「自分はしないけど、これも1つの生き方」ノマドランド リボンさんの映画レビュー(感想・評価)
自分はしないけど、これも1つの生き方
アクションとかサスペンス、アニメ、アドベンチャー系などが好きなので、
ドキュメンタリー風なタッチの映画なら見ないつもりでいたんですが、アクセスランキング上位に来ていて気になり始めて鑑賞しました。
ある程度レビューも読んでいたので、淡々と主人公の生き様が描かれていることは分かっていて、「起承転結が無い日常をただ描いているのは逆にどうやってこの映画を終わらせるんだろう?」とそこに興味が湧いてきました。
おそらく伴侶を無くした場合、高齢だと体力的な問題もあって大抵はその家から完全に離れられる人は少ないでしょうけど、
いつまでも伴侶のいない家から、景色だけは変わらずそこに残っていることに耐えられない時、もしまだ体力があるなら、
「伴侶がいた時は見たことが無かった景色を見ることで、伴侶のいない空虚な気持ちを和らげる旅」に出ることを、主人公は選んだのかもしれないな、と思いました。
きっと伴侶がいた時の、同じ砂漠の景色を、同じ窓から自分1人だけ見ていることに、主人公は耐えられなかったのかもしれない。
でも、現実的には自分ならその都度稼ぐ旅暮らしはしないし出来ないだろうな、と思いました。職を転々と変えるということは、ふらっと立ち寄る人でも出来る仕事ということ。つまり来年もまたAmazonとか、今年短期就職した場所に、年齢が上がってもまた雇ってもらえるかは不透明。そして来年になり年齢が上がるほど、立ち仕事とか掃除の仕事もある程度体力が必要だし、雇う側になればなるべく若い体力のある人を雇うと思う。
そんなに、年に何回も就職活動しなきゃいけない生活はしたくない。それは無理。なんとか出来る職を見つけたら、なるべくそこに長く留まりたい。
主人公は臨時教員にもなってた。それなら教師を続けたらいいのに、安定してるのになって思ってしまいました。まぁ、最初から勤務年数が決まってたのかもしれないし、本人が永続勤務を希望しなかったのかもしれませんが。
多分、80歳とかになったらいくら車が運転出来てもAmazonとか倉庫のピッキングとかの仕事は就職出来ないと思うし、年金以外に仕事もするとしても、もう少し体力的になんとかなることを探さざるを得ないと思う。
ただ、伴侶が無くなったあと、人によっては子どもが先に他界した場合などで、どうしてもそのまま今の家に留まり続けることが精神的に辛すぎる時、
ある程度体力がある人は、気持ちを落ち着かせるために、完全な答えが見つけられなかったとしても似たような辛い境遇の仲間と出会う中で、自分なりに喪失感や空虚感に折り合いをつけるための1つの手段として、
3年だけ、とか期間を区切って放浪の旅に出るのは悪くないのかな、と思いました。
私は映画を見たりするために少し家を出るのは好きだけど、やはり終わったら家に帰りたい。布団とお風呂とウォシュレットのトイレが無い生活に何年もいたら、そのほうがストレスで無理です。何を見ても伴侶を思い出すとしても、その中でどうやって1人で生きるかを全力で探したい。その日暮らしはしたくない。
ふと、亡くなった祖父が、祖母を亡くして15年以上気丈に暮らしていたことを思い出しました。それまでしていなかった台所に立って孫の私の為に時間がかかってもお好み焼きを作ったり、祖母と一緒に通った近くの畑にも行っていて、多分祖母との思い出を辿りながら、そのままその家で暮らしていたのかな、と思いました。
でも、映画として、これも1つの生き方なんですよ、と提示したことは理解しました。人はみんなそれぞれに違うので、自分なりを生き方を見つけられたらいいんじゃないかな、と思います。こういう切り口の映画は初めて見ました。