棋や囲碁が単純なゲームでしか無いと理解できるだろう。繰り返す、遊戯(ゲーム)として観た場合である。
敬意とは何かを知る
奨励会に入れるほど将棋に打ち込める人は将棋が好きだからだ。その好きな理由は人によって多少の違いがあるだろう。
吉沢亮演じる主人公の清田はとにかく負けたくない。勝負の世界に生きていれば誰でもそうだろうが、清田にとっては勝つことが楽しさなのだろう。
勝つこととは強くなること。根底に将棋が好きだという気持ちがあるため勝てばいいというわけではない。
若葉竜也演じる浅川は、勝つことよりもゲームそのものが楽しいようだ。仲間と共に指す将棋、それが楽しい。
生き残りをかけたサバイバルのようなプロの世界では弱い者から淘汰されていく。幸か不幸か将棋が強かった浅川は勝ち残るが、それはつまり浅川の楽しさが消滅していくことを意味する。
清田が奨励会を去ることとなった浅川との一局。勝てるはずの勝負に自分のミスで清田は負けた。
清田は悔しかったことだろう。ミスをしなければ勝てたという思いがあったに違いない。
クライマックスの浅川対AWAKEの電王戦。
このとき浅川は将棋界の威信を背負った負けてはならない立場となっていた。
AWAKEのバグVS浅川という構図に展開していくのも面白い。
そこで浅川はバグを誘発させるハメ手を指すことになる。普通の棋士ならば絶対に指さない手だ。それはつまり棋士として「ミスしている手」ともいえる。
ミスをして奨励会を去った清田。AWAKEのバグもまた清田のミスだ。
しかし棋士としてミスをしながらも勝つ浅川が目の前にいる。負けるのはミスをするからではないと知り、同時に、このハメ手にたどり着いた浅川の膨大な努力を知る。
投了は相手への敬意だと教えを受けるが、その敬意とは、自分を上回る努力に対するものだと知る。
ミスをしないのもミスをするのもたゆまぬ努力の結果なのだ。
清田と浅川は同期でありながらほとんど言葉を交わさない。互いにどう思っているか真意は分からないが、全く意識していないことはないだろう。
清田にとって浅川は常に立ちはだかる壁であり、いつか倒したい相手だったろう。
浅川にとっては、消えていったかつての仲間の一人が再び挑んできた喜びがあったかもしれない。
しかし電王戦という場は二人の純粋な「将棋が好きだ」という想いに応えてくれるところではなかった。
それと対をなすようなエンディングは、不思議とあたたかな気持ちにさせてくれる。
相変わらず言葉を交わさない二人だけれども、将棋に対する情熱で語る二人に言葉はいらないのかもしれない。二人の「楽しさ」が同じになった瞬間に感じた。
実話ベースとは・・
観賞後調べて分かったのだがAWAKEは実在、開発者清田英一のモデルは巨瀬亮一さん、実際に奨励会に在籍していた。浅川陸は阿久津主税さん、AWAKEと阿久津八段の対決も実話、まさにAWAKEの弱点を突き21手で勝利したのも全く同じ。
ただ清田と浅川が奨励会時代からのライバルと言うのは山田監督のフィクションです。
人間対コンピュータの頭脳戦というセンセーショナルな電王戦のエピソードに触発され、将棋に魅了された青年たちの一途な青春ドラマに膨らませて仕上げています。
ただ、のめり込む性格であることは分かるのですがご丁寧に懐中電灯までつけて夜道を読書しながら歩くのは危ないですよね、昨今の歩きスマホへの反面教師的演出なのか・・。
アクション映画なら闘いぶりの描写が肝なのに頭脳戦の描写をどうするかは難しいでしょう、延々実況したらNHKの将棋番組みたいになりますし、盤上の駒を映しても凡人には読み切れないのが難点ですね。
映画では解説者やギャラリーのリアクションでそれらしく見せてはいました。同様にAWAKEのコンピュータプログラムの実行画面を映されても何か高度なことをやっているんだろうくらいにしか判りませんでした。ソフトに強い人がいたら解説して頂きたいものです。
自宅のパソコンの将棋ソフトはAI将棋GOLD3ですが初段に設定すると全く勝てないので5級にして遊んでいます、手加減してくれるのもAIの賢さかもしれませんね。
大河の吉沢くんが出演やし
AIとプロ棋士との戦い
お互いプロを目指した同士
かたや、夢破れ
しかし
A Iプログラマーとして
カムバック
あと
僕好きの馬場ふみかさんが
観れたのがラッキー
可愛らしい!
ラストの空港のシーンに
救われました。
強い相手とやったほうが面白いから
映画「AWAKE」(山田篤宏監督)から。
主役は「世界を変える」のフレーズがお似合いの、吉沢亮さん。(笑)
私の場合、囲碁だと全くわからないけれど、
将棋なら、駒の動かし方くらいならわかる知識があるため、
予想以上にのめり込んだのかもしれない。
幼少の主人公ふたりが、将棋会館の前で初めて出会うシーン。
まだライバルになることも知らないのに、こんな会話をする。
「きみ強い?」「まぁ」「よかった」「えっ?」
「強い相手とやったほうが面白いから」
そして中盤にも違った場面で、
「やっぱり強い相手とやりたくなるのは、
棋士の本能なんじゃないのかな」という台詞が飛び出す。
さらに「勝ちたいと思って対局に臨まない時が来たら、
僕は棋士を止めないといけないと思っています」
誰よりも強くなりたい、それも一番強い相手を倒して、
胃が痛くなるような緊張感を味わいながらも、駒を動かす。
しかし、弱い相手とやって勝っても面白くない、
強い相手とやって勝つことが面白いんだ、と言い切れる
この境地を、本当に小さい頃から感じていたとしたら、
その考え方こそ「名人」を生み出す考え方なんだろうな、と思う。
ラストシーン。戦いを終えた2人に対して
「もっと自由な場で戦わせてやりたい、と思いました。
将棋は本来、楽しいものですからね」と先輩棋士がコメント。
楽しい将棋を強い相手とやったら、最高に面白いんだろうなぁ。
やはり人間対人間の勝負だったと思う
将棋ものが好きなので本作も鑑賞。将棋って本当は勝ち負けで決められないほど奥が深い人間の対話のような競技だと思っているので、最後の「もっと自由に勝負させてあげたかった」という言葉は何となく分かります。
人間対AIの勝負、となっていますがAIの裏側にいるのも人間。そして、それを認めるのも人間。勝負の時にあえて、だと思いますがなかなか吉沢亮の顔が映さない表現が良かったと思います。相手の若葉竜也も良かった。彼が記者に受け答えするところは淡々としていて本当にプロ棋士が喋ったらこんな感じだろうな、と言うのが良く出ていました。
ただ、見終わってから残るものが案外少なく…。
AI相手に自分の将棋を指せない棋士は勝ったとはいえない、と言う所をもうちょっとクローズアップしても良いのではないかと思いました。
映像表現、俳優の演技は良かったと思います。
「珠玉の作品」
今年4本目。
12月27日のEテレの将棋フォーカスはAWAKE特集。2015年の電王戦は5人のプロ棋士と様々なコンピュータソフトとの5番勝負で、2勝2敗で向かえた5戦目が阿久津主税八段とAWAKEの対決。どちらが勝ったかは映画のお楽しみ。
これは珠玉の作品。毎日朝刊の棋譜を見て勉強している将棋ファンとしては、この上ない作品。また音楽がいい。作中の音楽が最近見た映画の中ではベストでした。10日間映画見てなかったですけど、映画行くと圧倒的に面白いなあと実感しました。
---追記---
2八角は自陣に打たせて10手先に角を取れる、悪手を誘う手になっています。その説明が無かったですね😃
「私はこの時代に生きたのです」と呼応できる歓びがある
私は8ビットパソコンの時代に、松原仁著の将棋アルゴリズム本を図書館で借りて読んで、将棋は完全情報ゼロサムゲームだとか、そんなことに触れはしたけど、電王戦の頃はすでに関心を失っていて知らなかった。なので、展開を固唾をのんで見守ることができた。もっとこの世界に詳しい人なら、電王戦の一部始終や裏話までご存知だろうから逆に楽しめないと思う。私は条件のよい観賞者だ。
本作はマニアックな世界を描いているが、世界がマニアックなだけで内容は決してマニアックではない。マニアックな視点でみると逆にハテナな箇所も目立つ。例えばコンピュータ思考中に画面右にいつも流れるコード。知らない人はコンピュータの思考の軌跡だととるかもしれないが、ソースがあんな速度で流れてるのは飾りでしかない。あの演出は本物にもあったのかなと気になる。まぁそんな些細なことはいいとしても、勝負の分かれ目となった2八角については、ちょっと疑問が残る。
平均したら強い手を指すけど、ときどき致命的なポカもする、というのがAI将棋のクセだったはず。2八角のその一局面に限らず、ポカ局面は山ほど埋まっていたのは想像に難くない。そしてプログラミングとは精度向上とデバッグが作業の九割以上を占めるもの。映画は2八角を唯一の弱点だったように描いていたが、ポカ局面は無数にあったはずでそれが総合力。プロ棋士側も通常のプロ棋士同士の対局と同様、相手の得意戦法をかわして有利な展開にもちこむのが将棋に限らず勝負事の常。映画は史実とは別にフィクションとしてこしらえつつも、2八角をめぐっては不安定な着地しかできていない。カタストロフィーのない所に、無理にカタストロフィーを持っていった消化不良が大きい。
この作品に、とくべつ情感ゆさぶられることもなければ、とくべつ沈思黙考を誘われるわけでもない。しかし観終えての満足感はある。こういう作品がつくられて鑑賞できたこと。マニアックな分野ながらも、ひとつの世界と時代、その流れを描いてくれていたから「私はこの時代に生きたのです」と呼応しつづけることができた。観賞中そういう静かな歓びがずっとあった。
後味の悪さに好感を持った。
後味の悪い決着で、だからこそ、勝負とは何か?満足のいく勝ち方ってなんだ?と考えさせられてしまった。
一度は挫折した主人公が電王戦でライバルに勝つ、もしくはプロ棋士が正攻法で勝つ、というストーリーだったら美しいけど…そうじゃない、苦いラストだから心に残った気がする。
吉沢亮さん、言葉は少なくても燃えるような情熱、狂気が伝わってきてよかつた。
新世界はもう来ている
2015年に行われた将棋電王戦FINAL第5局に着想を得て作成された映画だそうだ。
自分は将棋電王戦FINAL第5局の結果を知らなかったので最後までハラハラ楽しめた。
この映画は棋士側からではなく、棋士としての夢が絶たれた主人公が将棋ソフト開発者として対決し、かつて自分が破れた棋士と再戦する姿を開発者側から描いたドラマである。
実際のAWAKEの開発者は閉局後のコメントのせいかパッシングをくらっているが、開発者である映画の主人公・英一には悪い印象は抱かなかった。そういう作りになっている。
その主人公を演じた吉沢亮さんの好演が光っていた。
話は変わるが自分はライトノベル『りゅうおうのおしごと!』が大好きだ。
この小説は現代を描いているので、栄一が願ったコンピュータソフトを使って研究した新世代の棋士が台頭したり、コンピュータソフトが新しい棋譜を生み出したりしている。
英一が夢望んでいた新世界はもう来ているのだ。
将棋電王戦FINALが近づいてきた時に流れたBGM(Irritation)がひりつくような緊張感を誘ってすごく良かったのでダウンロード購入してしまった。
筋の通った再生の物語
脚本がいい。何を伝えたいのか、一本筋が通っている。登場人物もただ話を回すためだけの都合のいい人物はいない。いくらでもスピンオフが作れそうな。将棋の映画はホント、いいな。
勝負にこだわる清田。言うなれば器の小さい人物。一方勝ち負け以上に自分の将棋にこだわる天才肌の浅川。
ところがAIとの対戦になって事前の練習では負け続けたため、AIのバグをつく形で勝ちを取りにいくこの皮肉。
清田の方は棋士の間は友達もなく将棋のことしか考えてなかったのに、将棋をあきらめAIと出会ったことで学校や友達や外の世界と繋がるようになる。この世界観が逆転し、広がりを見せる感じが、とてもいい。二人を見守る指導棋士の眼差しが、優しい。
瑕疵があるとすれば、浅川、磯野、記者の三人、キャラかぶってません?もっと見分けのつく容貌にしてくれたら良かったのに。あと、磯野の妹は取って付けたようでした。好意的に見れば、とんがったオタクの磯野が意外に如才ないのは妹がいる兄だからということなんだろうけど、そういうエピソードはなかったしな。
唯一の疑問
将棋ゲーム(AWAKE)の右側にソースコード?をプレイ中にダラダラ表示させるのはゲームとして普通なんですか?個人的には非常に不自然に思いました。誰か教えて〜。
ストーリー自体は人間対人工知能という深いテーマを丁寧に描写していて面白かったです。
難しい題材ですが、良作です。
将棋の話。実際にあったプロ棋士vsコンピュータ将棋の1戦を題材にしたフィクション。将棋ファンの中では有名な話らしい「阿久津主税8段 vs AWAKEのハメ手」がメインテーマ。
清田は奨励会(プロの予備軍ね)に所属するもプロを断念。大学でコンピュータ将棋に出会い、awakeを開発する。浅川は清田と同期。順調にプロになり若手の強豪と目される地位に登る。クライマックスは清田が開発したawakeと、強豪棋士になった浅川との対決です。
開発者の清田が主人公で、将棋を通しての人間的な成長や、浅川への対抗心が強く描かれる。一方で浅川側は本人あまり語らせない。その代わり観戦記者も元同期や、二人の奨励会時代の世話人の棋士が「浅川先生は、、、」と心情を察して語る。これは棋士をより高い位に見立て、コンピュータ将棋が挑戦する、という構図からの上手な設定ですね。
約ネバで実写を散々非難していますが、awakeなんて作品は実写じゃないと難しい。何せ、主役の二人ともセリフが殆どない。将棋中は話さない。おまけの清田は将棋の後はプログラミングなのでコレ話さない。細かい所作、クセ、表情変化で語るしかないんですね。吉沢亮、若葉竜也ともに上手な俳優さんですね。
何処かでイレギュラーな感じがしながらと、骨太で真っ直ぐな将棋映画です。
予告編を観てから、興味があった作品なので、タイミングが合ったので観賞しました。
観賞した「新宿武蔵野館」は超がついてもおかしくないぐらいの満員ぶり。
で、感想はと言うと、面白い!
緊迫感もあり、話がブレる事なく、ストレートに進んでいく。
それでいて、何処か爽快感もある作品です。
将棋棋士と言う職業は個人的には羽生善治棋士から始まって、最近では藤井聡太棋士の活躍に脚光が浴びている感じですが、日本の古典的な遊具でありながら、プロと言う職業があっても、正直どうやって金銭を稼いでいるかが割りと知られてない感じでまっこと謎な職業ですが、書道や相撲に通じる様な佇まいに威厳を感じます。
近年の棋士ブームに関わらず、以前よりプロを憧れる者は後をたたず、それでもプロになれる者はほんの僅かと狭き門には、知識を知らなくても、難しい職業だと思いますが、プロになれなかった者は山程居るんですよね。
「月下の棋士」や「ハチワンダイバー」と言った漫画や「泣き虫しょったんの奇跡」「八月のライオン」「聖の青春」と言った映画だったり、大阪の伝説の将棋棋士、坂田三吉をテーマに「王将」と言う歌があったりといろんな将棋に纏わる物がありますが、この作品はコンピュータと人間の対局を描いてますが本質は人と人、そして自分自身との戦いを描いているのでそういう意味では真っ直ぐな将棋作品です。
主人公の清田はプロ棋士になれなかった事からなかなか立ち直れなかったが、とある切っ掛けからコンピュータのAI将棋をプログラムする事に生き甲斐をみつけ、自らプログラムした「AWAKE」でプロ棋士で元同期だった浅川と対局すると言うのが大まかなあらすじ。
清田演じる吉沢亮さんや浅川役の若葉竜也さん、落合モトキさん、寛一郎と言った実力派若手俳優のキャスティングも良い。
個人的には磯野役の落合モトキさんが良い感じなんですよね♪
無敵の将棋プログラムAWAKEに絶対的な自信を持っていたが、とある打ち手をされるとハメ技の様なバグ的な要素が発生する訳ですが、既に提出されたプログラムの改良は認められず、その打ち筋は広く出回っている為、AWAKE=清田は絶体絶命になる。
ただ、プロとしての打ち筋ではない事から、浅川がその打ち筋をするかどうかで、浅川はハメ技の打ち筋をし、清田はその打ち筋に投了を宣言する。
様々なオチを考えてたので、このパターンにはちょっとビックリ。
でも、この解釈はプロとして浅川に恥をかかさないと清田の意図にも考えられたし、自身の発明したAWAKEがキチンと負ける姿を見たくなかったとも取れるけど、どちらかと言うと、対浅川との対局でプロのプライドをかなぐり捨てて、その手を選んだ浅川へのリスペクトと自身で過去に投了を発せられなかった清田の成長と取りました。
また、いずれコンピュータの進化は何時か人を凌駕する事を何処かで感じている清田のささやかな抵抗と考慮かなと思ったんですが、どうでしょうか?
どちらにしても、互いの全てを賭けて、静かに闘志を燃やした戦いはちょっと呆気なくも感じましたが、将棋の打ち合いに時間を掛けると物語のテンポが落ちるかと思うので、良い判断にも思います。
ラストが良いんですよね。将棋を遊戯として楽しむ事が出来ないプロ棋士と将棋に振り回された元棋士と言うしがらみを無しにしての良い締め方です。
難点があるとすると、テンポが良くてサクサク進む分、清田に比べて浅川の成長や苦悩と言った人間味の部分が少し薄いかな。
監督の山田篤宏さんはこの作品が商業作品デビューとの事ですが、かなり骨太な感じで直球に作品を撮られたのが物凄く印象深い。
また木下グループのキノフィルムズは最近意欲的かつ良い映画を連発してる感じ。
2015年のコンピュータと棋士との実在の対戦、電王戦をモチーフにしてますが、調べるとコンピュータを使った将棋の読み合いはもう半世紀以上前から行われているらしいんですが、コンピュータの性能は日進月歩な訳で、正直、人の読み合いの進化どころの騒ぎじゃあないんですよね。
そう考えるとコンピュータとの対戦なんて、分が無い感じですが、そこに挑む面白さが楽しめました♪
将棋の作品としては少しイレギュラーな感じがしながらも、作品としては真っ直ぐでどっしりと骨太な感じの良作ですので、未観の方で興味がありましたら、是非是非。
結構お勧めな作品です。
PS
今年はコロナの事もあり、4~5月はほぼ映画館は閉館し、その後もソーシャルディスタンスで席間隔を空けての営業。
ミニシアター系の映画館や制作会社もギリギリの状態。
また洋画の大作系も上映の延期や中止といろんな部分で向かい風が強かった訳ですが、作品としては良い物も多かったかなと思います。
個人的には2020年に劇場に足を運んで観賞した作品数は全部で110本。念願の100本超えと去年を16本も上回りました。
2本立て上映でない限り、基本的には映画館での観賞は1日1本と決めているので、ここまで行けるとはと言う感じです。
年明けからも観たい作品があるのですが、100本超えとかをそんなに気にせずに楽しんで観賞していきたいと思います。
皆様、良い映画ライフを♪
元の話の強さ
冒頭に出る『電王戦の阿久津八段とAWAKE戦に着想を得て』を見た瞬間から、興味は「ハメ手を使うのか?」だけになるんだよね。
2015年の電王戦に出たAWAKEは、調整に不完全なところがあって、ある手順を指されると、角をただで相手にあげちゃうのが知られてたらしいの。ただ、全く道理に反した手だし、『そのバージョンのAWAKE』に特化して通用する手だったから、『プロがこの手を使うのは邪道だろう』みたいな見方もあったのね。
でも、阿久津八段はその手順をとり、角を取られることが確定した時点で開発者の人は半ばキレ気味で投了したんだよね。
『そんな邪道な手順を使うのは卑怯だ』っていう考えもあるだろうし、『勝つために最善手を選ぶのはプロとして当然』っていう考えもあるだろうし、悩ましいとこなんだよね。
この話を物語にするなら、普通は、『そんな邪道な手は使わん!』っていう選択肢にして、正々堂々と勝つか負けるかする話にすると思うの。「どうやって、その流れにもってくのかな」と観てたら、なんと、邪道な手を使って棋士を勝たせた。
ただソフト開発者と棋士に過去の因縁を持たせて、開発者は『強いと思ってもらえれば、それでいい』っていうモチベーションにしたのね。それで棋士が『強かったよ』って言って、なんだか良い話にするのがうまかったな。
細かなところでいうと、吉沢亮がプログラムを覚えるときに、落合モトキが『暗記してこい』って本を渡すんだよね。それで、吉沢亮がそれを黙々と読むんだけど、そんなことしないね。本に書かれてるプログラムを写経のようにひたすら打ち込むはず。
あと、AWAKEが考えるときに、プログラムリストが表示されるんだけど、それもないよね。評価値が表示されるなら解るんだけど。
それと、将棋サークルが居酒屋で将棋指してるシーンがあるんだけど、指すかな。居酒屋で。なんか無理があったな。
役者の使い方にも無理があったね。筧一郎の登場が唐突すぎるし、森矢カンナもそう。馬場ふみかに到っては「これ、誰かとバーターで出してって言われて、役作ったよね」って感じだったもん。
解説役や棋士役に役者さんを出してたけど、ここは棋士にカメオ出演してもらっても良かったね。感染対策とかあるから無理だったのかも知れないけど。
あとラストシーンでは、子供が若葉竜也と二枚落ちで指してるんだよね。タイトル挑戦者に二枚落ちで指せるって、相当強いよ。
細かなところでは、無理がいっぱいあるんだけど、元の話が強いから、それで、良い話になってたな。
昨日まで 選ばれなかった 僕らでも
事前情報はほとんど知りませんでしたが
たまたま近所でやってたので観賞
かつて行われたAI対プロ棋士の対戦から
着想して作られたオリジナルストーリー
感想としては
・見た目以上に熱い勝負の世界
・将棋がわからなくてもOK
・プログラミングわからなくてもOK
・吉沢亮の陰キャ大学生相変わらず絶妙
・登場人物全員のキャラ付けが絶妙
・勝ちとは結局何か
など想像以上の良作で驚きました
人づきあいが苦手で友達もいない少年
清田英一は父が好きだった将棋に
のめりこむとメキメキ上達し
奨励会でプロ棋士を目指しますが
そこは自分より強い奴がうじゃうじゃ
そこで出会った浅川陸にライバル心を
燃やし浅川さえ倒せればいいと
思って将棋を打つ日々
そんなライバル心にかられた清田の
将棋は自由度が低く遂に浅川以外にも
勝てなくなり
とうとう将棋の道すら諦めてしまいます
その間に浅川は最年少プロ棋士の道を
一直線に歩んでいました
そもそも将棋で友達が出来ればいいと
くらいに思っていた父の思惑は外れ
清田は将棋以外にやりたい事が
見つからず大学でもぼっちでいたある日
父のパソコンに入っていた将棋ソフトの
自由な打ち手にショックを受け
将棋のAIプログラムを作りたいと
学内のAI研究会を訪ねプログラミングを
1から磯野の手ほどきを受け将棋AIの
プログラムを作り上げていきます
浅川は連戦連勝で将棋界のホープ一直線
清田は学内の将棋研究会も負かせない
有様でしたがソースコードが公開された
他の将棋プログラムを取り込むなど
強化を施した結果研究会を負かし
「5段並だ」と言わしめるレベルに
なってきました
そんなとき浅川は失意の黒星を喫します
清田はここで自らのプログラムに
目覚め、覚醒を意味するAWAKE
という名をつけその後AI将棋の
協議会でAWAKEは優勝し名を売ります
そんなときニコニコ動画を運営する
ドワンゴ社からAWAKEとプロ棋士の
対局をネット生放送する「電王戦」が
企画されプロ棋士側は浅川が参加すると
聞いたとき清田はかつてのライバルと
こうした形でまた戦えることに複雑に
感じつつも今の自分が手塩にかけた
AWAKEは絶対に負けられないと
覚悟を決めさらなる改良に熱が入ります
対する浅川は電王戦参加が決まってから
やっとパソコンを導入しAWAKEと
対戦してみると全く勝つことができず
日に日に追い詰められていくことに
なり焦りだします
その間清田はAWAKEに勝てたら
100万円という企画に参加し電王戦を
盛り上げようとしていましたが
終了ギリギリに勝ってしまった人が
表れてしまいます
その一般人との敗因はAI特有の
人間味のない「警戒感の無さ」
まんまと人間の罠に引っかかって
しまうというものだったのです
負けたくない清田は修正を申し出ますが
すでに修正期限を過ぎており却下
そんなルールはいらないと激高しますが
磯野は「これはプロが打つ筋ではない」
と窘めます
そして本番
浅川がどんな手に出るか
注目されましたが・・
浅川はその100万円が出た時の
戦法を取り
清田はあっさり投了して
浅川の勝利でした
これで将棋連盟側のとりあえずの
面子は保たれたかのようで
敗北した清田は笑みすら浮かべる
表情で勝利した浅川を
見つめるのでした
つまり浅川はプロが打つ将棋を捨て
AWAKEに勝つためだけの戦法を
選んだわけですからプロのプライドを
捨ててしまった時点で表舞台で
活躍し続けた浅川を実質的に清田の
AWAKEは「プロを倒した」ことに
なるわけです
TVゲームなどではボスキャラの
行動をパターン化して倒すのは
定石ですが
横綱が変化で勝てば非難されるのと
同じですね
この映画とにかく登場人物の
キャラクター描写が丁寧で感心します
将棋が題材である以上押し黙るシーンが
多いのですがだいたい考えていることが
わかりやすいので見やすいです
昨日まで選ばれなかったけど
明日を待っていた男たちの勝ち得たもの
感動出来ちゃいます
あまり公開している映画では
ないようですがやっていたら是非
おすすめします
映画である意味とターゲッティングに疑問……
将棋関連ということで事前情報をあまり入れずに見に行きました。
「泣き虫しょったんの奇跡」は観ました。
本作の扱うAWAKE事件や将棋ソフトに勝ったら100万円!についてはリアルタイムで観ていました。
世界コンピュータ将棋選手権にはクラスタで参加する程度には熱心です。
この映画に出ている俳優さんは一人も知りませんでした。
一言で言えば電王戦におけるAWAKE事件と、その前段としてのAWAKEができるまでの映像(ただしノンフィクション前提ではない)ということになるでしょうか。
映画冒頭で「電王戦 阿久津主税八段vsAWAKE戦に着想を得て」と断り書きが入ります。
実際にすべての要素について詳しい訳ではないので、どれだけフィクションの要素が入るのかは分かりません。AWAKEの開発者と、対戦した棋士の名前は置き換わっています。「電王戦」「電王手さん」「デンソー」「ドワンゴ」などの固有名詞はそのまま登場。AWAKEの開発当初にBONANZAのオープンソース化に沸き立つ場面がありますが、これは少し時期がずれているような気がします。
映画ではAWAKE開発者と対局したプロ棋士が奨励会で何度か対局した関係であるとされていますが、実際の阿久津主税八段は1999年にプロになっており、AWAKE開発者の巨瀬さんは2002年研修会入会なので対局はしていません。
リアリティという意味では、開発者が大学で開発を行い、パートナーが将棋同好会に他流試合をしにいく点も疑問。大学に将棋部くらいないのか?同好会が強くなったAWAKEに歯が立たず、「強い。4・5段はある」と言う場面があるが、大学の将棋部ならアマ4・5段は普通に在籍していておかしくない。エンディングロールで協力に棋士個人名はなく、「日本将棋連盟」しか確認できなかったが、あまり口出しはしなかったのだろうか。
この映画を見に行く話をしたとき、ネットの知り合い(女性)が出演者にイケメンが複数出ている、という反応だったので嫌な予感はしましたが、別に俳優陣にどうこう、というのはありませんでした。
残念に感じたのは3点です。
(1) 映画である必要がない。将棋関連で言えばNHKで「うつ病九段」をやっていましたが、あのサイズで収まる題材だと思います。
(2) もっと表現方法があった、もっと説明の仕方があった。冒頭の長い符号のやり取りは映像化すれば良いと思った。思いの外時間が長いのでいつまでやるのか、という気分になった。また、AWAKEとの対戦で右側にずっとプログラムコードが流れていたが、実際とは違うと思われ、事実と違うデフォルメだとしても、ものすごい勢いで候補手が更新されていくとか、ノード数が猛烈な勢いでカウントされていくなど、コンピュータ将棋ソフトの凄さが可視化される表現方法があったように思う。また、先手・後手の評価値が正反対になっていなかったり、コンピュータ画面に表示される情報が常に1文字ずつ出てくるタイプライター型だったのも古臭い表現方法で勘弁してくれよ、という気分になった。
(3) 開発者がプログラミングしている時間、プロ棋士がAWAKEと事前対局している映像の時間がとにかく長い。内容に対して119分の上映時間はうんざりするほど長いので、100分程度に収めることができたのではないか、という点。
とりあえず映画内の表現でハメ手を使ったプロ棋士、ソフトが選択した訳でない「投了」をした開発者、どちらかを悪者として結論づけることになっていなかったのは良かった。(日本将棋連盟も止めると思うが)
結局、どのあたりをターゲットにしていたのかが分からず、AWAKE事件の映像化だけなら映画じゃなくても…と思った。将棋やコンピュータ将棋に詳しくなくても楽しめるような娯楽作品ならば、もっと説明的な部分があっても良かったし、ハメ手を「コンピュータの弱点」で片付けるのではなく、水平線効果なども映像化して分かりやすくするなど、工夫が欲しかった。
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