ラストブラックマン・イン・サンフランシスコのレビュー・感想・評価
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建築愛!
「碌でもないサンフランシスコ」の状況はあくまでも背景にしておいて、そこを地元にするごくごく小さなブラックコミュニティの人たちの生活を、驚くほど美しい映像と素晴らしい劇判で切り取って魅せた佳作。
映像はホントに素晴らしくて、バストショットですら「Black is beautiful」という言葉が浮かぶほど…
その一方で、ストーリーとしては共感できるポイントがなくて辛い…ホントはめちゃくちゃプライベートな物語なんだと思う…
そして建築愛!
成長は痛みを伴う。
予習というか、地域的背景や2010年代の時代的な背景を前もって知っておいた方が良いということだったので、日頃はあまり前情報を入れないで映画を観に行くけど、ちょっとだけ予習して行った。
もっと背景について何か分かるかな?と思って、パンフレット買おうと思ったら、作られてないって。
言ってみれば、子供時代との決別、旅立ちの物語、最終的には。
家はきっかけ。
手放すことや成長には痛みが伴う。
嘘だと分かっていても信じたいという人の弱さ、でもそれが人間らしさ。
人はそれを越えていくことができる。
希望はある。
そういうものを優しく見せてもらった気がした。
「黒人が白人富裕層に追い出される話」みたいな感じかと思ったら、最終的には違った。
主人公とその親友、2人ともちょっとエキセントリックでほのぼのとしてて、この関係性がとても微笑ましい。
各々黄色のお花を抱えてバスに乗ってるの、可愛かったなー。
ずっと一緒にいなよー、と思ってしまうけど、そうもいかない。
映像や音楽が軽快で、サンフランシスコってどんな町なのかというのをスピード感を持って見せてくれるオープニングがとても良かった。
いつもいきがって悪い言葉をがなりたてている黒人のお兄さん達、友達の死に、つい泣いちゃうところが可愛らしかった。
釣った魚の目が片側に二つ並んでるの、シュールで怖かった。
全裸の人が出てきたり、所々、ギョッとするような、地味にヤバい人や出来事があって面白い。
再びあの地を訪れたなら…
想い出の地SF。冒頭、私的な内容を並べる様だが、初めて海外の土地を踏み締めた場所はサンフランシスコだった。そして今、祖父母から引継いだ家の解体が迫り… など、思いもよらず個人的な感傷とシンクロさせていた。いや、だからこそ、今のこの地域、GoogleなどIT企業の本社がひしめき、ベイエリア地区を始めベンチャー企業に勤める”お金持ち“の街に豹変してしまったシスコの変貌や、そこで息づき生き抜いてきた人々の心、去来する家族からの守りごとに、思いを馳せる意味合いは強く、私事の様に鑑賞してしまった訳だ。街への思い、土地への愛着、住み着く家に対する固執… 其処には、憎しみをも包括した「愛」がある。今もこの地は手招きする、再び帰るその時まで。その時は見付け出してみたいみたい、この家をー。
これぞ、A24
サンフランシスコで生まれ育った主人公ジミーが、昔家族で暮らしていた家が大好きすぎて空き家になった途端に不法侵入してその中に家具も持ち込んで住み着く話。
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安心と安全の映画制作スタジオA24、私の中ではオシャレな映画が多いイメージで、この映画はまさにザ・A24って感じですごい好きだった!内容も大事だけど、映像を見てるだけで感動する映画も結構好きなので、すごい良かったですね。
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たぶん今まで見た黒人系の映画で1番おオシャレ。治安の悪そうな街のチンピラですらこの映画ではオシャレに感じるマジック。スパイク・リーとは真逆。
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今年は『waves』とか『ブックスマート』みたいなプレイリストムービーなるものが公開されてたけど、私はそれよりこの映画の音楽がドンピシャでしたね。たぶん2020年いっぱいは、「If you going to San Francisco~~~」って歌ってると思う。
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主人公がずーっと執着してる家、元々日系人が住んでて第二次世界大戦で日系人が強制収容所に入れられた後に空き家になったところをジミー一家が不法滞在してたってことで合ってるかな?なので日本人なら家の雰囲気がどことなく日本の雰囲気を感じる気がする。
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この執着が傍から見るとちょっと怖くて、日系人とか出てくると家に取り憑かれてる人のJホラーなのか?と思ったりね(笑).
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家にいて自分の好きなものに囲まれていることが幸せに感じる映画。
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"Jello Biafra"
高校生の時に新築建売の家に引っ越して、小さい弟や妹と楽しく過ごした思い出があり、そんな家を出てから二十六歳の頃に親が離婚し家も手放した。
母親が引っ越す手伝いの為に久し振りに家に帰ったが、人が住んでいないと外観も室内も廃墟のようにボロボロだった印象が。
今は新しく幸せな家族が住んでいる筈だし、そこに執着した事はその時も今でも微塵もない自分。
不法侵入、不法占拠、家具まで突っ込んで、図々しさが極まりない主人公の地味に破天荒な行動は、ギリギリを通り越した犯罪行為。
サウナで仲良くしていたのに罵倒されたり、そんなアイツを急に物語の中心にされても、愛着も無いのだから困惑するし、大体にして奴らは外で溜まっているだけで、ギャングなのか?ただのチンピラなんだか、説得力がない存在感。
黒人、最初の、最後の、サンフランシスコでの黒人に対する存在意義が分からず、人種差別が強い印象も感じられない。
主人公の行動含めた相棒が執着している、この二人のコンビ感も理解不能!?
セグウェイ集団と絡む場面、このクセのある声に聴き覚えが?でも、顔の判別が付かない?けれど、この声は彼しかいないと絶対的確信、エンドロールを逃さず注視しながら目で追うと"Jello Biafra"の文字が、やはり間違いでは無く"Dead Kennedys"のジェロ・ビアフラが出演しているサプライズ!!
それしかない映画だったし、デッキを真っ二つにしても手放さないスケートボードが小道具以下の扱いに、何の為のスケートボードか??
何の哲学もない独りよがりの作品
日本では高度成長期の価値観は、結婚して家と自動車を買って二人か三人の子供を立派に育てるというものだった。やがて肥大しすぎた経済は実体のないバブルとなってマネーゲームを誘発し、屋根まで飛んだシャボン玉のように壊れて消えた。あとに残ったのは利益を貪欲に追求する一部の金持ちと文明を享受し、日々の享楽にうつつを抜かす大多数の人々である。家や自動車は一部の金持ちのステータスシンボルでもあり、高級住宅、高級車は今でも売れる。
21世紀の日本は家や自動車などあまり欲しいとも思わない社会になったようだ。それは少子化と密接な関係がある。一人暮らし、または夫婦二人の暮らしなら、一戸建ての家はいらない。生活に見合う広さの賃貸物件で十分だ。家が必要なのは子供がいる夫婦である。子供部屋がいるし、子供と一緒に出かけるのに自動車も必要だ。しかし晩婚化または未婚化、そして少子化の今の日本の社会は、家も自動車も必要としない。賃貸に住んでレンタカーを借りればそれで済む。自分が死んだあとには何も残らなくていい。墓も要らない。骨はそこら辺に撒いてくれればいい。
人生がうたかたのように消えてなくなるものであり、先祖の人生も同じようにうたかたであったのだと考えれば、家に対する執着はない。モノに対する執着もないだろう。生きている内に便利に使えるように実用的であればそれでいい。
そういう今の日本の状況と正反対だからなのか、家にこだわり、先祖の歴史に誇りを持つ本作品の主人公には、とうとう最後まで感情移入が出来なかった。黒人差別、環境汚染は会話の中にでてくるが、目が4つある魚以外は話だけだった。若い主人公の思い込みが優先されて抽象的な描写に終始した印象である。
金融機関に交渉に行くのにジャケットを着たりして社会に迎合するような部分もあり、自信のなさを窺わせる。主人公たちがどうやって生計を立てているのか不明だし、家を手に入れてその後どうするのかの展望もない。時代が変化しているのは分かっているようだが、家も同様に経年劣化してやがて朽ちていくことには想像力が働かないようだ。
個人との思い出もステレオタイプで、安っぽいホームドラマを観ているようだった。あいつはいい奴だったというノリだ。それにいまさら差別と戦おうと言われても、格差がありすぎてどうにもならない。劇中劇の観客以上にこちらが白けてしまう。独創性に欠けるのだ。
黒人同士が互いにニガーと呼びかけて差別を茶化して相対化するのも、もはや時代遅れだ。どのシーンにも何の哲学もないから、独りよがりの作品になってしまった。それでも映像の美しさと歌がよかったのでそれぞれ1点ずつ、2.0とする。
冒頭のスケボーに乗りながら街の人の様子が流れてくシーン、音楽も良く...
冒頭のスケボーに乗りながら街の人の様子が流れてくシーン、音楽も良くて素敵。A24×プランB製作のせいか撮り方はさすがで引き込まれる。表情のみで魅せるカットも多くて見ていて飽きない。
ストーリーはとても個人的な話だけど自分は好き
サンフランシスコや黒人差別の歴史を深く学んでいればより楽しめたのかもしれない。
知らなかったサンフランシスコ
サンフランシスコって、あーいう街だったのか・・・?
というか街の歴史が背景の物語なので
不勉強な自分があまりに残念すぎました。
これからご覧になる方はサンフランシスコの街の歴史を
少し頭に入れてからご覧になると良いと思います。
ただ、街や人々の視線、表情、人への対応などの描写が巧みで
あぁ、そういう街なんだ、そーいう街で育ったんだ・・・・
という一定の理解はできる巧みな映像です。
さて、そんな街で生きていくために、生きがいを
どこに求めていくのか?
何を大事にして人生を送るのか?
その生きがいは目に見えるのか?
物理的なものなのか?
何かを守ること?
この作品は自分にとっての
大事なものを見出すまでの映画・・・なのかな?って思います。
そこまでの緩やかに、暑苦しくなく物語が進んでいきます。
終始映像はきれいで、風景や引きのショットが印象的かつ
どこか哀愁を感じました。哀愁?いや、なんだろう?諦めの空気感が
ずっとあるんですよね。
物語としてはとてもシンプルだからこそなんだと思いますが
退屈にさせないようにするための演出やら
脚本が逆に盛り込みすぎが逆効果に感じました。
故にこの映画のリズムが心地よくなく
僕には合わなくて、間延びしてるんじゃ?という印象でした。
(中盤あたり退屈に感じてしまった)
テーマを浮き彫りにする話はもっとシンプルなほうが良かったのでは?
親友とのぶつかり合い、あんなシチュエーション必要?
それを実現するための前フリだったんかいっ!って感じで、
伏線回収がチトあざといかな、、、
え?その結論のためのそれだったの?
って思うことが多くクライマックスから、
僕の気持ちが徐々に冷めて行ってしまいました、残念。
色々とこねくりまわしすぎたんじゃ?なんて思います。
主題がわからずじまい。
映像の美しさや、演者の熱のこもった演技は秀逸ながら、
約2時間見て、『あれ、主題なんだっけ?』で終わってしまった。
人種差別か。それとも、変わりゆく街への懐古主義か。
そもそも過去の持ち家とは言え、セールに出されている家を不法侵入の時点で、
『?』だったが、何とか理解しようと映画に集中した。
しかし、あの演劇のシーンで、『やっぱテーマがわからない』になってしまった。
私の理解力がないのか、そもそも作品にブレがあるのかはわからない。
もう少しサンフランシスコにおける歴史を知っていた方が良かったのか。
かな期待していたが、ちょっと期待には及ばなかった。
期待外れでした。とても独りよがりな映画。
この映画のどこが良いのか全くわからない。
レヴューがなかなか良いので期待して観たのですが、単に思い出の家を自分のものにしたい、というワガママに終始しているだけ・・・
いやいや、昔住んでたか知らんけど、勝手にペンキ塗るとか庭いじるとか、今住んでる人に迷惑やし。犯罪やし。笑
挙げ句の果てには空き家になったら勝手に住んでるし。
あかんでしょ。
仕事してる様子もなく、ノスタルジーに酔ってるだけ。
早々に白けてしまい、感情移入できず。
無駄に凝った映像が鼻につくし。
終盤の一人芝居もドン引きだ。
プランBの映画は当たり外れが大きい。
音楽と映像が格好いい─けれど…
洒落た映像と編集、イカした音楽、自分にとってもう最高で文句のつけようがない、はずだと思いながら・・・しかし、ずーっと退屈な気持ちに支配し続けられて…、─終幕。
内容を知った素直な感想─差別的なものを逆に煽ってしまいかねないような作品に見えてしまいました。そして、どう考えても、あの行為を肯定することはできかねるわけで、内容に対する違和感は、自分にとっては致命的でした。
優れた映画には見えましたが、内容がやっぱ認められない、という思いが強いです。以外と平坦な物語にも感じたので、個人的には面白くありませんでした。
ジミーとモンテは最後の優しい人類なんだよ きっと
サンフランシスコのフィルモア地区。そこはかつて日系移民が作った町だった。
第二次世界大戦中に日系人は強制収容所に送られ、戦後は多くの黒人が移り住んでいた。シリコンバレーに近いロサンゼルスは地価が高騰し、維持できなくなり家を手放し、新しいバブリーな人が住む高級住宅地へ。
キュートな中世建築様式の個性的な家。ジミーは祖父が自分の手で建築したことを誇りに思いながらも、それを手放した父親とはウマが合わず、モンテの家に居候している。二人は海辺の町のフィッシュマーケットで働いている。白人の奥さんがナマズを注文して、生け簀から取り出し、トンカチで生きじめするシーンがちょっとだけあった。ナマズのフライはアメリカの黒人奴隷のソウルフード(ケイジャン料理)だが、白人だって食べるというか、黒人からすると食文化まで乗っ取られたことを表したかったのかと思う。
サンフランシスコを出たにしても負けたわけじゃない。思いやりのある姉さんの弟に言う言葉。ジミーはLGBTQだと思う。左だけにピアスしてたし。バラバラになった家族。父親から見放され、母親も近くにいながらも、再婚して別の家庭があって、遠い存在。
ジミーの心の拠り所、プライドはかつて住んだこの家にある。そんなジミーに寄り添うモンテの友情は限りなく優しい。
モンテが盲目の父親にテレビドラマの場面状況を教えながら三人で見ている場面は彼らの優しい人間性をよく表現していた。モンテの書くスケッチがとても素敵だ。せつなくていとおしい。劇中劇にいろんな人が集まって来る。手書きのチラシ。モンテのひとり芝居で始まる劇は最後まで行かないで終わってしまう。モンテはジミーの力になろうと開演前日に不動産業者と接触して、1946年より前の建物であることを知ってしまった。この映画は直接的にLGBTQをテーマにはしていないけど、それだけに、かえってジンと来る映画だとも言えるかも。
ラスト ブラックマン イン サンフランシスコは変わりゆく、西海岸の大都市を舞台に優しい二人の哀愁に溢れた友情物語としてすごく素敵だった。この映画でもスケートボートが出て来ます。
不動産業者のイケメンの冷たそうな男はジュリィ 虹の彼方に出てきたマネージャーミッキー役のフィン・ウィットロックだった。不動産売買は仲介料で稼ぐからなんか似ており、お金に厳しい商売人の役はナイスキャスティングだと思う。
マンション暮らしが長くなるとこういう話しに疎くなりがちですが、家って大事ですね。地方の代々続く古民家で仲よく暮らす家族にあこがれることもたまにはあります。手放した後の後悔もまた大きいでしょうけど。
映画の感想は人それぞれですので、こういう気持ちになった人もいると言うことで。
家
今なおアメリカで根強い黒人差別をモチーフにした内容ではあるが、若干、映画としてのエンターテイメントに欠けるのが難である。主人公ジミー・フェイルズの実体験を脚色して、本人が本名で主演してるのだが、いかんせん抽象的で、あまり感情移入できず、やや期待ハズレな作品であった。
400万てどのぐらい?
経済が発展し富裕層が暮らす中、海洋汚染で食べたら毒だったり、奇形の魚がいるサンフランシスコの、都市開発から取り残された人達の話。…らしい。
主人公の爺さんは、サンフランシスコに住んだ最初の黒人で、その時建てた家には現在は別の人が住んでいて…という設定。…らしい。
物々しい防護服を着た清掃員、人が殆どいない中演説する男。そこからのスケボー移動の時にみせたタイムスライスではそこそこ人がいたけれど、その後はその時々映されている人達以外、背景には殆ど動きはなし。
わざとそうしているんだろうけど、街は勿論、登場人物達に生活感というか、営みというか、そいうものが全然感じられない。
それが感じられないからだと思うが、主人公の家に対する思い入れも、努力も苦労も熱量も、何も伝わって来ず、ただ、爺さんが建てた家が欲しいって言ってるだけにしか感じられず。
それは良くも悪くも主人公じゃなくて爺さんのアイデンティティ。
主人公が欲しいものは何でしょうかね。
自分にはこの作品に面白いと感じたり興味を惹かれるものはなく、一応最後まで観賞したけれど苦痛だった。
そういえばセグウェイは生産終了したらしいですね。
映像と音楽と雰囲気を楽しむ作品?
映像と音楽はすごくいいんだけど、肝心のストーリーに全くのれない。サンフランシスコの不動産がとんでもなく高騰して、元々いた住民が住めなくなっているのは知っているが、不法占拠っていうのは、どうなの?
それに、こんなに簡単に不法占拠ってできるのかな?そこはおいていたとしても、ジミーとモントはニート? 働かずに家を維持しようとしてもね。
全裸のおじさんは何かのメタファーなのかな? 幼なじみのギャングとか、急に現れた母親とか、いろいろな意味で置いてけぼりに。
自分の感性が鈍いせいなのか、相性が悪いのか、PLAN BとA24のタッグには、ムーンライトに続いて2連敗。
愛と憎しみは表裏一体 --- ジミーとモントの友情に涙。1946年...
愛と憎しみは表裏一体 --- ジミーとモントの友情に涙。1946年に祖父ジミー・フェイルズが建てた!心の拠り所のように信じていたものが崩れ去ったとき、あなたには何が残りますか?先祖の歩みを忘れるわけでなく、そこから自分の歩みを始める西部開拓の続き。大いなる志・精神、それは孤独な旅かもしれない。水路へと明日は自分で切り開いていく。実話だからよりグッと来てしまうものがある、感じ入る。素晴らしい演出に撮影、そして作品を彩る名曲たち。作品を包む空気感が温かく優しくも諸行無常を問いかけてくるように寂しげ・儚げでいい。静かながらパワフルでエモーショナル。張り裂けそうな思いに胸が締め付けられた。衣装も良かったな。空き家を不法占拠して屋根裏で人呼んで芝居するって冷静に考えるとすごいけど。賞レースにもしばしば絡んでくるなど今をときめくA24 × PLAN Bという『ムーンライト』の黄金チームが再び組んだ本作は結構長い間楽しみにしていただけの価値ある良作だった。
JIMMIE FAILS
今年映画館鑑賞55本目たぶん
今回のクソ客:ずっと唸っているんか喋っているのか知らないがうるさかった!挙げ句スクリーン中に響くくらいの大きなゲップ!ヤバすぎるだろ
【サンフランシスコの黒人青年達の哀しみと、それでも街を愛し、”誇り”を持って生きる姿を静かなトーンで描き出した作品。現代アメリカが直面している人種の分断を仄めかすように描いた作品でもある。】
ー冒頭から驚かされる。海岸近くの道の法面で、防護服を着た男性達が何やら”ゴミ”らしきもの拾っている姿。その脇を普通の恰好で横切る黒人達の姿。
遠方の遠浅の海に突き出た半島には、何やら工場らしきものが建っている。-
・主人公ジミー・フェイルズ(本人)と友人モント(ジョナサン・メジャース)はぼんやりと道沿いで何かを待っている。
”バスが来ない・・”
・目の前の海からは、目が両側に二つある奇形の魚が桟橋に打ち上げられている。
ーここは、サンフランシスコではないのか? あの建物はどう見ても・・-
・ジミーが大切にしているスケボーは、ファッションではなく移動手段であることが劇中で分かる。
ー彼は、車を持っていない・・。-
・19世紀ヴィクトリア様式の建造物が並ぶサンフランシスコ・フィルモア地区は且つて、日系移民が多数住んでいた。
が、戦時中の日系人の強制収容で黒人が住む町になっていき、今では富裕な白人層が住む地域になっている事。
黒人たちは別の地域で暮らしている事。中にはジミーのように友人宅に転がり込んでいたり、車で寝泊まりする者もいることが、徐々に分かって来る。
ーこの地域の、歴史的変遷がさりげなく描かれ、語られている。そして、黒人たちが置かれている境遇も・・。-
■印象的な事
・ジミーもかつては、祖父が1946年に自力で建てたという尖塔が特徴的な、フィルモア地区の豪華な館に住んでいたが、家族離散で今は友人モント(ジョナサン・メジャース)宅で暮らしている。
劇中で彼の父が家を手放し、現在は妻とも離縁している事が語られる。
ー道路わきには、黒人青年たちがぼんやりとした表情でたむろしている・・。彼らと、防護服の人々の道路を挟んでの対比の構図。-
・ジミーが且つての家の一部を、ペンキで塗りなおしているシーン。突然、投げつけられる食べ物らしきもの。
”何をやっているの!” この家の住民らしき初老の婦人から投げつけられた言葉。
ージミーは勝手にペンキを塗っていたらしい。だが、嫌がらせではなく彼がこの家を大切に思っており、手入れしていた事が分かる。ー
・ある日、その家が初老の夫婦の家が売り出されることになり・・、物語は少し動き始める。ジミーは違法だが、自分たちの家具をその家に持ち込み、住み始める。
一方、軋轢はあったが友人であった青年がある日、諍いから撃ち殺されてしまったと言う事実が告げられる。泣き崩れる一人の青年。皆、茫然としている。
そして、ジミーの家にも異変が起こる。ある日、家具が道路に捨てられ、家には大きく白人の不動産屋の顔が張り出されたポスターが・・。
その白人不動産屋から告げられた”幾つかの事”
ーあの家は、200万$もするのか・・。それに登記簿に記載されていた事は真実なのか・・-
ー亡き友を偲んで、モントが自作自演した一人劇。今作で、唯一、黒人の怒りが炸裂するシーンである。心に沁みる・・。-
■ナカナカ来ないバスの中での白人の女子学生たちの言葉。
”この街を出たいね・・。”
それを聞いたジミーが微笑みを浮かべながら言う言葉。
”この街を好きになってよ・・”
<劇中では詳しく語られないが、モントの家がある海辺の町から今や白人富裕層が住むフィルモア地区へのバスは、黒人居住区と白人居住区との分断を解消するために設けられたバス通学制度のために導入されたモノである。(昨年の民主党の候補者指名争いでの、バイデン氏とハリス氏の論戦は記憶に新しい・・。)
だが、そのバスは滅多に来ない・・。>
竹島問題だ!!!
この映画は色々な賞にノミネートされていたり、受賞してたりするので、楽しみにしていた。結論としては、普通の映画だった。
格差問題を取り上げているとしたら、その内容は薄い、または日本人には分からない。「サンフランシスコが負けた」というセリフが最後の方にあった。元々黒人が住んでいたサンフランシスコに富裕層が住み着き、黒人が追い出さてしまったことを指しているのかもしれないが、格差というわけではない。
私は竹島問題を連想した。自分のものでは無い土地を、自分たちのものだと主張する韓国人の行動は、まさに、ジミーの行動そのものだ。
映画では、盛り上がるシーンはほとんど無く、平凡だった。カットが美しいのと、珍しい(芸術的な)カットも多く感じた。映像は素晴らしいと思った。
ストーリーは余り丁寧な説明がないので、初めはなぜこの家に執着してるんだろうと不思議であった。
主張したいことが読み取れず、インテリ向けの映画のようだ。
ジミーのスケボーでの移動を見て、便利そうだなぁと思った。スケボーでコケるシーンがあるが、怖くないのかな?
チャルメラのような音楽が流れた。もしかしてらチャルメラの原形となる音楽があるかもなと思った。
裸のおっさんが出てくる。モザイクは無い。
ストーリーざっくり。
主人公ジミーは友人モントと狭い部屋に住んでいる。ジミーの生きがいは祖父が建てた家を取り戻すことである。祖父の建てた家は父が手放してしまっているので、ジミーに所有権はない。モントは絵を書いたり、演劇の脚本を書いたりしていて、そういった道に進みたいようだ。
祖父の建てた家には居住者がいるが、余り家を大切に使わない。ジミーはこっそりとペンキを塗ったりして補修するが、居住者に見つかると追い払われてしまう。
ある時、居住者が財産分与等で家を手放すことになった。毎日のように家を確認しているジミーは空き家になったことに直ぐに気付いて、モントと一緒に住むことにする。当然、正規の入居ではなく不法入居である。正規に入居しようとすると、この家の販売価格は400万ドルなので、ジミーには手が出ない。
叔母(母だと思ったがwikiだと叔母と書いてある)の家に父の所有物が保管されているので、ジミーはそれらを譲り受け、祖父の家に配置する。
ある時、ジミーが家に帰ると叔母から譲り受けた家財一式が家の前の道路に捨てられていて、玄関のドアに売り出しの広告が貼られていることを知る。
ジミーは取り戻したいので銀行に行くが、400万ドルの20%が無いと貸せないと銀行員に断られてしまう。ジミーにそのお金はない。
モントは不動産に行った。そこで、実はジミーの祖父が建てたと聞いていた家が、それよりも前に建てられていたことを知る。
ジミーの友人コフィーが殺されてしまった。モントは、コフィーを題材とした脚本を書いた。その演劇をジミーの祖父の家で披露すると、その中で、この家が祖父の建てた家では無いことをジミーに伝える。
ジミーはショックだった。モントに別れを告げずジミーは旅立った。モントはジミーを探すが見つからない。ジミーはロサンゼルスを背にして船を漕いで、ロサンゼルスから離れていった。
フォトグラフィックのような映像
ストーリーは、シンプル。
ジミーの思いを表現するためだけに、すべてのカットが作られているかのような。
言葉というよりは、空気感や表情に意味を持たせているように感じ、だからこそなのか言葉と映像をリンクさせるのが難しかったです。
絵として観たら、圧倒されます。
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