アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台のレビュー・感想・評価
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ぎりぎりまで型通り、ラストで型破り
いかにも型通りのハッピーエンドが用意されていそうな雰囲気を醸し出しながら、ラストで見事なフェイントをかます本作。いや、奇をてらい過ぎ!と言いたくなるが、実話ベースなのでぐぬぬ、と黙るしかない。
もとになったのはスウェーデンの俳優ヤン・ヨンソンの、1985年の体験談である。囚人が演じた劇「ゴドーを待ちながら」の作者サミュエル・ベケットは当時存命で、この”事件”について、自分が書いた戯曲の中で最高の出来事だと言って笑ったという。
囚人が更生のために取り組んだ舞台が広く世間に評価される話、と聞くと漠然と、初めての舞台公演が物語のクライマックスだと思ってしまう。ところが、本作では彼らがゼロから演劇に取り組む描写は要点を押さえつつもさくさくと短時間で進み、(映画内の時間配分としては)早い段階で初公演の日を迎える。
その後、順調に回を重ねる彼らの公演。どう落とすんだろう、と思っていたらまさかの、一番の檜舞台を前にしての全員逃亡。エチエンヌの口上が始まっても、逃亡の映像描写があるまでは、はらはらさせといて結局戻ってくるんじゃないか?などとある意味舐めた気持ちでいた。床屋でジョルダンが逃げようと言った時には周囲が止めていたから油断した。してやられた。
囚人たちは表現の場を得たことで、刑務所での日々で溜まった鬱屈とした感情を昇華し、賞賛されて自信を得ることで、人間らしい心を取り戻していった。そして、自由が目の前にちらついた時、彼らは刑務所で得られる表現の場より、一個人としての自由を選んだ。
そして彼らの出奔が、結果的にエチエンヌにスポットライトを当てることになる。彼は本職の俳優としては、ずっと日の目を見なかった。囚人一座が耳目を集めても、彼は裏方だ。
そんな彼が大舞台オデオン座で、舞台キャンセルの詫びとはいえ、自らの表現で拍手喝采を浴びた。そんな父の姿を娘にも見てもらえた。
この結末を見て、ことの善悪をどうこう言うのは野暮な話だ。この物語における正義は自由と自己実現で、一度は人生に敗れ、それでも待ち続けた者たちがそれらを得たところにカタルシスがあるのではないだろうか。
(エンディングでモデルとなった囚人による演劇の実際の写真と思しきものが流れ、現実にはこの人たちは逃走後どうなったのだろうと気にはなった)
フランスの刑務所の、なんだかんだ言っても随所に滲む自由な空気が印象的。
掃除夫としてたまたま居合わせただけだったのに、いつの間にかメンバーに溶け込んで助手みたいになって、しれっと公演について行き、台本に出てこないゴドーとして勝手に出演までした歌うまロシア人囚人ボイコがかわいかった。
感動というより結局バカにつける薬はないなという感想
DVDにも絶賛の表記と、レビューにも感動したという評価がちらほらとあるが個人的な感想は
“結局刑務所に行くような奴らは救いようがないな…。“でした。
主人公が受刑者たちを更生できると信じて演技を教え、いろんな人を説得して刑務所の外での公演を可能にしたにもかかわらず、
夢の舞台でもあるオデオン座の最終公演直前にたくさんのお客さんを残して、自由になりたいからという自己中な理由で何と全員逃亡すると言う始末。
お客さんはみんなお金と時間費やして来てるのに、、主催側も払い戻すのに苦労しただろう。
刑期もあと少しと言われてたのに大人しく最後やり遂げればよかったものを。
もし捕まったら、恩を仇で返した事で信用も失うどころか刑もさらに重くなる事も想像できないなんて、、まずそんな普通の事が考えられたらそもそも犯罪を犯さないか。
途中のシーンでは、
劇中真面目に演じないわ、バスの中でテンション上がって飲み物も撒き散らすわ、
その後全裸(フル◯んの描写があります。女性の方は要注意。)で外で騒いで懲罰されるわ、
全身検査が嫌だと不満たらすわ(←お前たちは受刑者だから当たり前だろうが)、
主人公や周りの関係者の努力も考えず身勝手な行動の連続で、普通の人からすると、(なんだこのバカな中学生みたいな奴らは…?)と思わずにはいられない。
最後は無事に公演を終えて受刑者といえども良心がまだ残ってるのならば少しでも人間的に更生されていくのを期待してしまったが、やはり受刑者の頭は救いようがないなぁと思ってしまった。
そもそも被害者の立場からしたら、加害者が劇をして拍手されていくら周りから賞賛されようとも、いい加減にしろとしか思わないかもしれぬ。
実話であり一連の出来事がまるで劇そのものであるかのように過大評価されているが、こんなの芸術でもなんでもない。
囚人たちが最後、“逃げる“という決断をした事はなんか腑に落ちないし後味が悪かった。
よくあのタイミングで裏切れたものだ。さすが犯罪を犯すだけはある。
舞台の上だけが、俺たちの自由!
彼らは、作中では結局何をしたのか詳しくは分かりません。強盗だとかチラッと出たくらい。やることやってるから服役しとんすわ。
ちゃっかり中でハシシやっちゃってるし。服役する意味。
皆それぞれ目的があって頑張る。
ジョルダンは文盲で、そんな彼が長台詞(3ページ分)を覚えるほどの本気具合。
カメルは、役を奪うまでして割り込んできた時は「これ娑婆に出たら即逃走する奴!」と思ってたけどその時は逃走せず。→息子に会いたかった…という切実な願いが発覚。
あぁ、彼等も人間なのか、と普通に思った。明らかに人間だけど。
今までまともに浴びてこなかっただろう喝采を浴び、人としての(犯罪を起こさないで得た綺麗な)自尊心を芽生えさせたかと思えば、戻れば全身検査。人からの愛のこもったプレゼントを目の前で乱暴に扱われる始末。刑務官はそれが仕事だから仕方ない。
芽生えたものが踏みつけられてまた芽生えてまた踏みつけられて、を繰り返せば、そりゃもう心はぐちゃぐちゃだなと思う。
逃げるのも納得。
模範囚で刑期も残り僅かな彼らが逃げるほどに心はもうもたなかった。
だけど、やはり犯罪を犯した以上被害者(もしくは遺族)がいるんだろうから、なんか、感動してる場合か?と思った。
不条理劇にあった現実だったかなと思います。
舞台の上だけが、俺たちの自由!
そこにしか彼らの自由がなかった。
可哀想だとは思うけど、仕方ないとも思う。
なんか、白けた考えだとは我ながら思うけど、最後感動はできなかったな…
彼らが自主的に戻ってくるワンシーンでもあれば良かった。
やっぱりフランス映画が好き
あーこのタッチだわ。アッサリとリアル。過剰演出無し、お涙頂戴無し。追いかけ過ぎない個人の内心描写。「演劇部」の騒ぎに、刑務官がドアを開けて、廊下を一瞥する一瞬を挟み込む事例に代表される、効果的な状況描写。音声の臨場感とカメラの地味な躍動感。でも、しっかりヒューマンドラマ。
最後の最後に逃げやがったかぁ、ってのもガッカリ感無し。しゃーない連中やなぁ、で美談は否定。
人は変われるけど、変われない人もいる。6人の演劇部に変化はあったけど、刑務官は変わらなかった。イヤ。演劇に打ち込んでも何が得られるって言うのか。欲しいのは自由だと。
舞台の上ではリアルにゴドーが繰り広げられ、教訓も感動も悲劇も、何も残らなかった。聴衆の拍手は、ゴドー達を責めなかったエティエンヌへの賞賛。
この、一見して情け無い事件を題材に、映画にしてしまうフランスが、また好き。
良かった。
普通に。
3頁は凄い!
色々ありながらも
トントン拍子に大舞台まで上り詰めたので
さいごが思ってたのと違う〜!と、ちょっとガッカリ。
ここが『不条理』と繋がるのでしょか?
『待つこと』とも思ったのですが…
やはり、実際の出来事なので思いもよらない終わり方なのでしょうね。
全員が居なくなるなんてある?
あのまま我慢して刑期を終えて、
俳優としての第二の人生を送った人居るんじゃないかな?
別に役者になりたかった訳じゃないのか。。
まぁ、でも練習してる姿や
舞台の成功ではしゃぐ姿。
まんまと感情移入して一緒に一喜一憂出来ました!
結論よりも過程に意味があった、と思いたい。
お偉いさんがたは過程を見ず、結果だけ見に来て、あれをどう思ったのか。。
なんか、逃げちゃった彼らに失望してたけど
身近に居たエチエンヌだけは彼らを認め、
観客たちに力説出来て良かったわ。救われた。
ゴドーと囚人達がリンクして、、、
凄い良かった!
ラストは想像通り皆逃げちゃうんだけど、それでハイおしまい!では無い。
敢えてあの難題なゴドーを選んだ伏線が見事に回収されていたし、逆にこのハプニングで演出家が売れるようになったり、なんともフランスらしいオチだなぁと。
日本だったら最後、演出家は舞台で土下座しながらスイマセン!!と顔面蒼白になる筈だが、囚人との思い出話をドラマチックに語り、逆に拍手喝采でアンコールまでもらえるとは笑
これもまた人生さ、と言わんばかりの、何だか心がホカホカする映画だった。
犯罪者の自意識には、やはり限界があるのだ。
服役中の囚人は自由がほしくて逃げたのではないだろう。
プレッシャーに耐えきれなくて逃げたのだと思う。
しかし、エチエンヌの語る"逃げた言い訳"を聞いている人たちの許容力は素晴らしいと思うし、今の世の中にも、こんな心の余裕がほしいところだ。
そして、この囚人たちが逃げたことを題材にした演劇がつくられ、上演されているという。なんて素晴らしいんだろう。
やはり、犯罪者は犯罪者だけあって、自意識は低い。
大舞台を成功させれば、刑務所を出た後の人生も変わってくるとは思うが、そもそも何かから逃れたくて犯罪を犯しているわけだから、人間はなかなか変わることが できないということだと思う。
ぜひ、劇場でご覧ください!
まさに不条理
映画館で鑑賞しました。
実話を基にした物語ということで、映画のストーリーとしては、パンチが効いていない感じもあります。一方、実話だと考えると、逆にここまで服役囚に色々自由にさせてくれた司法関係者たちが凄いな、とも感じます。
服役囚たちに演劇を教えるエチエンヌも単純に良い人というわけではなく、自分のエゴを出してくる感じや、逆に服役囚の普通の人が持っている感情(息子と会いたい等)を描くあたりは、とてもリアルさを感じました。
ただ、公演に行く度にすぐに調子に乗って問題を起こす彼らを見ていると「だから服役するんだよ」という気持ちになったりしました。また、多分それなりに懲罰受けてるけど、また公演に行けるようになっている辺りを見ると、さすがに甘すぎやしないか、と思ったりもするわけです。
最終的に彼らは公演の直前に逃走するわけですが、そりゃそうよね、いつか逃げ出すよねという感じです。
自分の中で感覚が合わないなと思ったのは、服役囚たちが逃げ出して、エチエンヌが一人でこれまでの経緯であったりを話すわけですが、そこで観客から拍手喝さいを浴びます。これは何に対しての拍手だったのでしょうか。逃走するような服役囚たちをこれまでまとめ上げてきた彼に対する拍手なのでしょうか。
また、エチエンヌは拍手を電話越しにカメルに聞かせ、お前たちへの拍手だ、みたいなことを言いますが、こんなこと言えるんですかね、と思ってしまいました。エチエンヌからすれば、自分だけでは到底たどり着けない最高の舞台を体験させてくれた、という気持ちもあるでしょう。しかし、最高の舞台で演技をする彼らを見たかった、俺の演出をこの舞台で発揮させてほしかったという悔しさもあるでしょう。その悔しさを押し殺してまであのセリフをエチエンヌが言えるのでしょうか。服役囚の気持ちを変えられなかった、と完全に諦め、どうでもよくなったから言ったのでしょうか。
色々と疑問点を書き連ねてしまいましたが、自分としては、エチエンヌが舞台上で刑務所長にお礼を言ったところは感動しました。
まあ実話ベースだから
囚人たちのワークショップとして演劇やって《ゴドーを待ちながら》を上演しようって話なの。
最初の上演までは面白いのね。囚人たちが変わっていく感じもあって。
上演依頼が殺到して、繰り返し公演やるんだけど、そこは退屈。
同じことの繰り返しになっちゃうからね。
囚人たちは屈辱的な全身検査をされたりして「酷い」とは思うんだけど、服役中だからね。
そもそも懲役は、執行権を持ってない者がやったら監禁で犯罪だから。それを課されるってことは、ある程度の人権を奪われることだし、しょうがない部分もあるの。
特に、公演後に酒飲んで、全裸で騒いでいるのは、やりすぎ。自由になりたかったら、懲役を全うしろって話なんだよ。
それで、パリのオデオン座から公演依頼がきて、全裸で騒いで懲罰房に入れられたみんなもなんとか集めて、最終公演になんだよね。
『ラスト20分。感動で、席を立てない』って宣伝も言ってるし、ここでガーンと来るのかと思って観てると、囚人たちが全員脱走すんの。ひでえな。
それで、舞台では、演出家が彼らと《ゴドー》を演じることになった顛末を語って拍手喝采受けて、なんか良い話だなあってことになってんだけど、どうなの。
ひどい話だと思うんだよ。
でも、最後に全員脱走するって、なんかすごいなとも思うの。そこまで築き上げた信頼とか、全部、裏切って逃げるんだよね。
刑務所側も、自由にさせすぎた感はあるの。服役囚だからね。罪を償うために服役してる人たちなの。塀の外の人と全く同じ人権を適用したいなら、そもそも服役させてない。
それでも、人を信じて、裏切られて。でも、演出家と囚人のあいだに何かは残って。それを観てる人たちにも何かが残った。そこが、壮絶で、面白いなと思ったよ。人間って面白いね。
悲劇ではなく喜劇
昔の手法で作られた映画。黒沢明を思い出す。
レビューに酷評があるが、これは悲劇ではなく喜劇だと考えれば納得出来るところは多い。ラストの音楽も良かった。ラスト自分がやりたかった場所で自身が講演するとこなどは喜劇として見たら笑える場所になっている。見た印象としては面白かった。
事実としては面白いが
囚人たちが最後に逃げ出した心境も、
演出家の苦悩も伝わらなかったので、
何も残らない結果となったのが残念。
そもそも、演出家と囚人たちの絆もそれほど描かれていたとも思えなかったし。
どうよ?サミュエル
素晴らしい作品。
実際の囚人たちは、
最初から計画していたのでは?
と、当時考えたりしていたが、
それぞれのその後の、
断片的な情報から類推すると、
ゴドーに関して考えたに違いない、
としか考えられない。
(そんな記憶がある。)
拍手の先には何もない。
賞賛されても、
助けてくれる者、
手を差し伸べてくれる者、
もちろん神様なんて現れない。
劇中でも出てきたが、、、
どうよ?サミュエル、
ゴドーなんて待たないよ。
Let us be free.
ヨーロッパの作品は、文学、映画、音楽、舞台、建物、アートなど、波長が合うと、私は心の土台ごと揺さぶられます。
この映画は、まさしくそれで、後半にいくにつれ、私の予想を上回り…最後、映画のキャラに共感してでなく、自分事として泣けました。
こういう、自我を揺さぶる問いを投げてよこすところが、ヨーロッパの文化です。
子ども時代、家庭では、親の決めたルールに従う。
学生の時には、校則を守り、各種行事に参加し、テスト勉強を行う。
社会人になったら、会社で求められる役割を果たす。
結婚し、親になれば、家族が仲良くいられるように心を配る。
社会で生きていく以上、自分のやりたいことよりも、周りから期待される役割を演じることを優先する方が、楽な気がします。
でも、それは、ゆっくりと自分の心を殺す行為なのかもしれません。
オデオン座の公演から逃げだした囚人たちは愚かなのか。
それとも、逃げだす選択肢さえ思いつかない私たちの方が馬鹿なのか。
自由と勝手の線引きはどこなのか。
1回全部リセットして、すべて投げ出して、誰も私を知らない世界に行ってみたら…どんなに息がしやすいだろう。
でも、それなら、今ここで、自分が息をしやすいように行動と環境を変えてもいいんじゃないと思いつく。
他人に迷惑をかけないで、自由を満喫する方法を、今なら見つけられる気がします。
早速、図書館で、「ゴトーを待ちながら」を予約しました。
しばらく、ベケット作品に浸ります。
学園祭のノリ
結局、ラスト20分の感動を味わえなかった人間です。
まず囚人に劇をさせるまでは良かったですが何かが緩むとこうなってしまいます。
勿論、彼らの熱演に対してプレゼントの検査や身体検査は失礼かもしれないですが、そもそも彼らは犯罪者です。
舞台の評価が良く緩む雰囲気となって起こった結果に対して俳優の演説は自分の中ではシラケてしまいました。
ゴドーは好きです。
戯曲自体よく知らなかったけど
ゴドーを待ちながらは読んだことも、お芝居を見たこともない。この映画は、実際スウェーデンであった事件をモデルにして作られたことを知ったけど、フランスらしい作りの映画だったと思う。
そして、ゴトーを待つこと、それを囚人たちに被せる意味合いの向こうには、毎日毎日スーツを着て会社に行き、賃金が安くても文句一つ言わない日本人も、どこかでゴトーを待ってるのかなあと言う気もした。
それにしても、最近見る映画フランス映画が多い印象。
ハリウッドの勧善懲悪ものは、なんか飽きてきたところはあるなあと、ジェラシックワールドをパスしてこれを見た自分は思ってしまいました。
何が彼らの『大勝利』なのか?
矯正プログラムとして囚人に演劇をさせるお話しで、冴えない中年役者の指導のもと囚人たちが演技に目覚めていき、予定調和的な展開かと思いきや、最後に意外な結末を迎えます。とは言え、登場人物達の心境の変化の描き方が浅く、細かい問題もスルーして、なんか展開に唐突感があります。悩んでいる割には、主人公は囚人達の演技指導をあっさり引き受けるし、最高の舞台で囚人達が恩人の舞台監督を裏切る暴挙に出る、決定的な心理がイマイチ納得できず、なんか後味が悪いです。もう少し彼らの切羽詰まった内面のエピソードを細かく積み上げてほしかったです。全然知らない役者さんだけど、主役のカド・メラッドの情熱的な演技は、なかなかよかったです。
【不条理演劇の”ゴドーを待ちながら”を劇中劇として使用し、ラストは囚人たちに演劇指導していた売れない俳優が、見事に大劇場で”演劇”を締めくくる作品である。】
ー 不条理演劇の”ゴドーを待ちながら”は、恥ずかしながら鑑賞した事が無い。だが、今作を鑑賞する上で、詳細を知る必要はないと、私は思う。
何故なら、今作で囚人たちに演劇指導する事になった、エチエンヌ(カド・メラット)の姿を見ていると、十二分に不条理感を味わえるからである。-
◆感想
・エチエンヌが、囚人たちの矯正プログラムとして選ばれた5人の囚人たちに、不条理演劇の”ゴドーを待ちながら”を、六か月間で指導し、一度だけ劇場で演劇させることが決まるシーンから物語は始まる。
ー だが、囚人たちは、多士済々であり、中には文盲の男も居れば、息子に会いたいがために強引にメンバーになる牢名主の様な男もいる。だが、そんな彼らを、半年でエチエンヌは劇場に立たせなければならないのである。-
・最初の公演は、可なりハチャメチャであるがそれ故に、評判を取りエチエンヌ達は、次々に公演を重ねて行く。
ー 時には、メンバー同士の諍いがあったり、息子が来ていない!と、牢名主の男カメルが切れたり・・。又ある時には、公演20分前まで全員が呑気に床屋で喧嘩しながら散髪していたり・・。だが、評判は評判を呼び、ナント、パリのオデオン座での公演が決まってしまう・・。-
■当然、観ている側は、彼らがオデオン座で見事に”ゴドーを待ちながら”を演じきり、満員の観衆からスタンディングオベーションで迎えられる姿を、期待する。
勿論、私もそうであった。
だが、開演前になっても、囚人たちは会場から消え去り、パリの街中のあちこちで、自由を満喫している。エチエンヌへの感謝の想いを持ちながら・・。
<満員の観衆(その中には、協力してくれた女性刑務所長(マリア・ハンズ)や、エチエンヌの娘、法務大臣までいる。)の前で、お詫びの言葉を述べるエチエンヌの、”囚人たちを貶すのではなく褒め称える”言葉の数々は心に沁みる。
一年に亘り、素人同然だった彼らの努力を観客に訴える姿。文盲だった男が3ページにも渡る長台詞を言えるように成った事、牢名主の男が息子会いたさに、懸命に演じていた事・・。妻を愛する男が、妻に会いたくて台詞を覚えていた事・・。
そして、エチエンヌのスマホに掛かって来たカメルからの電話に、エチエンヌが、満場の観客からの喝采の声を聞かせるシーン。
満場の観客たちは、エチエンヌの言葉から、”その場には居ない囚人たちのそれまでの頑張り”を認識し、賞賛したのである。
冒頭に流れる、”今作は、実話である。”と言うテロップも、ラストに効いてくる作品なのである。>
<2022年7月31日 刈谷日劇にて鑑賞>
全23件中、1~20件目を表示