「敬意とは何かを知る」AWAKE つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
敬意とは何かを知る
奨励会に入れるほど将棋に打ち込める人は将棋が好きだからだ。その好きな理由は人によって多少の違いがあるだろう。
吉沢亮演じる主人公の清田はとにかく負けたくない。勝負の世界に生きていれば誰でもそうだろうが、清田にとっては勝つことが楽しさなのだろう。
勝つこととは強くなること。根底に将棋が好きだという気持ちがあるため勝てばいいというわけではない。
若葉竜也演じる浅川は、勝つことよりもゲームそのものが楽しいようだ。仲間と共に指す将棋、それが楽しい。
生き残りをかけたサバイバルのようなプロの世界では弱い者から淘汰されていく。幸か不幸か将棋が強かった浅川は勝ち残るが、それはつまり浅川の楽しさが消滅していくことを意味する。
清田が奨励会を去ることとなった浅川との一局。勝てるはずの勝負に自分のミスで清田は負けた。
清田は悔しかったことだろう。ミスをしなければ勝てたという思いがあったに違いない。
クライマックスの浅川対AWAKEの電王戦。
このとき浅川は将棋界の威信を背負った負けてはならない立場となっていた。
AWAKEのバグVS浅川という構図に展開していくのも面白い。
そこで浅川はバグを誘発させるハメ手を指すことになる。普通の棋士ならば絶対に指さない手だ。それはつまり棋士として「ミスしている手」ともいえる。
ミスをして奨励会を去った清田。AWAKEのバグもまた清田のミスだ。
しかし棋士としてミスをしながらも勝つ浅川が目の前にいる。負けるのはミスをするからではないと知り、同時に、このハメ手にたどり着いた浅川の膨大な努力を知る。
投了は相手への敬意だと教えを受けるが、その敬意とは、自分を上回る努力に対するものだと知る。
ミスをしないのもミスをするのもたゆまぬ努力の結果なのだ。
清田と浅川は同期でありながらほとんど言葉を交わさない。互いにどう思っているか真意は分からないが、全く意識していないことはないだろう。
清田にとって浅川は常に立ちはだかる壁であり、いつか倒したい相手だったろう。
浅川にとっては、消えていったかつての仲間の一人が再び挑んできた喜びがあったかもしれない。
しかし電王戦という場は二人の純粋な「将棋が好きだ」という想いに応えてくれるところではなかった。
それと対をなすようなエンディングは、不思議とあたたかな気持ちにさせてくれる。
相変わらず言葉を交わさない二人だけれども、将棋に対する情熱で語る二人に言葉はいらないのかもしれない。二人の「楽しさ」が同じになった瞬間に感じた。