「酒についての雑感」アナザーラウンド 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
酒についての雑感
5年前、初めてビールを飲んだ日のことを思い出す。新宿のベルクだったか、友達に美味いからといって黒ビールを飲まされた。俺は大学一年生だった。
すげえ苦かった。どうしてこんなものをゴクゴク美味そうに飲んでるのか、友達だけじゃない、その場にいるほとんどすべての大人が、なんなんだマジで、本気でやってんのかそれ、意味わかんねーよ。俺は2、3口つけただけの残りを友達に全部飲ませた。
雑なことはあんまり言いたくなかった。その苦みが大人の苦みなんだよとか、飲まねえとやってらんねえのよとか知ったような口をきいてジョッキを飲み干す奴は、ものごとの機微を知らない、知ろうともしない愚か者だと思った。だいいちお前さ、まだ19歳じゃん。
5年経った。どっかの飲み屋にいた。同期に生でいいか?と訊かれた。俺はいいよと答えた。運ばれてくる、生、人数分。ハイお疲れー!ガラスがぶつかり合う音。それから波が引いたような無言。各々がジョッキを呷る。俺も。
相変わらず苦い。
が、飲める。
味覚が変わったのか、単に慣れてしまったのか、理由はわからない。だがジョッキはものの数分で空になった。大人の味だなあ、とはもう誰も言わなかった。言わずともわかりきっている、といった雰囲気だった。
最近、ふと大雑把に何かを断罪しようとしている自分がいることに気付くことがある。俺だってもっと丁寧に世界を見通したい。昼過ぎの無人の電車に流れる光の川を、目的地が過ぎても眺めていた日々が懐かしい。
今俺は地下鉄に乗っている。光も景色もない、つまらない道のり。余裕がなくなってきている。目の前に迫ってきたものを右か左に振り分ける、それで精一杯。
なんだかなあ、という気持ちで日々をやり過ごしている。ビールを飲む。なんだかなあ、という味がする。美味しいと思ったことは依然としてない。なんだかなあ、というぼんやりとした共通感というか、連帯感というか、それが心地いいような気がするから、苦いビールを飲んでいる。
やがて体にアルコールが回る。自分が両端のない空間にいるような錯覚に陥る。これも心地いい。長い長い現実世界のトンネルを抜けて薄橙色の花畑に躍り出たような、思わずスーツのまま踊り出したくなるような夢の世界。俺はそこまで恍惚の境地に踏み入れたことはないけど、たぶんそうなんだろう。酔っ払いがフラフラしているのは、頭の中で空を飛んでいるからだと思う。
酔っ払いが暴れるニュースをよく見る。誤ってホームに落ちる、商談をフイにする、信用を失う。
バカじゃねーの。19歳の俺は言うと思う。別に今だって言う。でも俺はビールを飲むとき、アルコールを体内に入れるとき、その苦さに自分を重ねてしまった、酔いがもたらす混濁に自由のイメージを思い描いてしまった。
飲まねえとやってられねえ人は、それがお決まりの定型句だからそう言ってるんじゃなくて、本当に飲まないとやってられねえから飲んでいる。そういう場合もあるということが最近ようやくわかってきた。
いや、わかってきたのか?それとも歳を取るごとに深く考えるのが面倒になってきて、わかったことにしているのか?何もわからない。
酒について考えているとわけがわからなくなってくる。ジュースでいいじゃん、という小学生の素朴なツッコミに、俺はいまだ有効な反論を思いつくことができない。そのわからなさが酒の魅力なのさ、と詭弁を弄してみたくなる。
酒を映画にするというのは綿飴を水に浮かせようとするようなものだ。
この映画は酒を否定も肯定もしない。単なるオブジェクトとして配置するだけ。でもそれが元で人々は悲喜交々の転換を迎える。
実際、酒それ自体に難しいところは何にもないのかもしれない。我々がそこに過度な期待や恐怖を抱くせいで無意味に意味慎重さを帯びているだけなのだ。
俺は一切合切の記憶を失ってみたい。知恵も知識も失った白紙状態になったとき、そのとき酒はいったいどんな味がするんだろう。