海辺の彼女たちのレビュー・感想・評価
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進むのか、留まるのか。映画が問いかけること。
藤元明緒監督の『海辺の彼女たち』を観たのは去年5月8日のことだった。
上映後、監督と少し話す機会があり、冒頭から全編を覆っている暗さについて、そして彼女たちのひとりが涙を流す瞬間、最も印象に残ったことを伝えると、「演出ではなく自然に溢れた涙」だったと教えてくれた。
公開から約10ヶ月、3月15日に下高井戸シネマで再びこの映画を観た。
舞台に立った藤元監督は、今回の上映がひとつの区切りだという。日本に住むミャンマー人家族を描いた長編デビュー作の後、友人たちや報道で来日した“技能実習生”のことを知りリサーチを始めた。脚本が完成し、ベトナムのオーディションでは奇跡のようなめぐり会いで3人の女優が決まった。撮影は青森の外ヶ浜町で行われた。地元の猟師さんや平舘観光協会の人々は、どんな内容の映画になるのかを理解した上で炊き出しなどで応援し、エキストラ出演も快諾してくれた。
冒頭、3人のベトナム女性が仕事場を抜け出す。技能実習生という名目で日本に出稼ぎに来たのだが、1日15時間以上、昼も夜もなく働かされた挙げ句、給料がきちんと支払われない。脱走を決意した彼女たちは、真っ暗な所を歩きフェンスを越えて駅に向かい、電車とフェリーを乗り継いで仕事斡旋人が待つ東北の港に辿り着く。
雪が舞う中、隙間風が吹く小屋に案内された彼女たちは、身分証は前の職場に残してきたと不安を口にする。ブローカーは「ここでは必要ないから大丈夫」だと安心させると謝礼を要求する。ひとり数万円、来月には残り半分と給料の一割を差し出さなければならない。
翌朝、仕事が始まる。水揚げされた魚を選別し洗ってケースに入れて車に積み込む。その後、雪に埋もれたブイを掘り出して付着物を剥がし、きれいになったら港へと運ぶ。華奢な女性にとってかなりヘヴィーな作業が延々と続く。
稼いだお金は故郷にいる家族に送る。生活のために、兄弟の進学資金として使ってもらうことを彼女たちは当たり前だと思っている。自分の幸せを考えるのはその後だ。だから今は目の前の仕事を黙々とこなしていくだけ。
海辺で働き始めた彼女たち、だがフォンの顔色は冴えない。身体が重くてお腹が痛い。吐き気もある。共に働くアンとニューに「多分妊娠している」と告げた彼女は、ふたりに付き添われて病院へと向かう。だが、滞在証明書と保険証がない者は診察できないと門前払いされてしまう。
仕事場に迷惑をかけるわけにはいかない。働かないと給料はもらえない。生真面目に働くふたりに頼ってはならない。仕送りを確認する故郷からの電話も受けられない。診察してもらうにも身分証が手許にない。刻一刻、フォンに重大な決断の時が迫る…。
世界の価値観を根底から覆す蛮行=ウクライナ危機がなかったとしたら、僕は再び彼女たちに再会することはなかっただろう。
繰り返しになるが、この映画は半歩先すら見えない真っ暗な夜から始まる。いきなり彼女たちの眼前に深い闇が立ちはだかるのだ。暗くて何も見えない。進むのか、留まるのか。この問いかけは間違いなく僕たち観客に向けられている。
寄る辺のない国で身を寄せ合う女性たちの小宇宙
日本での外国人就労問題を扱っているというだけでなく、『17歳の瞳に映る世界』に通じるテーマ性も持った青春映画になっていた。
ベトナム人キャストの佇まいが素晴らしく、みずみずしさと真摯さを感じさせてくれる作品になっていると思う一方で、ドキュメンタリータッチの手持ち長回しの撮影が余計な作為を目立たせてしまうと感じた。
ナチュラル風に撮ることと、ナチュラルに見えることは違う。もしかすると監督はその差異を出したかっただろうか。しかしその差異がプラスの要素だという気はしない。
とはいえ、なるべくカメラが3人の女性に寄って、周りの人たちは最小限にしか映さないというコンセプトは、寄る辺のない国にいる彼女たちの小宇宙のようでとても良かった。あとは長回しへの信頼やセンスの違いなのかも知れない。
日本の新しい現実を見つめる作品
技能実習生制度にかんする報道は多くなされ、その人権侵害的な実態が多く知られるところとなっている。だが、なかなか、この問題に対する関心が高まらない。日本人は仲間に優しく、そうでない者に冷たい傾向がある。この映画に描かれた3人のベトナム人女性は、多くの日本人にとってまだ仲間ではないということなんだろう。
だからこそ、この映画は大変に価値がある。すでに彼女たちのような存在なくしては仕事が回らない場所が日本にはある。なんとか、日本にとどまり、故郷の家族に報いたいと過酷な生活を頑張る人たちがいる。異国で働くというのはとても大変なことだ。当たり前の権利が当たり前でなくなる、例えば、この映画にも出てくるように病院にかかるのも一苦労なのだ。1人のベトナム人女性の妊娠がプロットの中心を占めるのだが、心電図を見た彼女が漏らす「小さい」の一言に心が動かされる。
すでに、日本は多くの移民が流入する国だ。彼女たちもこの国の一員なのだと認めねば、社会を前に進めていくことはできない。この映画は、日本の新しい現実を見つめている。
日本で暮らす外国人の生きづらさを伝える藤元明緒監督の第2作。バトンをつなげるのは観客一人一人
前作「僕の帰る場所」と同様、藤元明緒監督の長編第2作も日本で暮らす外国人の生きづらさを描いている。本作製作の発端は、藤元監督がミャンマー人の妻と一緒に運営していたFacebookページを通じて、ミャンマー人技能実習生の女性からSOSのメッセージを受け取ったこと。実習先で不当に扱われ逃げたいと書いてきた女性とのやり取りや、自身の妻が日本で体験した差別や不安、そして近年は技能実習生の半数を占めるというベトナム人が多く失踪している現状などに基づいて脚本を書いたという。
フォン、アン、ニューの3人はベトナムから来た技能実習生。3カ月働いた職場では土日も休みなく1日15時間働きづめだが残業代も支払われず、ある夜逃げ出して青森の港町にたどり着く。そこでブローカーから漁港での仕事と寝床を世話してもらう。故郷の家族に仕送りをするため新たな環境で懸命に働く3人だったが、やがてフォンが体調を崩してしまう。
藤元監督は冒頭、技能実習生が劣悪な条件で過酷な労働を強いられ、失踪~不法就労という苦渋の選択をするまでを前提として示す。外国人受け入れをめぐる問題への視野を広げてくれる序盤だが、映画の主眼はそこではない。家族から遠く離れた異国で心細い思いを抱えながら働き暮らす彼女たちの支え合う姿や、不自由な選択肢の中から決断するしかないフォンの孤独な“前進”へと、物語はシフトしていく。大きな社会の問題を客観的に眺めるのではなく、困難な状況にある当事者として、あるいはそばにいる仲間として、この物語を受け止めることが促されているように思う。
本作は鑑賞して完結する映画ではない。日本に暮らす観客ならなおさらだ。とはいえ、なにも社会の変革や制度の改善のために行動を起こせなどと言うつもりはない。自分が思ったこと感じたことを、たとえば映画.comのレビュー欄でもSNSでもいい、誰かに伝える。そうしたささやかな想いのバトンがつながり広がっていくことで、明日の社会が今日より良くなっていくのだと信じたい。
意志をもって撮られた映画
過酷な労働環境での外国人労働者。
見ているとこの国の人(日本人)はもう少し優しくなれないのかと問いかけたくなる。
同時に日本をどうして選択したの?と彼女たちに問いかけたくなる。労働先としてあまりいい選択ではないのだから。
ハイエナのように(古い喩えだが)たかっていきるある意味たくましい連中。利用され、翻弄される、働くしかない労働者たち。
それでも、彼女たちは生きていく。生きていく道を選ぶ。
誰のためか。母国の家族のため。
「不法」労働者たちを責めることはできないだろう。彼女たちの国は責めれても。彼女たちの労働を法的に受け入れることは将来の日本の力になる筈だが、まだ今は旧来の方たちの不安が強く難しい。
メッセージ性の強いこの映画は、光と暗闇を巧みに使い分け、印象的なシーンを演出する。日本人以外の演技は良い。
タイトルなし
県映画サークル協議会の上映会(今まで見過していた!)にて鑑賞
親切なことに外国人技能実習について事前に参考資料を配布、鑑賞後支援団体の方の解説も有った⇐無かったら静かな映画だったので完全アウトだった 哀しむべきことに日本はこの制度実に都合良く利用してきたようです そして最近の難民移民映画見る前に見たかったよ...
出勤ではなく失踪する場面だったのですね 作中仕事内容のブラックなところはあまり語られず そしてメインは心当り有ったなら最初から打明けてほしかった、なフォンさんと不法就労者の医療問題に
日々働いていると不満、ストレスとか悩みを抱えたり、法律に護られているからこそ意識出来ることなのかも それ以前の人道的、基本的人権問題だと思った
当事者性
日本人監督だけれど、実際に法律の溝に落ちてしまう外国人を扱うからには、それなりの覚悟が必要だろうけれど、この監督は実際にミャンマーの方とご結婚されていると聞いてから、日本映画の活動家系譜を勝手に思い出していた。土許、原、足立など対象に近づきまくった結果として本人も活動に参加していく監督。その最新型かなと思っていた。
半分当たっているというか、映画としての鋭さが素晴らしい。どのシーンも決定的。前作も合わせてみたが、前作の方が開かれているようにも思うが、かえってこちらの研ぎ澄ましたミニマルな作りの方が映画ファンには愛されるのかもしれない。
生な声、生な眼差し、生な風景
もちろんフィクションなのだけど限りなくドキュメンタリーを観ている感じになる。ひとつには主演の「彼女たち」のみを追っていくからだ。しかしどこでこのような被写体をみつけたのか。とてもいい。
やり方として、日本人の視線を入れ込んで描くと方法もあるとは思うのだけど、そこにはまったく興味もなくひたすら「彼女たち」の彷徨を追う。出てくる日本人にも芝居を要求してない。音楽もなくひたすら彷徨う。そしてどこに行き着くのか、で放り出される。
流れ流れて産婦人科にたどり着き、エコーで聞く赤ちゃんの音、そして影。そこでつぶやかれる言葉(日本語)の破壊力。そして最後のオレンジ色のストーブの明かりに。なんの芝居でもなく、淡々とクスリを飲み、横たわるときに溢れる声。そこで終わるとは。
ドキュメンタリーではなく、劇映画として
技能実習先を脱走し、ブローカーの手引きで、冬の東北の漁港で働くこととなった3人のベトナム人女性。
冒頭、暗闇の中をスマホのライトを頼りに脱走する3人の息づかいがリアル。フェリーターミナルに迎えに来たブローカーの車の中で、技能実習先の労働環境の過酷さを訴えるが、それに対するブローカーの言葉も怖い。果たしてこれからどんな運命が彼女たちを待ち受けているのか、という映画的なスリルがある。
しかし、過酷な運命に翻弄されるといった展開ではなく、後半は、3人の女性のうちの1人が主人公となり、葛藤、逡巡する姿を密着して追っていく。主人公の表情を手持ち・長回しで追い続けるカメラが、息苦しいほどに生々しい。
台詞はほとんどがベトナム語。冬の東北の日本海側の漁港とローカル鉄道のロケーションがいい。
非人道的な日本の技能実習制度の闇をベースにした貴重な作品だけに、「一日15時間働かされた」「給料を払ってもらえなかった」ことを、台詞だけでなく、断片的にでも実写で表現してほしかった。撮影に協力してくれる企業があるのか、実際は難しいとしても。
しかし、社会的に描くべきテーマを、ドキュメンタリーではなく、劇映画として描こうとする姿勢に、大いに賛同する。劇映画作家としての資質も感じられた。次回はさらに骨太に描いた作品を期待したい。
ドキュメンタリーとしてもドラマとしてもあとすこし足りない
技能実習生の映画という断片的な情報だけ持って観に行ったら、“元”技能実習生の映画だった。
冒頭で「15時間働かされていた」「お金をもらえなかった」過去の職場から逃げ出してきたという言及があるが、まさかこれが技能実習生として働いていた職場のことだったとは。
この情報を頭に入れておくと、入れないとで大きく違う。
何故かと言えば、その後の彼女達の立場は『母国の家族に送金するために不法就労をするベトナム人』で固定されてしまうから。
なお、技能実習生時代のエピソードはこの断片的なセリフで終了。
恐らく同郷と思われる謎の仲介人(仲介料がバカ高い)により紹介された仕事は青森の水産物加工所のようだが、映像で見ている限りではそれなりに賃金も出ているし、温かい寝場所や食糧の提供もある様子。
怒鳴りつけるスタッフもいるが、怒る理由が至極真っ当なので、この辺の理不尽さを期待して観に行く人は肩透かしを喰らうと思う。
『海辺の彼女たち』というタイトルなので、メインの登場人物は3名いる。
ただし、正直なところ主人公役と言えるのはうち1人だけなので、実際は『海辺の彼女(たち)』という感はある。
全編を観た感想としては、
《良かった点》
・技能実習生たちを食い物にするシステム(仕事の仲介人、偽造MNカード作成者等)がリアルだった
・舞台が青森の港町なので、海外の労働力に頼らざるを得ない環境も見ただけで理解できた
・敢えてあの場面で切ったラストが昔のヨーロッパ映画みたいで良かった
《わかりにくかった点、共感しにくかった点》
・元技能実習生であるというエピソードをもっと入れてほしかった
・本当に相手は母国の人なんだろうか…
・多分病院のその対応、後で院長先生に怒られますよ
技能実習生の苦しい生活にスポットを当てた作品と言うよりも、家族か仕事かを選ぶ行動の方に重きを置いてしまったように感じる作品。
題材は良かったのにもったいなすぎる。
リアリティ重視のつらい作品
なぜ彼女らは逃避するのかその根本を知りたいところではあるけれど、そんな疑問がかすむくらいのリアルなテーマに疲弊した。
特殊な状況下の彼女らのつらさは、決して特殊な事柄ではなく、いま日本に住む全ての人に関わってくるような現状を見た気がする─というと大げさになってしまうけれど、そう感じさせるくらいの真実味があったのでは─。だから余計に見ていてつらい・・・
ドキュメンタリー風だけど、解説欲しい
評価高いということで観賞しましたが、
ある程度の解説見てからの方がわかりやすいかも…
最初逃げ出したんだと、気づかなかった、逃げ出したから、
青森での生活で、在留カードと保険証が無いのはそういうことかと。
日本語話せて、生活自体は何とかやってるけど、支援がなく、ブローカーから、搾取されたりするのが、リアルなのかなと。
冬の青森の寂れた感じと合わさって、移民の辛さが際立つ
ただ、映像が終始暗めなのと、無音のシーン多いかなぁ…
日本を嫌いにならないで欲しい
技能実習生としてベトナムから日本へやってきたものの、1日15時間労働で、土日も休みが無いという不当な扱いを受けていた職場を逃げ出した3人のベトナム人女性。前の職場にパスポートと在留証明書を取られたままで違法な存在となってしまった彼女たちは職業斡旋のブローカーを頼りに雪の降る北の港町にたどり着いた。その漁港で獲れた魚を洗い、箱に詰める仕事をすることになった。ところが1人の女性フォンが妊娠してたことが分かり、在留証明書も保険証も無く病院にも行けない。さてどうする、という話。
オンライントークが有り、藤元監督が実際に知りあいになった外国人技能実習生の女性が、過酷な労働の日々の末に行方知れずになったことがあり、その後を想像して制作されたとの事。
夢と希望に胸を膨らませて日本に来たはずなのに、法律も守らないような職場で長時間労働させ、賃金もまともに払わないなんて事実なんだろうが悲しくなる。
実習生の人達が日本を嫌いにならないで欲しいと願う。
負の連鎖と悲しみを生んでいるのは日本人
藤元監督の演出は本当に見事です。
まさに今起きている瞬間に寄り添っている
ような映像。が故に、目に入ることものが
ストレートに心に刺さります。
ただ横で撮っているわけではないのに、
そう見せるって・・・恐ろしい演出です。
海外からの技能実習生の酷使、都合よく
こき使う話は聞いたことがあります。
本作は酷使された職場から逃げた技能実習生の
その後の話です。実際の被害者の話を元に
作り上げた物語ですが藤元監督演出が故に、
「どこかで起きている事実」として、
技能実習生当人達の心情も含め
リアリティ120%で我々に届きます。
本作は「あまり知られていない事実」を
虚飾なしに「多くの人に伝えられる」ために
作られたと思っています。
この奴隷のような悲しい日々を送っている
彼女達を作ったのは国でも法律でも制度
でもないです。実習生を受け入れ、弱者を
食い物にした一般人です。
逃がし屋で稼いでいるのも一般人。
証明書偽造で稼いでいるのも一般人。
我々の生活のすぐ横で悲劇が起きているかも
しれないということを知る必要があるのです。
本作がもっと有名になって全国でいや、全世界で
上映されて欲しいです。日本の多くの方に知って
欲しいです。その結果、多くの方が近所の
技能実習生を受け入れ元を注目するようになれば
良いと思います。
全世界の多くの方に知ってほしいです。
日本への実習滞在について二の足を踏むように
なれば良いと思います。
いい気になっている日本人はそうでもしなくちゃ
気づけないのでは?と思います。
彼女達を生んだのは一般人です。
彼女達が負の連鎖から逃れられない、
逃れる術を持てないのは準備できていない
役所、行政側に問題があるのでしょう。
性善説でしか運用整備をしていないのではないか?
施策の振り返りや改善をせずやりっぱなし
なのではないか?
いや、そもそも搾取する連中がなぜ生まれるのか?
(人材斡旋という人身売買にも見えます)
今発生している事実は本作や「僕の帰る場所」で
藤元監督は十分語っていただけたので、今後は
この「なぜ?」を描いて欲しいです。
そして、我が国の海外受け入れの問題点を
提示して欲しいと願います。
観て知るべき内容の秀作です。
異化の力
聞き慣れているはずの日本語。見慣れているはずの日本の風景。それらが、よそよそしく寄る辺ないものに感じられる。知らないうちに、不法就労のベトナム人女性の感覚に共感していたのだろう。これぞ、この映画の表現の力なのだと思う。
物語内では外国人を低賃金労働者として搾取する道を作る技能実習生制度は焦点化されない。マクロな視点からの問題提起ではなく、一貫して技能実習生制度によって日本にやって来たベトナム人女性のミクロな視点から捉えられた世界を映し出す。それだけに、異国の地で制度に守られずに働く事の不安感がしんしんと伝わってくる。
日本で働いて家族に仕送りをしたいと願っていただけなのに、(極悪人ではなく)不誠実な人間に出会ってしまっただけで、恐ろしい困難に陥ってしまう。この映画は、困難な状況に陥った人に国や言語を越えて共感する事の大切さを教えてくれる。そこを飛び越えて、制度の不備を批判したり、反対に、不法就労である事を以て自己責任と突き放しても、その言葉に説得力は宿らないのだろう。
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