「想像するがそこまでは求めない」ノマドランド parsifal3745さんの映画レビュー(感想・評価)
想像するがそこまでは求めない
自分も60歳の齢を越えたので、自分だったらって想像してみたが、なかなかやろうとは思えない。もちろん、ファーンの場合には、住んでいた町が町ごと無くなったためという理由があるが。日本には、人が住んでいないアリゾナの荒野のような土地がないせいもある。アメリカには、西部開拓の歴史もあるからか。
アマゾン等の単純労働を転々としながら、同じような高齢者が助け合って、一つのコミュニティを作るのは、アメリカならでは。リーマンショック、製造業の没落、国民皆保険制度がない等、ブルーカラーを締め付ける環境の中で、座して待つだけではなく、自分の力で切り抜けようとする力強さが、アメリカ人に宿るDNAみたいなものか。
抑え目のピアノのBGM、不便なバン生活の制約、雇用の不安定、物々交換、その中でも馴染みの仲間との支え合いと交流。
日本でも、単身世帯となった高齢者の生活は、子どもたちとの関係がなければ、大きな差はないかもしれない。仕事は限られ、地域との付き合いは限定的、あとは同じ趣味を持つ人たちとの交流程度。
「ノマド」は、過酷な環境ではあるが、街にいる路上生活者に比べればまだいいのかもしれない。アメリカ人のスピリットの自由な生活を選択しているから。でも、やはり日本人には想像が難しい。自由よりは、便利さに慣れているためか。未開の荒野もないし。同じようなことは、恐らく日本ではできないだろう。
ただ、映画の中で、「家」は、心の中にある物とノマドが発していた。ファーンにとっても、それは夫と暮らした美しい日々だったのだろう。それが、大自然の美しさ、人の優しさとリンクする。最後、家財道具を売り払っては、夫との過去に決別するため。人は、心が満たされるものを求めて、旅をし、彷徨うのかもしれない。