「再び沖縄戦の時代がやってこないとも限らない」ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
再び沖縄戦の時代がやってこないとも限らない
沖縄戦を扱った映画で最も迫力があり、かつリアリティがあったのはメル・ギブソン監督の「ハクソー・リッジ」である。沖縄戦を扱った作品だ。島の切り立った崖を登ると、痩せ細った日本軍兵士が鬼のような形相で銃を撃ち、日本刀で斬りつけてくる。物量で日本軍を圧倒していた米軍だが、個々の戦闘では多くの死傷者を出した。
本作品は沖縄戦が庶民にとってどのようであったかを教えてくれる。自分たちで掘った避難場所と食糧を日本の軍隊に奪われ、米軍は鬼畜で男は拷問されて殺され、女は強カンされて殺されると教えられる。他に情報のない住民はそれを信じるしかない。米軍が勝って占領された地域の住民は、ガマと呼ばれる穴に集まって隠れるが、出て行って殺されるか、ここで死ぬかの選択を迫られる。チビチリガマでは親が子供を殺し、死にきれなかった者だけが助かった。しかしシムクガマでは、ハワイから帰っていた比嘉平治さんが米軍と話すことが出来たので、強カンも拷問も殺されることもないと判って、全員が助かった。
教育の問題だと多くの登場人物は語るが、日本軍が自分たちに都合のいいことしか伝えないのは考えれば解ることだ。それを考えなかったのは権力に逆らうことをしない国民性だと思う。沖縄を含めて日本は市民革命で自由と平等が勝ち取られた訳ではない。明治維新はクーデターだし、戦後民主主義は戦争に負けて成立した。日本人は一度も権力と戦ったことがないのだ。そもそも権力を疑うこともしない。それこそが教育の問題で、権力というものが常に流転する相対的なものだという認識があれば、日本の軍国主義教育を鵜呑みにすることはなかっただろう。
そういうメンタリティは社会全体が建設的な場合には集合として強い力を発揮する。高度成長時代がまさにそれに当たる。しかしいま、下り坂の時代に入り、再び権力者が国家主義のパラダイムの下に人心の集結を図ろうとしている。その危険性に気づかないまま、現権力を支持していると、再び沖縄戦の時代がやってこないとも限らない。
既に成長が望めない時代になっていることを権力者が認めようとせず、夢よもう一度と朝鮮半島や中国、東南アジアに軍を派遣するようなことになれば、世界はもはや日本という共同体、日本人という民族を残しておこうとは思わなくなるだろう。先の大戦に対する反省を口にせず、代わりに積極的平和主義を主張するような頭のおかしい人間が総理大臣をやっているような国だと、世界は既に警戒を始めているのだ。