「原作からの改変が活かされた稀有な例」護られなかった者たちへ アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
原作からの改変が活かされた稀有な例
原作は中山七里の長編推理小説で、全国 14 紙に2016〜2017 年に連載されたものである。東日本大震災をきっかけにして人生が大きく変えられてしまった人物たちが織りなす人間模様であるが、ミステリー作品というよりは社会福祉や生活保護の現状をこれでもかと叩きつけた作風になっていた。映画化にあたっては、事件の発生を大震災の4年後から9年後に変更されたのをはじめ、登場人物の設定にはかなりの改変があった。
東北人は、東日本大震災の話になると襟を正さずにはいられなくなる。人一人が亡くなることは関係者にとっては耐えがたい悲しみであるのに、それが一度に何千人も起こってしまったのである。映画冒頭の避難所の風景などはもちろん作り物であろうが、そのリアリティは素晴らしいものであった。あの時、自然の猛威に晒された時の人間の非力さ、助け合いの有難さを忘れることはできない。
人間は一人では生きて行けず、誰かと関わり合って生きていかなければならないというのが古来よりの定めである。社会保障制度がない時代には、家族を失ったり病気で動けなくなった場合に餓死するしかないというのが現実であった。しかし、現憲法では「国民は最低限の生活が保障」されているので、働かなくても生命の維持が可能になっている。一方で、この制度を悪用して楽して生きようとする不届き者も後を絶たず、各自治体の生活保護担当者はその見極めと適正な運用に心を砕いている。
働ける家族がいる場合にはその収入によって生きるべきという建前であるが、我が子と親子としての関係が確保できていない老人には、突然我が子の前に現れて生活に窮しているから助けてくれと身の上話をさせられることになる。それを生活保護申請より困難なことと考える者も少なからずいるであろう。実に見事な着眼であり、各人物の引くに引けない事情などが我がことのように察せられた。
ものの本によると、口に水も何も入れられない状態で餓死するには1〜2週間を要し、その間意識が保たれるので、餓死の苦痛は5段階中レベル4と記述されており、電車への飛び込み(レベル3)よりも苦しく、入水(レベル4)と同じくらい苦しいらしい。レベル1は縊死と高いところからの飛び降りだそうである。この犯人が選んだ殺害方法にはこうした理由があったのである。
配役は実に贅沢であり、阿部寛も佐藤健もイケメンオーラを封印して非常に陰のある役柄を見事に演じていた。倍賞美津子の人柄の優しさや暖かさなども見応えがあり、そのリアリティが物語の核となっているだけに、彼女を取り巻く者たちが持ったであろうかけがえのなさを、観客に感じさせるのに成功していた。清原伽耶の役柄は原作から変えられていたのだが、この演技を期待して変えたのであれば原作を凌駕していると思った。制服姿なども違和感は全くなく、朝ドラの主役をやりながらこれを撮っていたのかと驚嘆させられた。
音楽はこの映画の持つ切なさや、やり切れない雰囲気を良く醸し出していたが、最後に流れてくる桑田の歌は場違い感が甚だしく、見終えた後の気分に水を差された。演出は終始緊張感が途切れず、台詞に頼らずに各人物の心情を感じさせる手腕には感服させられた。満席の館内にはすすり泣きも数多く聞かれた。大変な傑作である。
(映像5+脚本5+役者5+音楽4+演出5)×4= 96 点。