「ぼくは馬のはなしがすき」ライド・ライク・ア・ガール そんぼさんの映画レビュー(感想・評価)
ぼくは馬のはなしがすき
なぜ映画を見続けるのか?
その答えをみつけるために続けている。
産業の基本構造は意外と単純だ。
多くの大衆がその映画を面白いと思い、コインを投げてくれる。興行の基本は昔からいっしょだ。写真がなんとか生きながらえようとしているが「art」の意味付けによってかろうじてだと思う。ふしぎと映画は観客が「art」を求めるときにはそれを提供し、「娯楽sf」を望んだときはそれを提供してきた。あたりまえだが「産業は利益がないと生き残れない」ことはおなじだ。パソコンの発達で町のハンコや印刷業がなくなった。人件費の安い中国スタイルで町の自転車屋や小売店がなくなった。それは時代を生きるその世界の人々の選択の結果だ。その意味でハリウッドは資本主義に専念することで生き続けている。利益をもとめて中国に寄り添い中国マーケットで利益を上げたし、米国の凋落の反作用でもありそうな恐怖映画やSFも制作した。その情況判断と行動はすばらしい経営だと思っている。
ぼくは古いにんげんだ。
だからこうした個人の「努力と成功」物語がすきだ。映画を観る理由はそれだけで、幸い「芸術」でも「社会問題をえぐる」でもなく「ユーモア」や「悲劇」の物語でもない。最近のハリウッドでは流行らないので制作されなくなった種類の映画だが観続けている。
もちろん努力が成功へ必要条件であっても必須条件でない、・・くらいは理解している。さまざまな条件をプラスマイナスして幸運とはそうしたものだと社会で学んだ。成功するひとはけっして「運」をばかにしない。
もとに戻ろう。映画の観客のあり方なんだ。何をみたいのかは個人の「世界観」や、もっとちいさないいかただと「好み」なんだと思う。その考えを育てたのは競走馬と騎手の話ディク・フランシスの小説だと思っている。