「気が狂いそう」君が世界のはじまり しんぐちゃんぐさんの映画レビュー(感想・評価)
気が狂いそう
優れた青春映画というのは、世の中の流行り廃りに縁遠くて、お洒落じゃなくて泥臭くって、当事者は「気が狂いそう」であるからこそ、鑑賞する老若男女に対して、自身の人生の一場面との対峙を迫り得るのだと考える。
「君が世界のはじまり」の舞台は、現代の大阪府内に所在する小さな町であり、そこには地味な制服の公立高校があって、それぞれ何らかの問題を抱える男女6人の日常生活が描かれている。彼らは基本的に関西弁を使い、食卓にはお好み焼きやたこ焼きが並べられている。
けれども、それらはコテコテではなくて、どこかサラサラしている。閉塞的で息苦しい感覚が表現できれば、大阪に拘る必要もないという匿名性の獲得を意図しているようだ。ここは何処だろう。誰もが見慣れた地方都市。実際に大阪で撮影されたかも分からない。
高校生の、いや人間の、生活範囲は意外に広くない。人生は狭い範囲で調達できてしまう。その方が手っ取り早いし、考える必要もない。学校とそれぞれの家庭。両者の中間に位置するのは、閉店が噂される無闇矢鱈に大きいショッピングモールと、ランドマークとしての工場タンクばかりである。
彼らは深夜のショッピングモールへ忍び込み、思い思いの離合集散を繰り返し、偶然かつ必然のように、ブルーハーツの「人にやさしく」を歌う。映画のクライマックスであるのだが、1人の登場人物の不在がその存在を際立たせ、物語を大きく推進させる手法は興味深い。
最近の高校生がブルーハーツを積極的に聴き、歌う姿は、フィクションでしかあり得ないだろう。とはいえ、青春映画とブルーハーツの親和性は幾つかの映画で証明されており、自分にも遠い記憶と容易に結びつくものがある。さらには和歌による懸想文が登場するなど、もはや時代を軽々と超越している。何てったって「業平くん」だし。
主要な登場人物が6人いるため、相関図の把握が容易でない場面も見受けられた。特に男性陣の棲み分けには課題があると思う。それでも、男女6人がそれぞれ一方通行の想いを募らせ、こじらせ、煩悶している様子は秀逸である。最後に大写しされる副題の「My name is yours」が、作品理解のヒントになっている。
個人的には、古舘寛治演じる父親がエプロン姿で朝夕の食事を作り、一人娘を待ち侘びる姿が切なかった。数人登場する大人の中では唯一、背景まで描写されて印象的である。「気が狂いそう」なのは若者の特権ではない。うちの娘も帰って来やしない。片想いだらけの映画の中で、繰り返される大切な結実と受け止めた。