「フランソワ・オゾンの映画作家としてのルーツを「今」映画化する意味とは!!」Summer of 85 バフィーさんの映画レビュー(感想・評価)
フランソワ・オゾンの映画作家としてのルーツを「今」映画化する意味とは!!
年間の映画製作本数がもともと少ないフランスではあるが、その中でも日本に輸入されてくるのは、ごくごく一部。それでもフランソワ・オゾンの作品では、日本では優遇されている。『8人の女たち』『スイミング・プール』といった作品の公開時期が、ミニシアター系作品ブームに直面していたことも要因として大きいのかもしれないが、今でも定期的に新作が公開されている、日本では数少ないブランド力のあるフランス映画監督であることは間違いない。
オゾンといえば、アートとドラマの中間を行くような、劇映画の印象が強いかもしれないが、80~90年にかけてはドキュメンタリーを多く手掛けてきており、長編デビュー作品も劇映画ではなく、1995年の『Jospin s’éclaire』(日本未公開)という作品だ。
日本でも公開された前作『グレース・オブ・ゴッド 告発の時』も、当初はドキュメンタリーで制作する予定だったのが、モデルになった事件の被害者団体から劇映画にして欲しいと頼まれたことで、劇映画に変更されたものだった。
2007年の3分しかない短編ドキュメンタリー『Laissez-les grandir ici!』は別として、約25年以上もドキュメンタリー作品を手掛けていない。
何が言いたいかというと、オゾンは特にここ数年で、原点回帰をしようとしている傾向にあるのだ。
今作もドキュメンタリーではないものの、オゾンが17歳の頃に出会い、深く印象を受けたエイダン・チェンバースの小説「おれの墓で踊れ」の映画化となっている。
自分の主張、マイノリティを作品として仕上げることで、世の中に発信できるかもしれないという確信に近づいた分岐点が、この作品に出合ったことであり、それをオゾンの手で映画化することで、オゾンが自分の作品のルーツを見つめ直すことに意味があるのだ。
オゾンは、自信が同性愛者であることを公表していて、そのマイノリティにおける問題や、自分自身が感じ、体験してきたものをストレートではなく、作品の一部分として、散りばめてきた監督ではあるが、今作ではそれがストレートであり、かつドラマチックにも美しくも表現されている。
映画では、舞台を1985年と設定としているが、原作の「おれの墓で踊れ」が発表されたのは、 1982年であり、モデルとなっているのは、さらに前の1966年に実際にあった事件だ。
実際にあった事件の詳細は別として、フィクションとしてコーティングされた「おれの墓で踊れ」においては、80年代だったというのに、その中で同性愛というものを特別視しておらず、そこにハードルを置いていないのだ。
同じ同性愛という点ニハードルを置かない作品としては、近年では『燃ゆる女の肖像』があったが、『燃ゆる女の肖像』の舞台は18世紀であっても、監督のセリーヌ・シアマが書き上げた脚本が元になっているだけに、現代において書かれたものである。
フランスだから、その点が寛容であったかというと、決してそうではなく、フランスでも同性愛婚が認められたのは、2013年であって、今でさえ偏見は強いというのに、80年代当時であれば尚更のことである。
悪い言い方をすると、逆にそこにハードルを置くことで、物語的にも、よりスリリングな展開にできたのかもしれない。
しかし、そこにハードルを置かず、あくまで「ひとつの恋」として描くことにオゾンが感銘を受け、自信の作品のルーツになったのだとしたら、「おれの墓で踊れ」という小説が存在していなかったとしたら、映画監督としてはデビューしていたかもしれないが、オゾンの独自性は違った方向に向いていた可能性も高いということだ。
全くハードルを置いていないかというと、実はそうではなくて、シンプルな男女の恋とは違って、同じマイノリティの中で、出会った仲間意識というものが、より互いの想いを奮い立たせたという、葛藤的な部分では、そういった要素も含まれているようであるし、多感な10代後半ということもあって、自分がまだゲイなのかバイなのか、それとも一時的な迷いからによるものなのかが、手探りな状態で築かれた人間関係が良くも悪くも、その後の人生に影響をもたらすということも同時に描かれているように感じた。
しかし、それは同性でなくても、同じ価値観や思想、宗教性などといった点でも、共通する部分がある。オゾン自信も今作を「世界共通のラブストーリーにしたかった」と語っていることから、人間同士が恋をすることは、少なからず何かしらの障害がある中で、同性愛というのも、単なるひとつの要素でしかなく、大切なのは、誰と、どのタイミングで出会うかということ。
近年、80年代を舞台とした映画が増えてきている背景としては、20~30代で映画業界に入った映画人たちが、世代交代によって、自分の意見を通せるようになり始めた今ということ。
それと同時に、オゾンも50代のように、意見を通せるようになる時期と、自信を見つめ直す時期が重なるからこそ、自分のルーツとなる80年代ブームが到来しているのだ。