「私刑行為を正当化する実に短絡的で厚かましい映画」ザ・ブック・オブ・ヘンリー 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
私刑行為を正当化する実に短絡的で厚かましい映画
なんてチグハグな映画だろうか。前半はギフテッド・チャイルドの少年時代を描いた心なしかYA小説を思わせるカミング・オブ・エイジ物語のように見える。しかし後半で唐突に映画は急ハンドルを切り、そこからの展開をドラマティックと見るか荒唐無稽と見るかがこの作品を評価するうえでの大きな分かれ道になるのかもしれない。っていうかどう考えたって荒唐無稽だろうよ。捻りを効かせたつもりかもしれないが、いいやただただ唖然とさせられるだけだ。
この映画って全体的にすごく短絡的な思想で構成されているなと思う。天才少年の表現にしても、彼の唐突過ぎる死にしても非常に短絡的だと思うし、隣人の秘密や少女の抱える闇にしてもそう。そして少年の遺言によって起こす母親の行動もまったくもって短絡的(私刑を正当化するかのよう)だし、その後の隣人の末路も、少女を易々と引き取ればハッピーエンドだと言い張る結末も、何から何まで短絡的だと言わずにいられない。物事の表裏も多面性も多様性も一切考慮せず、「悪でないものは善であり、善でないならそれは悪だ」と言い切るような図々しさで溢れている。
特に後半の展開は虫唾が走るようだ。
自らの死後に実母と弟を利用して憎き隣人に私的制裁を加えようだなんて発想したのであれば、その少年はギフテッドでもなんでもない。ただのサイコパスだ。しかしナオミ・ワッツ演じる母親はそんな息子のために銃を握り復讐の鬼と化す(ワッツの激情型の熱演がこんなにも滑稽に映るなんて・・・)。そんなのは正義でもなければサスペンスでもない。それなのに映画はそんなことお構いなしで、それがドラマティックなサスペンスだと信じ込んでいる。良識の在る人間が考えるストーリーじゃない。
私にはこの映画は人の命を軽んじているようにしか思えなかった。最終的に母親は隣人への私刑行為を思い留まるとどまるものの、結果として映画は隣人を死なせることで結論づけている。でもそれって、脚本家がスクリプトに「自殺」と書き込むことで、隣人に対し私的制裁を加えたのと同じなのではないのか。
隣人は確かに悪い行いをした男だったが、彼は完全なる悪人だったのか?そして彼の命は死して然るべき命だったのか?でもそんなことをだれに決められるだろう?でも映画はそんなことには気にも留めない。悪い奴は死なせてしまえばハッピーエンドだという思想のもと、母親の銃弾の代わりに脚本家のペンによって彼に私的制裁を下し、またそれをハッピーエンドと呼ぶことで私刑行為を正当化してしまっているのだ。そんなものは勧善懲悪ですらない独善的な正義だ。人の命を何だと思っているのか。そもそも少年の死による感傷でその後の私刑行為を正当化させようという厚かましさも当然のように不愉快だった。この物語の中で失われた二人の命はただ物語のスパイスでしかないのか。腹立たしい。
あぁ久しぶりに気分が悪くなるような映画を観てしまった。
面白くないというより、有害だと思うほどだった。