「母性愛と性的欲求は一緒なの?」おもかげ f(unction)さんの映画レビュー(感想・評価)
母性愛と性的欲求は一緒なの?
母性愛と性的欲求は一緒のものなのか?と思うけど、挿入するのは男の側で、彼女は息子似の少年の求めに応じただけだしなあとも思ったり。(美少年でよかったね)
「息子の喪失に向き合えるようになった」ことの表れが元夫に電話で連絡したことなんだろうけど、要約してしまえば「息子似の少年とヤッた多幸感で喪失に向き合えた」という単純な因果。ヤるまでの障壁の設定が上手い脚本だなあ。
主人公には今カレがあり、少年には両親による監督があり、2人のあいだは20歳も離れていて。
主人公は母親で、原題も"Madre"(母親)なんだけど、むしろ少年と同年代の、初恋のような気恥ずかしさがあった。そんな見つめ合い、笑顔、肩のすくめかた。
恋敵も少年と同年代の巨乳ビッチ。
主人公がいま何に迷っているか、何と何のあいだで板挟みになっているか、結局何を優先し何を選択したか、映像で伝えるのが上手かったなあ。
テレンス・マリックのような映像。人物に張り付き、共に歩き、自然や風景に溶け込んでいく感覚をもたらす。思索的・瞑想的。
『レヴェナント』(イニャリトゥ監督)のようでもあった。
ラストで主人公が携帯で元夫に連絡するのが終着点(ハッピーエンド)になる経緯が不明だし、息子の捜索が進められたかどうかは伏せられたまま。そのへんは納得不足かも。
他のレビュアーの方も似たようなことを書かれていますね。
少年の側からすれば、思春期の性欲のやり場が都合よく見つかったなあという感じ。彼は、自分が「主人公の息子の代替」であることに気づいていたの?
息子が見つかってしまったら、あるいはその生死が判明していたら、主人公の取る行動によって少年の感情は大きく揺れ動いたかも知れない。でもそれは主人公の転移。あくまでエレナの心の機微の映画だと考えた時に、少年の心を大きく動かすような脚本にすることは思い留まったのかもしれない。(あくまで劇中では一貫して「少年は主人公に恋している」状況に設定しておくのが大事。)
生死は判明せず、捜査状況もはっきりせず、ただ息子が喪失するという宙ぶらりんの状況を観客の中に作り出すからこそ。結局映画というのは観客の心を操作することを想定して作るものなんだね。
(息子か少年かという二者択一ではなく、あくまで息子の欠乏を埋めたい)
推理物でもサスペンスでもなく人生を描きたいんだよと。
主人公が今カレと一緒に住むかどうかが分からないですね。
めちゃくちゃ良い映画だと思います。
【追記】
物語終盤、森に迷った少年と、携帯で通話する主人公。
物語冒頭と全く同じ状況が再現される。
「今度は逃さないよ」ってことだね。
主人公自身が、少年の屹立した男性器を眺めることで、ムスコの成長を見届けた……(手っ取り早く見届けたつもりになる)ということでしょうか。
性交の描写はないけどね。雨降りの森の中、ポツンと停車する軽自動車を遠くから写すだけ。
中盤、祭りの日、少年を海辺から自宅まで送り届けたあと、ディスコで若い男たちと盛り上がったのは……ヤケになっている感じもあるし、欲求不満なのかなあという感じもある。
おそらく息子から目を離したであろう元夫が、(10年経過したとはいえ)新しい子供を設けて幸せそうにしている。主人公はまだ息子の面影を求めて彷徨っている(禊が終わっていない)のに。これは怒って当然かもしれない。
じゃあ、息子似の少年を世話し、結合し、ムスコは立派だなあと確認することが彼女にとって禊になったのか?
主人公や少年の奥底に性欲はきっとあるんだけど、表立った描写はせず、性愛ではなくて「恋」(あるいは青春映画?)の次元で、静謐な映像づくりを壊さないようにしたところは上手いなあと思います。
【謎】主人公の生活する海辺には「人が多い」というセリフが各所で見られる。しかし冒頭、主人公の息子は「誰も周りにいない」と電話口で話す。ただしあの海辺は「冬は人が少ない」というセリフもある。息子の失踪時、季節は冬だったのだろうか。それとも、あの海辺は息子が失踪した場所とは異なっているのだろうか。
主人公が失踪現場で働いているかどうかはどうでもいい、のかもしれない。帰ってこないとわかりつつも「息子」の居場所を心の中に作っているのなら。息子はあくまで類似でいい。
★「次」に行くのか?過去の息子を取り戻すのか?そんなニュートラルな状況。登場した美少年は息子似。