「人のあたたかみに触れたい人は是非鑑賞してほしい」アジアの天使 Koheiさんの映画レビュー(感想・評価)
人のあたたかみに触れたい人は是非鑑賞してほしい
この映画の予告編を観たとき、印象的だったのは「メクチュジュセヨ(ビールください)とサランヘヨ(愛しています)さえ覚えていれば大丈夫」という青木剛(オダギリ・ジョー)のセリフだった。これくらい楽な気持ちで生きていければ良いなあと思った。
劇場公開してしばらく経ってから、この作品を鑑賞することにした。カンテレで放送していた「大豆田とわ子と三人の元夫」にオダギリが出演していて、彼のカッコ良さを再確認したところだった。彼が「まめ夫」で演じた小鳥遊は、大豆田とわ子(松たか子)にとってビジネスの敵であるが、プライベートでは仲が良い。不思議な関係だ。小鳥遊は、とわ子の会社の買収を企て、とわ子に社長の辞任を迫るほどであったが、プライベートでは、まるでそれがなかったことのように気さくに接する。現実社会にそんな人がいたら気持ち悪いことこの上ないが、オダギリの「抜け感」も相まって、作品にリズム感を与えていた。「アジアの天使」においても「抜け感」は健在で、冒頭に挙げたセリフがそれを象徴している。
主人公・青木透は妻を亡くし、息子の学(佐藤凌)と2人で暮らしていた。ある日、透は剛から良いビジネスがあるからとソウルへ来るよう誘われる。心機一転覚悟を決め、渡航する2人であったが、剛のノリはかなり軽い。本当に大丈夫なのかと不安になる透であったが、剛は極めて楽観的であった。ところが、剛のビジネスパートナーがある日突然失踪し、3人は危機を迎える。剛はそのときばかりは動揺を隠せなかったが、別の土地で新しい商売をやるのだと意気込む。透親子もやむを得ず同行するが、移動途中の列車で出会った3人の韓国人兄妹と「日韓友好」を育んでいく。
現代社会においても「反日」や「反韓」というように、両国の関係をネガティブに捉える風潮がやまない。作中でも触れられるように、両国の関係は必ずしも良好ではない。それは世代によって異なる部分もあるが、このような印象が独り歩きし「日韓友好」の障壁となっていることもまた現実である。この作品は最終的に「日韓友好」へと着地するのだが、互いへの敵対感情を吐露する場面もあり、決してユートピア的な表現へ終始することはない。だが、国は違えど同じ人間として助けあう両国の人々の姿を描いていた。「日韓友好」とはいっても、互いが互いの国籍を意識しないようになって初めてその境地にたどり着けるのかもしれない。「メクチュジュセヨ」と「サランヘヨ」が自然と言える関係性が築かれる過程は平坦ではないからこそ余計に愛おしく思えた。人間のあたたかみに触れたい人は是非一度鑑賞してほしい。