「うまい!と鑑賞中、何度も監督と脚本家に叫びたかった」スパイの妻 劇場版 レインオさんの映画レビュー(感想・評価)
うまい!と鑑賞中、何度も監督と脚本家に叫びたかった
エンデイングロールでよく観たら
黒沢清に、脚本家は濱口竜介...なるほど、と思った。
前者は、お得意の心理的な恐怖、ホラーを描く技術・カメラワークを、現実味のある本篇に生かし、主人公の心情を繊細に表現できたんだ。
光と影、複数人の囁きの声と多方面からの音、カメラを引いて撮った夫婦、フレームの真ん中にドアップされた聡子の顔と感情、騒がしい周りの環境...
後者は、観客を驚かせたばかりだ。
「寝ても覚めても」のように。
このシークエンスから次のシークエンスへと、目紛しく...
よく考えると、
カラーの満洲映画という不自然さも、ある種、そういうハイテンポでオペラ的な表現・プロットのおかげでだいぶ解消された気がした。
もう一つ不自然なところは、妻の聡子にある。彼女には、始終驚かれた一方だった。
夫に引っ張られるスポットライトを浴びている完全なる受身だった。
理想的な「スパイの妻」像は彼女からは全く見出せなかった。むしろだから「スパイ」になりきれてなくて「スパイの妻」になるだろう。
どっちかというと、主人の優作の「抱負」に従属しただけだ。彼女は強いられた選択をしただけのように見えた。
(半分影の食卓を囲み、彼女は主人のことを「信じます」とやむを得ず選んだ。
そして一本の満洲のビデオを見て彼女は本当に考えを変えられたのか、そう限らない。
彼女は、夫のために、ノートの原本を憲兵に渡した。
彼女は、夫のために、色々できたこと、夫の唯一の味方になったことに喜んでた。
彼女は、夫と一緒になるために、疑いながらも、信じることでいた。
彼女は、結局夫に騙されたことに狂おって笑った。
悲しい女だ、とふいにおもった。
この映画は、男性中心的な要素をその時代に入れ込みつつ、全てを曖昧に進めていた。けど、私はその曖昧さが嫌いではなかった。むしろリアルに思えた。
コスモポリタンの夫に対し、「幸せ」を選ぼうとした妻が、どのような行動を取るだろうと考えるとき、このようなあやふやなことの方が、辻褄に合うのかもしれないと思った。
「私は狂おってない、だが、きっと狂おっている、この国では。」
映画の最後は、聡子を本格的な「スパイの妻」にしようとした、とでも言える、
せめて
作者は彼女を、この国の反対側に置こうとしたその立場が見えてくる。
この映画うまいと思った一つのポイントもそこにある。
それは、聡子と日本の完全なる対立関係を描くことのうまさ。
物語を主導する優作という存在が所々、意図的に弱化されている。
(高橋一生の好演のおかげだ、セリフのトーンもわざか分からないけど低めだった...)
観客がいつでも、妻の聡子に重点として見るようになれる。
(蒼井優、少し原節子に似てた...)
そして、聡子は満州へもアメリカへも最終的にはいけなかった。彼女は敗戦までずっと日本にいた。彼女は優作の信念をもって、異物のように、日本で最後まで戦ってた。
彼女だけ、病院の他の人間と違って、本気で狂おってた。
彼女だけ、狂おうことなく、病院が爆破された光景をただただ見届けていた。
彼女は最後に、海に向かって、帝国との戦いの「勝利」を手に入れた、そしてようやく海に渡れた。
ここまで、観劇中にちょいちょいとサプライズをくれる、きれいな二項対立がよくできた抗日映画だ。
と褒めたいが、
題材が重いせいか、後味は「いい意味」で悪すぎた。