ヤクザと家族 The Familyのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
前半のヤクザ映画にありがちな展開でそのまま終わるのかと思いきや、後半は暴対法以後のヤクザの生き方の難しさを描きつつ、カタギになろうとした主人公と家族らが無神経なSNSの投稿で広まった噂によって世間から排除されるなど今時でした。
しかし、もう一つ心に突き刺さる何かが足りない…
綾野剛は刹那的な役やらせたらうまいな。
相手役の尾野真知子はそんな主人公を支える役がうまくて魅せます。
身につまされる!
日本が先進国として悪を排除しようとする現実とヤクザが必要悪から、ひたすら金を求める犯罪集団と成って行った時代が重なった事による更正の道を残さないままひたすら暴力団排除に走る社会を上手く描いている作品。
率直な感想です
観終わったあとの率直な感想としては、世間の評価がそこまで高い理由がわからなかった。
人生という名の道を進むとき、年齢を重ね、立場が変わり、それによって感じ方や考え方が変わるなんてのはアタリマエのこと。だからこの話も「何を当然のこといってるんだー」と思いながら観てた。
昔、「女性は年齢とともに変化していくけど、男性はいつまでも子供なまま。子供の頃に大好きだった漫画のドラゴンボールは大人になってもずっと変わらず大好き」って聞いたことあるけど、そーゆー男女差みたいなものがこの感想に影響してるのかな?と感じた。
とゎいぇ、出演者みんないい仕事してたのは間違いない✨✨✨やはり北村有起哉さん好きだーーーー
奇跡的な二本のヤクザ映画
この映画と同時期に公開されている「すばらしき世界」は同じように、殺人を犯し服役した元ヤクザの厚生を描いている、その点では非常に似ている。主人公は両方とも血縁者がいない。それでも「すばらしき世界」では厚生を助けようとしてくれる周りの人々がいる。この映画では血縁ではないが擬似家族のような集団があり、孤独ではない。一時は厚生に向かうというのも両作共通している。
いい方向に向かいかけた時にネットの書き込みが全てを暗転させる、その点がすごくリアルで悲しい。「ヤクザの人権なんかとうの昔に無くなってる」と言う悪徳刑事の言葉が重い。一番の悪は誰なのか?と訊かれている感じがした。
何箇所かミスリードの場面があり、観ている人はびっくりするだろう。
二本のヤクザ映画が同時期に公開され両方とも傑作というのは奇跡に近いと思った。
観終わった後の余韻が何ともいえず良い
ヤクザを舞台装置にした作品。
テーマは「家族」。タイトルそのまんま。
ある一人の青年がヤクザになり、刑務所に入って出所後までを、「1999年 -> 2005年 -> 2019年」という3つの時代で描いている。まだほんの20年前なのに、かなり時代が変わったんだな、ということが映画を通して実感できる。
私はヤクザは必要悪だと思っている。
「義理」や「人情」は人が生きるためには必要な概念だとも思う。一時期のヤクザは、堅気の人に迷惑をかけないという矜持を持っていた。実際、地方都市で昔の(昭和な)銭湯とか行くと今でもたまにヤクザの人と一緒になることがあるが、別に普通に共存している。私はその世界に関わるつもりは全くないが、LGBTの人たち同様に、いわゆるマイノリティな人々と言える。
この映画で扱っている問題の本質は、実は「ヤクザ」問題ではないと思う。
主人公は出所した後でヤクザを抜けるがまともな仕事に就けない。これは「前科持ちの人間」が社会復帰できない問題の1形態なんだろうと思う。2019年の舞台装置は、例えば主人公がヤクザではなくただの人殺しだった場合でも同じことが起こっていただろう。つまり、マイノリティ問題だ。日本社会は、マイノリティに本当に冷たい。一度マジョリティから外れると二度と復帰できない。バブル後、余裕がなくなってから特に顕著になってきた。これは、2021年3月現在、役所広司主演の「すばらしき世界」という映画で扱っているテーマでもあるのかな?この映画観たら気になってきたので、来週あたり観に行こうかしら。。。
この映画ではSNSの炎上問題なども扱っている。
まぁ、実際にああいう感じになるだろう。主人公のパートナーである由香は仕事場を追われたが、辞めさせられたのではなく、自ら辞めるよう追い込まれたんだろう。日本社会の嫌な部分だ。明白なイジメではなく、空気で追い込む。娘も同じ。日本では特に「匿名性」を持ったSNSが陰険さを伴って気持ちの悪い力を持ってしまっている。こういったネットの陰険さに対抗するには、まさに「義理」や「人情」をベースにした家族や仲間、つまりリアルな人のつながりしかないと思う。
主演の綾野剛含めて、俳優の演技は素晴らしかった。
特に最後の翼と主人公の娘のあやのシーン。
娘と告げられたときの、翼(磯村勇斗)の何とも言えない表情が忘れられない。何かが次の世代に引き継がれたというか・・昭和的なヤクザは今後復権することはないんだろうけど、新しい時代の若者たちが形作る「未来(新しい世界)」を予感させる終わり方だった。
日本映画は普段観ないけど、この作品は本当に良い余韻だった。
「平凡」は悪いことではなく、実は一番幸せなこと、ということを実感させてくれた気がする。ただし、「義理」や「人情」を忘れ、法というシステムに従うだけのロボットにさえならなければ。
時代に合わず、切り捨てられていくものの切なさ
苦しい物語だった。ヤクザや暴力を肯定することはできないけど、若い頃の主人公の心を救ったのは確かだし、イケイケだった頃の姿を見ているからこそ、14年後の没落ぶりが本当に切ない…。
ヤクザだから、自業自得と言ってしまえばそれまでだけど、足を洗いたくても、まともな職業につくこともできず、身動きがとれない。ヤクザに限らず、古いものは時代とともにどんどん変わっていかないといけなくて、その入れ替わりの過程には多かれ少なかれ泣く人がいて、こういう残酷な物語がある。それは普遍的で、切ないものだなと思った。
何か物足りない。藤井道人監督のジャーナリスティックな作風は『新聞記者』の様な題材には合うが、今回のような題材には合わないのではないか。それに話の展開もキャラクターも類型的で新味がない。
①元ヤクザってみんな映画では最後には死ななくちゃならないの?やって来たことの報いか?それでは作中の悪徳刑事の台詞「ヤクザに人権なんかないんだよ。自分がやって来たことを良く考えろよ。」を肯定してない?②『ヤクザと家族』という題名から所謂ヤクザ映画を連想したらダメだね。これはヤクザ映画ではないわ。ヤクザという社会を外から見た映画だね。だからヤクザやその社会の描きかたが類型的。③日本の任侠映画やヤクザ映画がどうしても日本的な湿っぽさ・情感を湛えているのに対して、この映画は乾いた目で日本社会の中でのヤクザ社会の変転を描こうとしている。それはそれで悪くない視点だが、もっと徹底して描くべきだったのではないか。舘ひろしの親分が良いキャラクター過ぎ。まだヤクザに仁義や人情が求められていた世代の代表としたのかも知れないが、ちょっと現実離れ過ぎ。もしかして舘ひろしに遠慮した?③考えてみたら、綾野剛と尾野真千子との組み合わせって『カーネーション』で朝ドラ始まって以来の不倫カップルを演じて朝ドラに一石を投じた二人でしたね。あの時の尾野真千子の台詞「かなんなぁ」は関西人+道ならない恋に落ちた人間でないとわからない名台詞だったけれど、この映画ではそれに匹敵する良い台詞は無かったね。④綾野剛は元々良い役者ではあったが更に良い役者となった。ある意味映画の中では記号でしかない役(それだけ何処かで見た役の寄せ集め)を見事に地肉化にしたのは綾野剛の手柄。長い付き合いの弟分が組長襲撃に巻き込まれて絶命しているのを見つけるシーンのアッブは実に上手い。それだけに社会に居場所の無くなったヤクザを待つ残酷な現実を彼にばかり集中させたのは劇的効果を盛り上げるよりスケープゴートみたいな扱い。⑤海に沈んでいく綾野剛を撮る幻影的なカットはこういう映画にはそぐわない。だから中途半端。ヤクザ社会を客観的に描く映画にしては所々情緒に片寄りすぎている点(ラスト、翼と綾野剛の娘との邂逅とか)も映画の焦点をぼやかしている。劇中のヤクザ達やチンピラ達がどすを聞かせたり罵倒したり暴れるシーンはいずれかも何かのヤクザ映画で嫌と言うほどみてきた借り物っぽくて既視感満載。というわけで、どうもピースが上手く適所にはまっているとは言えず最後映画的カタルシスが味わえない。だから物足りない。
おまけ映像無し
ヤクザ映画ではない。
組を抜けなさい・・・
ただし5年間は社会に受け入れません・・・
この矛盾君はどう考えるか?
と問われた気分です。
残念なのは、この監督さん新聞記者でもそうだったけど公務員を腐らせ過ぎ😅
こんな刑事絶対いないだろってなるし、悪い刑事に描く意味がわからない。
刑事こそ、この矛盾に葛藤できる立場なのに・・・見守ってたチンピラが更生の道を歩む中、社会の壁に阻まれての結末に無力感を感じるラスト・・・
ぐらいじゃだめだったんですかね😅
ヤクザキメラ
『ヤクザは生きづらい世の中になった』
ひたすらこれに尽きる映画
というか、無骨で不器用な山本(綾野剛)を見せたいだけの映像にも思える本作。
これでもかってくらい押し付けてくるので、
山本を取り巻く人々の感情の描かれ方が唐突で雑です。
端折ってるだけなのか、そもそもどうでもいいと思われてるのか、どっちにしろご都合主義すぎて不可解。
スカスカなので、人によってはしたいように共感できるんではないでしょうか。
ヤクザ的な暴力や抗争は風味付程度、
ラブロマンスはお飾り、
家族愛は記号的です。
冒頭とラストのカットがシェイプオブウォーター
普通に暮らしたかったよと、唐突に心情吐露が始まる点描シーンはmother
オマージュなのか、考えすぎかは分かりませんが…
脚本も演出もツギハギみたいだなあという印象でした。
また少し、邦画を観るハードルが上がってしまった…
綾野剛を生かし切った!!
三つの時代をバランスよく描いたおかげで、時代に取り残されていく繊細な乱暴者の哀しみが胸にくる。
こういう理不尽に巻き込まれる乱暴な根は優しい男をやらせたら、綾野剛は天下一品ですね。当て書きか?と思うほど、良かった。
(そういう点では磯村勇斗も、ベビーフェイスの危ない半グレは、適役)(しかも悲しい連鎖を引き受けてしまうという、時代は変わっても変わらない繋がりが示されるラストは泣かされる。)
「新聞記者」ではやや鼻白んだ女性観も、こういう古い時代の男たちを描くにはすごくはまってた。立派なオカン2人のおかげで、男たちは押しとどまれるのだということだったのかな。
年を取ってやり直しがきかなくなっている身にはぐっとくる映画。良かった
反社=ヤクザと割り切れない、男の切ない生き様を描いた作品です。
前から気になってた作品を鑑賞しました。
で、感想はと言うと、良い♪
反社と称される現代ヤクザの悲哀を描いていて、とにかく綾野剛さん演じる賢治が切なくも儚く愛おしい。
恵まれない家庭環境から自暴自棄になり、父親が覚醒剤で亡くなった賢治はふとした事からヤクザの組長の柴咲を助け、またヤクザから命を狙われた際に柴咲に命を助けられ、二人は親子の契りを交わす。
そこから賢治はヤクザ社会でのし上がっていくが、敵対する組の幹部を刺殺した兄貴分の代わりにムショに囚役する。
14年後に出所した賢治は暴対法の影響で衰退した柴咲組に復帰するが、かつての勢いは無くなり、組長の柴咲も癌で余命幾ばくも無くなっていた…
「仁義なき戦い」や「網走番外地」と言った往年のヤクザ映画とは全く違う現代のヤクザの悲哀を描かれてますが、もうとにかく切ない。
暴対法でヤクザとしての生き方を奪われ、堅気に戻ったとしても堅気としての生き方をさせてもらえない。
ヤクザと言う反社会的勢力の根絶とヤクザになろうとする者を根絶やしにする為の措置とされるが、これでは一般市民に戻るのは無理と言わんばかり。
映画で描かれるヤクザは何処かピカレスクロマンでアンチヒーロー的に描かれているので、ヤクザと言う生き方を肯定は出来ませんが、それでもヤクザとしてしか生きる術が無かった者や、ヤクザになった事で多少なりとも救われたと言う者がいるなら、徹底的な根絶はどうなんだろうか?と個人的には思います。
東京都内の店舗型の風俗の根絶で結果として無店舗型の風俗と言う形態が出て、浄化作戦に伴う根絶は様々なグレーな物は結果地下に潜る形になったとしたら、どうなんだろう…
世の中は全てが綺麗に割り切れる訳ではないので、歪みを強制的に直そうとすると更なる歪みを生む事になると思うんですよね。
賢治はヤクザになった事で救われもするが、何を失う。
でも、ヤクザになるしかなかったし、ヤクザになった事で得る物もあった。
でも結果としてヤクザの生き方を肯定もし、否定もして踠きながらも生きていく。
切ないなぁ〜。
綾野剛さんは以前は尖がった感じがそんなに好きではなかったんですが、様々な作品に出演され、深みと幅がありながら綾野剛を醸し出しているのが今は好きな役者さんですw
あと、綾野剛さんが出ている事で安心感があるんですよね。
舘ひろしさんはヤクザ映画の中での理想の親分ですが、どちらかと言うと理想の父親みたいな感じ。でもなんか何処までも舘ひろしさんなんですよねw
市原隼人さん演じる竜太が切ないんですよね。でもラストは何処かちょっと賢治に八つ当たりな感じもしなくも無いw
翼役の磯村勇斗は良い感じです♪
愛子役の寺島しのぶさんの使い方が結構贅沢w
全体的に登場人物全てが切ないんですが、翼が不幸にならなかったのが個人的には救いです。
藤井道人監督は「新聞記者」は最優秀作品賞、最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞を受賞した作品で骨太な社会派ドラマの描き出すイメージが強いんですが、この作品で時代に合わせたヤクザ映画を作り出して、非常に振り幅が広い感じがしながらも藤井監督らしいヤクザ映画を作り出しています。
ヤクザとしての生きる事しか活路を見出せなかったが、自分が欲しても手に入れられなかった物、「家族」を手に入れられた賢治。
だが、ヤクザだからその「家族」を手放さなければいけない悲哀がやっぱり悲しい。
切ない話ではありますが、見応えのある骨太な作品はさすが藤井監督。
お勧めです♪
終わり方がよかった。特に最後の磯村くんの演技は圧巻!
「私のおとうさんどんな人だった?」と聞かれて、
磯村君演じるつばさが、
その女の子が山本の娘であることを知ったときの、
あと15秒ほどの演技にすごく惹きつけられました。。
終わり方として、若い二人のこれからが良いものとなるといいな…
と思えるエンディングでよかったです。
キャストに違和感を感じないほどの方々だったので
映画の世界に没入できました。幸せな2時間25分でした。
最初の30分をもっと丁寧に作ってください
率直に言って、つまらなかったです。
共感できることが何もありませんでした。登場人物には魅力がないし、ストーリーも目新しさを感じない。中盤くらいで、もう映画館を出ようかと思いました。でも、まぁ、最後まで観ないことには感想も言えないと思いなおし、何とか最後まで観ました。
この映画の特徴的なのは、主人公の人生の3つの期間を切り出していることです。こんな感じでしょうか。
第1期)10代/ヤクザになるきっかけ
第2期)20代/由香との恋愛と敵対するヤクザの殺害(中村の代わりに罪を負う)
第3期)30代/刑務所から出てきてから現在まで
こういう構成を取ることで、ヤクザを取り巻く環境の変化をわかりやすくしているんですね。
しかしそれって、どうしてもぶつ切り感が出てしまいます。いきなり時間が飛ぶので、観客の気持ちがちょっと途切れるんです。
一本の映画の中に三本のストーリーがあるような構造になっているんですよね。だからひとつひとつのストーリーがどうしても薄くなってしまいます。
で、時間が飛んで気持ちの途切れた観客を映画の世界に引き戻すには、脚本や登場人物がよっぽど魅力的でなければならないのですが……僕には、そこまで脚本や登場人物が魅力的に映りませんでした。
序盤のストーリーを追います。
主人公のケン坊は、父親が覚醒剤中毒になった上、死に追い込まれたため、覚醒剤を嫌っています。家族を亡くして孤独になったこともあり、自暴自棄の荒れた生活をしています。そんなある日、覚醒剤の取引の現場を目撃します。ケン坊は売人からお金と覚醒剤を奪い、覚醒剤は海に捨ててしまいます。
一方、柴咲組の組長・柴咲は、元組員の妻が経営している飲食店に足繁く通っています。元組員は亡くなってしまっているので、店に通うことで妻を援助しているんですね。そこに敵対するヤクザ・侠葉会の組員が乗り込んできてピンチに陥りますが、たまたま居合わせたケン坊に命を救われます。
ケン坊が襲った覚醒剤の売人は侠葉会の息がかかった売人でした。そのため侠葉会に追われ、捕まってしまいます。絶体絶命のピンチとなりますが、たまたま柴咲の名刺を持っていたことから命を救われます。ケン坊は柴咲と盃を交わします。
ここまでが上に書いた3つの期間のうち、第1期の部分です。ここで観客の気持ちがちょっと途切れます。映画全体としては、起承転結の起が終わったところです。時間にすると4分の1が終わっただけ。しかし観客の気持ちの中には、一つのお話が終わった読後感みたいなものもあります。
つまり映画全体としてはまだイントロダクションが終わっただけなのに、部分的には映画が一本終わった印象があります。似た構成でうまくいったのは2018年にヒットした『カメラを止めるな』ですね。『カメラを止めるな』は最初の30分がゾンビ映画で、残りの時間は冒頭30分の裏側を描いていました。
で、『カメラを止めるな』の場合、最初の30分を完全に独立したものとして完結させようと意識して作られていたので良かったのですが、この『ヤクザと家族』の場合はおそらく最初の30分だけで完結させようと思ってないんですよね。つまり冒頭30分だけでお金が取れる、という作りになっていません。
この構成でこれだとしんどいです。ケン坊の人生から三つの時期を切り出した構成を取っているため、ぶつ切りにされた上、物語は薄まっています。ぶつ切り感をなくして観客の興味を持続させつつ、物語を薄く感じさせないように作らなければならないので、相当、難しいです。脚本や登場人物のパワーがめちゃくちゃ強くないといけません。
なので僕だったら、現在だけで構成しますね。刑務所から出てきたところからスタートして、回想を使って徐々に昔のケン坊や親分のこと、ヤクザを取り巻く環境の変化などが分かっていく展開にします。じゃないとケン坊に感情移入させることができません。
そして回想をどう使うかはめちゃくちゃ考えます。回想を一旦解体して組み直すとか、10代のところは青みの強い画面にして20代のところは赤みがかった画面にするとか。
まぁとにかくこういう3部構成を取るのなら、最初の30分が相当魅力的で完成されていないと、最後まで引きずっちゃうんですよ。で、その30分が薄くて魅力がないので、その時点で僕はもう飽きていて映画館を出ようかと思った、ということです。
ケン坊と親分が互いに惹かれていく過程がもっと丁寧に描かれていないと、死にかけているところを互いに救ってもらったというだけでは弱いんですよ。
だってヤクザって元々、死の危険とは隣り合わせじゃないですか。それにそもそもが行き場をなくした人たちの集まりでもあるわけだから、盃を交わした時点で全員、親分に人生を救ってもらっているわけですよ。なので命を救ってもらったとかはもはや前提にすぎず、そこからより一層絆を深めるのにどういうヤクザ人生を送ってきたかが大事なのに、そこが描かれてないんですよ。
由香との恋愛をあんなに時間割いて描かなくて良いんですよ。そんなの描いている暇があったら親分との関係を丁寧に描いてください。
愛を求め、愛を捧げ、愛を遺す
まず第一に俳優が揃ってとてもいい。配役も熱演振りも完璧だ。特に、主人公を演じる綾野剛の目つきの演じ分けが素晴らしい。暴力を振るう際の狂気の宿った瞳と愛する人を見つめるときの子犬のような頼りなく幼い瞳の対比には息を飲んだ。
時代と共に立ち位置が移り変わっていく「ヤクザ」という存在。現代での主人公の不遇な立ち位置に理不尽を覚える人もいるみたいだが、私は特にそう感じることはなかった(警察の「〝元〟ヤクザでも今までしてきたことを考えれば人権はない」という発言は真っ向から否定したいが)。「より良い社会」を目指すならば、反社がどんどん抑圧されていくのは自然な成り行きだ。抑圧されれば当然不利な状況に追いやられる。
反社として生きることを選ばざるを得なかった状況下で時代に翻弄される主人公はただひたすらに不憫だが、一方で「最善の最期を迎えることができた」とも思える。ヤクザとなったその日から、彼は周囲から大きな愛情を与えられ、それに余りあるほどの愛を大切な人々に与え、死に際ですら愛する人に憎しみと同じだけの愛情をこれでもかというほどに浴びせかけられる。そして、ラストは彼の愛の結晶と言える次世代の2人の邂逅で終わる。
決して〝最高の人生〟ではないが、彼が持つカードの捌き方、生き様としては〝最善の人生〟だ。あれで終わらなければ孤独に野垂れ死ぬルートしか私には見えない。孤独は彼が最も恐れることだろうから、これが最善。彼が最も求めてやまない愛を抱きしめながら死んでいくことができたのだから、最善。
現代のシノギとしてシラスウナギをまず見せたのも面白かった。時代をしっかり反映させつつ、地味さ、しょぼさを前面に押し出していく。タピオカドリンクも現代のヤクザのシノギとして有名だが、翳りゆくヤクザを描くにあたってタピオカは少々ポップすぎる。本命のシャブまでのワンステップとして優秀なチョイスだ。
ただただ泣けた
開始1分も経たずに「あ、この映画面白い」と思いました。まだ10代の山本がずっとずっと気持ちを押し殺しているのを見て包み込む親父。親父役の舘ひろしさんの演技がとても暖かく陽だまりのようで素晴らしかったです。頭を撫でるシーンはアドリブだったようですね、本当に泣けてきました。好きなシーンのうちの一つです。
後半、特に刑務所から出てきた後の山本が皆から否定されたその姿は見ていて凄く辛かったです。最後の終わり方は、始めてみた時は好きではありませんでした。これじゃあ山本は幸せになれてないじゃないかと思ったからです。でも二回目に見た時、この終わり方が山本にとっての一番の幸せの終わり方なのかなと自分なりに解釈できた気がします。ですが「死」が救いだった事実に更に泣けました。
そして何より、私が一番驚いたのが綾野剛さんの演技です。最初から最後まで山本という一人の人生を誰よりも考えて理解して演じられていたのが演技ど素人の私にも伝わってきました。綾野剛さんの演技に魅了されて惹き込まれました。何となくテレビで見たことがあった、ぐらいだったのですが本当に本当に演技が上手で、感服しました。一気にファンになりました。
愛とか家族とかわからなくなったり何か大きく躓いて悩んでいる時に、また10年後もこの映画を見たいと強く思います。始めてレビューを書きたいと思える映画に出会えました。
この違和感は何だ?
前作『新聞記者』が高く評価され、今作でも実力派のキャスト陣が脇を固める期待作。
だが、結論から言えば何とも心に残らない作品だった…。
この違和感は何だろうか?
『新聞記者』の時も薄々と感じていたが、藤井監督は"現代劇でファンタジー"を撮ってしまう人なのだろうか?
よく言えば寓話的、悪く言えば頭でしか考えていない(※もしかしてあまりリサーチをしていない?)ストーリーが個人的に合わない。
しかも、同時期に似たような境遇の主人公を描いた『すばらしき世界』が公開されていることもあり、それが如実に出ているように感じた。
物語冒頭は、スペクタクルで縦横無尽にカメラが動くような演出がある。
鬱屈とした思いがありながらも、主人公・山本がのびのびと生活していた様を表しているのだろう。
だが、地元のヤクザのシャブに手を出したことがキッカケで裏社会へと足を踏み込む。
敵方のヤクザとどのように話をつけたのか端折られているが、全てを包み込むような懐の深さと渋さを含んだ館ひろしの演技には安心感がある。
正式に盃を交わすシーンの古風なクレジットや、堂々とした音楽は正直アガった。
時は流れ、組の中で生きていた山本は自分の揉め事が原因で隣の組との争いに発展する。
ここの流れは「龍が如く」シリーズに触れたことがある人なら容易に読めたと思う。
「別のシマでヤクザが暴れる」→「ケツモチのヤクザたちと争う」→「暴れたヤクザが『そっちが手を出した。どう落とし前をつける?』とすごむ」という流れ。
そして、組員の気持ちを汲み取ってか決裂を言い渡し、争うもやぶさかではないとする組長。
でも、それからすぐ呑気に釣りなんか行くのか?
しかも、あんなに手薄の護衛で?
もっと気を引き締めて抗争の準備でもするものと思うが…。
おまけに警察と敵方のヤクザが裏でつるんでいたとわかり、復讐に行くも手を下したのは兄貴分。
その身代わりに長いムショ暮らしをすることになる。
ところどころ、既視感のオンパレードである。
先が読める脚本やジャンルものの作品が悪いとは言わないが、特に目を見張る演出も無いので、結果として印象が薄くなってしまう。
出所後はすっかり弱まった組と組員たち。
画面のアスペクト比も16:9から4:3に変わり、現代がヤクザにとって閉塞感漂う時代ということを見せている。ちなみにこの後に、想いを寄せていたユカとその娘と暮らし始めるのだが、山本の心情の変化とともに露骨に画面が色づき出したのは苦笑いだった。
監督がこういったコテコテの演出を恥ずかしげもなくやるのも、作品のリアリティを下げている一因かもしれない。
(※そういえば、『新聞記者』の一部のシーンもそうだった気がする)
癌を患い余命幾ばくもない組長と弱体化の一途を辿る組。
存続のために密漁と禁じ手とされていたシャブに手を出す。細々と密漁をやっている姿は少し分かりづらかった。
山本とカシラの車の前での諍いも、類型的というか何というか…。
かつての弟分も弱りきり、ヤクザである以上付き合えないと割り勘すら断る。
馴染みの店の息子はヤクザ崩れのチンピラになっていた。地下闘技場でファイトマネーを稼いでいたのだろうか、これまたファンタジーというかゲームっぽい展開。
足を洗って働き始めるも、若手の同僚のバカッターであっさりと身バレして追い詰められる。娘の学校でも案の定のいじめが始まる。この辺のカットの手の抜きようは目に余る。
あまりにも型にハマったストーリーがトントン拍子で進むので、涙腺も緩まなかった。
翼が敵方のヤクザに呼ばれたのは?なぜ襲撃を山本にばらしたの?最後は怒涛のハテナの積み重ねで、首を捻らざるを得ない。
翼が襲撃したように見せて、山本が代わりにカタキを打ったのだろうが、ハッキリ言って『龍馬伝』の最終回くらい見辛かった…。あの悪徳刑事が犯人ってことですか?
そして、現行犯で逮捕されたはずの山本は何故か海岸で黄昏る。
上記の襲撃のついでに家族離散のカットを処理された弟分が、怒りに任せて山本を手にかける。
思わず声に出して『いや、それは山本のせいじゃないだろ!』と漏れてしまいそうだった。
まあ、色々と欠点を上げてしまったがクールに決めきれない山本のチャーミングさや、翼とアヤの似たもの同士の邂逅など、好きなシーンも多くある。携帯すら買えないことや5年ルールなど、細かな要素を増やしていけば、本作も良作となったのだろうが…。
ちょっと期待感高めすぎた
同じ元のヤクザの話を題材にした「すばらしき世界」がとても良くて(良すぎて)、その期待感そのまま持ったままで鑑賞。だって「新聞記者」「宇宙でいちばんあかるい屋根」の後の藤井作品だったから、期待せずにはいられないでしょう。
最近観た「すばらしき世界」のタイトルが秀逸(最初は単に皮肉の意味でつけられたのかと思ったが、終盤の展開にその意味がストンと腑に落ちた)で、作品にすごい深みがあった。家族への渇望(例えそれがヤクザの親子関係などのように、擬制的なものであっても)が主要テーマで、それを描こうとしたのであろう。でもちょっと取って付けたような設定が目について、誰も幸せにはなれないバッドエンドにも、いまいち感情移入出来なかった。演者の演技はどれも素晴らしかったのに、残念です。
久々に感動した作品。
後半がハイライト。
東野圭吾の「手紙」を連想させるようなストーリーで、
関わった人々がヤクザというレッテルに翻弄される様子は、涙を誘った。
いつになったら、日本人は世間体を気にする体質から変わることができるのだろうか。
主人公が亡くなり、ラストの展開をどうするのかと見守っていたが、
「私のお父さんって、どんな人だったんですか?」
という問いかけは、彼女が前に進むための大きな一歩に思えて、
素晴らしいストーリーだと感じた。
あと、磯村勇斗の演技がこの上ないくらい良かった。最後のシーンの泣くまでの表情の変化は名演技。
本当の幸せとは?
「ヤクザと家族」
ほんまの幸せとは大事な人と普通の暮らしをすることかもしれない。
この映画をみるに、この普通とは社会に受け入れられている状態のことをさすと考えられる。
一度社会の普通から踏み外してしまうと戻れないような構造どうにかできないのか。でもそもそもヤクザだって社会が生んだもんではないのか。てかこの社会も普通じゃないんちゃうか。わからんなぁ。愛は憎しみさえ生んでしまう。でも愛が人を救うんかな。
家族とは何か。愛を求め続けたけど家族になることを許さなかった社会。権利を奪うことで排除することはできるかもしれないが、ヤクザという肩書きを排除するのであって人間を排除するのはちゃうと思う。
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