劇場公開日 2021年9月4日

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「時代に引き裂かれた不幸な女性の典型」ミス・マルクス 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5時代に引き裂かれた不幸な女性の典型

2021年9月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 高校生の頃、5月5日生まれの友人がカール・マルクスと誕生日が同じだと話していたのを思い出す。マルクスは1818年にドイツで生まれ、1883年にロンドンで死んだ。同時代の偉人に1821年に生まれて1881年に死んだドストエフスキーがいる。音楽家のリストやショパンもマルクスと同時代の人である。
 本作品では幼い頃トゥッシーと呼ばれていた主人公エリノア・マルクスの生涯が音楽とともに描かれる。ロックは不案内なのでよくわからなかったが、クラシック曲はリストのラ・カンパネラ、ショパンの幻想即興曲、そしてショパンの英雄ポロネーズが壮大に使われていたと思う。

 エリノアは偉大な父カール・マルクスの遺稿を整理し、その思想を受け継いで労働者と女性の権利を守ろうとしたようだが、彼女の演説は何故か空疎に聞こえ、心に響いてくるものが何もなかった。父が母に宛てた手紙を読んだシーンだけが心に残った。
 2017年のフランス映画「Le jeune Karl Marx」(直訳「若き日のカール・マルクス」邦題「マルクス・エンゲルス」)のマルクス本人の論理はビシビシと刺さるものがあったのに、その娘であるエリノアの言葉がこうも空を切るのは何故だろうか。

 その理由は映画の後半で徐々に明らかになる。エリノア本人も認めていたように、彼女の心は父親に、そしてその亡き後はエドワード・エイヴリングに蹂躙されていた。それほど彼らの理論に傾倒していたということだ。尊敬はしているけど愛してはいない。相手も同じなのではないか。尊敬されているが愛されていない。
 男性なら世間の尊敬を集めることができればそれで満足だが、女性はそうはいかない。愛されなければ生きていけないのだ。愛に命をかけることはできるが、思想に命をかけることはできない。彼女の演説が空疎で心に響かなかった理由はそこにあると思う。そして、そこまで計算して演出した監督も、その演出に応えて演技した女優も見事である。

 19世紀は哲学でも文学でも音楽でも、沢山の巨人を輩出したが、その殆どが男性である。女性で思い浮かぶのはイギリスのブロンテ姉妹、そしてフランスのジョルジュ・サンドだ。ジョルジュ・サンドはフランス人らしく恋多き女性で、音楽家のリストやショパンとも付き合っていたらしい。本作品でリストやショパンの曲が盛大に使われていたのは何か関係があるのだろうか。
 いずれにしても、女性が生きづらかった時代である。エリノアが精神的に独立するには環境が向かなかったのであろう。子供を産んで母として慎ましく暮らすには視野が広すぎ、思想家として自立するには愛されることを望みすぎた。時代に引き裂かれた不幸な女性の典型だと思う。

耶馬英彦