「幾らファンタジーアニメでも・・・」神在月のこども よしさんの映画レビュー(感想・評価)
幾らファンタジーアニメでも・・・
韋駄天だった母の遺志をついで、島根まで馳走を持って走ることとなった少女の成長譚。
母の死のショックから走ることを止めた少女。「母と会えるかもしれない」の言葉を信じ島根迄走る決心をします。
道連れになった鬼、道中で出会った神々・・・彼等との触れ合いを通して、少女が成長する姿を映します。
この作品の評価は、この設定を許容出来るか・・・なんでしょうね。
少女が住んでいるのは東京。その東京から島根まで走る・・・・出来るわけがありません。
「走るのが好き」と言っても、学校内のマラソン大会で優勝を目指すレベルの12才。
時間的な問題は「時の流れ」で誤魔化せても、走る距離は変わらないわけですから、そんな体力があるわけがありません。
体力をチート設定にする方法はありますが、それではロードムービーの魅力が破綻します。
「時の流れ」を操作したことにより、普通の人々との交流が出来なくなったのも致命的に感じました。鬼や行く先々の神との交流はありますが、それはあくまで「人」と「神」。「人」と「人」の触れ合いが描けないのであれば、ロードムービーとして物足りなさを感じます。
また、根本的に少女が「走る」に拘ることに納得感がありません。
例えば、少女が高校生位で、陸上競技に打ち込んでいる・・・ならどうでしょうか?全国大会で優勝を目指す少女が、母親の死をきっかけに走れなくなった・・・なら、このストーリーも納得がいくかもしれません。また、この設定なら、「東京から島根を走る」も可能性を感じることが出来るかもしれません。
到着時間の制約があるのに、その時間を描けていないのは勿体なく感じました。
疲労で苦しむ部分もまったく描けていないのも勿体なく感じました。
声優の配役についても疑問があります。人間は俳優、神々は声優という区分けのようでしたが、演技の手法も実力も違う役者を混ぜ合わせても、違和感を増幅するだけです。
俳優を使うのであれば、主要キャラは俳優で固めた方が、映画としてはまとまりが出るように感じます。
厳しいことを羅列しましたが、作画は劇場版として恥ずかしくないレベル。私的評価は、その分だけ少し加算しました。