君が世界のはじまりのレビュー・感想・評価
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若手女優3人の自然体と関西弁が好ましい
ふくだももこ監督が「おいしい家族」の前に発表した短編2編が原作。優秀な縁(ゆかり、あだ名はエン)の視点で、馬鹿だがモテる琴子、陰のある業平、人気者の岡田という4人の日々を描くのが「えん」。父親を疎む純の視点で、東京から転校してきた伊尾との関係を描くのが「ブルーハーツを聴いた夜、君とキスしてさようなら」。映画も中盤まで前者4人と後者2人の話が別々に進行するが、両組が合流して閉店後のモールに忍び込む後半は脚本の向井康介の功績だろう。
理知的で木のように揺るぎないエンと、感覚派で風のような琴子、好対照な2人を松本穂香と中田青渚が自然体で好演。純役の片山友希は、ドラマ「セトウツミ」での軽妙で毒のある関西ノリが印象的だったが、京都出身の資質を活かせる役にまた配されて喜ばしい。
ブルーハーツの曲を効果的に使った青春映画としても、「リンダ リンダ リンダ」(これも向井脚本)に並ぶ出色の出来栄えだ。
青春真っ只中の複雑な関係
青春の複雑さと家庭の内情の複雑さ
を描いた作品。
ブルーハーツの「人にやさしく」
を元に映画にした内容になっている。
相手に対し自分が一番、
誰よりも負けていないと思って
いたのに、案外そうでもなかった。
自分よりも上の人間がいて、
相手はそっちになびく。
自分の気持ちはなんなんだろう。
感情をおもてに出せず、
モヤモヤがつのる。
業平と伊尾の区別がつかず
ごっちゃになってました。
今田美桜かと思ったら、中田青渚
でした。若い俳優さん達ですが、
しっかりとした演技を見せてくれて
これからの活躍が楽しみです。
純の家庭だけが暗いままだったので
良い方向へといってほしいな。
見せ場の深夜のショッピングモール
と最後の水たまりのシーンが
この映画を象徴しています。
今の若い子にもささる青春映画に
なっています。図太い青春映画を
見たなと満足感があります。
もっと青春は麗しい
松本穂香扮する高校2年生の成績1番の縁はビリケツ女友達とつるんでいたが気に入った男子が見つかった様だった。
今どきの高校生は親のしつけが出来ていないから基本が出来ていないんじゃないかな。節度がないのか、この高校が悪すぎるのか。ここの高校生はどう見ても程度が高くはないぞ。だから事件も起こるわな。これに較べれば自分の行ってた高校は素晴らしかったな。まあこんな今どきの高校生を理解しようとも思わないけどね。もっと青春は麗しいもんだ。
退屈極まりない日常生活と会話だけの映画でした
最低でした。 退屈極まりない日常生活と会話だけの映画でした。 どこが面白いのか全く理解できませんでした。 タイトルが個性的なので気になって しちょうしたものの、 完全に失敗でした。
日本の映画には、 このような無味乾燥な映画が非常に多いです。 [作り手が作りたいものを作っただけ] です。 このような映画が今後も続くのであれば、 私は日本の映画をしちょうしないようになるでしょう。
こんな映画を好きな自分が好きだ‼️❓死にたい、と死ぬのは紙一重だ‼️
何故か、こんな思春期映画が大好きだ❤️
それで、大阪弁が違和感ない希少価値の高品質がなおさら素晴らしい。
松本穂香以外は知らないけど、なかなか良い味を出している。
この映画の松本穂香が大好きだ、鼻の穴まで大好きだ。
殺したい、と、殺すのは、大きな溝があるが、死にたいと、死ぬのは紙一重だ。
そのことを、改めて、認識した。
捉え所なし。
昨今の青春映画秀作群に比して捉え所の無さ(それが狙いだろうが)ゆえ劣位。
過去も未来も無い全国一律なショッピングモールもろとも緩く滅び逝くかの街を彷徨う子ら。
台風クラブ1985年、渚のシンドバッド1995年、リンダリンダリンダ2005年か。
なぜ気取る?
外国映画と日本映画のあいだに格差を感じること、がよくあります。
それがなぜなのか、ぜんぜん知らないわけじゃない──と思っています。
それは、一般的な日本人は、ダイバーシティに欠けた衛生無害な生活環境のなかで成長するので、創造性がコンパクトになるから──です。
いろいろ、はしょった、身も蓋もない見解ですが、真因はそこにあると思います。
ダイバーシティとは、多様性です。
人種、肌の色、価値観、宗教、イデオロギー、貧富、言語、身体のつくり、生活習慣、礼儀作法、性的指向、喜怒するところの異相──それらが、ぜんぜんちがう人間と日々過ごす人と日本人とでは、幸にせよ不幸にせよ、ダイナミズムに差があるのは合理──という気がします。
「渡り歩く」ということばが、あります。
それは、さまざまな、繁多な、人や事に関わりながら生き抜く──という意味です。
日本のように、実質単独民族で、個人主義ならば「渡り歩く」の生き方が成り立ちません。
勘違いしないでもらいたいのは、そういう閉鎖的な日本の社会で生きること=人や事に、あまり関わらずに生きることも、とてもたいへんなことです。
それは、ご存じのとおりです。
でも「渡り歩」かないで生きるので、素養が限定化する──のです。
ベンスティラーの映画The Secret Life of Walter Mitty(2013)で知ったのですが、life紙の社訓にこうありました。
『To see the world, Things Dangerous to come to, To see behind walls, To draw closer, To find each other and to feel.
That is purpose of life.
(世界を見ること、危険に立ち向かうこと、ものの裏側を見ること、近寄って互いを見いだし感じ合うこと。それが人生の目的だ。)』
これはおよそ創造性の発露の原点でもあると思います。
一般論においてさえ、人は経験値によって、形成されます。であるならば、人や事に関わり、また人や事に過干渉されながら生き抜いてきた人には、かなわない──というロジックが成り立つ、はずです。
その脆弱性が、そのまま日本映画と歩合します。
外国の優れた映画と比較するほど「なんにも知らない人がつくった映画」に見えてしまう──わけです。
韓国のばあいは、ドラマ/映画/アイドルなどを、外貨獲得の戦略的なビジネスとして国策的に督励しているゆえのクオリティ──だと思います。
かんたんに言えば、国が「きみの個性は、わかった。だけど、それでは伝わらないんだよ」と育英していること──によるクオリティです。
がんらい、方法を学ぶ──というプロセス無しでは、人がつくったものが、人を感動せしめるはずがありません。
ときとして「個性を尊重する」ほど有害な教導はない、と思っています。
この監督は、小説家でもあるそうですが、原作は未読です。
原作を読んでいないことを、弁解しなければならない映画──のように感じました。ので。
たんにわたしに理解力が欠けているだけ、かもしれませんが、作者の創造性はとてもコンパクトに並列している──と思います。
現代社会では女子高生は便利なアイコンです。
おそらく、映像の作り手の多くが、女子高生を無軌道に、剽軽に、あるいは不安定に活写すると、それなりの絵になる──と考えている、と思います。
それゆえ、この国には、岩井俊二の部分カットを重ねたみたいな映画/映像がやたら多いのだ──と思います。
女子高生が、他愛ない会話をしながら、自転車で奔る、たこ焼きを食べる、教室で欠伸をする──短くカット割りして、笑顔や笑い声を交ぜて、一丁上がりてなもの──です。
女の子がキャハハと笑って駆け回る=ハイ岩井俊二確定ですね──とは申しませんが、わたしたちはそういう絵を、あまりにも多く見過ぎているのです。
むろん、作者が誰の影響を受けたのかは解りません。誰の影響も受けずに生み出されたもの、かもしれませんが、映画は、とても「いつものやつ」でした。
ふてぶてしく、投げやりで、傍若無人で、思ったことを口にしてしまう子が出てきます。絶叫がうるさかった──です。とても「いつもの女子高生」です。
ブルーハーツをつかっています。
こんにちまでに、幾つの映像作品で、ブルーハーツは青春のレイジをあらわすために流されなければならなかったでしょう。
幾つの映像作品で、大人たちの懐古趣味を満足させるために、若年女優が、ブルーハーツのビートにあわせて飛び回らなければならなかったでしょう。
ふつうにありきたりだと思いますが、たんに、わたしに精神的ゆとりがないだけです。
ブルーハーツに罪はありませんし「ブルーハーツを使って青春を描こう」という考えに、反対はしません。
ただ、それはありがちだけど、だいじょうぶですか──とは、思います。
このような若年層の惑いを描くドラマには、人生の酸いも甘いも噛み分けたキャラクターが付きものです。豪快で鷹揚で、おまえらのことは何でもわかっておる──という雰囲気を持っていることが条件です。江口のりこが楽しそうに演じていました。
対立や混迷から抜け出した先に、和解と解放がやってきて、さいごに君が世界のはじまりとのタイトルがあらわれます。が、個人的には、そこまでの気分に至りませんでした。根本的に、女子高生が暇を持て余しているだけで、君が世界のはじまり──というほどのことは描かれていません。
卑近な人物と状況に対して、タイトルが大仰過ぎるのです。
彼女たちは、つたないだけで、そんな大層なところへ昇華しません。
また、画が暗すぎます。暗いとは、照度の話です。よく見えない箇所がありました。
ミュージックビデオ風シークエンスがあります。その気配なシーナリーを提供しますが、センスはありません。
ありきたりな話です。
殺人事件があり、なんらかの有機的なからみがあるのか、と思っていると、まったくからみません。
その様相は、も・の・す・ご・く、軽薄です。
なぜなら、作家は、物語を重くしようとして、あるいは変調をくわえようとして、なにか荒々しい事件を据える、のですが、作家に想像力が無ければ、荒々しい事件を「添えるだけ」、あるいは「取って付けるだけ」になってしまうからです。
──なっていました。
いわば「シリアス度が欲しかったから震災をからませてみた」のと同じです。
21世紀の女の子(2019)というショートオムニバスがありました。
そこにもクレジットされていた、現代の日本を代表する若手女性監督──のひとりです。
一編8分でもキツい代物でした。尺を15倍にしたら、尚更です。
(21世紀の女の子は)今年(2020)の9月に、韓国で公開になったそうです。
配給元の心臓には毛が生えているはずです。
21世紀の女の子と21世紀には、なんの関係もありません。
昭和の女の子──でも、的外れではありません。
若い女であることのおごり、あるいは弁解以外の何物でもなかった──と思います。
ただし、嫌なら見るなですし、ビジネスとして成り立っているわけですし、この映画も「女子高生をみずみずしく描いた女性監督ならでは感性」と、ポジショニングされることは必至ですし、現実に映画監督たり得て、支持されているなら、個人が歯ぎしりしても意味がありません。
が、若い映画監督ともあろう人が、じぶんの世界の独自性に頓着していないことが、不思議です。
映画がかならず独自でなければならないとは思いませんが、ありきたりなのであればアーティスティックな気取りは要らないと思います。少なくとも労働者向けではありません。日本のアートハウスが中産階級向けの低回になっているのが嫌です。
「閉塞感の中でもがく高校生の姿」と書いておけば良いのでしょう
「時代が変わっても同じなのだなあ」と感じました。ただ、評価を書くには私は年を取り過ぎました。
残念な点を2つ
・後半、特に最後の方が間延びして悠長すぎます。
・ちょっと高校生役は無理かも という方もおります。
でも、なんとなく見ていて良い作品です。特に片山友希さんが良かった
共学はいいなぁ~青春とはブルーハーツだ!
女子3人に対しては、初めから何とか見分けができたが、男子については
中盤以降まで、見分けがつかずに、最初は裏表ある、不思議な男子1名に3人の女の子がアプローチする映画だと思っていました。
しかしでも、どう考えても、男子が2人居るような気になり、
終盤の”スーパーで大雨を凌ぐ”シーンの段階になり、ようやく
やっぱり、2人なんだ。。。。と確信できました。
でも主人公・琴子はどこに? 主人公が重要シーンで出てこない?
ちょっと前にデートが上手くいかず、ゆかり嬢とギクシャクしている事は理解していたが、2女子が喧嘩するまでのシーンはなかったし。。。
そして3人目男子がカップルで登場! でやっと、この映画が”男女6人の青春群像劇”であることが理解できた。
50過ぎのおじさんである僕が、
若い人に置いて行かれる事必然。
でも、登場人物達が並んで青春を語るシーンは往年の山田太一さんのドラマの様でもあり、嬉しかった。
やっと紐が解けて、主人公が誰で、どうして副題がついたかも
映画の冒頭シーンの役割も
男子の”被りキャラ”自体がこの映画のテーマにも繋がるという
キャスティングセンスの素晴らしさ。
帰宅して、監督を調べたら、まだ29歳
数ある音楽の中から、ザ・ブルーハーツを選んだことも凄いし
劇中の各描写と表現力には脱帽
繊細なハイティーンの心の不安定さまで、よく表現できているのは、監督が小説家でもあるからなのか。。。
早い話、完璧な映画だという事
この映画は日本の青春映画の新たな指針を示したと思う。
”ふくだももこ”さんという名前は小説家として、映画監督として必ず覚えておく必要があるだろう。
この映画は僕的には☆4.8なので、書き込みを5にするか4.5にするか悩みました。
減点ポイントをあげると、今の高校生に「ザ・ブルーハーツ」は知らないだろうと思うからです。
例え、6人の中で音楽好きな1名が知っていても、他の5人が歌えることはないと思いました。
この映画の設定を2000年位にすれば、まだいいが
スーパーに「2019年 クリスマス」と大きく垂れ幕があったので。。。
映画の業平さんに出会った”使っていない別建物の教室”にホコリとかがなく、綺麗だった事は気に成りました。
これだけ、細かなことまで詰めていた映画なのに。。。
今は少子化だから、同建物でも、音楽準備室とか、ほとんど人が来ない部屋はあったのに。。。
無理やり、欠点を探しても、この2点のみが減点ポイント
脚本もいいし、撮影もいい
ライティングも好感度カメラをあえて使わず、影をうまく出しており、スーパーの照明もこれでいい。各所に映画の雰囲気をよく出していた。
BGMの選曲も編曲もこの映画との相性は抜群。
演者も皆、上手いし、その演出も完璧
ちょっとだけ、服の肩をずらすだけでも、ゆかり譲が恋に落ちた事が伝わった。
最後に、29歳の監督ということで、☆5
今後が楽しみだ。
大雨で、スーパーで雨宿りするシーンを観て「台風クラブ」が頭に浮かんだ。
これからは日本の青春映画として、台風クラブに変わり、この映画がいつも頭に浮かぶと思う。
高校生による青春と、世間にぶつける アンチテーゼ
いささか、綺麗ごとを映したような、青春群像劇に仕上がっているのかと思っていたが、まったく違う。大人になれない高校生の、ガキみたいな足掻きと、爆発寸前な心たち。ヒリヒリするような、賞味期限付きの青春。
学校でも異彩を放つ、特別な女の子、琴子にくっつく縁。この二人を中心に、恋、家族、未来、希望…退屈なものすべてを見下しながら、大人を演じようとする。爆発しそうな何かを持ちながら。沸点にまで達し、爆発しそうなその瞬間。高校生が「ガキ」になるあの感覚は痺れた。
言葉にすることが難しいムズムズした感情を残していって、とても苦しい。濃密でイタイ彼女たちの青春は、ブルーハーツが、唯一の救いであり、讃美歌。世間に対しての、小さなアンチテーゼに感じた。
びょ〜
なんとも言えん!
題名とは裏腹に、ずっと終わりのような雰囲気のまま展開されていったが、途中5人で並ぶシーンや、その5人で歌を歌うシーンなど終盤に行くにつれて、はじまりを感じさせるような描写が出てきて自分自身ワクワクしてきた。
いろいろな人に投げかけられる作品でもあったのではないかと思う。殺人犯は罰せられるべき。そういう発想に至るのは確かに無理もないだろう。でもその背景になにがあるのか、考えるのも大事なことだと思う。伊尾(金子大地さん)はバカなだけだろうと言っていたが、本当にそうなのか相手のことを考えてそれぞれ、考えて行動していく必要はあるだろう。
観に行く価値はある作品でした。
最後に、
何カット撮ったかはわからないが、一息でバースデーケーキのろうそくを消した古舘さんさすがでした。
映画館に行こう!
良い青春映画は登場人物が生きている世界が狭い
個人的な青春映画の金字塔「桐島、部活やめるってよ」とこの映画の共通点は、登場人物の視野というか住む世界が極端に狭いこと。前者は「学校=世界の全て」と言っても良いくらい学校以外のシーンを原作から省くことで、スクールカーストに溺れる、若しくは全く屈しないキャラクターによる屈指の群像劇に仕上がっている。他にも「バクマン。」は家族の存在を廃し、漫画に没頭する二人と取り巻きだけで完成させた作品。
では、この作品はどうかと考えてみる。住む世界自体はこれまでに挙げた作品よりも広い。でも、ずっとこの地にいるキャラクターは、何でも揃うショッピングモールの閉店に動揺し、京都にデートに行くときはおしゃれする1番都会的な女の子でも地元ではダサい靴でも平気だし(今時の高校でもあの上靴のまま?女の子もスニーカーなの?と思ったり)。視野は狭いなあと思わされる場面が何ヵ所もあった。冒頭の事件の当事者のことは同じ学校に通っていても…っていう展開は素晴らしかったですね。この時点で青春映画として僕の中では好みな部類になります。
この映画の1番素敵なところはどのキャラクターも魅力的な点です。主要メンバーの中で唯一感情をはっきりと表に出せる琴子演じる中田青渚さんが特に好きでした。どこかで見たことがあるなあと思ったら、ミスミソウでしたか…。あの「やさぐれ志田未来」感が今後も楽しみです。ただ、彼女がはっきりと表に出す感情に対して、主演・松本穂香さんが受け止めているようで実はあるメッセージを発していることが後から説得力を持って分かる演技があってこそ、中田さんも輝きを増したんだろうと思いました。ラストシーンの二人が並んだときの画面の強さが忘れられません。
ややネタバレですが、脚本も細かいところまで練られていたと思います。たぶん自分が初見では気付いていない仕掛けもたくさんあるんだろうと思います。自分が気付いたなかで特に唸ったのは、『「えん」は京都大学を希望している→琴子は京都にデートに行こうとする→「えん」としてはデートが成功されると困る、でももし成功したら良いイメージが残って京都にも頻繁に来てくれるかも→デートの服選びに付き合ってあげる→失敗して安堵しながら励ます』という流れです。あと、えんと業平のとあるシーンのあと、授業では「異国船打払令」を出してきたのも絶対意図的だと思います。「カチンコチン」の件も「コトコトコト」に繋げたのかなと思ったり。
また、この映画の名前である「君が世界のはじまり」もそうだし、副題として添えられている「Mv name is yours」の意味も、作品を見ているとよく分かりました。視野が狭くて見えにくかった未来も、施設を提示されたり、料理と向かい合うことで居場所を結果的に作ったりと希望を抱かせて終わらせるのも良い余韻です。ショッピングモールを出たあと表情は一切見えない影だけの動きで、結果的には「学校」に集まるんだけど、それぞれの未来への一歩が散り散りになっているところも開けていて良いなと思いました。
ブルーハーツの「人にやさしく」は映画内で実質3パターン流れるのですが、3パターン目が1番染みましたね。息づかいがしっかり聞こえる感じが。でも3パターン目は「誰かに」ではなく「自分に」頑張れと言いたかったのかなと感じました。
後はブルーハーツへの思い入れの度合いでこの作品への評価が上下する感じですかね。先生の描き方はどうにかならんかったかなとは思いました。
高校で起こったある物語というところでしょうか。
高校生が思ういろいろな思いを描いている映画です。
離婚、転校、性、いろんな形の恋、殺人などと多感時代に感じうるあらゆる問題に立ち向かう生徒。一つ一つがあり得る話で、思いもそれぞれ。これらが淡々と進んでいきます。
そして、そのまま終わるといった感じでした。
特に可もなく不可もなしといった感想です。
青春映画が好きな方にはいいかもしれません。
君が世界のはじまり
高校生達の複雑な心情が描かれ、葛藤しながらも突き進んでいく若いエネルギーを感じる青春映画。
視聴後はあらすじから予想していたシリアスな雰囲気は予想を裏切られ、サブタイトルを含む作品名の意味を考えさせられた。
音楽も懐かしさが漂い、高校生特有の心の動きとその演技が興味深かった。
気が狂いそう
優れた青春映画というのは、世の中の流行り廃りに縁遠くて、お洒落じゃなくて泥臭くって、当事者は「気が狂いそう」であるからこそ、鑑賞する老若男女に対して、自身の人生の一場面との対峙を迫り得るのだと考える。
「君が世界のはじまり」の舞台は、現代の大阪府内に所在する小さな町であり、そこには地味な制服の公立高校があって、それぞれ何らかの問題を抱える男女6人の日常生活が描かれている。彼らは基本的に関西弁を使い、食卓にはお好み焼きやたこ焼きが並べられている。
けれども、それらはコテコテではなくて、どこかサラサラしている。閉塞的で息苦しい感覚が表現できれば、大阪に拘る必要もないという匿名性の獲得を意図しているようだ。ここは何処だろう。誰もが見慣れた地方都市。実際に大阪で撮影されたかも分からない。
高校生の、いや人間の、生活範囲は意外に広くない。人生は狭い範囲で調達できてしまう。その方が手っ取り早いし、考える必要もない。学校とそれぞれの家庭。両者の中間に位置するのは、閉店が噂される無闇矢鱈に大きいショッピングモールと、ランドマークとしての工場タンクばかりである。
彼らは深夜のショッピングモールへ忍び込み、思い思いの離合集散を繰り返し、偶然かつ必然のように、ブルーハーツの「人にやさしく」を歌う。映画のクライマックスであるのだが、1人の登場人物の不在がその存在を際立たせ、物語を大きく推進させる手法は興味深い。
最近の高校生がブルーハーツを積極的に聴き、歌う姿は、フィクションでしかあり得ないだろう。とはいえ、青春映画とブルーハーツの親和性は幾つかの映画で証明されており、自分にも遠い記憶と容易に結びつくものがある。さらには和歌による懸想文が登場するなど、もはや時代を軽々と超越している。何てったって「業平くん」だし。
主要な登場人物が6人いるため、相関図の把握が容易でない場面も見受けられた。特に男性陣の棲み分けには課題があると思う。それでも、男女6人がそれぞれ一方通行の想いを募らせ、こじらせ、煩悶している様子は秀逸である。最後に大写しされる副題の「My name is yours」が、作品理解のヒントになっている。
個人的には、古舘寛治演じる父親がエプロン姿で朝夕の食事を作り、一人娘を待ち侘びる姿が切なかった。数人登場する大人の中では唯一、背景まで描写されて印象的である。「気が狂いそう」なのは若者の特権ではない。うちの娘も帰って来やしない。片想いだらけの映画の中で、繰り返される大切な結実と受け止めた。
人を殺してしまう高校生とそうでない高校生の違いは?
映画っぽくていい。
2時間でひとつのとてもよい作品になってる。
最後まで観て欲しい。
タイミングで「思い思われふりふられ」の後に鑑賞。
同じ高校生の話なのに、正反対(笑)
ただ、こっちの方がリアルに感じます。
単純な恋愛とか性とか暴力とかでは分類しにくい、いろいろなリアルな悩みなんだろうと。
ネタバレしない範囲ですが、オープニングのシーンが心から離れないのですが、それがとてもよくきいている。
人を殺してしまう人とそうならない人は、そう違いはない、というメッセージが強い。
強いてあげると、、、音がうるさい!
映画館の調整もあるのかもしれないけど、突然爆音で音楽流れたり、急に絶叫するので、とても辛く不愉快。その後は、いつ爆音になるなビクビクしながら観ていた。
終わり方もとてもいい。清々しい、、とは違う。不思議な後味。
優しくされたいなら、優しくすればいい
いつだって、世界はひらけているのに
こころを閉ざしているかぎり
そこが世界の中心であり、限界である。
そのこころを隔てているものは
家族だったり、学校だったり、
住んでいる街だったりと
いつだって〈自分 対 社会〉
他者との距離にほかならない。
だから、歌にすがった。
悲しいときはこの歌を、淋しいときはあの歌を…
ヒトは誰しも「自分は特別なんだ」っと悲観して
ちっぽけなニヒリズムに浸りがちになる。
けど、「自分だけじゃないんだ」っと気づけば
途端に他者との、社会との距離が狭まり
世界がひらけて、きらきらとひかりだす。
そこが新しい《世界のはじまり》
そして歌が鼓舞する
「ガンバレ!」っと…
*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.
“原作”リテラシー。
しいては、“ザ・ブルーハーツ”リテラシーが
なかったわたしには唐突過ぎて
正直、おいてきぼりを痛感しましたが
一場、一場で観たら
キャスト各々の印象的な名演が織りなす
こころに刺さる場面はありました。 確かに…
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