スパイの妻 劇場版のレビュー・感想・評価
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お見事だけどしっくりこなかった
オンライン試写会で鑑賞。
正義を選んだ2人は一体どうなってしまうのか?ドキドキ感があった。
愛する夫のための聡子の狂気じみた、思い切った行動、そして予想もしていなかった終盤の展開はお見事だった。当時の日本は狂っていたんだなと思った。
主演2人の演技の良さは言うまでもないが、東出演じる憲兵の不気味さが良かった。
台詞回しがちょっと独特で違和感あった。昔はあんな喋り方だったのかな?
映像も引き画がなんだか多くて演劇みたいだなぁと思ったら、寄り画もなんかしっくり来なくて、今作のカメラワークは私には合わなかった。
妻って。。
【観るものも巻き込むゲーム】
優作と聡子の会話の多い演出や、明るさが一定に抑えられている映像、戦争直前とはいえどこか整然とした街並みを見ると、舞台を観ているような感覚を覚える。
作品のモチーフとなった細菌部隊は、満州で活動した731部隊のことだ。
また、当時、ペストが新京や、近隣の街で、小規模だが実際に発生したという記録も残っている。
だが、物語にはスパイ活動や国家犯罪を暴くといったスリリングな場面は少なく、どちらかというと、戦争に向かう不穏な空気の中で翻弄される夫婦の心の揺れが描かれている。
それは、女と男の、妻と夫のゲームのようなものだ。
常に問われるのは、相手が自分を信じるのか、信じないのか。
この問いについては、通常は信じていないことが前提だ。
だから、信じるに足ると思われるにはどのようにしたらいいのか。
女と男は、お互いを信じるに足るように見せるため駆け引きを繰り返していく。
妻の疑念の背景には嫉妬がある。
夫にも嫉妬のようなものが見え隠れする。
妻が放つ矢は巧妙かつ大胆だ。
夫の信用を得るためには、身内でも利用するのだ。
スパイの妻はスパイそのものだ。
結末は…一見なるほどとも思うが、
意外なことに、実はエンドロール前のテロップが、僕達を惑わせる。
実は、騙されたのは、本当は国家であり、皆ではないのか。
二つほど場面を遡って思い出し、これは確信に変わる。
スパイの妻もスパイだ。
この2人は、実は2人で本懐を遂げたのではないのか。
観客も永遠に答えの出ない謎を突きつけられ、想いを巡らすしかないのだ。
この物語は、なかなか極上のエンターテイメントだ。
正しく世界を謀り、図れるものはあるのか
もう劇中の聡子よろしく「お見事!」…としか言えなかった。凄まじい本気の本気の映画だった。
あんなにどのシーンを切り取っても、画面の中の建築物・内装・衣装・髪型・照明等全て美しく洗練されている本当に素晴らしい芸術作品なのに、全セクションの本気さが終始スクリーンからほとばしっている。
静かで整った画面から秘められた熱いうねりを感じる傑作です。
★映像面について
☆光と影の美しさ
個人的に建築物や衣装のレトロさや色調が好きだったので、ポスタービジュアルの時点で優勝!と思っていたけれど、とにかくまずは照明が圧巻だった。
それだけでどういうシーンなのかがわかるようになっている。
例えば、聡子に満州の一件がバレる長回し(当たり前ですが芝居が圧巻です)のシーン。
倉庫内は基本的に暗いので全体的に暗めになりつつ、部屋の奥の方は隙間から光が差し込むので、そこに立つともれなく線状に光と影が体に映される。
特に優作はそこで満州での真実を話すので、その凄惨さや不穏さがより引き立っていたように思った。
家のシーンでは、聡子の背景によくステンドグラスが映り込むのが美しく、特にまだ何も知らない序盤では、ただ華やかさをプラスしたり、夫を想う妻の気持ちが滲み出たりしているイメージ。
私が一番印象に残ったのは、路面電車の中で2人が並んで座っていたシーン。
戦局によってアメリカに通常ルートでは行けなくなり最早”亡命”という手段しかない、と聞いた瞬間、聡子の顔のクロースアップに右の窓から光が閃光のようにぶわっと差し込み、一瞬画面を光が支配していた。
危ないと解っていながら、それはこの人の正義を貫くために共に闘える手段であるということを悟ったのだろう。おそらく不安や恐怖よりも、共に進むべき道筋が見つかったという覚悟とある種の喜びみたいなものすら、聡子から感じられた。
正解かどうかは分からないけれど、映画表現って凄いな、と呆然とスクリーンを眺めざるを得なかった一瞬。
☆スクリーン越しの視線の往来
もう一つ気になったのは、劇中映画の存在。
優作が聡子や文雄に演じてもらい撮っている、趣味の映画。
(一瞬パテ社のフィルムケースごとフィルム映ったり、映写機持ってたりするけど、あの時代に”趣味”で一式持ってるっておいくら万円?)
やがてその”映画を撮る”という行為が物語=虚構の記録ではなく、隠された真実の記録として機能していくアイテムとなる。
かつ、カメラを通して撮影する/されるという優作と聡子の関係性や視線の一方通行さを最初に提示しておいて、撮り終えた映画を上映することで、劇中のスクリーンから劇中の人々へ、更には本物のスクリーン越しに私達にも、芝居をしている聡子という体で視線が反対方向へと返されていく。
しかも、この後聡子は真実が隠されたフィルムの存在を知って、自分で映写機を回している。
つまり、撮られるだけの存在だった彼女が能動的に映像を観ようと行動を取るという変化が見て取れるし、そのフィルムの内容によって、 自ら真実を知ろうとして本当にそれを知ることになるし、
或いは映画の中の自らと視線がぶつかり、ラストにはその予想外の”視線の交錯”(=優作がフィルムをすり替えた結果)によって、死を免れることになる。
この多層的なスクリーンの構造・視線の営みに私はうっとりするタイプ(大学で専門だった)なので堪らなかった。
☆世界はフレームの中だけではない
出典は忘れたけど、一生さんのインタビューで「黒沢監督はフレームにとらわれずに撮ってくださる」みたいなことを仰っていた気がする。
私もそれを意識して観てみたら、例えば話している人間がメインにならずフレームアウトしていたり、頭や体の一部が切れていたり、本当にフレームに収めずに空間を使って芝居の動線をつけて、撮っているのだろうなと素人ながら感じた。
勿論、フレームに入る世界を徹底的に1940年の神戸として作り込んでいるリアリティとか美しさだけで惚れ惚れするようなシーンがいっぱいあるのだけれど、本来カメラによって視点を定めるはずの映像作品で、それを狭めないでこちらに委ねさせるような映像で、フレームの外にも世界の広がりを感じさせる点は、ある意味舞台的かもと思った。
★人物について
☆なぜ『スパイの”妻”』なのか
本作のタイトルが『スパイの妻』なのがすごく良いなって。
”スパイ”じゃなくて”スパイの妻”の映画であるということ。
キャスティングの理由が最後まで観てめちゃくちゃ腑に落ちた。
主演の二人と言えば、直前に『ロマンスドール』を経ているのでそのイメージも強く残っていたけれど、『ロマンスドール』だと一生さんが先にクレジットされていて、本作では蒼井優さんが先にクレジットされている。
それも両作観ればわかるけれど、今回は本当に蒼井さんが演じる聡子が全部話を動かしていくし、
特に終盤、すり替えられたフィルムですべてを察し、スクリーンの前で笑う姿が本当に凄まじい。
それから、台詞回しが本当に昔の日本映画の女優さんって感じで、第一声から衝撃的だった。
(ヒロイン像については、『キネマ旬報』の轟さんの寄稿がすごく面白かったのでぜひ。「クルッと回る」女が物語を本当に動かしていた。)
☆イセクラ的高橋一生の底力
そして、今回一生さんが夫役な理由もすごくわかる。
まず確信したのが、満州から帰ってきたシーンで抱き着いてきた聡子を受け止めるシーン。
優しく抱きしめつつ、視線の先には草壁弘子が居てそもそも聡子を見てないし、その目が全く笑ってなくて、しかも顎で「早く行け」みたいに指図しているわけで。
もうそのまなざしだけですごい高橋一生、と思った。
本当の意味では誰も見ていない、どこか感情の宿らないうつろなまなざし。
既に”この人は全部自分でやってのけるって腹括ってたんだな”っていうのが後でわかると、なおここが活きてくる。
また、彼は全部のシーンの言葉遣いが淀みなくて、スマートな所作でスーツも似合っていて、仕事もバリバリしている。本当に様になる人なのに、どこか常に不穏さと不確かさを漂わせる。
この人は目の前に居るようで、本当は居ないのではないか?
夫に対して懐疑心を募らせていく聡子と同じような感情を、スクリーン越しの我々にももたらすところが流石。
そして、終盤。後述するがフィルムをすり替え、実は全部引き受けていた優作が、
船に揺られながら霧の中に消えていくあの数秒間の、「してやられた」という気持ちと、「でも彼はそれをやると思ってた」と丸ごと腑に落ちる不思議な感覚。
聡子の狂った笑いと、レコードから聴こえる『かりそめの恋』の高い声と優雅なメロディと、溶け合って全部消えていく様、間違いなく白眉のシーンだと思った。
絶対に忘れないと思う。
これまでの一生さんの役柄でも何度も感じてきたけれど、この人ほど”不在にこそ際立つ存在”を演じたら右に出る人は居ないのではないか。
考えてみれば、そもそも本作のメインビジュアルが公開された時点で、不穏な雰囲気が感じられるポスターだったなと。
というのも、洋館の設えと上品な洋服と色調のクラシカルな雰囲気の中で、優作の側だけ写真がまさに燃えようとしている。
まるでこの人物だけ存在しなかったかのように、意図的に消そうとしているように見えるなと思っていたので、本当にその通りの結末になっていて怖くなった。
☆優作はいつどう生きられたら良かったのか
そして、優作という人物が本当にブレない人で、自分の真意をほとんど明かさず、誰かが察することも許さず、底なしに自分の”正義”への欲求に基づいてのみ行動する人間である、ある種の狂気・恐怖を感じさせるところも流石。
だって、あの妻すら敵わなかったのだから。
証拠であるノートのみをあえて通報することで行動を起こした聡子も凄いけれど、フィルムをすり替え、おそらくもう二度と会えないのを覚悟で全てを自ら引き受け、”密航者”としての聡子をあえて通報し、あの結末に至らせたのは本当に驚いた。
「あなたもよくご存知の方です」
という台詞、2回出てくるけれどそれがお互いだったなんてこの夫婦怖すぎるだろ…って正直思いつつ、 それでも、思い返すと優作は全部最初からそのつもりだったのだろうなと。
何故なら、彼はコスモポリタンかつ個人主義者であると自ら話しているし、正義という軸から決して外れないから。
個人の権利や幸福を追求するという考え方と、自分の正義や信念を通すためには命すら惜しまないという姿勢、両者とも繋がって一貫してはいるのだけど、とても危うく、そして彼は少し生まれる時代を間違えてしまったとしか思えなかった。
彼が時代の先を行き過ぎたし、時代は彼にとって遅すぎた。
…というか、今だって追い付いていないのかもしれない。
優作のような人間が生きられる時代はどこにあるのだろう?
☆「不正義の上に成り立つ幸福で君は満足か」
この台詞、最初に新宿ピカデリーの入り口の柱一面の広告に記載されていたのを見て、なんて格好良く、真実を衝いた言葉なのだろうか、とため息がでた。
でも観終わった今は、とても複雑な気持ちで帰りにそれを眺めていた。
だって、あんまりにも、あんまりにも哀しいじゃないか。
全ての言動の根拠がただ愛する人と一緒に居たいだけだった聡子と、聡子のことも愛していたけど、愛よりも正義に殉ずるしか選択できなかった優作は、どう考えても平行線でしかない。
決してその運命は交わらないだろうな、と思って本当にその通りだった。
この世界は、そしてそこで生きる人々は、愛でも正義でも、言ってみれば感情でも道理でも、正しく図って理解して、また等しく思い通りに謀ることもできないのではないかとただただ思った。
優作が聡子に「スパイではなくてコスモポリタンなのだから、君もスパイの妻なんかじゃない」と話すシーンがあったかと思う。
それから、最後に精神病院に入れられている聡子は、野崎に自分は全く狂っていないと言いながら、「狂っていないことがこの国では狂ったことにされてしまう」と話していた。
歴史の中では優作は「国家反逆者のスパイ」として”始末”され、聡子は「スパイの妻」として病院に押し込められる、その力のそこはかとない暴力性と残忍さに、私は怒りを覚えた。
そう、観終わった後一番感じたのは怒りだった。
ずっと不条理に満ちた世界に私たちは抗うことはできないのだろうかって、最後の聡子みたいに海辺でたった一人にならなければ、声をあげて泣くこともできないのかって、静かに怒っていた。どうしたらいいのかわからなかった。ただただ悔しい。
★おまけと感想
☆音楽
長岡亮介さん、元々椎名林檎さん経由でいろいろ神出鬼没なところを追ったりしているファンなので、今回本作のような映画に音楽を提供されるのは、ちょっと意外なイメージだった。
実際観ていても、全く普段のギタープレイやサウンド面からは想像できないようなクラシカルで重厚な音楽が紡がれていたので驚いた。
普段、浮雲名義でライブでふざけたりはっちゃけたりされている姿からは、失礼ながら想像できないような雰囲気。
☆結びに
NHK8K版を観たかったと思いつつ、その視聴環境をクリアした人にしか観られないのはあまりに惜しい。
映画化されて本当に良かった。関係者の皆さんありがとうございます。
やっぱりドラマ仕立て
例の映画で激混みの中避けるようにこちらへ
高橋一生と蒼井優のロマンスドールは良かったので
これも楽しみに観賞
後で知りましたがこの作品はBS8Kでやってた
ドラマの再編集劇場版なんですね
BS8Kのドラマなんてどんだけ観た人がいるのか
と思ってしまいますが…
黒沢清監督でキャストも豪華だし気合い入って
いたのでしょう
感想としては
やっぱりドラマ
チープな絵作り
題材もえ…今さら…という感じ
海外の人は森村誠一知らんか
などちょっと映画観た感が薄い感じでした
太平洋戦争開戦直前の日本
貿易商を営む福原優作は満州への営業先で
思わぬ国家機密を知ってしまいそこで出会った
女性や妻聡子を巡る運命に翻弄されるストーリー
その機密ってのが
まさに1980年初頭赤旗に連載されていた
森村誠一「悪魔の飽食」で触れられた細菌兵器部隊のそれ
NHKもBS8Kとか誰も知らないとこでコソコソ
こういうネタやってるんですね
まあフィクションだからいいけど
映画は全体的にテレビドラマの30フレームっぽい動きで
どうも映画観てる気になっていきません
高橋一生も蒼井優も流石の表現力を披露していますが
前半は浮気の探り合いみたいでだいぶ退屈な感じで
進んでいきます
描写も疑問なとこあります
優作が機密文書を妻にこれ見よがしに金庫に入れるのですが
ちょっと前に妻は金庫の開け方を知ってると優作に言っている
のにそうしてしまい聡子はその文書を取り出すのですが
わざとやらせたようにしか見えません
それくらい聡子の行動力を優作が甘く見ていたとも
言えるのかもしれませんがなんか聡子の性格も中盤から
別人のように変わってしまうところも不自然な感じがしました
あえて金庫から盗ませた?と考えてもそんなにうまい方法
にも感じないし
この映画はヴェネツィア映画祭銀獅子賞を獲ったという
ニュース等で知りましたがそんなかなぁという感じでした
それを知らないで観に行ったとしても感想はあまり
変わらなかったかも
あと受信料とって運営してるNHKが映画で
興収得ようとしてるのもなんか違和感はあるといえばありますが
こんな映画公開の規格もあるなら尚更24フレームとかで
作っていった方がいい
気がしました
スパイの妻? ルパンの妻じゃね
蒼井優と高橋一生のコンビはラブドールの映画以来。黒沢清監督おめでとうございました。
面白かったげど、731部隊がらみじゃ、ちと笑えない。森村誠一の「悪魔の飽食」売れましたね~ 10年前まで持っていたけど、ブックOFFに売ってしまいました。二束三文で。
告発する意思もどこまで本気か?みたいな。所詮、商売人だからね。ジャーナリストじゃないし。儲けた金を宝石や時計に替えて渡航費に。けちな時計じゃ重くて大変です。
高橋一生はテレビドラマでの役どころだとストーカーとか女々しい役がけっこう嵌まっちゃうから、やっぱ嘘くさい。
フィクションなんだから、終戦になったとか、福原なにがしの死亡が記録されたけど、偽造書類かも知れないなどの最後のテロップはいらんな。
せっかく日本映画らしく、波の寄せる砂浜で蒼井優を泣かせたんだからそれで終わりでいいじゃん。
亭主をとことん疑い、売国奴とまで言っておいて、それでもロスについて行くお金持ち女の浮わついた感じ。最後の無声映画フィルム上映後の蒼井優は良かったよ~ 精神病院(癲狂院)に入っても、毅然としていなさる。タダモンじゃない。コンフィデンス夫婦?
あのちっちゃい船じゃサンフランシスコには行けないし、インドのボンベイも無理。なんか、ルパン三世の最後みたいと思った。銭形警部が悔しがるシーンが浮かんでしまった。銭形は言いたかっただろう。売国奴の非国民って。
しかし、映画愛が根底に溢れているので、これらは全部帳消しにしてあげます。面白かった。
テレビ東京の深夜ドラマ「まどろみマーメイド」のあの娘出てきた。昔、満州にはあんな感じの女の子いたなと思わせるキャスティングでした。軍医の愛人とか言ってだけど、実験ノートを持ち出させたと言うことは、高橋一生がたぶらかしてさせたんだから、あやしいに決まってます。甥っ子はそれを見ていて羨ましかったにちがいない。あぁ、可哀想に爪を剥がされて。歯に見えたけど。それも子供の乳歯みたいだった。
夫婦の映画
この映画は戦前戦中の不穏な空気を描いた映画ではなくて、その背景の中での夫婦の騙し合いの映画ですよね。彼女にとって大日本帝国とか戦争なんかどうでもいいわけで。大事な手書き資料の存在を憲兵に密告して、夫の甥が拷問にかけられても、それは主人と一緒に時間を過ごすための彼女の策略に過ぎなかったりする。残酷だし、正義もへったくれも何もない彼女の行動であるわけで。彼女はただ夫と共通の体験がしたいし、向き合いたいと思っているだけ。だから、夫が満州からこっそり連れ帰ってきた女性の存在に嫉妬心を燃やす。彼女はすぐに謀殺されたというのに。関東軍の残酷な人体実験など関係ない。ところが最後で自分よりも夫の方が一枚上手だったことを知り、彼女は狂ったように叫ぶ。「お見事です」と。そうした、時代の空気と別のところにある「残酷さ」や「駆け引き」や「壊れっぷり」が黒沢映画的なスリラーやサスペンスの要素と非常にマッチしているところが素晴らしい。時代の狂気ではなく、その時代の女性の狂気がホラーになっているところが黒沢的だ。黒沢監督の東京芸術大学での教え子であった、濱口竜介さんと野原位さんと黒沢監督が共同脚本しているわけで、さすがに黒沢映画の核心をよく分かっている人が書いた脚本だと思います。あと、最後の方に登場する笹野高史がいいな。本当に彼女が狂っていたのか、狂っているのか分からないいうシーンのつながりを示すのに、彼の存在が効いていたとおもいます。
前半1/3は緊迫感旺盛なれど終盤は消化不良
ベネチア映画祭銀獅子賞を獲得したと言う事もあって公開初日に観た。
結婚したばかりの妻が、大陸から帰った夫を信じられるのか否かの葛藤を描いた前半1/3までの緊張感はただならぬ迫力とドキドキ感が凄かった。
が、終盤がちょっと残念の感は否めず消化不良となった。前半での蒼井優と高橋一生はとても良かったし、浮気者の東出昌大も憲兵隊として機能していたね。
憲兵隊から完全マークされていたにも関わらず中盤であれほど奔放に出来るのかと頭に?が浮かんでしまってからがちょっとね。憲兵隊の突っ込みが甘過ぎたからなのかな。終盤は、リスクに耐えきれず愛情が勝ったのか、はたまた単なる裏切りか!? でも俳優陣は頑張っていたと思うよ。
ひとつひとつはどうってことないのに、したたかに揺さぶられます
なんとも困った映画です。
めちゃくちゃ人に勧めたいのに、「どんな映画なの?」と聞かれても、たぶん言葉に詰まるのです。
迂闊にテーマ性を持ち出して語ろうとしたら、墓穴を掘ることになりそうです。例えばいきなり、戦争という状況での選択が……などと言い始めたら「いやあー、そこから入るのはちょっと…」と自分でも引いてしまう気がします(あくまでも個人的な感覚で、他意はありません)。
ミステリーやサスペンスというには無理があるし、そうきたかっ!という驚愕のどんでん返しというわけでもなかったです。ひとつひとつのエピソードを思い起こしてみても、どうってことのない展開の積み重ねなのです。
それなのに不思議なほど、どんどん作品世界の中に引きずり込まれていきます。
演じ手としては蒼井優さんが断トツに光ってます。
地力とか地アタマという言葉がありますが、そういうニュアンスでの〝地女優力〟には屈服するしかありません。
ファンの方には申し訳ないのですが、高橋一生さんもその力に引っ張られて、役者力が一段上がったのではないか。そんな風に感じてしまうほどでした。
プレイヤーの力を100%以上引き出した黒沢監督。
陰影を駆使した世界で、お揃いの制服や統制された世界が醸し出す様式美を最大限に引き出していました。
戦争とか全体主義的な権威への嫌悪感とは裏腹に、生理的な部分で、ある種の美しさや憧憬を抱かせてしまう魔力があることをよくご存知なのですね。
お見事です。
あの時代、あの場所。
どちらにもまったく縁のない私なのに、とても懐かしいものに触れたようなぬくもりを感じることができる、なかなかにしたたかな映画だと思います。
夫の力になることに自己陶酔している妻のストーリー
NHKがバックアップしてるだけあって、セットも含めて映像はいいんだけどね。プロットが優先されているせいか、福原夫婦の絆というかエモーショナルな感情を感じることはなかった。夫の力になることに自己陶酔している妻のストーリーといってもいいのでは。
大事を前にして緊迫感なく笑うシーンとか、謎の騙し合いとか、オチに向かって逆算されたようなシナリオには共感できないままエンドロールを迎えてしまった。
今日の朝日新聞の映画評でかなりのネタバレがあって閉口したが、知らなかったとしても感動のラストではなかったかな。
関東軍の悪魔の所業とアメリカの参戦は、実際のところあまり関係ないし、アメリカにとって人道とか人権は外交や戦争の道具でしかない。日本軍の暗部がぼやけた上に、アメリカ礼賛になってしまったのでは。
無言が語る重さ
【”狂っていない事が狂っている、この国では・・”コスモポリタンの妻が大戦に邁進する日本の時流に翻弄されつつも、夫への想いを貫き、自我、矜持を保つ姿に感銘を受ける。蒼井優さん、”お見事です・・”】
-1940年神戸。福原聡子(蒼井優)は貿易会社を営む自称"コスモポリタン"の優作(高橋一生)と裕福で幸せな生活を送っていた。だが、優作が部下の文雄と共に中国、満州に出掛けて”ある出来事”を現地で見てしまい、その事実の記録を秘密裏に中国から持ち帰ったところから二人の周囲には暗雲が徐々に立ち込める。-
■印象的なシーン
1.序盤、未だ平和だった優作が営む福原物産の忘年会で流された”聡子がスパイ役として金庫から何かを盗み出す瞬間、手首を掴まれ逃げる途中射殺される”余興の短編。
ーこの白黒のショートフィルムの意味合いが後半効いてくる。又、聡子を演じた蒼井優が仮面の白いマスクを取られた時に映し出される”美しく、鋭き目。”-
2.勇作と部下の文雄が、満州で見たある事実。そして聡子に知らせず、満州からある女性を連れ帰った理由。
ー劇中で固有名詞は出て来ないが、誰が観ても、旧帝国陸軍731部隊が満州で行った事である。だが、黒沢監督はこの事実の糾弾に重きを置いているわけではなく、包括的に当時の大東亜圏構想に邁進していく大日本帝國を批判的視点で描いている。-
3.聡子が14歳の時からの知り合いの神戸憲兵の分隊長、津森(東出昌大:純な青年が帝國思想に侵されていく姿を抑制した演技で魅せる。良い。)が序盤は恋心を抱いていた聡子に対する丁寧で愛おしむような態度から、聡子がスパイ容疑をかけられた際の、旧日本帝國憲兵として、変容して行く姿。
ー恋心を抱いていた女性を売国奴と罵り、平手打ちする姿。-
4.聡子が優作のコスモポリタンとしての考えに共鳴し、二人が”誤解”を乗り越え、アメリカに密航しようとするシーン。
ーあの”通報”の主は・・。小舟の上から笑顔で手を振る優作の姿。-
5.聡子が”国家反逆罪”など複数の罪で神戸憲兵分隊に連行されるシーン。津森は彼女が持っていたフィルムを幹部の前で流す。そして、スクリーンに映し出された映像。
ー驚愕する聡子。そして、”お見事です・・”と言って気を失うシーン。優作の自身の信念を貫こうとするが故の行為なのか、聡子の身を案じての計略なのか・・。その両方なのか・・。その解釈は観客に委ねられていると私は思った・・-
6.1945年、日本の敗色濃厚な中、聡子が精神病院のベッドでぼんやり座っているシーンと、その後の病院が爆撃されるシーン。
ーこのシーンで、聡子が信頼している大学教授(笹野高史)に話す言葉。そして、爆撃後、中庭に出て叫ぶ言葉。-
<黒沢清監督の作品の画には、仄かに暗いトーンが多用される。
今作では、1940年代の日本の町の意匠の素晴らしさと、徐々に戦争の災禍に陥っていくトーンの陰影の付け方が印象的である。
だが、何と言っても、聡子を演じた蒼井優さんの夫への信頼、疑念の狭間を行き来する心持を圧倒的な演技で魅せる姿に魅了された作品である。>
■追記
2020年10月17日 NHKで放映された”世界のクロサワ「スパイの妻を語る」”の中で、黒沢清監督が、”映画館で見る映画の魅力”について語った言葉は、実に的を得た言葉であった・・。
嬉しかった・・。
黒澤明が泣いている。
確かに日本は人体実験等酷い事をしたが、肝心な事が抜けている。日本は当時、ロスチャイルド、ロックフェラーの支配から抜け出そうとしていた。それを、ロスチャイルド、ロックフェラーが日本をアメリカに戦争するように仕向け、負けさせた。戦後、日本に焚書を行い、ロスチャイルド、ロックフェラーの存在を消した。そして日本はアメリカの属国となった。最近、イギリスがその事に気付き、EUから抜けた。フランスのマクロン大統領も抵抗しようとしている。従って、ロスチャイルド、ロックフェラーが金儲けに狙っているのが日本とドイツ。グローバリゼーションという理由で、ロックフェラー、ロスチャイルドの都合のいいシステムに構造改革しようとしている。それがここ20年以上続いている。ロスチャイルド、ロックフェラーは当時の日本では井戸端会議に出てくる程知られた存在だった。
確かに日本の人体実験は酷いが、この映画は、日本がおかしかったと決め付けているが、ロスチャイルド、ロックフェラーの存在が抜けていたのでそこは違うと思った。戦後の日本の自虐史観教育の影響がある映画でした。
まったく油断ならないさすがの黒沢清
素晴らしかった。ドラマの再編集版かと思って少し油断していた。びっくりの傑作だった。そりゃそうか銀獅子だもんな。そういえば『贖罪』もそうだったけど、黒沢清はVシネひっくるめて出口が何でも関係ないな。
今回は脚本や監督、音楽、新機軸ありながら、だからこそ比較的わかりやすい縦線を持っている。ドラマっぽいという意味で。そこに黒沢エレメントがふんだんに入っていて、最初蒼井優の昭和芝居がやり過ぎじゃないのと思っていたら後半、ここぞ見せ場と思ってか、素晴らしくて泣きそうに。東出昌大も相変わらず素晴らしい。特に尋問始める頃は完全に概念を奪われた宇宙人みたいで感激。結果的に何度もニヤニヤしながら、それでも盛り込まれた戦時下ながらとても現代的な(ことになってしまった。。)テーマ性も夢中にさせる要因だったかも。
とにかく油断ならない。
ここにも東出昌大出演
お・み・ご・と
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