「直視できない、しかし駄作ではない。」哀愁しんでれら よっちゃんイカさんの映画レビュー(感想・評価)
直視できない、しかし駄作ではない。
タイトルの通り。
途中から頭がおかしくなってしまいそうで画面を直視できなかった。
エンドロール終わってからもしばらく立ち上がれず、今もボーーーーーーッとしている。
家族ごと狂っていく姿にゾッとした。
順を追ってみていこう。
最初、小春に数々の不幸が降りかかるところ。
あまりにも畳みかけすぎてちょっと嘘くさいなぁなんて思っていると1人の男性の命を救ってから次は幸せがたたみかけるように訪れる。
ここら辺まで来ると気持ち悪すぎた。
しかし、今思えばこの気持ち悪さが、普段マイルドになっている御伽噺が持っているものなのかもしれない。
そして、ここから徐々に徐々に狂っていく。
御伽噺の続きなのだ。
ヒカリに関する数々の疑惑、ヒカリがついた数々の嘘。
ここら辺からいい親という虚像に苦しめられる。
今の時代、少しでも子供に手をあげたり、挙げ句の果てには怒鳴るだけでも虐待と言われてしまう時代。
もちろん、無闇矢鱈に手をあげたり怒鳴ればいいわけではないのだが。
そんな怒鳴る親達を何組も見続けてきた小春は「手を挙げず、怒鳴らず、いつも笑っている」そんな家族を目指していた。
しかし、優しく注意しても駄々をこねていうことを聞かない。
そして子供の失礼は親の失礼。
そんなことが重なりついに怒鳴って手を出す。
ここら辺がこの映画のテーマとしてのピーク。
綺麗事だけでは子供は育てられない。
更に言えば「子供」「泣いている」「かよわい」これらの事だけでその子が被害者になり、相手の犯人と名指しされた子供が一方的に責められる。
これに似た構図どこかで見たなと思ったら、痴漢冤罪だと書いていて気付いた。
兎にも角にもこのヒカリのせいで完全に狂ってしまう。
公園で冒頭に出てきた毒親っぽい母親(実はいい親なのだろうと推定しているが)に対して「母親失格」とつぶやく時の演技に震えた。
そして、最初に大悟と出会った踏切で倒れる。
電車が迫る。
死が迫る。
間一髪のところで大悟に助けられる。
ここから小春も変わった。
ヒカリの言うことを全面的に聴いて学校に殴り込んだりする。
そして、恐怖の計画を思いつく。
この踏切で何が起きたのだろうか。
ここで最初の方で友達が喋っていた内容が頭に浮かぶ。
「生きるのが楽になる裏技教えようか?人は夢を見るから苦しくなるんだよ。全部諦めたら良いんだよ。」
死を間近に体験した小春は全てを諦めたのだろう。
だから今まで理性が止めていた非常識な行動、犯罪さえも平気で行うのだ。
思えば、最初に大悟が踏切に倒れていたのはもしかして子育てに疲れてたからなのかもしれない。
そして、小春に助けられてから死を間近に感じたことで彼も全てを諦めたのかも。
ある意味、小春は彼に追いついたのかも、と思った。
ここら辺からはもうスクリーンを直視できなかった。
一緒に狂ってしまいそうだった。
それだけの力がこの作品にはある。
なぜなのか。
土屋さんと、田中さんの演技だ。
これだけ非現実的な話、御伽噺でありながらどこかリアルでありそう。
そして、ヒカリ役を演じたCOCOちゃん。
彼女がすごい。
何を考えているかわからないヒカリ役の不気味さがきちんと表現されていた。
演出も気味悪さを強調されていて素晴らしかった。
ただ、最後の事件。
これがむちゃくちゃ胸糞悪いし、終わり方がはっきりしない。
一家の狂気性は強調されたかもしれないが、良い親とは何かとかそこらへんのテーマが全て有耶無耶になって崩れてしまった気がする。
もう少し答えらしきものを提示しても良かったのではないだろうか。