親愛なる同志たちへのレビュー・感想・評価
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青い鳥はいつも傍に。
1962年ソ連:ノヴォチェルカスクで起こった虐殺事件。
ストライキ中の労働者へ軍(KGB?言及せず)が銃を発砲。
死者、重傷者あり。参加者は全て投獄され。目撃者には「秘密をばらすと厳罰に処す」との書面にサインを強要。国をあげて隠蔽した(90年代まで発覚せず)。
主人公は当局「市政委員会」で課長を務める母親。娘がストライキに参加しており投獄されると知ってもなお「反逆者には厳罰をのぞむ」との姿勢を崩さない。しかし行方不明の娘を病院、死体安置所、墓場と探すうち「共産主義以外何を信じたらいい」とか、スターリンを賞賛していた考えが揺らぎ、国への不信感が沸き上がる。
必死に探した娘は死んだと思い、うちのめされて帰宅するとそこに娘が……。
本作は、ノヴォチェルカスク残虐事件そのものに言及したい訳ではないと思った。
母親は「娘は髪を三つ編みにして青いリボンをつけている」と繰り返します。
「青いリボン」
お話の骨組みはまるで「青い鳥」
必死に探した青い鳥は近くにいた。
このお話の教訓は「理想ばかりを追い求めていないで現実を見なさい」です。
監督のコンチャロフスキーもロシア国民に向けて「親愛なる同志たちよ、ロシアの現実を見ろ」と言いたいのでしょう。
「親愛なる同志たちへ」のタイトルは劇中で母親が当局に出せなかった手紙の冒頭ですが、この映画こそが監督からロシア国への手紙なのだと思いました。
また「青い鳥」の母親は「子供に対する愛こそ一番の喜びである」と言っていたと思います。
本作のラストで、娘を抱きしめる母にも重なる言葉です。
観たのは数か月前。映画公開と前後してロシアのウクライナ侵攻がはじま...
観たのは数か月前。映画公開と前後してロシアのウクライナ侵攻がはじまり、あらすじを書いたあたりでレビューがストップしていました。
さて、コンチャロフスキー監督は、同じく監督のニキータ・ミハルコフの兄で、ソ連時代から監督をし、後、米国でもエンタテインメント系の作品も多く撮っていますが、半数ぐらいは日本では劇場未公開ではないかしらん。
監督作品が劇場公開されるのはいつ以来のことかしらん。
2014年製作の『白夜と配達人』は東京国際映画祭で鑑賞しましたが。
1962年、フルシチョフ政権下のソ連南西部ノボチェルカッスクで党役員として活躍するリューダ(ユリア・ヴィソツカヤ)。
実生活では、コサック兵として闘った経験のある父と、機関車工場で働く18歳の娘スヴェッカとの3人暮らし。
町の党委員としては上級の地位にあるのだが、独り身ゆえに疼く心は押さえきれず、同じく党役員と不倫関係にある。
リューダを悩ましているのは、スターリン政権からフルシチョフ政権に代わっての物価高騰と食糧不足。
しかし、それとても党地方組織委員という立場からすれば、希少な食料はわけなく手に入る。
それよりも、娘スヴェッカの行動だ。
若気の至りといえばそれまでだが、政府に楯突くような素振りが感じられる。
そんな中、スヴェッカが働く機関車工場でストライキが勃発する。
社会主義国家の中でストライキとは俄かに信じがたいリューダだったが、物価高騰と食糧不足に加えて、経営陣からの一方的な賃下げ。
スヴェッカはストライキに参加し、他の労働者たちの熱に浮かされて、過激な行動に出るのではないか・・・
リューダも含めて、党幹部が集まった目の前に、労働者のひとりから石礫が投げ込まれ、それが合図であるかのように、銃声が鳴り響く・・・
といったところからはじまる物語は、数年前のマイク・リー監督『ピータールー マンチェスターの悲劇』を思い出すが、国家が国民に銃を向ける映画といえば『天国の門』もそうですね。
で、市民へ向けての発砲、国からの弾圧は映画の中盤、どちらかといえば前半に近いところに位置している。
この発砲銃撃事件までの演出は、共産党地方都市幹部のリューダの日常を描いていくわけですが、狭い部屋での鏡の多用など、普通に撮れば平板になるところを多層的にみせている演出。
冒頭の不倫シーンはヒッチコック『サイコ』をちらりと思い出しました。
そして、発砲銃撃事件となるのですが、混乱の描写を対立法・体位法という、哀しみ大きシーンとは反対の陽気な音楽。
事件近くの美容室で、無音で飛ぶ銃弾に女店主が被弾するシーンでは、ラジオから陽気な音楽が流れている・・・
おお、久しぶりにこの手の演出を観ましたぞ。
黒澤明や小津安二郎も使っていたので、60年代ぐらいまでは割とよく見た演出方法なのですが、ここ最近はとんと観なくなりました。
この混乱の中、娘スヴェッカは行方不明となり、リューダが探す物語が後半となります。
この後半は、近作では『アイダよ何処へ』を思い出しましたが、古くはフレッド・ジンネマン監督『山河遥かなり』も思い出しました。
後者を思い出したのは、リューダを手助けする党幹部の男性が登場することも影響しているかもしれません。
ただ、この男性が登場することで、ややドラマがメロウな方向に流れてしまったのは残念。
探索当初は娘の生存を信じていたリューダですが、次第に娘の死を確信するに至る。
そして、彼女が着けていたリボン(だかの小物)を手掛かりに、娘が埋葬されたと言われる墓にたどり着く・・・
このあたりはかなりのメロウ描写なのですが、監督の想いは最終盤にありました。
死んだと思われていた娘であったが、実は生きていた。
そして、母娘が並んで呟く「この国は、きっと良くなる」という言葉。
これはコンチャロフスキー監督の祖国ロシアへの郷愁と希望と祈りのようなものが込められています。
過去の暴行に目を背けることなく、そんな歴史も受けとめた上で国を信じたい、という願い。
老境のコンチャロフスキー監督に今回のウクライナ侵攻はどのように映っているのでしょうか。
そのことも含めて、今年いちばん心に感じるものの多い映画でした。
後が怖い
ペレストロイカまで存在自体が秘密とされていた、労働者の国・ソ連の地方都市で1962年に起こったストライキ・デモの武力弾圧事件を舞台に、翻弄される主人公と家族を描く。
市の共産党委員会に勤める主人公は、第二次大戦に看護士で従軍したスターリン信奉者で、デモに対しても党が解決することを疑っていなかった。しかし、デモ隊への銃撃が発生し、デモに参加していた娘は行方不明となる。銃火に触発されたのか、同居している父は、隠してあった昔のコサック軍装とイコンをひっぱり出し、昔この地で血みどろの殺し合いがあったことを語る。
娘を探す中で死傷者の存在が隠蔽されていることを知った主人公は、デモ容疑者を追って娘の所在を調べに来たKGB局員から、死者の遺体が密かに別の町に埋められていると聞かされる。局員の助けでその場所にたどり着いた主人公は、若い女を埋葬したとの民警の証言に悲嘆に暮れ、今まで信じていたものへの信頼が揺らぐ。帰宅すると仲間に匿われていた娘が戻っていて、主人公は再会を喜び安堵する。
本作はソ連時代の国家と社会のあり方を映し出す。対応に動員される軍が最初は銃の携行を拒否し、党幹部の命令の後も空砲にしていたらしいこと(デモ隊への実際の銃撃はKGBの狙撃手の仕業だと示唆されている)、KGBの幹部にも人命軽視のやり方に批判的な見方があることなど、体制内にも異論は存在したことが語られる。
一方、党の決定は絶対であり、誤謬を認めず(ストの原因となったのは生活物資価格上昇の中の賃下げだった)、市民への暴力行使を政治の手段とし、不都合な情報を隠蔽するといった点は、一党独裁の全体主義体制の典型であると同時に、党をポピュリスト指導者に代えれば、(本作の製作は2020年だが)現在彼の地で起こっていることにも通じて怖さを感じる。
ラストは屋根の上での母娘再会で、希望を見せる演劇的幕引き。だが、「DAU.ナターシャ」「DAU.退行」を観た身からは、当然この後を悲観せざるを得ない。以下は全くの想像だが、全ては娘を探すのを手伝う「頼りになる」KGB局員の工作で、市境で検問する軍も、遺体を「埋葬した」民警も、局員に求められ、あるいは強要されて協力していたのではないか。目的は母娘の信用を得て、娘を泳がせ、デモ主謀者へと辿ること。用が済めば一家は口封じに……。考えすぎであることを願う。
追記:ラストの悲観的解釈の理由は、KGB局員が娘の旅券を返したこと(遺品だからと思わせて、実は娘を泳がせるため(ソ連では国内移動にも必要)、軍の検問の指揮官に一人で会いにいったこと、民警が主人公の問いをオウム返しにしていたこと(全て肯定しろとKGBに事前に命令されていたのだろう)。監督は、ソ連を生きてきた人ならこうしたシーンの含意が分かるだろうと思ったのでは?
ラストのシークエンスについて
スターリン時代を懐かしむきまじめな共産主義者のリューダが、物価高や賃下げでデモが起きた街を鎮める仕事に没頭せざるを得ないのに、娘が労働者デモに参加して行方不明になる。(軍は市民に銃を向けないというのが、軍人にとっても市民にとっても共通理解のようなのに、治安維持のためにデモをする市民は銃撃してもいいと考える人もいて、指揮も混乱しているのが恐ろしい)暴動にモスクワから鎮圧部隊がやってくるが、KGBのスナイパーが市民を銃撃するところをリューダは目撃してしまう。何が正しいのか自分の中で信じてきたもの折り合いをつけてきたものがどんどん揺らいで、ただ動物的な母性が行動原理になってしまう。
発表よりはるかに多い死者。行方不明の娘を探しにくるKGBの男とリューダは封鎖を破り(死者数をごまかすために)市外にこっそり遺体が埋められているという墓地を訪ね、娘が埋められたと知るのだが…
(ここからネタバレまじえての考察)
結局娘は友人宅に隠れていてどこかに逃げようとしているのですが、パスポートが見つからないとパニクっています。リューダはKGBの男から返してもらった(そのときに何かあったら助けるよと親切に、下心で?言われています)パスポートを自分が持ってることを娘に告げ何としても助ける(助けてくれる人もいるから!)と娘を抱くのですが、これって、KGBの罠ですよね。
市外の墓地に行くとき検問で捕まり、しかしすぐに解放されて墓地まで行けたのは、リューダとデモ参加者の娘を捕まえるためだったのでは。
車の中で「君はすでに危険分子認定されてる(大意)」と言ってたけど、見てる側も当たり前でしょと思ったけど、コトは思った以上に深刻で2人はこの後うっかり男と連絡取って殺されるんだろうなあと思ったのですが。
ほかの方のレビューで、ラストはハッピーエンドととらえたのが多かったので、違うんじゃないかなあと。
他にも上の気に入るようなレポートを書くことに腐心したり立場で発言をスルーされたり「蠅一匹も」の台詞があったり、細かい見所が多いです。2022年の今これを見られた僥倖。(お父さんの軍服のニュアンスがソ連史に詳しくなくて分からなかったのが残念。あの軍服はソ連のではないとして、ではどの立場の軍属だったのかな?)
この映画、どストライクな感じ。何故今?
この映画には、矛盾点がある。ネタバレになるが、あえてあげれば、
『何故、狙撃者が女を撃たなかったか?』女性が最大の目撃者のはず。
『この暴動が、ソ連崩壊後30年もの間、何故、大々的に取り上げられなかったのか』従って、細かい部分になるが、虐殺のきっかけを作ったのが、誰(軍?KGB?)であったかもはっきりしない。全体主義でかつ軍事国家なのだこら、軍の暴走で済ませられないのか?
プーチンは元KGBじゃなかったのか?
つまり、フルシチョフが行なった粛清は事実であるが、この虐殺の経緯がこの映画の通りであるかは不明確で、真実を慎重に判断すべきだと思う。(あったのだろうが、状況を科学的に検証しなければ駄目と思う)
この映画の監督はロシアの巨匠と言うが、85年の歳を重ねている。この御歳に遺言の様に書くような台本とは思えない。『なんで、今まで黙っていたのだ』従って、この監督の名前を使ったプロパガンダ映画の様な気がしてならない。但し、どこの国のプロパガンダかははっきりしない。
『共産主義国家の後、もっと良い世界がやってくる』ってことなのだろうが(そんなセリフが映画の中にあった)、現状のロシアは立派な資本主義国家である。
また、ソ連のKGBの怖さを、今のプーチンの愚行に繋げては行けないと思う。プーチンもKGBもCIAもその国の権利を握ってイル者は怖いので、その国のイデオロギーに影響することでは無いと思う。戦争や虐殺は、権力者と権力者に挟まれた市井の人々を犠牲にして拡大していくものだし。
ソ連は共産主義国家では無く、全体主義国家である。しかし、現在のロシアも資本主義国家では無く、全体主義国家になりさがった。そして、アメリカは成熟した資本主義国家であるが、全体主義国家でなくとも、市井の人々を犠牲にして、戦争をして栄えてきた国である。
追伸 多分、ロシア系なのだろうが、フルシチョフはウクライナ人だし、ブレジネフもウクライナなまりがひどかったそうだ。
プーチンの愚行は非難されるべきだろうが、ロシア人を憎んではいけないと思う。勿論、ウクライナ人に対しても同様だと思う。
凄惨な流血を際立てさせないセピア色映画
1962年のソビエトはロシアにとって、もう過去扱いなんですかね。
前半の物価高騰の場面では、スターリンのときは物価はむしろ下がったというセリフが繰り返し聞かれました。
映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」が思い出されました。
世界恐慌のなかでロシアだけが景気がよかったのです。しかし、それは穀倉地帯(ソビエトの米びつ)であるウクライナから一方的に搾取強奪することによるジェノサイドによる見かけ上の繁栄でした。
理想論としての共産主義自体が悪いわけではないのでしょうが、KGBの存在や相互密告制度が暗く自由のない社会の元凶となっていました。冒頭の自由な男女交際描写はサービスショットなんでしょうが、それしか捌け口がないということなんでしょうか。党の下部組織に属し、優遇措置を甘受できる主人公はきつい性格の自分勝手な美人さんです。
KGBのイケメンオヤジはあきらかに美人さんに甘くて、ロマンス映画風に仕立てあげられたような感じでした。
不完全燃焼的な感じはやはりロシア国家体制への遠慮、忖度なんでしょうか?
セピア色だとアスファルトの血は全然わかりません。床屋さんの描写で充分なのですが。
靴下の穴には騙されましたが、それはそれで、良かったです。
ロシア国民の良心が国を動かす日を信じて
ロシアの作家が描くロシアに興味があり劇場へ。
60年前に起きた
大規模ストライキへの無差別発砲事件を
熱心な共産党員の母親を中心に描く。
その事件に娘が巻き込まれ…
祖国へ抱き続けた強い思いに亀裂が入る。
娘の安否を確認することすらままならない
国家の統制による不自由。
ある程度の自由は約束されていながら
一瞬で全てを失う現実がすぐ隣に存在する恐怖。
プーチンの蛮行が日々伝えられる今、
ロシア国民からも今回の戦争には
多くの反対の声が上がった。
ロシアの国民性が好戦的で
不寛容だとは思えません。
その良心がいつか理不尽な国を変える
希望になることを願って。
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