「護りたい人たちへ」護られなかった者たちへ 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
護りたい人たちへ
恥ずかしながらその昔、生活に困って生活保護を受けようとした事があった。
だけど、申請がとにかく面倒臭い。
住んでる家の状況とかその時の収入とか、事細かに色々根掘り葉掘り聞かれる。例えば、家は2DKのようなアパートの狭い一室でなければダメ、収入も定められた金額以下でないとダメ。
血縁関係者が存命の場合、極力支援を受ける事。
…いやいや、それが無理だから申請しに来てんじゃん。親戚付き合いなんて祖父が死んでから全くナシ。絶縁状態。なのに、連絡取って支援受けろなんて、無理言いやがる。もう連絡先も知らねーって。勿論、それも出来ないと申請はダメ。
生活保護って生活困窮者を助ける国のシステムの筈なのに、本当は貧乏人どもにビタ一文足りとも国のお金を渡したくないのでは…?
結局、申請は諦めた。色々面倒クセェーし、イライラしてきたし。
それに、生活保護を受ける事に恥ずかしさも感じたから。そんな事をしないと自分一人の力で生きていけない無力さ。
劇中でも度々あった。生活保護は国民が誰でも受ける事が出来る権利。しかし、それに頼りたくない。
だから、見ていて思い出し痛感する点が多々あった。
震災から9年経った仙台で、全身を縛られたまま餓死した遺体が2件発見される。被害者二人は同じ福祉保険事務所に勤めていた事が分かり、警察は怨恨の線で捜査を進める。
やがて捜査線上に放火の罪で服役していた元受刑囚の青年が浮かび上がる。その背景に、3・11や生活保護問題の闇が深く関わり…。
事の発端は東日本大震災。多くの人々から大切な人や生活の全てを根こそぎ奪っていった“怪物”。
メインとして描かれるのは、生活保護問題。入りは殺人捜査ミステリーだが、思ってた以上に社会派。
絶対的に東日本大震災を絡める必要性があったのかと問われたら返答に困るが、人々の生活を一変させ、今尚続く困窮の引き金や悲劇の始まりとして、訴え迫るものはある。
容疑者の青年、利根。震災避難所で、一人の少女・カンと出会う。
二人に声を掛けてくれたのが、一人の老女・けい。
3人には何処か通じるものが。利根は生まれた時から天涯孤独の身。カンは震災で母親を亡くし、伯父にも見離され…。けいはかつて結婚していたが、DV夫で一人娘とは暮らしておらず…。(娘は母親は死んだと聞かされている)
身を寄せられる家族が居ない。
そんな3人が出会って…。どんな交流が育まれたかは、いちいち言う必要もないだろう。
けいの庇護を受けて二人は成長。仕事や進学にそれぞれ進み、久々に再会。
その時けいは、一日の生活も出来ないような身体と暮らし。困窮のどん底。
見かねた利根とカンは、けいを説得し、生活保護の申請に行くが…。
こういう時こそ、国が援助してくれなければならない。
が、こういう時に限って、国は何も助けてくれない。
国や社会や現実は、残酷だった。
生活保護の申請を渋るような職員の対応。それも、口調や表情は穏やかに。内心は鬱陶しそうに。
娘が居る事を知られると、娘からの援助を要請される。会った事もない娘にどう頼めばいいと言うのか…?
誰にでも触れられたくない過去や点がある。それを無情に掘り返す。
嫌になってくる。どうしてこんな思いをしてまで、国に頭を下げて援助を乞わなければならないのか。この時のけいの心情がかつての自分とリンクした。
そうなって来ると、お役所立場としては後は容易い。“逃げ”の方へ誘導するだけ。
一度申請した生活保護の辞退。
ノルマでもあるのだろうか。易々と生活保護申請を受けてはならない、と。辞退や断った職員は、“出来る職員”などと。
勿論世の中には、生活保護を不正に受け取る輩が居る。そういった輩や来る人来る人全てに生活保護の申請を通していたら…? それも分かる。
が、中には本当に生活保護を必要とする人たちも居る。それも分かって欲しい。
もし、救いの手が断られたら…?
もし、助けの声が届かなかったら…?
その最悪の事態、悲劇が起きた。
殺害された二人は、“善人”との評判。お人好しで、恨む者など居ない。
…が、それは誰の評価なのだろうか。
仏のような笑顔で無情な仕打ち。
自分や上の評価は良くても、実際やられた側は恨みたくもなる。
あんたのせいで…。
全員がそうではない。不埒なほんの一部。
でも、ご立派なお役所様に散々冷たく対応された事ある身としては、敢えて言いたい。
連中は、法を盾にしたやくざ同然だ。寧ろ、もっと質が悪い。
動機は単純。復讐。餓死体からも分かるように、同じ苦しみを知れ。
二人の他に、もう一人狙われる。
利根を緊急拘束するが…、どうやら彼は犯人ではない。
もう自ずと真犯人が分かってくる。ネタバレチェックを付けるので触れるが、
カン。現在は“丸山幹子(みきこ)”と名を変え(“幹”=“カン”)、ケースワーカーの職に。
生活保護の問題によって家族代わりの人を失ったのに、何故よりによって“支援”する立場の仕事に…?
カンは心から、生活保護を必要としている人を助けたい。
その一方、不正受給者や生活保護システムの矛盾さを許せない。
肯定でもあり、否定。
その両面を発し、問題を突き付ける。
原作小説をかなり脚色してるとか。Wikipediaでちらっと目を通したが、原作では元々カンの役は男性で、人間関係やストーリー展開もちょっと違う。刑事の苫篠が主役。
この映画版でも苫篠役の阿部寛が渋い演技を魅せているが、実質の主役は利根とカン。扮した二人の熱演に引き込まれる。
世の全てを睨むような佐藤健の鋭い眼差し。時々カッとなる荒々しさの中に、本当の性格と眼差しが見つめるものが滲み出る。
事件の真犯人。生活困窮者を助けたい優しさと、不正受給者への憤り、恩人を見殺しにした3人への憎悪…。この難しい役所を、見事体現した清原果耶。同世代屈指と言われる実力と、憑依型と言われる演技力を存分に発揮。監督や共演者も驚かせたというその存在感。この豪華キャストの中でもズバ抜けていた。
序盤は現在の殺人事件と、震災時のエピソードが交錯し、ちょっとこんがらがる。
でも見ていく内に、それらが繋がっていき、悲しい人間ドラマと殺人捜査ミステリーの醍醐味が巧みに融合。見応えと面白さ、社会派テーマとエンタメ性。
瀬々敬久監督の演出は時々バタ臭く、力み過ぎな点も感じられたが、上々。この監督も当たり外れの差が激しいが、個人的には今回は当たりの方。監督作の中でも特に好きな一本になったかも。
震災から11年経った。劇中で仮設住宅が出た時には、あれから全く時が流れていない…と言うか、時が止まった感覚に陥った。
ニュースなどで聞かなくなってきている。復興。
遅れに遅れ、困窮の生活を強いられている人たちは未だ沢山。
そこに、コロナだ。
不況だ。
人々の生活が全く良くならないのなら、生活困窮者の暮らしは明日のメドも立たないほど。
周りの助けや国の支援など頼らず、自分の力で生活を改善しろ! 甘えてんじゃねぇ!
…と思う人たちも大勢いるだろう。
出来るなら、そうしたい。
でも、分かって欲しい。そうしたくても、そう出来ない状況や立場とや身の人たちも居る事を。
耳を傾けてあげて。
声をあげて。
この混沌とした今の世の中でも、きっと微かでも、聞こえる筈。届く筈。
護られなかった人たち。
その人たちは、何も自分一人の為だけじゃない。
護りたい人たちへ。
近大さん
コメントへの返信を有難うございます。
「真にその声が届く事」…。ロシア国家の侵略を見ていると、聴く耳を持たない、事実を見ようとしない事の恐ろしさを感じます。
幼児虐待、貧困に苦しむ立場の人、交通事故の被害者、今僅かながらも、社会の関心が向けられるようになってきたのではないでしょうか。
人々の思いが行政を動かす力になると信じたいですよね。
近大さん
苦しい思いを経験されているのですね。
本当に困っている時に支援の手が差し伸べられる行政であって欲しいですよね。
多くの事例を捌いていかなければならない行政担当者の苦しい立場もあるとは思いますが。
ウクライナの人々の苦しみ同様、本当の辛さや苦しみは、その立場に置かれて初めて真の理解が出来るのでしょうね。
ばら撒きではなく、本当に必要とされる人へ支援が届く政治、行政であって欲しい。心からそう思います。
コロナ禍でかつての同僚だったタクシー運転手が一人餓死しました。生活保護受ければ良かったのに、やっぱりプライドが邪魔したのでしょうか・・・
地方ではけっこう受給は楽みたいですけど、都会では受けられない人が大勢いますね。
まだまだ感染者が増えていますから、今後も困窮者は増えそうです・・・