アーニャは、きっと来るのレビュー・感想・評価
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伍長との交流…
少年ジョーとユダヤ人のベンジャミンや子供たちとの交流より、連合国軍の爆撃で娘を亡くしたナチス伍長との心の交流の方に重点が置かれ、ラスト、アーニャが帰って来るものの、上手く感情移入できなかった。ナチスの冷酷的な残虐性が映像としては描かれず、比較的、村人達にも抑制的に振る舞っているため、恐怖感が感じられず、ユダヤ人たちを国外へ逃すという大作戦も、緊張感がなく、あっという間に終わってしまった感がある。隠れている側のベンジャミンや子供たちの苦労や苦悩、アーニャとの想い出などが描かれず、ベンジャミンが囚われた後、ジョーが大泣きするのも唐突感を感じた。原作は違うのかもしれないが、短時間で詰め込みすぎたのか、中途半端だった。
ヘタレた政府に代わりボランティアが頑張る
いやいや。ちょっと成長し過ぎてません?って思ったのはワシだけ?絶対デカ過ぎるってw
児童文学が元ネタとの事ですが、ナチスが駐留した村の、リアルな生活感が伝わって来る映画でした。スペインへの国境越えのアイデアが秀逸。ナチスが手緩くてラッキーでしたが、その結末が、ただただ哀しい。
連合国のベルリン空襲で娘を失うナチスの伍長。ナチスが立ち去る最後の日に撃たれてしまうユベール。軍服さえ着ていなければ、心を通わせられる人々。
児童文学ゆえ、一般文学とは異なる染み方をする戦争ものでした。
良かった。期待値通りでした。
美しいピレネー山脈の映像は一見の価値あり。 シナリオは若干纏りに欠けるか…?
1942年のフランス南部を舞台に、ナチスドイツから逃れてきたユダヤ人との出会いをきっかけに成長する少年の姿を描いたヒューマン・ドラマ。
主人公ジョーの祖父、アンリを演じるのは『レオン』『ダ・ヴィンチ・コード』の、名優ジャン・レノ。
まず把握しておくべきは当時のフランスの情勢。
1940年5月、ドイツはベネルクス三国に侵攻を開始。フランスは主力をベルギーに派遣したが、その隙をついてドイツはフランスへ侵攻。ものの1ヶ月でフランスの首都パリを占領する。これによりフランスはドイツと休戦を結ぶが、フランス北部はドイツに占領されてしまう。
フランス北部に住んでいたユダヤ人は、中立国であるスペインへ亡命する為、フランス南部へと向かった。
フランスとスペインの国境、ピレネー山脈に住む村人たちはそうしたユダヤ人たちを救うため、亡命に手を貸した。この村人たちの献身のおかげで数千人に及ぶユダヤ人の命が救われた訳です。
本作はこうした歴史的事実を下敷きにした物語。
原作はスピルバーグの映画『戦火の馬』の原作者としても有名な児童文学者マイケル・モーパーゴの同名小説。
まず特筆すべきはロケーションの美しさ。
この物語はピレネー山脈で撮影しないと意味がない!という信念のもとで映し出される山々の神々しさは圧巻。
この大自然を観ていると、それだけで心が洗われるよう。
80年前、この地で実際に映画のような出来事が行われていたと思うと、襟を正さなければならない様な気がしてきます。
第二次世界大戦中のフランスが舞台だが、派手な戦闘描写などはない。全体的に地味で緩やかな作風。
しかし、その緩さや地味さが映画の身の丈にあっており、心地良い鑑賞体験をもたらしてくれる。
ジョーとその友人ユベール、そしてドイツ人下士官ホフマンとの交流は感動的。
特にホフマンがユベールに双眼鏡をプレゼントする場面には目頭が熱くなった😢
娘アーニャの到着を待つユダヤ人の父親ベンジャミンとジョーの交流こそが映画で最も大切な点。
ベンジャミンとの交流と別れが、ジョーを成長させる。そこが物語のキモなのに、イマイチ上手く描けていない様に感じるのは、ベンジャミンの描写が少なかったから。
どちらかというと、ジョーとホフマンとの交流に重きが置かれていたように感じ、大切なベンジャミンとの交流があまり描けていなかった様に思う。
この亡命作戦には村人全員が関わっている。だからこそ感動的でドラマチックな展開なわけだが、そこは意外とあっさり。
ドイツ兵に匿っていることがバレると処刑されてしまうのだから、もっと住民間の葛藤が描かれてもよかったのでは?
あと、ユベールの悲劇は必要だったのだろうか?なんか取ってつけた様なやっつけ感がある。
作中の時間の経過やジョーの父親の描き方でも思ったけど、結構細部が雑に作られている。せっかくの良いロケーションとテーマなのにそこが足を引っ張っているなぁ、と感じてしまった。
ルックが非常に美しいし、物語に暖かみもある、嫌味のない映画。
それだけに、シナリオを煮詰めればもっと面白くなる作品だと思ってしまい、勿体無さを感じてしまう。
ピレネー山脈の美しさは息を呑むほどなので、ヨーロッパの風景に興味がある人は鑑賞の価値ありです!
南フランスが舞台のユダヤ人救出劇。これもまた「この世界の片隅」でのお話 in 南フランスです。
ポスターから受けた印象が良かったのと
ユダヤ人救出ストーリーという内容に惹かれて鑑賞しました。
第二次世界大戦中
ある南フランスの山あいの村でのお話。
村の羊飼いの少年が
山の中で一人の怪しげな男と出会います。
その男、実はユダヤ人。
ユダヤ人の子供たちを連れて
スペインに逃げようとしているのでしたが
村に駐留したドイツ軍の監視の目が厳しく
なかなかフランスを脱出できない。
少年は、隠れているユダヤ人たちのために
食料を届ける役目を果たすのですが
その過程でドイツ軍の伍長と親しくなり
一緒に山に出かけたりするように…
あれれ
こう書いてみると
なんかとても良い話…?
と
そんな気になってしまうのですが
そういう単純なことでも無くて…
◇
戦争を題材にした作品ですが
派手な場面や、奇をてらった演出といった
そういったものとは無縁です。
登場する人たちの
会話・しぐさ・行動・モノクローム
そういった中に、次の場面で
「あ、そういうことか」
と思わせるものが
さり気なく散りばめられていて
とても緻密で繊細な
期待した以上に良質の作品でした。
観て良かった。
満足です。
◇以下余談です
何故か英会話
フランスの村人とドイツ軍人との会話が
英語だぁ しかも上手だぁ…
イギリスとベルギーの合作ということで
まあ仕方ないのでしょうけれど
とても違和感が…
ジャン・レノ
ドイツ兵と刺し違えて自爆 …しませんでした(汗)
とても良い爺さん役を演じてました。
※「レオン」の時より太…いや恰幅がよくなってますね …当然か
アーニャ
タイトルに出てくるから
主役はこの娘かと思ったら …あら
この作品の設定上、必要な人物なのに
ここまで画面に出てこないとは…
予想外でした。
(ラストシーンでも後ろ姿だし…)
◇最後に
ベンジャミンと小さな女の子 (名前忘れた…)
結局あのまま収容所行きだったのかなぁ…
とても切ない…
くすん
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
真っ直ぐな心と瞳に魅せられる
清らかな心の羊飼いの少年ジョー( ノア・シュナップ )と、ドイツ軍伍長( トーマス・クレッチマン )との交流シーンが秀逸。トーマス・クレッチマンの穏やかな眼差しがいい。
若き主役ノア・シュナップの瑞々しい演技と、名優ジャン・レノ、トーマス・クレッチマン( 映画「 戦場のピアニスト 」でもドイツ軍将校の軍服が似合っていました )の円熟した演技に魅せられました。
ピレネー山脈、雄大な自然、それらの美しい映像と人々の心根の優しさが沁みる作品。
映画館での鑑賞
実話ベースの寓話
第二次世界大戦。ドイツ軍の進行、パリ陥落後、フランスは親独政権が樹立。休戦協定が結ばれ、ドイツの占領下に置かれた。パリに近い北部では、大量のユダヤ人強制収容が行われた。占領軍への反感も根強く、レジスタンス運動、スペインやスイスなど中立国への逃亡の手助けなど、民衆レベルで行われた例も多くあったという。
スペインとの国境の田舎町では、戦火も敗戦もさほど身に迫る感なく、いつも通りののんびりした暮らしが続いていたが、隠れ潜むユダヤ人との出会い、近くの村での処刑のニュース、ドイツ駐留軍の到来と、じわじわと非日常が忍び寄って来る。
ドイツ兵達は比較的友好的な態度をとるが、村人の敵国兵への反感も強い。ふとした事で互いのへ疑念や憎悪が吹き上がり、不穏さを増していく。
ユダヤ人のベンジャミンは、親戚の家に匿われながら、はぐれた娘が必ず辿り着く筈だ、と待ち続けるが、本当は、ほとんど望み薄だと諦めていたのではなかろうか。子供達を保護して、山脈の向こうのスペインへ逃がすという行為は、彼の贖罪ではなかったか。やむを得ない事ながら、幼い娘の手を離した事を後悔し続け、だからこそ、いざ亡命の時、不安がってごねる子供の手を、再びは離せなかった。
この時、手を離さずに運命に身を委ねた2人は恐らく収容所に送られ、手を離した娘のアーニャは、後に約束の場所に無事辿り着く。運命は皮肉なものだが、どことなく、神の御心は人の理解の及ぶものではないという、キリスト教的観念が伺いとれる気もする。敵兵ながら心通わせた将校が、善人ながら子を失う悲しみを背負い、交流の終焉が幸福に終わらないのも同じく。そもそも、主人公が羊飼いであるというのが、いかにも隠喩じみている。
因果応報に慣れた日本人の感性としては、少しやりきれない思いがするが、救われた命と、救う為の人々の団結と、成長した少年の心と、美しいピレネーの山容が、口の中の苦みを僅かに和らげてくれる。
一方、保護される子供達の経緯が全く語られなかったり、傷付いて帰還し、荒れる父親の態度の変容が酷くあっさりしていたり、村人達の団結が余りにもスムーズだったりと、些かリアリティに欠ける部分もある。
何度か回想風の語りが入ったりするので、いっそ完全に語り聞かせの体裁にしてしまえば、寓話のようなものかと納得できもしたかも知れないが、何となく咀嚼しきれないもやもやが残ってしまった。
透明感と少年らしい真っ直ぐさを合わせ持つノア・シュナップ。寛容ながら切れ者のドイツ将校を人間味たっぷりに演じるトーマス・クレッチマン。頑固で魅力たっぷりの老人、ジャン・レノとアンジェリカ・ヒューストン。配役はピッタリ嵌まっている。
どうして洋画のお年寄り達は、こんなにもセクシーで可愛らしいのだろう。オルカーダばあちゃん、昔は村のモテモテマドンナだったんだろうなぁ。ジャン・レノも、お腹の出たお爺ちゃんになっても、カッコイイよ。
題材はすばらしいけど、映画の評価はまた別
『シンドラーのリスト』に代表されるユダヤ人救出の物語です。援けることに報酬はなく、ましてや他国の人であり、そしてリスクは自身の安全を引き換えにするほどの大きさ。フランスの田舎の町で数人のユダヤの子供たちをかくまい、山越えさせてスペインへ逃れさせれる計画を描きます。
救う命は数人で、何千人の命を救ったというスケールはありませんが、この逃亡ルートはあちこちであったらしく、総数で救われた命はかなりの数になるらしい。
ハリウッド方面では、地球を救うとか、人類滅亡を食い止めるとか、救出スケールは行きつくところまでいってます。救出物語の感動は救出した命の数に比例すると言わんばかりですが、そうじゃないよと気づかせてくれることがこの映画の一番よいところかもしれません。
目前の真に困っている人を助ける行為は、その困窮の度合い、対象とする人の数にかかわらず、世界を救うほどの価値がある、と信じて行動するばよいと学びとりたい。
ということで、映画の取り上げている題材はすばらしいのですが、だからと言って、この映画はすばらしいとは私は評価できません。麻薬とギャングと暴力の映画だからといって、酷い映画にはならないように。
登場人物にたいして奥行がなく、人と人とのつながりも分かりにくく、歴史も文化も背景も状況も説明するまでもないとゆだね型で、そういう作風といってしまえばそれまでですけど、全体的に誰もが固い表情と無口な行為で、はっきり言って私が期待しすぎました。
内容紹介の文章を読んで、直感でこれはおもしろいと判断したのですが、観たあとでは、『なんですか、あの内容紹介の仕事は。博報堂ですか。さすが、広告屋さん。しかし、上手というよりも……。』今度からこのブランドには注意しよ、と思いました。
それとは別に役者について。ドイツ側のトーマス・クレッチマン、トーマス・レマルキス、どちらもいい味出してますね。こんなデキそうな人達が僻地の警備役にまわされるのも違和感大有りなほどに(笑)。
森のくまさん🎵 子熊とアーニャ 親熊とベンジャミン
羊飼いの少年ジョー(ノア君)が山の中で出くわした熊。母親グマが子熊をかばって出てきたのでした。最終的に母熊は鉄砲で撃たれ、村はちょっとしたお祭り状態。ノア君の愛犬の牧羊犬は母親熊と対峙してくれて(すごい演技)、その隙にノア君は村に逃げ帰れたわけですが、愛犬を探しにひとり山に戻り、怪我をした愛犬をみつけます。そこへ子熊を抱いて現れたのが、ベンジャミンでした。ベンジャミンは内緒だから誰にも言ってはいけないと口止め。そう言われると気になって、ベンジャミンを尾行して家を確認。後日、羊のお乳を瓶に入れて、そっとベンジャミンの納屋に入り、子熊に飲ませてやろうと、シャベルに注ぐと、傍らに小さい子供の靴が落ちていて、小さい女の子が藁の中からひょっこり。ベンジャミンに見つかって・・・・この場面重要ですね。
ジョーは賢い子、状況判断ができるし、万引きはダメよと言われると、あっ、このおばさんは優しいとガッテンして、ちゃんと万引きする。えー、悪い子?この時代だもの。おおめにみてあげましょうよ。駄菓子屋で、居眠りするふりして、お金のない子にお菓子あげちゃうお婆ちゃんみたい。私の経験では、マトが当たっても難癖つけて賞品くれないお祭りのテキヤやクジが当たっても難癖つけて子供相手に大人げない駄菓子屋のおじさんが多かったけど(今でも夢に見て、ぶっ殺したくなりますw)。ステキなお店のおばさんでしたね。そこへはいってきたのは駐留しているドイツ小隊の伍長(トーマス・クレッチマン)。おばさんはなんとかして、ご機嫌を損ねないようとタバコを二箱差し出す。観ているこちらがハラハラするのに、子供相手に少しは疑問を持ちながらも、優しいクレッチマー。 ジョーは抱えきれない食料品を落としてしまうがお駄賃はハチミツと聞いて、
「ハチミツ食べたいなー」
プーさんかよ❗
なんかいいですよね~
クレッチマンの上司は中尉のアタマツルツルの役者さんで、最後のほうで、ジョーの知恵遅れの兄を射殺してしまう。クレッチマンのくれた双眼鏡を兄にあげたジョー。クレッチマンは上官に逆らえないけど、うつむいてしまう。この場面だけが悲しい場面で、ナチスの兵隊さんはピレネー山脈の麓の村に派遣されて故郷を思いだし、そんなにあこぎなことはしない。そうですよ。日本だって、戦争中に派遣されたところで、のどかな現地の人との交流は温かく、現地の人にむしろ一兵隊であること同情される人が多かったらしいですね。ナチスでもこんなに自然豊かで、きれいな村に派遣されたら、優しい気持ちでいたいと、人間だもの、願うと思いますよね。
ベンジャミンは戻って来なかったけど、アーニャは戻ってきた。ベンジャミンは母熊で、アーニャは子熊だったと思うと涙が止まりません。
ジャン・レノとアンジェリカ・ヒューストンのいるあのきれいな村に行きたくならない人はいないと思います。
原作が児童文学なので、アタシのIQにジャストミートでした。
アーニャの話では無いですな
スピルバーグ監督作品の「戦火の馬」がやたら面白かったので同じ作者の原作とあり鑑賞。
オープニングで、おそらくナチスの収容所に連行されそうになる父親と幼いアーニャ。
父親の機転で叔母?の家で落ち合おうとアーニャと意図的に離れ離れになる。
おー、これはなんとも切ない。その後の展開に期待や!と前のめりになったがその後、ラストまでアーニャは全く出てこず、違うストーリーになる。
ナチスドイツに狙われるユダヤ人の幼子達をかくまいスペインへ逃すべく家族の物語となる。
この手の映画の独特の見つかる見つからないの攻防となるあたりは緊張感があって見応えある。
しかし、どーやって幼かったアーニャは叔母?の家に着くとベンジャミンは考えたのか?
かくまう側のそれぞれの人達とドイツ軍の伍長と中尉の物語でしたね。
とてもよかった
ナチスの中尉は人間味のある人で、敵なのに単純に割り切れない気持ちになる。国境とは言えあんな僻地に派遣されるナチスは相当暇だったのではないだろうか。子どもに洞窟暮らしをさせるのはつらい。普段人種問題は身近にないので、このようなテーマの作品はSFのようだ。
音楽と綺麗な風景の映像は良かった!
タイトルそのまんまのストーリー(笑)
でもアーニャは最初と最後に少ししか登場せず。
彼女やお父さんへ感情移入する事はく無く感動する事は無かった感じ。
加えて涙も全く無し....
ドイツ軍に監視されたユダヤ人がスペインにどうやって逃亡者するのかがメインのストーリーの認識だったけどちょっと違った。
スリリングな展開やドキドキハラハラなシーンも無し。
本作の表現したかった事も解らず。
この手の作品では珍しくドイツ軍の方が優しい。
人間味があったのは良かった。
特に伍長のおじさんは好感度アップ!
とにかく美しい音楽と綺麗な風景が素晴らしく、そこは評価したいところ。
残念なのはスクリーンサイズが小さめてでテレビで映画を観ている感じ。
劇場で観る良さがあまり伝わって来ませんでした( ´∀`)
雰囲気は悪くは無いものの
この作品は事前に知っていたわけではないですが
封切り日に何かと言うことで観賞
戦火の馬などの原作で知られる作家の実写化作品
感想としては
・美しすぎるピレネーの大自然
・の割に所々ディティールが甘い
・どうやって子供だけであの村まで?
・伍長は計画薄々わかってたでよくない?
・観てる側の予想に応えない
・別にそれでもいいけど面白くなってない
など惜しい感じでした
1942年のドイツ占領下のフランスで
強制収容所に送られそうになったユダヤ人ベンジャミンは
幼いアーニャを隙を突いて逃がし南仏のスペインとの
国境付近にある母オルカーダがいる実家で落ち合いスペインへ
脱出するよう約束します
そしてその南仏の村の13歳の少年ジョーは
そのベンジャミンと偶然出会いその計画を知り
やがて村にもドイツの駐留部隊がやって来ますが
計画に協力し誰にも口外せず協力していきます
この村の規模がいまいちわからないんですが
部隊の数は30人もいないのを見るとそこまで大きくなく
村まではおそらく一本道ですがこんな環境でユダヤ人の子供が
どうやって逃げてこれるのかは一切触れられませんが
相当難しいのではと首をかしげながら観ることになります
ドイツの部隊は顔が怖いがジョークが好きな中尉と
穏やかな伍長が上官で駐留する間もジョーらとは比較的
友好的に相対していき
ジョーは父親が捕虜になって帰ってこないこともあり
警戒しつつもその後伍長が娘を空襲で亡くした事に同情し
少しずつ一緒に鷹を見に行くなど打ち解けていきます
しばらく経つと父が突然(ほんと突然)捕虜から帰ってきます
手をケガして働けなくなったからという事でしたが
そんな理由でアッサリ帰ってこれるものなのか?
出稼ぎ労働者と大して変わらないじゃん…
まあそれは良いとして父は働けない事で飲んだくれ
ドイツ兵を憎んでいるため伍長と交流してた
ジョーを「協力者」となじりますが計画を黙っていた
じいちゃんのアンリが全てを話しジョーは逆にドイツに
反抗している事を説明すると
父は今までがウソのように脱出策戦に協力します
そしてある日羊を丘に移動させる行事に紛れてユダヤ人の
子供たちを村人らと協力して脱出させる作戦を決行します
しかしベンジャミンの娘アーニャは未だ現れません
ここでベンジャミンは自分は残って待ち続ける事も示唆します
結局その計画はうまくいき丘の上の小屋に子供を匿えたのですが
そこへ伍長がつけて来て場は緊迫しますが深く詮索することなく
その場を去って行きます
ここもだったらなんでつけてきたんだよって位
大変な行脚なので少しは調べろよと思ってしまいます
この映画伍長の娘が死んだとか細かな伏線は張る割に
回収が結構ボヤけており肩透かしをくうところが多いです
実際伍長はこの計画を察知していたに違いない
ような行動をとっているのですが後にそれを聞くと
何かを隠しているとは思ったくらいの事しか言いませんし
ジョーと同じくらい交流していたユベールが最後に
中尉に銃を向け射殺されたときもそう何もリアクションせず
去って行きます
確かに立場上そうするしかないんでしょうが映画的に
演出がもう少しあってもと思ってしまいました
勧進帳の関所の役人も「わかってて見逃す」からあの話は
感動できるんだと思うんですけどそういうのにこちらが
慣れてしまっているのでしょうか
雰囲気や演出は素晴らしいんですが
なにか舌っ足らずな印象を受ける惜しい作品でした
【ピレネー山麓の南フランスの村で第二次世界大戦中に行われた”崇高な行為”を静かなトーンで描いた作品。ドイツ人伍長の視点も絡ませて”命の大切さ、戦争の愚かさ”を描いた作品でもある。】
■今作品でのナチス・ドイツ軍は、”残虐な人間性の欠片もない輩達”としては、描かれない。
その代表は、ホフマン伍長(トーマス・クレッチマン:「タクシー運転手・・」で、光州に乗り込んだ記者役が記憶に新しい、ドイツの名優である。)であることは、観れば分かる。
フランス人の村人達への態度もキチンとしており、ベルリンで電話交換手である娘を誇りに思い、ハチミツが好きで、双眼鏡でピレネー山脈の空を舞う鷲を見る事を楽しみにしている、思慮深き男として描かれる。
そんな彼に、ある日娘が連合国の爆撃により命を落とした事が伝わり、彼は深い憂愁の表情を浮かべ、ピレネーの美しき風景をぼんやりと眺めている。
- このホフマン伍長の存在が、この作品を従来のナチス・ドイツを描いた映画とは違う風合を醸し出す作品にしている。
”トーマス・クレッチマンは、良い役者だなあ・・”と思う。ー
◆印象的な事柄
1.幼いアーニャと共にユダヤ人収容列車から逃れ、アーニャを別のフランス人たちが乗る列車に乗せ、自分は姿を消すベンジャミン(フレデリック・シュミット)。
- そんなに、簡単に逃げられるのかい?、と一瞬思うが、ホームの男性が吠える犬を静にさせる姿や、アーニャを受け取る女性たちの姿を見て、”ドイツ国内ではないのだろう・・”と類推する。
当時のフランス人たちが祖国をドイツに蹂躙され、内心は激しくナチス・ドイツを憎んでいた事は多くの書物、幾つかの映画で描かれている。
その思いは、ベンジャミンがオルカーダ(アンジェリカ・ヒューストン:芯の強い老いた女性を好演:流石である)の納屋に隠れている村に住んでいる、羊飼いの家の息子ジョー(ノア・シュナッブ)や祖父アンリ(ジャン・レノ)達のドイツ兵に対する態度からも分かる。
古いライフルをドイツ軍に”預ける”際のアンリの言葉。”ヴェルダンの闘いで使った銃だ!” -
2.ドイツ兵の態度が比較的、温和である事。
ー 彼らが駐留する場所がフランスの片田舎である事も原因の一つであろう。”SS:ナチス親衛隊”などが駐留する必要のない場所なのである。もしかしたら、ドイツの一般市民が一時的に兵士として駆り出されていたのかもしれない。-
3.ドイツ軍に囚われていたジョーの父(ジル・マリーニ)が4年の空白を経て、故郷に戻って来るシーン。PTSDのような症状や、ドイツ兵を見る視線。パブでドイツ兵に絡むシーン。ハラハラするが、ホフマン伍長は相手にせず、部下を連れて静かにパブを出る・・。
そして、ジョーがホフマン伍長と”一緒に山に登っている”事を知り、激怒するが祖父アンリから、真実を告げられるシーン。
又、知的障害と思われるユベールがホフマン伍長に贈った贈り物。
- 何気ない描写だが、ジワリと沁みるシーンの数々である。ホフマン伍長たちがキチンとした人間性を保った人物として描かれている・・。-
4.ベンジャミンが子供たちを村人たちの協力で、隣国スペインに山を越えて、逃がそうとするシーン。
- ドイツ兵が参加しているミサで、いつもより長い話をする牧師。そして、翌日、山小屋に隠れていたベンジャミン達の所にやって来たホフマン伍長とジョーの父との緊張感溢れる会話。
”娘を亡くした”ホフマン伍長が、小屋の中から幼き女の子の咳が聞こえてきた時に取った行動・・。 -
<物語の幾つかの部分の描き方は、やや粗い。
だが、今作が
”大人になったジョーが、当時の出来事を振り返るモノローグで彩られている点”と、
ドイツ軍のホフマン伍長を演じたトーマス・クレッチマンの、
”哀しみを抱えつつも、人間性を保とうとした姿” に魅入られた作品。>
体制の中の倫理観
ナチス占領下の中で、ユダヤ人をかくまったり、助けたりする映画をよく観ている。この映画でジョー(Jo:Noah Schnapp) が親しくなったドイツ軍の下士官に触れてこのレビューを書いてみたい。
現在まだ ユニバーサルな問題である、人間のサガか運命か知らないが、もしかして本質なのかもしれない。『人にされて嫌なことは自分もするな』ということで、人にされて嫌なこ
とだと十分わかっているが、体制のなか(この場合、ナチ政権)のなかで、個人の感情はなしで生きなければならない、そして、その中で生きていく人の罪の意識に深く同情する。
そして、自分の本意を通せず、辛い思いをし、それで、一生、いきていって、死ぬまで、後悔をしている人もいるだろう。辛いだろうね。
この映画を見ながら、イーストウッド監督の、第二次世界大戦における硫黄島の戦いを描いた『硫黄島からの手紙』を思い出した。ここでも、日米双方の視点から描いたといってるし、それがよくわかる。太平洋戦争のなかで敵味方と戦っていたが、国の戦いであっても、人間がいる限り、倫理観はそこに出てくる。大戦の中、自分の意見が揉み消されて、善悪を理解できる人間が生きていくのには葛藤が多すぎる。『硫黄島からの手紙』ではそれが、単刀直入に現れている。
しかし、ドイツ将校(トーマス・クレッチマンThomas Kretschmann)とジョー(Jo:Noah Schnapp )との関係は二人の気持ちの動きをよく見せている。最初、スーパーであって、ジョーは将校を先に買い物させたかったが、将校は寛大な態度で村人の買い物風景を楽しんでいるように待っている。ジョーが買い物袋を落としてしまったところから二人の会話は本格的に始まる。子供好き、人好きな将校はジョーと話すことにより、自分の子供と話しているような気分になるんだと思う。ジョーに対する優しい眼差しは『ドイツ将校』の眼差しではなく、占領下における独裁者の眼差しでもない。人として手を差し伸べている。徐々に、人間関係を築いていってるいくシーンだから好感が持てるし、『硫黄島からの手紙』より、心にジーンとくる。彼の善意はよくわかる。最後、敗戦でドイツ軍が引き上げでも、体制のなかにいる心のある人でも、 ドイツ中尉がフルベルト(ジョーの友達で身障者)を撃ち殺すところを止めることができなかった。
この青年ジョーにとって、ドイツ将校と会話をしたことにより、人生において、敵の中にも心が通じ合える人がいることがわかったと思う。そして、心のある人がこの体制の中で、なにもできないことがあることも。
映画を見終わった後、スペインとの国境にある、レスカンLescunという村を調べた。緑が豊かで、映画のように美しい村だ。ピレニー山脈の麓の閑静な村で観光地にもなっているようだ。
トーマス・クレッチマンThomas Kretschmannというドイツ将校を演じた俳優だが。人を大切にする演技が上手でだった。英語も発音がよく、ドイツ語が話せるのと思ったほどだ。ジョー役ノアも英語にアクセントをつけて話していて、ノアの話し方とはまるっきり違う。この映画は英語を使っているのが解せない。(まあ、この小説が英語でかかれているからね。)将校同士がちょっとドイツ語を話したり、村人が片言フランス語を話すだけで、不自然だった。やっぱり、フランス語、ドイツ語で、将校と村人の会話は通訳が入った方が自然な映画になる。正直なところ、この映画の後、英語圏の落人が住んでいる村かと思って、レスカンで使われている言語をしらべたが、英語という情報はなかった。
人間の持つ本能の美しさ
東京国際映画祭にて鑑賞。映画祭で上映するに相応しい非常に優しく美しい作品であった。
ユダヤ人狩をしているナチス支配下にあるフランスの田舎村に住む主人公のジョー。彼がひょんな出会いから森でユダヤ人のベンジャミンと出会う。
ジョーは頭ではユダヤ人と接触を持つ事は禁じられてる事は分かっているが、父親と離れ離れに暮らしていることもあってか父親くらいの年齢のベンジャミンに親近感を抱き、そして彼の優しさに惹かれて関係を築いていく。そして、その後彼のまだ幼い姪や甥らとも出会う。少年少女達とまた同じように接する。
一方村を支配するナチス兵にもユダヤ人の存在をバレないように警戒はするものの、ナチス兵の中尉の優しさ、人間味に惹かれ彼とも親しい関係を築く。決してジョーは中尉の気を逸らすのが目的で関係を築いたわけではない。そこにももしかしたら父親の存在が重なったかもしれないが、一人の友人として親しい関係を築いてたように見えた。これこそ人間の本能であろう。
中尉もまた自分らがやっている事は正しいのか胸を苦しませる。ジョーとユダヤ人が密かに関係を築いてる事は早い内に察してはいた。彼らを直接的に助ける事はできなかったが中尉にできる限りのサポートをし正義を通していたようにも見えた。これもまた人間の本能であろう。
ベンジャミンの姪と甥の多くは国を脱出することができた。残念ながらベンジャミンと一人の姪は捕まってしまう。ナチス兵による村の支配から解放される際にはジョーは友を一人失った。
ベンジャミンが捕まった後に離れ離れになりずっと再会することを信じてきた娘アーニャが村に辿り着きジョー達と合流するところで話は終わる。
全てがハッピーに終わる事はできなかった。この辺りは非常に現実味がある展開ではあったが、この作品はナチス兵を必要以上に悪く描く事もなく比較的優しく見やすい作品に思えた。
ジョーや中尉、そしてベンジャミンらユダヤ人。互いが互いを公に認め合う事、助け合う事ができない時代の中彼らなりにできる精一杯の正義がこの作品では描かれており、それが人間の本能であると共にその本能の美しさを非常に堪能する事ができた。
人間は時に悪魔となる事もある。それが時代や環境だけのせいにするのは違うと思うが、そういった背景が悪魔と化す事も多いだろう。
本来人間の本質、本能というのはジョー達のように美しいものである。そうであると信じたい。
この時代に比べた今はいくらか自由な社会ではあるが、まだまだ社会には誤ったルールやモラルは多く存在する。
人間が持っている美しい本能が誤った社会のルール、モラルに縛られる事なく、存分に表現できる社会をこれからも更に目指して行き優しい社会、世界をつくる事の大切さを改めて感じさせてもらえた。
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