ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれからのレビュー・感想・評価
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『卒業』と『藍色夏恋』と『シラノ・ド・ベルジュラック』だ。
『卒業』と『藍色夏恋』と『シラノ・ド・ベルジュラック』だ。
『信ずるものを見つけてね』
『ニ、三年後に会おう』
『弱虫』
最後は『殺意のサン・マルコ駅』みたいだ。
『アニーズソング』で始まり『ブレイク・ザ・ルール』で、ぶらぶら終わる。
『愛とは厄介なもの。大胆なもの。完璧な相手を見つける事じゃない。いい絵が台無しになることをいとわない事』
保守的な町で、好きな人と自分を偽ってやりとりする。新しい恋愛映画...
保守的な町で、好きな人と自分を偽ってやりとりする。新しい恋愛映画だったと思う。
偽らないと成立しないやりとりが、ドキドキしてどこか切なくて視聴してて不思議な気持ちになった。
snsを利用して、気持ちを伝え合うのってどうなのかなぁ〜とこの映画を見る前は思っていたが、気持ちを伝えるのは対面じゃなくても、伝わることはあるし、逆に口下手な人などかえってLINEなどを介したほうが伝わりやすくなるのかもしれないなと感じた。
ハーフは
片割れを探すハーフではなくこれからの人生のハーフだった。設定、小道具、登場人物のキャラクター全てが上手いけど決してあざとくは無い。言葉を大切にしている人たちに見てほしい。
恥ずかしながら
途中、ポールに「お前はアスターが好きなのか?」とわざわざ指摘が入るまで、気づかなかった…。なんで温泉シーンでシカゴの「愛ある別れ」が流れるのかななんて考えてた。
20年代の三角関係ものて感じで、青春ロマンスにLGBTが絡んでいるだけで、そこの目新しさで引っ張るような見せ方はしていない。たまたまレズだった女の子の物語で、「あなんかこの多様な感じ、次の世代観てこんな感じかな」と新しいステージに立ち会った感覚。ごく自然にレズのキャラクターがあり、ではどこが面白いかというと、みんな凸凹なんでして、という人間模様でしょうか。たくさん笑ったし、切なくなったし、大いに引き込まれました。
多感な青春期の最後に来る特別な「通過点」を繊細に切り取った佳作
ラブレターの代筆をするうちに自分自身が相手に恋をしてしまうという設定から言うと、エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』 を思い出す。確かにこの映画の舞台は現代のアメリカだし、設定にはLGBTQの要素もあるし、アジア系のヒロインで人種的マイノリティにまつわる言及もあったりと、近代的な佇まいを持ちつつも、しかし一方で根底にあるストーリーはそれこそ『シラノ』の如くクラシカルであり、とても普遍的なものだったなと感じた。文学や芸術を通じて惹かれ合っていくなんて、大人同士でもロマンティックでハイクラスなことを自然とやっている高校生たち。素敵ね。
いわゆる陽キャのテンションについて行ききれないどこか冷めた主人公エリーたちに共感する一方、その分作品は少し地味めなタッチに落ち着いたかもしれない。アメリカの一般的なティーン映画のような突き抜けた明るさやバカバカしさみたいなものとも違えば、YA小説が描くハイスクールとも違い、あまり華やかではない地味な高校生活であり地味な映画かもしれない。でもこの映画には「本来なら主人公にはなれない高校生」が主人公として生々しく生息している感覚があった。あからさまな虐めがあるわけじゃないけれど、自転車に乗れば「チューチュー・ポッポー」とヤジを飛ばされる程度に冴えない(けれど明晰な)ハイスクールも、美人だという自覚もあって誰もが憧れるボーイフレンドもいるけれどチアリーダータイプの人気者グループには属していられないアスターのハイスクールも、いずれも「すぐそこにある」普通のハイスクールの風景に見えたし、画一的ではないリアルな高校生活の描写に思えた。そしてポールの純朴さと素直さが三人の関係性をより深くて良いものにしていたなと思う。(何気にお父さんの存在も大事だったね)
高校生活や思春期って「自分とは?世界とは?」ということを考えるそんな時期だし、同時に自分自身に気づく時期でもある。この映画はまさしく自分自身に気づくまでの物語だったと思う。かと言ってその「自分自身」は恋愛感情やLGBTQのことだけを意味するわけではなく、自分の中に蠢いている情熱とか、密かに抱いている夢とか、あるいは自分に対する諦めとか、見ないようにしてきた悲しみとか、そういうものもすべてひっくるめた「自分自身」に気づくことなんだと思う。この映画はそういう意味で登場人物それぞれが「自分自身」に気づいて行く様子を、派手さはないけれどすごく繊細に描いていたなと思い好感が持てたし、結末の落としどころも好きだった。
この映画はあくまでも自分への気づきの物語であって、片割れを探す映画ではない(そういえばエリーが冒頭で似たようなことを言っていたっけ?)。だからエリーとアスターが恋人になるかならないかはもはや問題ですらない。誰と誰が結ばれるとかそういうこととは別の場所に結論は待っている。そしてその結論というのはこの映画が終わった後のもっと先で待ち構えているものなのだと思う。だからこそ、だ。衝動的なキスの後「数年後にまた会おう」という別れの仕方も、バカげた映画のワンシーンみたいに列車を追いかける別れの仕方も、どちらもそれぞれに未来へと橋を架けるような結末で、彼女たちのこの先に、未来とそこへつながる道があると感じられるとてもいい幕切れだったと思った。
そして頭の中に"half of it"というタイトルが思い出される。そうか、ここからの人生こそが彼女たちの本当の人生なんだ、とすべてがストンと腑に落ちた。誰もが経験するであろう人生における「通過点」としての一期間を、大切に描いた素敵なカミング・オブ・エイジだったなと思った。
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